🔶「旅したい.com」から転載
<福井> 鯖街道の起点・小浜市で絶品「焼さば鮨」を味わい、地村さん夫妻の拉致現場を見に行った
🇯🇵福井/小浜市 2019年11月3日
「御食国(みけつくに)」という言葉をご存知でしょうか?
天皇が暮らす奈良や京都の都に、食料を提供していた地域のことです。若狭国・志摩国・淡路国が代表的な御食国であり、若狭国は10日毎に「雑魚」、節日ごとに「雑鮮味物」、さらに年に一度「生鮭、ワカメ、モズク、ワサビ」を納めることが決められていました。
若狭から都へ海産物を運ぶルートは「鯖街道」と呼ばれ、その代表が現在の小浜市から京都へと抜ける街道でした。
鯖街道の起点である小浜市には多くの寺社仏閣があり「小京都」とも言われます。
そんな小浜市では、古い神社の一つを訪ね、美味しい「焼さば鮨」をいただくとともに、42年前、地村さん夫妻が拉致された展望台を訪れてみました。
若狭姫神社の御神水と千年杉
「小京都」とも呼ばれる小浜市には、歴史ある寺社仏閣がたくさん残っているそうですが、今回は時間がないため一つだけ訪ねてみることにしました。
選んだのは、小浜中心部から東に行った郊外にある「若狭姫神社」。
奈良時代初期、721年創建の由緒正しい神社です。
駐車場は通り沿い。脇をきれいな水路が流れていました。
若狭地方を旅していると、どこでも川の水がきれいなのに驚かされます。
神社の塀には、「千年杉を育む 鯖街道の御神水 健康長寿」と書かれた看板が・・・。
若狭姫神社は、日本遺産認定第1号となった「鯖街道」の中でも最古と言われる「針畑越え」の街道沿いに建っているのです。
ちょっと余談になりますが、奈良の東大寺二月堂で毎年行われる有名な「お水取り」は、ここ若狭から送られた水を受け取る儀式だということを今回初めて知りました。
近くにある若狭神宮寺では毎年3月2日に「お水送り」という儀式が行われ、その10日後に奈良で「お水取り」の儀式が行われるのです。
東大寺のサイトを見ると、その由来が書かれていました。
魚を採っていて二月堂への参集に遅れた若狭の国の遠敷明神が二月堂のほとりに清水を涌き出ださせ観音さまに奉ったという、「お水取り」の由来を伝えている。
出典:東大寺公式サイト
要するに、お祝いの席に遅れた若狭の神様が、出席する代わりに若狭のきれいな水を送って東大の仏様に供えたというちょっと間抜けな話のようです。このあたりの緩い日本古来の文化、嫌いじゃありません。
若狭姫神社は、若狭国きっての格式高い「若狭一の宮」の下社にあたり、近くに上社「若狭彦神社」と対をなします。
決して大きな神社ではありませんが、侮ってはいけません。
祀られているのは、「豊玉姫命(とよたまひめみこと:乙姫)」。
初代天皇である神武天皇の祖母に当たるとされる女神で、海上安全、海幸大漁の守護神として信仰を集めています。
若狭姫神社はパワースポットとしても有名です。
そのシンボルとなっているのが、本殿脇にそびえ立つ大木、「千年杉」。
長寿や安産を祈願するパワースポットとしても人気だそうです。
パワースポットといえば、「近畿の五芒星」というものをご存知でしょうか?
伊勢神宮内宮、熊野本宮、伊弉諾神宮、元伊勢内宮、伊吹山の5つの聖地を結ぶと巨大な星型が現れ、その中心を走る垂線沿いに奈良や京都の京都が置かれたというのです。
さらにその垂線を延長した場所にあるのが、小浜市であり、若狭彦・若狭姫神社があるということで、最強のパワースポットの一つと考える人たちもいるそうです。
確かに、この千年杉と苔むした本殿を見るためだけでも訪れる価値は十分です。
ちなみに、境内にはこんな不思議なものも置かれていました。
「鯖街道の象徴 石燈籠」と書かれています。
説明によれば、鯖街道沿いの若狭熊川宿への分岐点、音無瀬川が分かれる重要な場所に置かれていた石燈籠だそうですが、昭和になって交通の妨げとなるためにここに移設したと書かれていました。
若狭小浜 丸海の「焼さば鮨」
1泊2日で若狭湾をめぐる旅。
ゆっくりと昼食を食べる時間もなさそうなので、名物の鯖寿司を買って海を眺めながらいただくことに・・・。
選んだお店はガイドブックに載っていたお店。
「若狭小浜 丸海 小浜本店」
小浜駅前の通り沿いに店を構える1948年創業の名店です。
店の名物は「小鯛ささ漬」。
レンコダイを塩と米酢だけで漬け込んだ伝統の一品だそうです。
店内に入ると、きれいなショーケースに美味しそうな品々が並びます。
様々な魚の一夜干しや味噌漬け、若狭名物のへしこ、雲丹のひしおも美味しそうです。
その中でも主役はやはり「小鯛ささ漬」。でも要冷蔵だというので今回は諦め、お目当ての「焼さば鮨」だけを買うことにしました。
こちらが「焼さば鮨」(1188円)。
パッケージの文字と値札の文字が違います。「焼鯖ずし」? まあ、どちらでもいいですけど・・・。
いずれにせよ、ずっしりと立派な一品です。
お隣に置かれていた揚げ物も気になってついでに一つ買いました。
