<吉祥寺残日録>ソ連崩壊から30年!あの歴史的な日を私はモスクワで取材していた #211225

私の人生の前半は、世界がイデオロギーによって分断された「東西冷戦」の時代だった。

西側の若者たちは共産主義に憧れて、資本主義はいずれ革命によって打倒されるべき対象と考えていた。

先進国では学生運動の嵐が吹き荒れて、発展途上国ではソ連や中国に支援された共産ゲリラが旧体制打倒を目指して武装闘争を展開していた。

そんな時代に育った私は、共産主義に対して漠然とした憧れを抱いていたのだが、テレビ局に入り自分自身で社会主義国を取材するようになると、憧れはすぐに幻滅へと変わっていく。

ちょうど30年前の1991年12月25日。

東側陣営の盟主であり、超大国としてアメリカと覇権を争ったソビエト連邦が崩壊した。

当時私はテレビ局の外信部員だったが、ソ連情勢が悪化する中で支局応援要員としてモスクワに派遣されていた。

そして、あの歴史的な1日をモスクワ市内を駆け回りながら取材していていたのだ。

30周年に合わせて、当時の古い写真を引っ張り出してみた。

あの日からほとんど見直すことなく30年間アルバムの中で眠っていた写真たちである。

12月25日の朝6時。

ゴルバチョフ大統領辞任が報じられたこの日を、私は牛乳屋の前にできた行列の取材から始めた。

ひどい物不足と物価高騰に襲われていた当時のロシアでは、こうした行列は日常的な風景となっていた。

東京から応援に入っていた私たちのクルーは、ドキュメント班としてモスクワ市内を走り回り、庶民の様々な表情を撮影した。

1本の牛乳をめぐって老人たちが順番争いをしていた。

この後、観光客が多く訪れるアルバート通りや外国製品が売られる化粧品店、子供用のデパートや信号待ちの車に群がる窓拭き少年、ガソリンスタンドの行列や労組の大会などを回り、エリツィンの側近だったロシア第一副首相ブルブリスの単独インタビューにも成功した。

そして夜7時。

ゴルバチョフがテレビで辞任演説を行った。

私は駅に設置された街頭テレビの前でその瞬間を見守ったが、テレビを見つめる人たちがいる一方で、多くの市民はテレビを見ようともしなかった。

日本をはじめ西側では評価の高かったゴルバチョフだが、肝心のロシア市民からは「国を滅ぼした男」としてその人気は地に堕ちていた。

69年間にわたり超大国として君臨したソビエト連邦は、わずか10分間のゴルバチョフの演説で呆気なく幕を下ろしたのだ。

時を同じくして、赤の広場では花火が上がった。

そしてクレムリンに掲げられていたソ連国旗「鎌と鎚の赤旗」が降ろされ、代わりにロシア連邦の旗である「白・青・赤の三色旗」が掲げられた。

私は旗が入れ替わる歴史的な瞬間には間に合わなかったが、遅れて広場に到着すると、ロシアの中枢である赤の広場はもうお祭り騒ぎになっていた。

ロシアの三色旗を手に喜び合う人々。

氷点下の寒さの中で、薄着で走り回っている人もいる。

この年の8月に起きた保守派のクーデターが失敗した時から、ゴルバチョフの権威は完全に失墜し、実権はエリツィンに移っていた。

12月8日にはロシア・白ロシア・ウクライナの秘密会議でソビエト連邦の解体が決まり、21日には連邦内12共和国による「独立国家共同体(CIS)」の発足が宣言された。

もはやゴルバチョフには何の力もなかったのだ。

それでも共産党のシンボルである赤旗を掲げて赤の広場に集まる人たちもいて、モスクワ市民の反応も一様ではなかった。

事実、ソ連崩壊後のロシアでは長く経済的な混乱が続き、秩序も崩壊してひどい時代がやってくる。

通貨ルーブルの価値は暴落し、ドル紙幣がないとまともな商品は買えない状態となった。

アメリカたばこの「マルボロ」が通貨がわりに使えたのもソ連崩壊後のことで、私たちはモスクワに取材に入るたびに大量の「マルボロ」を買い込んだものだ。

共産党が弾圧した宗教が一気に復活したのもこの時代の特徴だ。

ロシア正教は西側のキリスト教と比べて、独特の暗さがある。

歴史の大きな転換期に翻弄される人々は、その苦難からの解放を政治家ではなく神に求めた。

そして当時のロシア人は誰もが多弁だった。

街頭インタビューのためマイクを向けると、誰もかも喋りに喋った。

それまで社会主義国では自由に取材することさえできなかったため、みんなが一斉に喋り始めたことが私には一番強い印象として残っている。

ソ連崩壊とともに、社会主義に対する漠然とした憧れは完全に消え去り、世界は「アメリカ一強時代」を迎えることになる。

労働者が権力を握り、みんなが平等な社会を築こうとした社会主義の理想には本当に価値がなかったのだろうか?

金融資本主義が跋扈し貧富の格差がますます拡大する中で、最近そんな疑問を抱くようになった。

もちろんソ連型の共産主義独裁体制は論外だし、中国型の超監視社会もまっぴら御免だ。

しかし、今のままではいずれまた大きな揺り戻しが来そうな予感がする。

そんな時、たまたまカール・マルクスの「資本論」に関する番組に出会った。

Eテレで放送されている「100分de名著」という番組なのだが、何かのお導きでさしたる理由もなくこの番組を録画していたのだ。

大学時代、何度か「資本論」を読みかけて挫折したことがある。

あの頃はまったく心に響かなかったのだが、今回番組を見て、多くの示唆を与えられた気がした。

たとえば、これだけ技術が発展してもなぜ過労死が問題になるほど人間は働かなければいけないのか?

マルクスは「資本とは価値増殖の運動である」と規定した。

元手となるお金(G)で商品(W)を生産しさらに多くのお金(G)を得る「GーWーG(ゲーヴェーゲー)」という式で資本を表し、この金儲けの運動こそが「資本」だとマルクスは考えたのだ。

ちなみに資本主義以前の社会では、商品から始まる「WーGーW」が常識だった。

資本主義では物を買うことよりも売ることを重視し、人間は価値増殖し続けるというシステムの歯車になってしまい、ゴールというものがなくなってしまうのだ。

アマゾンの創業者ジェフ・ベゾスは2000億ドルの資産を築いてもまだビジネスをやめようとしないのは、それが資本主義の本質だからだというわけである。

つまり資本主義社会が続く限り、人間は価値増殖の運動から逃れられず、どんなに生産性が上がっても労働者は楽にならないというのだ。

確かに、AIだとか自動運転技術が開発され、人間が行っていた仕事がどんどん技術に置き換えられている現代でも、多くの人は少しも暇になっていないのは不思議といえば不思議である。

150年前に書かれた「資本論」の中に、その答えはすでに書かれているとしたら、これは再度読み直してみる価値がありそうだ。

色あせた昔の写真を眺めながら、私たちは本当に幸せになったのだろうかと考える。

そんなソ連崩壊から30年目のクリスマスであった。

<吉祥寺残日録>米露首脳会談と老いたゴルバチョフの遺言 #210617

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