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<きちたび>鳥取県の旅2024🇯🇵 中学以来の鳥取砂丘!全く期待していなかった「砂の美術館」は一見の価値あり

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🇯🇵 鳥取県/鳥取市 2024年5月11日

鳥取県といえば、多くの人が真っ先にイメージするのは砂丘ではないだろうか。

私は中学時代、学校の旅行で一度鳥取砂丘に行ったことがある。

でも、もはやあまりに遠い記憶で、実際どのくらいの規模だったかさえ覚えていない。

ということで、旅の目的地を鳥取に定めた時から、もう一度砂丘をこの目で見てみようと決めていた。

ということで、鳥取に着くとその足で真っ直ぐに砂丘へと向かったが、直前の交差点で迷う。

左に曲がれば「鳥取砂丘」、直進すると「砂丘展望台」と書かれていたからだ。

とりあえず砂丘の全体像が見たいと思い、直進して展望台に向かうことにした。

しかし、そこからの眺めは期待外れ。

確かに砂丘の西の端まで見通すことはできるものの、砂丘までの距離が遠く、イメージしていた鳥取砂丘の眺めではなかった。

そして来た道を引き返し、素直に鳥取砂丘と書かれた方向へ進むと、そこにビジターセンターがあった。

ただし、ここの駐車場は有料で、道を挟んだ反対側にある無料駐車場に車を停める。

鳥取砂丘は南北2.4キロ、東西16キロと正確にいうと日本海に沿って東西にかなり長く伸びているのだが、観光客がイメージする鳥取砂丘は砂丘が一番広がった部分、すなわち千代川の東側に広がる545ヘクタールの「浜坂砂丘」のことを指す。

海側から第一砂丘列、第二砂丘列、第三砂丘列と波状にうねっていて、砂丘を歩くいくつかのコースが設定されているようだが、最も一般的なのはビジターセンターから通称「馬の背」と呼ばれる第二砂丘列までを往復するルートらしい。

もう夕方の4時半ということで、私もうろうろ歩き回ることはせず、シンプルに馬の背まで往復することにした。

ビジターセンター脇の階段を登ると、目の前に砂丘が広がっていた。

やっぱり、こうでなくっちゃ。

中学の時もこのルートを歩いたのか、それとも前の夜に遊びすぎてバスで寝ていたのか、全く記憶がない。

砂はサラサラで靴が埋まる。

たくさんの観光客が残した無数の足跡は、後から来た客によって崩され、さらに強い海風によって消されていく。

ところどころ濡れて固まった部分があり、そういう場所は妙に歩きやすくなる。

第三砂丘列の上に建てられたビジターセンターからはしばらくダラダラとした下り坂が続き、第二砂丘列への急な上り坂に変わる。

直線距離で400メートルほど、馬の背までの高低差は約47メートルあるそうだ。

見た目にはかなりきつそうに感じたが、実際に歩いてみると物珍しさも手伝って、それほどの距離ではない。

そもそも鳥取になぜ日本一の砂丘ができたのか?

それは中国山地の土壌と鳥取の気候や潮流が関係しているらしい。

中国山地を構成する花崗岩が風化して多量の砂となり、それが千代川によって海に運ばれて堆積する。

この海底に堆積した砂を潮流が海岸へと流し寄せ、さらに海から陸へと吹く強い風が海岸にたまった砂を内陸へと運んだのだ。

馬の背に向かって登り始めると、夕日がちょうど行手に見える。

5月の夕暮れ時だからさして暑くはないが、これが炎天下の日中だったらさぞキツかろう。

ある意味、いい季節に訪れたかもしれない。

馬の背に到達すると、目の前に日本海が広がった。

人が歩いていない第二砂丘列の上には風が描いた風紋も確認できる。

強い海風を全身に感じ、気持ちがいい。

今でこそ鳥取を代表する観光地となった鳥取砂丘だが、戦前までは単なる厄介者として見捨てられた土地だったという。

戦後になり県は当初、砂の被害を防ぐことを目的に砂丘に緑化計画を推し進める。

この流れが変わるきっかけとなったのは、1955年の山陰海岸国定公園の指定、そして1963年の国立公園への昇格だった。

これを機に地元経済界などから観光開発の機運が高まり、一度植林した保安林を伐採することに方針が変更されたのである。

中学生だった私が鳥取砂丘を訪れたのは、まさに植林から伐採へと砂丘を取り巻く状況が劇的に変化した頃だったようだ。

もちろん当時の私はそんな事情を知る由もなく、この荒漠とした風景を見て何を感じたのだろう?

