<きちたび>熊本県の旅2024🇯🇵 水俣のソウルフード「水俣チャンポン」発祥の店「喜楽食堂」と徳富蘇峰・蘆花兄弟

🇯🇵 熊本県/水俣市 2024年11月22日

友人との鹿児島旅行のついでに水俣病について学びたいと立ち寄った熊本県最南端の町、水俣市。

資料館や関連場所を回って気がつくともう午後1時を回っていた。

街の中心部にある一軒の食堂に向かう。

1950年創業の「喜楽食堂」。

地元のソウルフード「水俣チャンポン」発祥の店ということで、ランチはここで食べると決めていた。

入り口の黒板には、とんかつ定食、なべ焼きうどん、大盛りカレーと並んで、お目当ての「水俣チャンポン」の文字が。

チャンポンの専門店ではなく、いわゆる街の大衆食堂に違いない。

店内はいたって普通。

地方でよく見かけるなんでも食べられる食堂だ。

歳のせいか、こういうお店はなぜか落ち着く。

メニューの表紙がまた渋い。

店がオープンした1950年といえば、チッソの前身「日本窒素肥料」が企業再建整備法に基づき「新日本窒素肥料」と社名を変え戦後の再出発をした年。

敗戦の混乱から立ち上がり水俣が再び元気を取り戻そうとしていた時期である。

水俣病の前兆となる猫の奇病が初めて報告されたのがその4年後。

すなわち、喜楽食堂はは水俣病の始まりから街の分断、その後の和解まで全てを見届けてきたことになる。

私は迷わず「水俣チャンポン」(650円)を注文した。

店のメニューにはこんな由来が書かれていた。

『当店初代女将が昭和25年開業当時、、お客として訪れた天草の漁民や海運業者から「チャンポン」を教えてもらい、材料とイメージだけを基に創ったのが水俣チャンポンの始まりと言われており、使っている「白いチャンポン麺」が水俣チャンポンの特徴です。』

野菜と豚肉と蒲鉾が入っただけの素朴なチャンポン。

味も予想した通りで、特別な驚きはない。

でも、それがいい。

そして普通に美味しい。

麺を引っ張り出してみても、さほど普通のチャンポン麺との違いはわからない。

白いと言われれば、確かに白い気もするが、決してうどんのような白さではない。

でも、地方に来て庶民に愛されるソウルフードを味わうことは、日本の奥深さに触れる経験であり、全国どこでも安くて美味しいものが食べられるという日本の食レベルの高さを再認識するのである。

喜楽食堂の壁には、お皿に書かれた有名人のサインが飾られていた。

なかなか洒落たインテリアである。

その隣には、格闘技のポスターと自衛隊員募集のポスターが並んでいた。

これまた人口減少が続く地方の食堂で、よく見る光景である。

ランチを済ませて食堂を出たが、ちょうどいい時間の新幹線がなかったので、どこかで時間を潰すことにした。

都合がいいことに、喜楽食堂のすぐ目の前にこんな案内板を見つけた。

『徳富蘇峰・蘆花 生家』

その名前は聞いたことがあるが詳しくは知らない2人の生まれた家を訪ねてみると、ずいぶん立派なお屋敷が立っていた。

徳富蘇峰と蘆花は、明治から昭和にかけて活躍した兄弟で、幼少期を水俣で過ごした。

兄の蘇峰は24歳で上京し、月刊誌「國民之友」や「國民新聞」を相次いで創刊、戦前まで大物ジャーナリストとして君臨する一方、安土桃山時代から明治初期までの通史『近世日本国民史』全100巻を完成させ、歴史家、思想家としてもその名を轟かせた人物である。

一方弟の徳富蘆花は、兄・蘇峰の下で作家デビューし長編小説『不如帰』でベストセラー作家となったが、次第に政権との関係を深める兄と決別した。

世田谷区にある「芦花公園」は、蘆花が晩年、晴耕雨読の生活を送った邸宅「恒春園」の跡地である。

近代日本の文化史に大きな足跡を残した兄弟を輩出した徳富家は、代々水俣で庄屋と代官を兼ねる家柄だった。

時間の関係でこの立派なお屋敷の内部をじっくり見ることは叶わなかったけれど、ここを訪れたのも何かの縁、機会があれば蘇峰が『近世日本国民史』の中で明治維新についてどのように書いているのか一度読んでみたいと思った。

こうして水俣の街を駆け足でひと回りした後、鹿児島行きの新幹線に乗るため新水俣駅に戻ってきた。

客のいない駅の土産売り場を覗いてみると、『当店の売れ筋 NO.1』と書かれたPOPを添えて水俣名物「三太郎餅」というのが売られていた。

名前も聞いたことがなかったが、なぜかその前を素通りすることができず、1つ390円の「三太郎餅」を買うことにした。

新幹線の中で1個食べてみると、柔らかな餅であんこを包んだ「三太郎餅」は想像したよりもはるかに美味しくて、感動のあまり鹿児島で出会った友人たちみんなに無理やり食べさせてしまった。

これが10個で390円とは、日本の物の値段はやはり安すぎると思う。

ちなみに「三太郎」という名前は、八代から水俣までの間にある3つの峠、通称「三太郎峠」から来ているらしい。

ほんの数時間の滞在ではあったが、水俣という私の頭の中の空白地帯がかなりカラフルに埋まった気がした。

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