平成から令和へと時代が変わる節目の日に、伊勢神宮に参拝してきた。
私にとって、二度目の伊勢神宮である。

まずは、令和に改まった初日、5月1日の話から書きたいと思う。
鳥羽のホテルに宿泊した私と妻は、午前10時半から行われた「剣璽等承継の儀」に臨む新天皇をテレビで見てから、宿を後にした。
実にあっさりとした儀式。無駄な要素がなく、とても日本らしい。

鳥羽駅からは近鉄で五十鈴川駅まで行き、そこから路線バスで内宮へと向かう。
通常は15分間隔で運行されているようだが、バス停には長い行列ができ臨時バスも編成された。

駐車場待ちの車でバスはのろのろとしか進まず、内宮に着いたのは12時半だった。
こちらでは、内宮の参拝を終えた人たちがバス待ちの長い長い列を作っている。
やはり、誰しも考えることは一緒。
代替わりに合わせて伊勢神宮にお参りするというのは、誰もが思いつくことなのだろう。

宇治橋の前には、すごい人。
午前中なんとか持ちこたえていた雨がここで降り始める。
また、雨か・・・。

宇治橋は右側通行。
橋の右側は人であふれ、前の人に付いてゆっくりと前に進むしかない。

下を流れるのは五十鈴川。連日の雨で、いつもに比べ、水量が多いようだ。
それにしても内宮の緑、本当に深く、限りなく美しい。

橋の両サイドには、「宇治橋大鳥居」がそれぞれ立つ。
この大鳥居の木材は、20年に一度の式年遷宮で撤去された前の宮の「棟持柱」が使われているのだそうだ。物を大切に使うのは、やはり日本の伝統なのだ。

大鳥居をくぐって、内宮の敷地に足を踏み入れると「御朱印」をもらうために並ぶとんでもない長さの行列が現れた。

列は仮設の御朱印受取場から幾重にも折り返しながら延々と続き、大鳥居の外、宇治橋の上まで伸びている。
しかも、ほとんど前に進んでいない。
この調子だと、列の最後部に人が御朱印をもらうのは何時間後のことになるのだろう?
それほど、きょう「令和元年5月1日」と書かれた御朱印を手に入れることは価値があることなのだ。少なくとも、この列に並んでいる人たちは、そう思っている。

私たちは御朱印には興味がないので、行列の脇をすり抜けてそのまま直進する。

右手には「神苑」が広がる。
よく手入れをされた松。この庭は、明治時代に整備された。
江戸時代にはこの一角には民家が建っていたが、明治政府はそれを全て撤去して、代わりにこの整然とした庭を作った。

神苑の一角には、緑色のシートで隠された舞台のようなものがあった。
調べてみると、毎年4月28日から30日の3日間、「春の神楽祭」という行事が開かれるが、この舞台はそのためのものだという。


緑色のシートから突き出した金と銀の装飾。
これは日輪だろうか?
伊勢神宮のサイトを見ると、この舞台で披露される舞楽の映像が公開されていた。
今年は新天皇即位を祝って特別に、5月1日から3日間、公開舞楽が披露されたのだが、私たちはあいにく時間がなく、それを見ることはできなかった。

神苑から先に進むと、第一鳥居をくぐる。

そして、五十鈴川の御手洗場へ。
新緑を眺めながら、心身を清める。

上流には、深い森。太古の昔から、変わらぬ景色なのだろうか?
実に清々しい。
伊勢神宮には、雨がよく似合う。

人の流れに従ってさらに進むと、第二鳥居。
その先は・・・「お神札授与所」だ。

お神札授与所では、お神札(おふだ)、お守りを始め神棚まで売っている。
ただ、おみくじはない。
その理由について、「教えてお伊勢さん」という公式サイトでは次のように説明されている。
『 伊勢神宮には昔から「おみくじ」はありませんでした。おみくじは日ごろからお参りできる身近な神社で引くものでした。また、「一生に一度」とあこがれたお伊勢参りは、大吉でないわけがありません。その為、おみくじも引く必要がなかったと考えられます。』

ここでメインルートから右に曲がり、別宮の一つ「風日祈宮(かざひのみのみや)」にお参りすることに・・・

風日祈宮橋の下に流れるのは島地川。
こちらが橋の左側にあたる上流。

そしてこちらが下流、この先で五十鈴川と合流する。
紅葉がきれいな場所だそうだが、新緑も見事だ。

別宮「風日祈宮」。
『ご祭神は、伊弉諾尊の御子神で、特に風雨を司る神、級長津彦命(しなつひこのみこと)と級長戸辺命(しなとべのみこと)』だ。
正宮と同様、別宮でも式年遷宮が行われるようで、現在の社殿の隣には玉砂利を敷き詰めた「古殿地」、すなわち次の社殿が建てられるスペースが確保されている。