「鯛かつ」というそうです。
車の中でいただきました。
まずは「鯛かつ」から。
鯛のすり身を揚げたもので、海老カツのようなものです。
特別美味しいというほどではありません。
そして、こちらが「焼さば鮨」。
ラップに包まれた焼き鯖がいい感じです。
こんがり焼かれた分厚い鯖。ご飯との間にはガリが挟んであります。
2人で食べても十分な量の美味しい昼ごはんでした。
鯖街道の起点、小浜。
いつかまた、ゆっくり時間をかけて味わいたい街です。
「若狭小浜 丸海 小浜本店」 電話:0120-52-3744 営業時間:8:00~18:00 定休日:無休 https://www.wakasa-marukai.co.jp/
地村さん夫妻が拉致された展望台
レンタカーの時間を気にしながらの旅行ですが、小浜市でどうしても行ってみたい場所がありました。
それは42年前、地村さん夫妻が北朝鮮の工作員に拉致された現場です。
ネットで調べると、「小浜公園」と書かれていたのでカーナビを頼りに訪れたのですが、そこはのどかな公園、どうも様子が違います。
公園の目の前は、「白鳥海岸」という小浜市街地にあるビーチでした。
さらに調べると、どうやら拉致現場はここから見える高台。その頂上にある展望台だとわかりました。
高台の途中までは車で登っていくができました。
展望台入口で車を止め、ここからは徒歩で頂上を目指します。
山道をぐねぐね歩くこと6〜7分。
誰ともすれ違いません。
展望台というので、勝手に観光地だと思っていましたが、結局往復する間、他の人に会うことはありませんでした。
そしてここが頂上、「小浜公園展望台」です。
ここからは、福井新聞の「袋詰め、黒い海「俺は殺される」 地村さん夫妻、拉致された夜」という記事を引用しながら、事件の日の状況を見ていこうと思います。
星空がきれいな1978年7月7日夜、福井県小浜市のレストランで食事を終えた同市の地村保志さん=当時(23)=と浜本富貴恵さん=同(23)=は、地村さんの軽トラックで標高67・2メートルの小浜公園展望台(同市青井)に向かった。七夕のデート。2人は1週間前に結納を交わし、秋に結婚することが決まっていた。
頂上近くの道を、男4人が歩いて登っていくのが、窓越しに見えた。保志さんは関係者に「半袖のワイシャツみたいな服で、夏場の観光客のようだった」と話している。当時、展望台近くにはユースホステルがあったため、不自然な光景ではなかった。
出典:福井新聞
展望台付近に車を止めて、階段を上り、展望台の2階に行った。柵にもたれ下をのぞくと、外のベンチに座っているアベックが、さっきの4人に取り囲まれていた。追い払われるように、アベックは車に乗って去って行った。
「様子がおかしい」と思った保志さんは、下の様子を確認するため、たばこを取りに車に戻った。展望台1階のベンチに座り、たばこを吸っている4人が見えた。
保志さんはたばこを持って2階に戻ったが、嫌な予感がした。立ち上がって帰ろうとすると、4人が後ろに立っていた。階段を上る音など、近づく気配はまったく感じなかったという。
その瞬間、後ろに倒されうつぶせにされた。猿ぐつわのようなものを口にはめられ、保志さんは手錠、富貴恵さんは後ろ手に縛られた。足も縛られた。保志さんは頭を振って抵抗したため、地面に顔を擦った。そして、2人はそれぞれ麻のような袋をかぶせられた。うつぶせの状態で、男の肩に担がれて、斜面を下ろされた。
保志さんは関係者に「動くたびに男の肩がみぞおちに入り苦しかった。自分が動こうとすると、手錠が締まっていく感覚があった」と打ち明けている。音と男たちの動きから推測すると、車道に出て、1台の車が通り過ぎるのを待って、浜まで下ろされた。
息苦しそうにしている保志さんを見かねたらしく、口元付近の袋の布がナイフで切られた。そのすき間からわずかに見えた風景を保志さんは覚えているという。両端には岩、正面には真っ黒な海と、奥にはいさり火が光っていた。
襲われてからここまでの間、2人は男たちの声を一言も聞いていない。まさに無言の犯行だった。
出典:福井新聞
七夕の夜、2人はあまり人気のない展望台で拉致されました。
2人が恋人だったことを考えれば、人気のない場所に行きたかった気持ちはよくわかります。
地村さん夫妻は私の3つ年上。拉致被害者の多くは私と同世代だけに、その当時の自分の行動を考えると拉致はとても他人事ではありません。
ヨーロッパで拉致された被害者もいました。
「北朝鮮に遊びに来ないか。お金は全部出してくれるらしい」
そんな話を私も旅先で耳にした記憶があります。まさに拉致が実行されていた時期と重なるのです。
まったく進展が見られない拉致問題。
横田めぐみさんや蓮池さん夫妻が拉致された新潟、曽我さんが拉致された佐渡。
その地理的な近さから、古代より中国や朝鮮との玄関口となった北陸地方が拉致事件の舞台となったことを改めて心に刻み、被害者の皆さんが1日も早く帰国できることを祈りたいと思います。