数日前の話になるが、コロナによるアメリカの死者数が50万人を超えた時、バイデン大統領はある事実を指摘した。
50万人というのは、第一次と第二次世界大戦とベトナム戦争で戦死したアメリカ人の合計を超える、と。
『本日、私は全てのアメリカ人にお願いする。私たちが失った人たちを、そして私たちが置き去りにした人たちを、覚えておいてほしい』
バイデンさんは、アメリカ国民にそう呼びかけた。
『だれそれは普通で平凡なアメリカ人だと、そういう形容をよく耳にするが、そんな人はない。誰も平凡なんかじゃない。私たちが失った人たちは非凡な存在だった。何世代にもわたる人たちだった。アメリカで生まれた人や、アメリカに移住した人たちだった』
トランプさんとは明らかに違う、マイノリティーにも配慮した言葉だった。
この日、ホワイトハウスには50万個のロウソクが灯され、亡くなった人たち一人一人に想いをはせた。
しかし、私はこのニュースを見ながら、まったく違いことを考えていた。
アメリカという国は、3つの大戦争で「50万人しか」死者が出ていないのか?
この数字はある意味、驚きであり、ちょっと調べてみた。
ウィキペディアの数字を並べてみると・・・
- 第一次世界大戦での犠牲者 11万6700人
- 第二次世界大戦での犠牲者 41万8500人
- ベトナム戦争での犠牲者 5万8700人
合計は50万人を超えてしまう。
そこで、別の記事を調べていると、「ナショナルジオグラフィック」のサイトにこんな表が掲載されていた。

『米国の新型コロナ死者数、ベトナム戦争を上回る』という去年5月の記事に添えられていた数字なので、コロナの死者数はその後飛躍的に増えてはいるが、戦死者の数は変わっていないだろう。
それによれば、こうなる。
- 第一次世界大戦での犠牲者 5万3400人
- 第二次世界大戦での犠牲者 29万1500人
- ベトナム戦争での犠牲者 5万8200人
おそらくこれが、アメリカ政府の公式数字なのだろうが、合計すると40万人ほどで、50万人越えの演説に使うにはちょっと少ない気もする。
いずれにせよ、歴史に残る3つの大戦争を戦ったアメリカは、合計で「50万人しか」犠牲者を出していないのだ。
50万人といえば大きな数字である。
しかし、なぜ私が「50万人しか」という表現を使うかといえば、理由がある。
読売新聞戦争責任検証委員会編『検証・戦争責任Ⅱ』。
図書館で借りたこの本が、ちょうど私の手元にあったので、改めて日本人の戦没者数を確認してみたのだ。
すると、日中戦争から太平洋戦争にかけての日本人の戦没者は、厚生労働省によれば310万人。
内訳は、軍人・軍属が230万人(本土20万人、沖縄・硫黄島・外地210万人)で、一般国民は80万人(国内50万人、外地30万人)とされる。
ただし・・・と、この本は指摘する。
だが、ここでいう国内の一般戦没者50万人という根拠は、大規模な空襲を受けた100以上の自治体がそれぞれ見積もった数を「太平洋戦全国戦災都市空襲犠牲者慰霊協会」がまとめたもので、国はこれを利用している。他にも空襲を受けた町は多く、全国の戦災被害者は実際にはもっと膨らむ。国は、原爆や空襲による被害について確かな調査をしてこなかった。満州など外地で逃げ遅れた一般国民の数もはっきりしない。
国は、軍人・軍属を赤紙(召集令状)一枚で徴兵しながら、最終的な戦死者を把握していない。陸海軍の事務を引き継いだ厚生労働省が把握している地域別の戦死者は、1000〜100人単位のものである。
引用:読売新聞戦争責任検証委員会編『検証・戦争責任Ⅱ』
混乱とあまりの数の多さに正確な記録さえ残せないまま、多くの人が亡くなった。
この中に、当時は日本人とされていた朝鮮や台湾の人たちがどれだけ含まれていたのかも何も書かれていない。
しかし、先の大戦(この本では『昭和戦争』と呼んでいる)での戦没者は310万人以上と記している。