周囲には、シダや・・・

切り株に生えたきのこ類が。
そして見上げれば・・・

空を覆う巨木たち。
この森こそが、伊勢神宮の魅力でもある。

それでは、いよいよアマテラスをお祀りする内宮の「正宮」へ。
雨が次第に強くなった。

正宮の階段が見えてきたと思ったら、人の波は動きを止めた。
立錐の余地もない傘の行列。
どうやら参拝を待つ人が多すぎて、前に進めないようだ。ある程度予想はしていたが、これはすごい大渋滞である。

人の流れを観察しながら、大外を回るルートをたどる。
やっと階段の上に立つ正宮の鳥居が見える位置まで移動できた。
渋滞に巻き込まれてから、ここまで来るのに10分かかった。

それにしても不思議な光景だ。
正宮前の石段を埋め尽くす傘・傘・傘・・・。
雨の日は多いだろうが、こんな光景は滅多に見られないだろうと前向きに考える。

伊勢神宮のまさに中心である内宮・正宮は「皇大神宮(こうたいじんぐう)と呼ばれる。
公式サイトの説明を引用すると・・・
『 神路山、島路山の麓、五十鈴川のほとりに鎮座する皇大神宮は、皇室の御祖神であり日本人の大御祖神である天照大御神をお祀りしています。
今から2000年前、皇位のしるしとして受け継がれる三種の神器の一つである八咫鏡をご神体として伊勢の地にお祀りし、国家の守護神として崇める伊勢信仰は平安末期より全国に広がりがみられました。現在でも全国の神社の本宗として特別に崇敬を集めます。』
そして、ここから先、お参りする場所までは撮影禁止エリアとなっている。

参拝を終えた人は、正宮の古殿地へと誘導される。

こちらからは、社殿の撮影が許される。
正面と脇では、きっと意味合いが違うのだろう。
見えている建物は、敷地の一番南に立つ「四丈殿」だろう。

参拝客は、次の式年遷宮の際、新しい正宮が建設される「新御敷地(おみしきち)」の周囲をぐるりと歩く。

東側からは、新御敷地越しに御正殿が見えてきた。
天照大御神を祀る正宮の中で中核となる建物だ。

新御敷地に敷き詰められた黒と白の玉砂利とその向こうに立つ神明造の社殿。
現代に生きる私たちには、にわかに理解できない伝統がそこに息づく。

一回り大きな御正殿の背後には、東宝殿と西宝殿が控える。
シンプルな日本的な様式美。

その社殿を見下ろす巨大な樹木。
日本人の精神性の原点を感じることができる素敵な場所だ。

伊勢神宮は、今から2000年以上前に築かれ、今日まで昔と変わらぬ姿をとどめていると伝えられる。
しかし最近の研究では、「昔と何も変わらない」という言葉には嘘があるという。古代はもっと簡素なものであり、江戸時代には逆にもっと華美な装飾で彩られていたそうだ。

現在の伊勢神宮の伝説は、明治政府によって天皇崇拝を推し進めるために利用された。そもそも「日本書紀」なども天武天皇が天皇の権威を高めるために、天照大御神の子孫としての歴史を作ったことに始まる。
半分は神話や権力者による策謀ではあるが、それゆえに伊勢神宮とその周辺の森が現代まで残ったことには大きな意味がある、と思った。

ここで完全に時間がなくなった。
他にも巡るべき別宮があるが、そこを訪れる余裕はなく、最短距離で出口を目指す。

出口近くにまた行列ができていた。
見ると、「祝菓子 授与所」と書かれた看板が立てられていた。

ちょっと焦りながらも列に並ぶと、子供たちが新天皇即位を祝うお菓子を配っていた。
5月1日の朝9時から4万個のお菓子が無料で配られるという。
ちなみに、配っている子供たちは「神宮スカウト」という神社司庁が育成母体となるボーイスカウト、ガールスカウトに所属しているようだ。

祝い菓子はこのような箱に入っていて・・・

箱の中身は、紅白5個の干菓子だった。
妻は大喜び。
あまり干菓子が好きではない私も一つだけ食べてみたが、和三盆の上品な味で文句なく美味しかった。

令和元年5月1日。
令和最初の日にお参りした伊勢神宮内宮は、雨に濡れた美しい新緑とともに、甘い干菓子の記憶もセットとなった。
ものすごい人ではあったが、この日、この場所を選んだのは正解だった。
これも何かのご縁、いにしえの日本や日本人と天皇の関係を考えるうえでも、多くの示唆を与えてくれる神の場所であった。

宇治橋を渡る。
私たちが来た時よりもさらに人が増え、入場規制が敷かれていた。

山に雲がかかる。
神を感じた。