馬の背から鳥取砂丘の全体像を確認した後、ビジターセンターへと丘を下っていく。

眼下に見えるのは「すりばち」と呼ばれる窪地。

砂丘というと乾燥した場所だと思っていたが、実はこの「すりばち」には「オアシス」と呼ばれる大きな水溜まりがある。

近くまで行ってみると、この辺りは地面が固かった。

砂丘に降った雨水などが溜まるだけではなく、オアシスには地下水が湧いているのだという。

これまで漠然と知っているつもりだった鳥取砂丘にもさまざまな表情があり歴史があることを知った。

ビジターセンターに戻ってくると、時間は午後5時を回っている。

さて、ホテルに向かうか?

砂丘の近くにある「砂の美術館」に寄ってみると、嬉しいことに午後6時まで営業しているをいう。

「砂の美術館」は、鳥取砂丘により多くの観光客を呼び込むことを目的に、砂を素材とした彫刻「砂像」を展示するプロジェクトとして2006年に始まった。

1年ごとにテーマを変えながら屋外展示や大型テントでのイベントを開催、ついに2012年に鳥取砂丘の近くに立派な常設の美術館が完成した。

その後も世界の様々な国をテーマに毎年展示内容を変更しながら、人気の観光施設としてすっかり定着した。

2024年のテーマは、パリ五輪が開催されるフランス。

展示室の入り口には、パリのノートルダム寺院の砂像が私を待ち構えていた。

そして、ノートルダム寺院の側面には、文豪ビクトル・ユゴーの小説「ノートルダムのせむし男」の主人公・カジモドとエスメラルダの像が刻まれていた。

物語性を織り込んだ実に精巧な砂像。

制作したのはリトアニアの2人のアーティストである。

正直これほどの完成度は予想していなかったので、一瞬にして度肝を抜かれた。

こちらは「パリの風景」と題されたポーランドのアーティストによる作品。

オルセー美術館などセーヌ川河畔の情景が描かれている。

続いては、「建国の王 クローヴィス」。

ゲルマン系民族であるフランク族を統一し、481年にフランク王国を建国した英雄クローヴィスがカトリックに改宗する場面が描かれている。

制作したのはスペインの彫刻家。

日本人には馴染みの薄いフランスの古代史を砂像を通じて学ぶことができる。

次の歴史もので、1339年から1453年までフランスとイギリスの間で戦われた百年戦争である。

製作者はロシア人。

最終的にフランスが勝利を収めるが、この果てしない戦争を通して封建領主が力を失い国民国家という意識が両国に目覚めるきっかけとなる。

日本人がフランスを描くと、なかなかこんなテーマは出てこないだろう。

百年戦争の末期に登場した伝説のジャンヌ・ダルクも描かれている。

兵士を率いる勇姿とその2年後に異端裁判にかけられ火刑に処せられる姿を組み合わせてフランスの国民的ヒロインを砂で描いたのはオランダのアーティストである。

「絶対王政」と題された作品で描かれるのはフランス・ブルボン王朝の太陽王ルイ14世。

『朕は国家なり』という有名な言葉を残したこの王様の時代に、フランスの絶対王政は絶頂期を迎えた。

砂像の制作者はロシアの彫刻家である。

そしてあのフランス革命。

18世紀末に起きた市民革命により、国王ルイ16世と妃マリー・アントワネットは断頭台の露と消えた。

「自由」「平等」「友愛」をスローガンとした市民革命は紆余曲折の末、ナポレオンの登場によって幕を閉じる。

ルイ14世が築いた壮麗なヴェルサイユ宮殿をバックに皇帝に即位したナポレオン1世の戴冠式が描かれる。

このフランス激動の時代を背景にしてビクトル・ユゴーが紡いだ壮大な物語が「レ・ミゼラブル」である。

主人公ジャン・ヴァルジャンの数奇な物語は時代を超えて、今も人気ミュージカルとして世界中で愛されている。

このほか、「ベル・エポック」やフランスのファッションなど、世界中のアーティストが思い思いの視点からフランスを描いた作品が並ぶ。

どれも力作で見応えがあるものばかり。

時間がなければスルーしようと思っていた施設だが、見終わった後、閉館前に来れて本当に良かったと思ったものだ。

鳥取砂丘と砂の美術館。

鳥取観光のド本命ではあるが、鳥取に行くなら絶対に外せないスポットであることは間違いない。

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