<きちたび>4泊5日香港マカオ深圳の旅⑤ マカオ歴史市街地区で見たプロジェクションマッピングと日本人の骨

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マカオの中心部「歴史市街地区」が世界遺産に登録されたのは2005年のことだ。

夕方マカオに入った私は早速、町歩きに出かけた。

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マカオのメインストリート新馬路を西に進むと世界遺産「民政総署」が現れる。

ポルトガル植民地統治の中枢「澳門市政庁」として使われていた歴史建造物だ。

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民政総署の前に広がるのが世界遺産「セナド広場」。

新年を迎えるというよりも、まだクリスマスイルミネーションで彩られている。ここはイエズス会の拠点、カトリックの都だったのだ。

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広場の一角に立つ「仁慈堂大楼」。

アジア最古の慈善福祉団体「仁慈堂」の事務局だった。

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広場から北へ伸びる通路は、光のトンネルになっていた。

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降り注ぐ紫色の光の下を大勢の人が歩く。

マカオの面積はわずか30平方キロだが、訪れる観光客の数は年間3000万人を超える。最近急増した日本のインバウンド客はようやく3000万人に届いたかどうかだから、混雑するのはやむを得ないだろう。

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地名表示もタイル仕上げのポルトガル流。

東洋と西洋が混じり合った独特の雰囲気が魅力的だ。

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光のトンネルを抜けると「聖ドミニコ教会」。

この教会はポルトガル人中心のイエズス会ではなく、スペインのドミニコ修道会によって建設された。

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その奥に進むと「大三巴街」。土産物屋が並ぶ狭い通りに人が溢れかえる。

ここはマカオ最大の観光名所「聖ポール天主堂跡」前に伸びる門前町なのだ。

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人の流れに押し流されるように私も「聖ポール天主堂跡」にやってきた。

マカオと言えば必ず登場するその有名な建造物は、プロジェクションマッピングの投影場所になっていた。

「それにしても、変なプロジェクションマッピングだ」と呆れて見ていると、これが本番前のカウントダウン画面であることがわかった。残り時間は12分。まだ少し時間があるようだ。

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少し腹が減ったので、何か軽く買い食いすることにした。

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私が買ったのはマカオ名物「エッグタルト」。値段は、1個10香港ドル(約160円)。観光地値段なのかちょっと高めだ。

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エッグタルトを頬張って再び天主堂跡に戻る。

歴史建造物を舞台にしたプロジェクションマッピングは職業柄見逃すわけにはいかない。しっかり見える場所をキープする。

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カウントダウンが進み、本番が近くにつれ、天主堂前の広場に集まる人の数がどんどん増えてきた。

どうやらプロジェクター2台で映像を投射するようだ。

そして、始まった。

最初は、ちょっとイマイチだなと思いながら見ていたが、中には面白い表現もあった。

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思ったよりもちゃんとしたプロジェクションマッピングだった。

日本でも最近流行りだが、その作品は龍や虎が出てくるワンパターンなものが多く、それに比べると個人的には満足した。

何と言っても、この天主堂跡はプロジェクションマッピングにはもってこいのロケーションである。できればここで世界大会でも開きたいものだ。

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後で知ったことなのだが、こうした光のイベントは「マカオ・ライト・フェスティバル」の一環なのだそうだ。

このフェスティバルは2015年から始まり、毎年12月にマカオ各地で様々なイベントが開かれる。この季節にマカオを訪れる方はぜひ体験することをオススメしたい。

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翌朝、再び歴史地区を歩く。

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昨夜美しく輝いていた「民政総署」は、朝見るとちょっと化粧が落ちたようだった。

ただ人が出入りしていたので、私も中に入ってみた。

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中は思いのほか、きれいだった。

ポルトガル・タイルの青が白い壁に映える。

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中庭も素敵だ。

しかし正直に白状すると、この美しい庭は中国的なクリスマス飾りと中国人観光客によって台無しにされていた。

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中国人たちは、悪趣味なオブジェの前で記念撮影をしていたが、私は苦労してオブジェが写り込まないようにアングルを工夫しなければならなかった。

別に中国人に恨みはないけれど、せっかくきれいな場所を変な装飾でぶち壊すことはやめてもらいたいものだ。

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「聖ポール天主堂跡」にも行ってみた。

昨夜とは打って変わって、人影はまばらだ。

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ただ、中国人の団体さんが階段で記念撮影をしていた。

みんな、楽しそうだ。

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正面の壁の裏側は鉄骨で支えられていた。

正面の写真はよく見るが、その裏側を写した写真はこれまで見たことがなかった。

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そしてかつて天主堂が建っていたスペースはきれいに整備されている。

その一番奥にあるのが「地下聖堂 納骨堂」である。

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少し階段を降りるので、ここに来る観光客は多くない。

入場も無料だ。

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入り口には金属のプレートが貼られ、中国語、英語とともに日本語でも説明が書いてある。

『これより先は神聖な場所です。どうぞお静かに!

この地下聖堂は、かつての聖パウロ学院付付属教会の中央祭壇の場所に位置しています。墓室中心部にある花崗岩の墓は、同学院創始者、アレシャンドレ・バリニャーノ神父のものと考えられています。北側の壁の小箱には、敬虔な信者もそうでない信者も共に、三百年以上もの間、ここに埋葬され永久の眠りについています。壁の両側のガラス製の聖遺物箱には、日本およびベトナムで殉教した人の遺骨が納められています。』

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そしてその脇には「日本殉教者」のプレートも掲げられ、殉教者の洗礼名、殉教場所と年月日が記録されていた。

マカオはフランシスコ・ザビエルをはじめとしたイエズス会が日本に布教する拠点であり、バテレン追放令の後、多くの日本人キリシタンが逃れた場所でもある。

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この岩が、ヴァリニャーノ神父の墓だという。

ヴァリニャーノ神父は、1579年マカオから日本へ渡った。ヴァリニャーノは巡察使として織田信長にも謁見した。さらに、日本人少年4人を選抜してヨーロッパに送り、ローマ法王にも拝謁させた。いわゆる天正遣欧少年使節の仕掛け人である。

奇しくも、私は天正遣欧少年使節を描いたドラマを製作した。まもなくアマゾンプライムビデオを通じて世界配信される予定だ。

その過程でヴァリニャーノ神父のことを知った。そして偶然、彼の墓と対面することになったのも、何かの縁を感じる。本当に奇遇だ。

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そしてヴァリニャーノ神父の墓の両側に、人骨が置かれていた。

ガラス越しに見えるその人骨は、日本で迫害され殉教したキリシタンたちのものだとされる。

織田信長は仏教界と対立し、キリスト教に寛容だった。

それに対して秀吉は一転、キリスト教の布教を禁じる。その決断の背景に何があったのか?

秀吉がもしキリスト教を禁じていなければ、日本は列強の植民地になったかもしれないという説がある。この時代、まさに大航海時代の幕開けであり、宣教師は植民地拡大の先兵でもあった。

またポルトガルの奴隷商人たちによって多くの日本人がマカオに奴隷として売られたという記録も残る。マカオと日本の関係は複雑だ。

そして、いち早く日本に目をつけ、鉄砲とキリスト教を伝えたポルトガルは、結局列強の争いに敗れ、オランダにその座を譲った。

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世界遺産「マカオ歴史市街地区」。

そこには、多くの日本人の血と汗と涙の歴史が刻まれているのだ。

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