<きちたび>リヒテンシュタインの旅2023🇱🇮 チューリッヒ空港から迷いに迷って首都ファドゥーツにたどり着く

🇨🇭 スイス→🇱🇮 リヒテンシュタイン 2023年12月9日

当初はアイスランドとグリーンランドだけの旅行のつもりだった。

しかしアイスランドで火山活動が活発化し、空港閉鎖という事態も想定される中、保険の意味でヨーロッパの別の国も旅程に加えることにした。

その時に思いついたのが、未だ未踏のリヒテンシュタインだったのである。

リヒテンシュタインは、スイスとオーストリアに挟まれたアルプスの小国という以外に何の知識も何の興味も持たないままスルーしてきた国である。

果たしてどんな経験ができるのか、いざ97番目の訪問国リヒテンシュタインへ!

グリーンランドから一旦アイスランドに戻り、空港近くのホテルに1泊した後、午前7時20分のアイスランド航空機でスイスのチューリッヒに飛んだ。

所要時間は3時間45分。

パリ特派員時代、ヨーロッパはどこに飛んでも1〜2時間という感覚を持っていたので、やはりアイスランドは遠い島である。

冬のヨーロッパはいつものように厚い雲に覆われていたが、チューリッヒに近づくと、雲の隙間から山並みが見えてきた。

ヨーロッパアルプスだ。

着陸態勢に入ると、スイスの街並みも見えてきた。

赤い屋根、整然と区画された緑をたたえた農地。

やはりアイスランドやグリーンランドの荒々しい風景とは違ういかにもヨーロッパらしい牧歌的な風景である。

チューリッヒ国際空港のロビーは実に簡素で、余計な施設が全くなかった。

ユーロをスイスフランに両替したいと思って換金できる場所を探したが、どこにも見当たらない。

もはや現金など使う人がいないということだろうか?

おまけに、空港のWi-Fiにうまくアクセスできず、ワイモバイルの国際ローミングに繋ごうとしても全く使い物にならないのだ。

どうも通信に関してはイギリスやアイスランドに比べて、スイスとの相性がよくない。

ネットが使えないと何かと不便だが、所詮2−3日のことなのでわざわざSIMカードを購入するのも面倒だ。

空港でまごまごしているのも時間の無駄なので、両替は諦めて、空港直結の鉄道「チューリッヒ空港駅」に向かう。

そっけない空港と違って、こちらはショッピングモールのようになっていて、賑やかだ。

「CHANGE」と書かれた店舗を見つけた。

銀行かと思ったら、スイス連邦鉄道(SBB)のオフィスのようだ。

ここで無事にユーロ紙幣をスイスフランに両替することができたのだが、たくさんの客が待っているのにスタッフがテキパキと動かないので、「ここはスイスじゃない」と言って怒り出すおじさんもいた。

国営であるSBBのスタッフは昔の国鉄職員みたいな感じなのかもしれない。

両替もできたので、リヒテンシュタインに行くための切符を買い求める。

リヒテンシュタインには空港はおろか鉄道の駅もないため、リヒテンシュタイン行きのバスが発着するスイスのサルガンスという街までの切符を買うことになる。

券売機の使い方がよくわからず、黄色いベストを着たSBBのスタッフに聞くと、私の代わりに機械を操作してくれて「直行便があるがそれでいいか」と言うのでよくわからないままOKする。

結局、この券売機は現金が使えずカード払いだけみたいで、言われるがままに51スイスフラン(約8340円)で2等車の切符を購入した。

スイスの鉄道は他のヨーロッパ同様、改札というものがない。

切符を買ってそのまま自分の列車の乗り込めば、車内で車掌が切符の確認をする。

車掌がいつ回ってくるかは時と場合によりので、切符を持っていなくても一度も車掌が来なければ無賃乗車も可能ということになる。

さて、私の乗る列車は何時出発だっただろうと思い、切符を確認すると、チューリッヒ空港からサルガンス行きとは書いてあるものの、肝心の時間がどこにも書かれていない。

12月9日から10日の朝までどの列車にも乗れる切符のようだ。

しかし困った。

この駅からはさまざまな行き先の列車が頻繁に出発していて、間違った列車に乗ってしまうとどうなってしまうかわからない。

私は再び券売機のところに戻り、先ほどのスタッフに確認しようと思ったら、もうすでに彼の姿はなかった。

仕方なく、見よう見まねで券売機を操作しサルガンス行きの直行便を探すと、13時23分発の列車がヒットした。

再びホームに戻って表示板を見ると、12時23分発の「St. Gallen」行きと書かれていた。

この列車でいいのか、さっぱりわからない。

日本の駅に比べてスイスの案内は親切ではないと感じた。

列車は1分前にやってきた。

スイスの鉄道は、日本に比べて駅に停車している時間が長い。

自分でドアのボタンを押して、乗り込むスタイルである。

私は不安を抱えたまま、2階建て車両の2階席に座った。

列車は私が思っているのとは逆方向に進み出した。

あれっ? こっちでいいのか?