私がアメリカの戦死者数を「50万人しか」と感じたのは、これとの比較である。

この本の中に、戦没者をエリア別にまとめた興味深い地図が出ていた。
一番多いのは、日本本土の70万人、これは原爆を含む米軍による空襲による犠牲者である。
つまり、爆撃で死んだ人だけで、3つの大戦争で戦死したアメリカ人の数より多いということになる。
次に多いのはフィリピンの51万8000人で、次いで中国大陸の46万5700人、パプアニューギニア・ソロモン諸島24万6300人、樺太・千島・アリューシャン24万7000人、満州24万5400人、沖縄18万8000人と続く。
満州事変以来15年間に及んだ戦争だったが、死者の大半は最後の1年に集中していることがわかる。
日本本土、フィリピン、パプアニューギニア・ソロモン諸島、樺太・千島・アリューシャン、沖縄はすべて敗戦濃厚となってからの犠牲者なのだ。
満州の戦死者の大半もソ連軍の侵攻によって逃げ遅れた人たちだろう。
15年にわたる戦争を継続した指導者たちの戦争責任は極めて大きい。
この本の「あとがき」で、読売新聞グループの渡辺恒雄会長兼主筆は次のように書いている。
あのまったく勝ち味のない戦争に、なぜ突入し、何百万人という犠牲者を出しながら継戦し、かつ降伏をためらって、原爆投下やソ連参戦で悲惨な被害を一層、広げたのか。
その戦争責任は、戦勝国のみによる「東京裁判」(極東国際軍事裁判)で裁かれたまま今日に至っている。その内容を再検討してみると、量刑の過重な被告がいる一方で、日本国民や関係国民に過酷な犠牲を強いた罪のある、政府、軍首脳や幕僚たちのうちで、被告にすらならなかった人物も少なくない。
引用:読売新聞戦争責任検証委員会編『検証・戦争責任Ⅱ』
私の興味は、戦争がどのようにして起きたのかを知り、今日に活かせる教訓を学ぶことであって、必ずしも戦争責任を明らかにすることではないが、戦後の日本が自らの手で「戦争責任」に向き合わなかったことが、戦争の教訓を学校で教えることにも活かされず、いまだに戦前の日本を美化するような一部の言説の原因ともなっているのは間違いない。
読売新聞は、社内に戦争責任検証委員会を設置して、1年かけて戦争責任について連載を行なった。
それをまとめたこの本が出版されたのが2006年のことである。
保守派の論客として知られる渡辺さんだが、靖国神社へのA級戦犯合祀には強く反対していて、『多数の青年たちを死地に追いやった責任者が、頑迷が宮司によって、犠牲となった戦没者の霊と合祀された』と強く批判し、自らの手で「戦争責任」を再検証することの重要性を書いている。
関係国間の戦争のそれぞれの悲惨な記憶は忘却されていないし、「靖国」はその象徴的な問題として、現時点で生々しい国際関係上の大きな争点となっている。
読売新聞主筆たる私自身は今年80歳であるが、あの戦争の最後の陸軍二等兵として、残酷な軍隊体験は忘れられないし、被害を受けた隣国の怨念も理解できる。
戦後60年を経て、加害者、被害者はほとんど存在しなくなったとはいえ、まず我が国が、戦争責任の所在を究明、検証し、その政治的、道義的責任を明らかにしなければ、関係国との歴史的和解が長期にわたって困難となり、相互に得るところ少なく、失うこと多くなるのみだろう。
引用:読売新聞戦争責任検証委員会編『検証・戦争責任Ⅱ』
せっかくなので、読売新聞のチームがそれぞれの局面で重大な責任があったとして指摘した人物を列挙しておく。
【満州事変】
- 石原莞爾(関東軍参謀)
- 板垣征四郎(関東軍参謀)
- 土肥原健二(奉天特務機関長)
- 橋本欣五郎(参謀本部第二部ロシア班長)
【日中戦争】
- 近衛文麿(首相)
- 広田弘毅(首相、外相)
- 土肥原健二(奉天特務機関長)
- 杉山元(陸相)
- 武藤章(参謀本部作戦課長)
【日独伊三国同盟&南進】
- 近衛文麿(首相)
- 松岡洋右(外相)
- 大島浩(駐ドイツ大使)
- 白鳥敏夫(駐イタリア大使)
