今日はクリスマスイブ。
妻を東京に残して一人でクリスマスを過ごすのは久しぶりだ。
キリスト教徒でもない私たち日本人にとって、子供が育ってしまうとクリスマスと言っても普通の日と同じである。
それでも、なんとなく習性というものは残るもので、「そろそろクリスマスだから何かプレゼントしてあげるよ」と出発前日に妻に言うともはや物欲はないとの答え。
「じゃあ、花でも」とたたみかけると、「じゃあ、1本だけ」と言って、本当にバラの花を1本だけ買うことになった。

そんな感じで迎えた一人クリスマスに、私が何をしているかというと、先月ネットで購入したステンレス製の焼却炉を使って、ずっと邪魔になっていた伐採した木を処分する作業である。
銀色に輝くドラム缶のようなものが焼却炉。
「三和式ベンチレーター 家庭用 ステンレス製 焼却炉 120型」
価格はAmazonで、3万3831円だった。
似たような焼却炉でもっと安いものもあったのだが、サイズが大きかったことが決めてでこれに決めた。

一輪車で畑まで運ぶと、なるべく延焼しやすい枯れ草がない場所に置き、煙突を組み立てる。
準備はたったこれだけ。
真剣に自宅に薪ストーブを設置することを考えていたが、煙がご近所迷惑になることを考えてこの焼却炉をまず買って、剪定した枝などの処分に使ってみることから始めることにしたのだ。
煙突を立てると高さは150センチ。
何よりも重量が13キロほどで好きなところに持ち運べるのがいい。

まず、燃えやすい枯れ草を一番下に入れ、その上に細い枝、そして最後にやや太めの枝や切断した木の幹を入れていく。
特に説明書に注意事項も書いていなかったので、どのくらい木を入れていいのかがわからない。
多少余裕を残して、最初のテスト燃焼といこう。

蓋を閉めてから、下の窓からチャッカマンで点火する。
さあ、ちゃんと燃えてくれるか?

煙突から煙が出始めた。
薪ストーブについて業者が乾燥した薪であればほとんど煙が出ないと話していたが、勢いよく噴き出す煙を見ながら、やっぱり高級な薪ストーブと安物の焼却炉は別物だと感じる。

恐る恐る蓋を開けてみる。
先月ホームセンターで買っておいたバーベキュー用の手袋が役に立った。
火は下の方から回り始めていて、最後に入れた太めの枝はまだ燃えていない。
その様子を確認して、そっと蓋を閉める。

火力が強まってくるに従って、焼却炉内から異音が聞こえるようになり、光り輝いていたステンレスの表面がみるみるうちに焦げた色に変わっていく。
果たして、大丈夫なのか。
私はキャンプ用の椅子に座って少し離れた位置から恐る恐るその様子を見守る。
足元には万一火が外に出た時に備え、野焼きの際に使う金属製スコップと熊手、さらには水の入ったポリタンクまでスタンバイしている。

この頃になると、蓋を開けると火が焼却炉全体に回っていることが確認できた。
蓋を開けた瞬間、炎が投入口から外に出てきて、ついでに火の粉が風に舞う。
この焼却炉を使わずに去年までのように野焼きで伐採した木を処分しようと思ったら、風向きなど心配でじっと座ってなどいられなかっただろう。

燃焼開始から15分ほどで煙の勢いが弱くなった。
最初に詰めた木材はだいたい燃えて、灰や炭になったようだ。
焼却炉の表面は輝く銀色から錆びたような銅色に変わり、その分、たくましさのようなものを感じるようになった。

試運転は成功。
この調子でどんどん山積みになった伐採木を片付けていこう。
まず今日の目標は、去年の冬に妻と一緒にビワの木を覆い隠していた藪を開墾した際に出た伐採木を燃やすことだ。
地面から生えた太い葛もあれば、桃の剪定枝や名前も知らない木も含まれている。
太いものは私の腕ぐらいの太さがあり、これを1日で片付けるのは並大抵のことではない。

慣れてくるに従って、最初の頃の用心深さはどこかへ飛んで無くなってしまった。
煙が少し弱くなったとみると、すかさず次の枝を焼却炉に投入する。
長い枝は小型のチェーンソーで焼却炉に入るサイズにカットし、細い枝は手で折り曲げながらどんどん燃やしていく。