私が事前に調べていたルートでは、空港を出た後南に向かってまずチューリッヒ中央駅に行き、そこからチューリッヒ湖の南岸を東に向かうはずだった。

しかし、太陽の角度から判断して、この列車は明らかに北に向かっている。

「間違えた」と思ってドキドキし始めた時、車掌さんが現れた。

私は黙って切符を渡すと、車掌は何食わぬ顔で切符にスタンプを押して返してくれた。

「このまま直行でサルガンスに行く?」と聞くと、車掌は一言「YES」と答えたのだ。

どうやら間違いではなかったらしいが、一体この列車はどこに向かっているのだろう?

しばらく経ってから、座席の近くに行き先を告げるモニターが設置されているのを見つけた。

どうやら、この列車はスイス南東部の街「Chur クール」行きの列車だったらしい。

画面が切り替わるとルートを示す地図も現れ、この列車が私が想定していたチューリッヒ湖南岸ではなく、わざわざスイス北部を大回りしてサルガンスを通ってクールまで行くことがわかった。

直行便という言葉に騙されたが、通常1時間ほどでサルガンスまで行けるところこのルートだと2時間かかることも後で知った。

でも、とにかくこのまま乗っていれば目的地のサルガンスに着くことが分かり、私はようやくホッとして車窓からの眺めを楽しむ余裕が生まれた。

スイスの鉄道とは言っても、北回りにこのルートはアルプスからは遠く、のどかな田園風景が広がっていた。

少し高度が上がったのか、いつの間にか外は雪景色に変わっていた。

列車は、チューリッヒ空港駅を出て一旦北に向かった後、東に進路を変え、ホームの表示板に書かれていたヴィンタートゥール、ヴィル、ウズヴィル、フラヴィルという町を通り、「St. Gallen ザンクト・ガレン駅」を通過した。