- 永野修身(軍令部総長)
- 石川信吾(海軍省軍務局第二課長)
【日米開戦】
- 東条英機(首相兼陸相)
- 杉山元(参謀総長)
- 永野修身(軍令部総長)
- 嶋田繁太郎(海相)
- 岡敬純(海軍省軍務局長)
- 田中新一(参謀本部作戦部長)
- 鈴木貞一(企画院総裁)
- 木戸幸一(内大臣)
【戦争継続】
- 東条英機(首相兼陸相)
- 小磯国昭(首相)
- 永野修身(軍令部総長)
- 杉山元(参謀総長)
- 嶋田繁太郎(海相)
- 佐藤賢了(陸軍省軍務局長)
- 岡敬純(海軍省軍務局長)
- 福留繁(軍令部作戦部長)
【特攻・玉砕】
- 大西滝治郎(第一航空艦隊司令長官)
- 中沢佑(軍令部作戦部長)
- 黒島亀人(軍令部第二部長)
- 牟田口廉也(陸軍第十五軍司令官)
【本土決戦】
- 小磯国昭(首相)
- 及川古志郎(軍令部総長)
- 梅津美治郎(参謀総長)
- 豊田副武(軍令部総長)
- 阿南惟幾(陸相)
【原爆・ソ連参戦】
- 梅津美治郎(参謀総長)
- 豊田副武(軍令部総長)
- 阿南惟幾(陸相)
- 鈴木貫太郎(首相)
- 東郷茂徳(外相)
こうして見ていくと、日本には、ドイツのヒトラーやイタリアのムッソリーニ、さらにはロシアのムッソリーニのような戦争指導者はいなかったことがわかる。
それぞれの局面で、各担当者が小さな判断を下しながら、大きな流れに飲み込まれていったというのが実態だろう。
読売新聞は、多くの犠牲者を出さずに戦争を終結させるべきだったとの観点から、開戦ではなく「継戦」の責任者に重い責任を認定している。
ただ、私は一度動き出した流れを止めるのは極めて難しく、やはり最初の段階で戦争を拡大した軍人たちの責任がより重いと考えている。
最終章、『「昭和戦争」から何を学ぶか』というタイトルで、今日学ぶべき教訓について、いくつかの項目をあげている。
見出しだけ並べるとこんな感じだ。
- 国際情勢、読み誤る
- 幕僚政治 責任不問で弊害噴出
- 議会 戦争を無批判に追認
- 世論形成 新聞、報道の使命放棄
- 人命・人権の軽視
このうち、私は「世論」という要素は非常に大きいと思っていて、「世論」が戦争を支持したという意味では政治家とメディアの責任は極めて重いと思う。
さらに付け加えるならば「経済」、先の大戦の引き金となったのは第一次大戦の大戦景気が終わり世界恐慌へと続く深刻な不況の中で、国民の不満が溜まっていたことも見逃せない。
財閥に代表される貧富の格差の拡大と社会的な不正も、国内の不満解消を海外に求め「満蒙は日本の生命線」にした大きな原因だった。
戦争による死者の少なさは、軍事大国アメリカがいかに自国領土で戦争をしていないかの証だ。
第二次世界大戦で、自国の領土が戦場となった国々では日本よりも多くの死者を出した。
ソ連が2000万人以上、中国が1000万人以上、ドイツ700万人以上、ポーランド500万人以上・・・。
もし日本も本土決戦に踏み切っていれば、桁違いに多くの人命が奪われただろう。
戦後、戦勝国アメリカは世界各地で戦争を行い、今も各地に軍隊を駐留させている。
一方、戦争に負けた日本は、アメリカに与えられた憲法を守り、曲がりなりにも「戦争放棄」を堅持することで、戦争をすることなくここまで来た。
これは自発的につかみ取った平和なのか?
なし崩し的に戦争への道を突き進んだ日本人が今、「なし崩し的な平和」を享受しているだけのようにも感じる。
「戦争はもう懲り懲りだ」と心の底から思っていた世代が去った今、どれだけの教訓が日本人に残されているのだろうか?
死者50万人のニュースを聞きながら、私はそんな不安を感じていた。
日本のコロナによる死者は7500人余り。
おまけに、去年1年間の死者の総数はその前の年よりも1万人近くも減ったという。
コロナよりも戦争の方がはるかに恐ろしい、それを再確認しながら自宅待機の日々に耐えようと思う。
素晴らしい見方をありがとうございます。