作業開始から2時間が経過した。
焼却炉の蓋を閉めてしまえば、煙は基本的に煙突から出るだけ。
周辺の枯れ草に火が燃え移る心配もなさそうなので、緊張感もなくなり、ちょっと単純作業に飽きてきた。
音楽でも聴こう。
そう思ってスマホでYouTubeを立ち上げ、軽快な洋楽などを流しながら作業を続ける。

3時間も経つと、燃焼力が最初の頃よりも弱くなってきた気がした。
煙の勢いが弱まったと思って蓋を開けると、まだ中には燃えていない木がたくさん残っていたりするのだ。
ちょっと気になって下の小窓を開けてみると、中から赤く燃える炭が転がり出てきた。
燃えた木片が細かな炭となって仕切り網から下に落ちて堆積し、空気穴を塞いで酸素の流れを妨げていたようである。
単純なこの焼却炉は、煙突の効果により燃焼で発生した熱い空気が上に吐き出され、それによって生まれる上昇気流で下の小窓から空気が吸い込まれる仕組みだ。
この空気穴が塞がっていては、効果的に酸素を取り込むことができず、燃焼が弱まっていたのだ。

時間はすでに午後5時になろうとしていた。
そろそろ新たな木片を投入するのを控えないと、火が消えなくて家に帰れなくなってしまう。
もう上の投入口も開けっぱなしにして、空気をガンガンに入れてさっさと燃やしてしまおうと思った。
夕方からは、風が少しおさまってきたためか、近所の農家の人たちが畑に現れ、剪定したブドウの枝をあちこちで燃やし始めた。

この頃には、目標だった伐採木の山もあらかた片付いて、桃の畑が少しすっきりした。
あれだけあった枯れ木の山が3時間で燃えてしまったのである。
やはり火の力とは恐ろしい。

あたりが暗くなるにつれ、煙突から炎が出ているのが見えた。
明るい時間にもこうして炎が出ていたのかもしれないが、明るくて気づかなかったのだろう。
これも、煙突が持つ不思議な能力なのかもしれない。

さらに、さらに暗くなるとステンレスが熱で赤くなっているのも見えてくる。
これはなかなか衝撃的な映像で、炎が燃えている上の部分よりも真っ赤な炭が堆積している下の部分の方が温度が高いことを教えてくれる。
間違って手で触ったら一発で火傷してしまうに違いない。

じっと、炎を見つめる。
夕方になって気温が下がってきたため、もはや椅子に座っていたのでは暖かさを感じられなくなってきた。
焼却炉の蓋は開けたまま、すぐ近くに立ってただただ炎を見ている。
流す音楽もサックスの静かなジャズに変えた。
ああ、気分はまさにソロキャンプ。
薪ストーブに求めていたやすらぎの時間を、私は焼却炉で得たのだ。

午後5時半。
月が昇ってきた。
あたりはどんどん暗くなり、集落にも明かりが灯る時間だ。
しかし、焼却炉はまだ煌々と燃えていた。
まるでスポットライトでも当てているように、焼却炉の下の部分が赤く光っている。
美しいが、反面恐ろしさも感じる光景である。

午後6時。
ようやく炎はほとんど見えなくなり、いわゆる「熾火(おきび)」の状態になった。
調理をするなら、この熾火の状態がベストだという。
遠赤外線でじっくり焼いた肉、焼き芋を作るにも、燃え盛る炎ではなく熾火が好ましい。
バーブキューの手袋を外して投入口に手をかざしてみる。
ちょっと置いているだけで火傷しそうな熱量である。
だが、バーベキュー用の手袋をしていると焼却炉の中に手を入れても直ちに火傷することはなく、すぐに手袋が暖かくなるのを感じるぐらいだ。

6時を過ぎ、いよいよあたりが真っ暗になってきたので、あとは焼却炉に任せて私は家に帰ることにする。
野焼きだったら、とてもできることではない。
熾火はこのまましばらく赤々と熱を放ち続けるだろう。
それでも、多少の風が吹いたところで、その火が焼却炉の外に漏れ出す心配はないはずだ。
こうして今年のクリスマスは、この焼却炉とともに擬似ソロキャンプを楽しむのである。
せっかくならば、熾火で肉でも焼いてみようか・・・そんな妄想も広がっている。