日本だったら、ホームの表示板には終点の駅名が表示されるが、スイスの場合にはそうではないらしい。

東京駅のホームで博多行きの新幹線に乗ろうとした時に、京都行きとか大阪行きと表示されているようなものであり、岡山まで行きたい人にとっては戸惑うばかりである。

空港駅を出発して1時間20分後、列車は「ロールシャッハ駅」に到着した。

ここはドイツとの国境に横たわるボーデン湖のほとりにある街で、東に少し行くともうオーストリアの国境でもある。

そのため、駅のホームにはオーストリア連邦鉄道(OBB)の列車も停まっていた。

まさに国境の駅である。

私が乗って列車もここから進路を南にとり、オーストリアとの国境沿いを走ることになる。

車窓からはオーストリアアルプスの雄大な山並みが見えてきた。

やっぱりアルプスはすごい、まさに絵葉書のようだ。

列車は「ブフス」の駅に近づく。

地図で見ると、この駅の東側はもうリヒテンシュタイン領のはずである。

ブフスと過ぎると、山が一段と迫ってきた。

これはどうやらリヒテンシュタインの山々のようだ。

手前の野原はスイス領で、その先にライン川の上流が流れていて、その向こう側が目指すリヒテンシュタインということらしい。

山の中腹にお城が確認できる。

後でわかったことだが、この城こそがリヒテンシュタイン公爵家が今も暮らしている「ファドゥーツ城」だったのだ。

まるで、おとぎの国のようだ。

窓に張り付くように見つめていた私はそう感じた。

リヒテンシュタイン領内にはさらに猛々しい山塊が見えてきた。

おそらくはリヒテンシュタインの最高峰グラウシュビッツ。

標高は2599メートルというから、思いのほか高くはなかった。

こうして車窓からの眺めを楽しんでいるうちに、列車はサルガンスの駅に到着した。

時刻は午後3時25分。

チューリッヒ空港駅を出発してちょうど2時間の汽車旅であった。

駅に着いたら、早速リヒテンシュタイン行きのバスを探さなければ。

とりあえず駅の窓口で聞いてみることにした。

すると、そこでバスの乗車券が購入できるというので、両替したばかりのスイスフラン紙幣を使って片道の切符を買った。

サルガンスからリヒテンシュタインの首都ファドゥーツまでは片道6スイスフラン、およそ980円である。

今度の切符にはちゃんと出発時刻も印字されていた。

2両連結の黄色いバスで、いくつかのルートがあるようだが、メインとなるのはこの11番のバスである。

出発直前にならないと運転手が来ないので、乗客たちはそれまで外で所在なさげに待つしかない。

私はというと、初めてきた駅なので興味津々。

周囲はどこを向いても見事な雪山がそそり立っていて、それを眺めているだけであっという間に時間が経過する。

バス停前のビルの上からも岩山の頂がひょっこり覗いている。

ここはまさに大アルプスの懐。

ただそれだけで、気持ちが昂ってくるのを感じる。

午後3時44分、バスは定刻に出発した。

私は一番前の席に座り、フロントガラスからの壮大な眺めを楽しむ。

サルガンスのメインストリート、なかなかの絶景である。

10分ほど走ると、スイスの国旗が見えてきた。

ここが国境の橋だ。

下にはライン川が流れている。

スイスとリヒテンシュタインの国境を流れるライン川は、ドイツ国内からフランス国境を北上してオランダへと抜け、最後は北海へ注ぐヨーロッパを代表する大河だ。

しかし、上流部のこのあたりではまだ川幅は狭い。

橋の反対側には、2本の旗が立っていた。

左側の青と赤の旗がリヒテンシュタインの国旗、そして右側に掲げられた黄色と赤の旗はリヒテンシュタイン家の旗なのだとか。

リヒテンシュタインは、国連にも加盟した暦とした独立国であると同時に、リヒテンシュタイン公が立法権や外交権、議会の解散権など強力な権限を持つ公国でもあるのだ。

リヒテンシュタイン領に入るとすぐにお城が見えてきた。

これは「グーテンベルク城」。

ドイツ南部とイタリア北部を結ぶ重要な交易路だったこのライン渓谷を見下ろすこの丘は古代から抗争が絶えず、城も様々な領主に管理されてきた。

一時荒れ果てていたこの城は最近になって修復され、博物館として夏場だけ公開されているという。

バスはリヒテンシュタインの唯一の公共交通機関だけあって、バス停にはたいてい待っている人がいて、あちこちに停車しながら首都ファドゥーツに向かう。

現金払いの客は前のドアから乗ってくるが、交通カードのようなものを持っている客は後ろのドアから自由に乗り降りしている。

リヒテンシュタインというのは山の国という印象を持っていたが、多くの人はライン渓谷の平地で暮らしているようだ。

サルガンスを出てからおよそ30分。

バスは首都ファドゥースのメインストリートに入ってきた。

右側に見える大聖堂が目印となる。

ファドゥーツの中心部にもいくつかの停留所があるが、一番多くの乗客が乗り降りするのが郵便局前のバス停だ。

11番のバスはファドゥーツが終点ではなく、オーストリアのフェルトキルヒという街まで行くらしいので、ぼーっとしていると乗り過ごしてしまう。

私の予約していたホテルは郵便局よりももう少し先なので、そのまま乗っていようかと思ったが、次のバス停がどこなのかもわからないので、とりあえずみんなについて降りることにした。

郵便局の建物脇の路地からは丘の上に建つお城が見えた。

これこそがリヒテンシュタイン最高の観光名所「ファドゥーツ城」である。

今もリヒテンシュタイン公の一家がこの城に暮らしていて、丘の下に広がるファドゥーツの街を見下ろしているのだ。

時刻は午後4時20分。

タクシーを探したが、全く走っていないので、仕方なくスーツケースを引っ張ってホテルまで歩くことにした。

そのお話はまた、別の記事で書くことにする。

その代わりに、ファドゥーツからチューリッヒまでの帰り道について書いておこうと思う。

翌10日の午後1時すぎ、私はホテルから一番近い「Vaduz Quaderle」というバス停から11番のバスに乗った。

この日は日曜日だったので、他の路線は運休だったが、サルガンス行きの11番は休日ダイヤで運行していた。

この街は、どこからでもお城が見える。

国境のライン川を越えて、スイス領に入る。

川幅は20メートルぐらいあるだろうか。

午後1時57分発のチューリッヒ中央駅行き。

これが当初、私が乗ろうと考えていた湖の南側を通る列車だ。

サルガンスの駅を出てすぐから、列車の右側にはスイスの美しい山々が聳え立つ。

来た時に通った北回りのルートとは景色がガラリと変わった。

サルガンスを出て10分ほどすると、右手に湖が見えてきた。

ヴァレン湖。

その背後に扇のように連なっている山々は「クルフィルシュテン山脈」というのだそうだ。

絶景の宝庫であるスイスにあるためヴァレン湖の景観もさほど有名ではないが、これはどう見ても世界的な絶景であろう。

湖畔の宿に逗留し、ぼーっと湖と山を眺めながら休日を過ごすのも悪くない。

一方、こちらはチューリッヒ湖。

ヴァレン湖とは打って変わってなだらかな丘陵が湖を囲っている。

終点に近づくにつれて湖畔は住宅街に変わっていき、チューリッヒの都市圏に入っていく。

こうして2つの湖の南岸を西に進み、チューリッヒ中央駅に到着したのは午後2時53分だった。

サルガンス駅を出発して1時間弱。

北回りよりも断然早かった。

しかも値段も北回りよりも安くて34スイスフラン、約5560円だった。

最初から中央駅経由でサルガンスに行けばよかったと言えばそうなのだが、往路と復路と別のルートを通ったことで、リヒテンシュタインをスイス側から眺めることもできたのだ。

負け惜しみではなく、結果的には悪くなかった“迷い道”だったと今も私は思っている。

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