北京五輪のフィギュア男子シングルは、日本だけではなく世界中が注目した頂上決戦だった。
普段フィギュアはほとんど見ない私も、今か今かとテレビの前で待ち侘びた。

史上初のオリンピック三連覇がかかっていた羽生結弦。
中国でも絶大な人気を誇る伝説の王子様は、ショートプログラムでのまさかのアクシデントで大きく出遅れ、メダルの可能性は限りなく失われていた。
それでも、史上初となる4回転半ジャンプに挑戦することを公言し、他のジャンプも自身最高の難易度にまで高めて、最後まで勝負を諦めない姿勢で今日のフリーに臨んだ。
華奢な見た目とは対照的ないつもながらの気の強さ。
挑戦し続けるその姿こそ、羽生結弦の核心だった。

演技冒頭、4回転半の「クワッドアクセル」に挑戦した羽生。
「アクセルジャンプは王様のジャンプ」
羽生は、子供の頃に指導したコーチからそのように教わった。
世界一の「トリプルアクセル」で世界のトップに立った羽生にとって、他の選手たちも跳ぶ4回転ジャンプではなく、誰もやったことのない「クワッドアクセル」にこだわるには彼なりの理由があるという。
私もその瞬間を固唾を飲んで見守った。
しかし・・・転倒。
その瞬間、「やっぱり」と思う。
現実はドラマのようにはうまくいかない。
羽生のような天才でもそうなのだ。
天才が4年間必死で取り組んでも成功できなかった4回転半ジャンプ。
それはおそらく人間の限界を無理やり押し広げようという挑戦なのだろう。
北京のリンクで羽生が挑戦したこのジャンプは、回転不足ではあったものの、国際スケート連盟によって公式に世界初の「クワッドアクセル」と認定された。
羽生は歴史にまた新たな爪痕を残したのだ。
4回転半の失敗は羽生自身織り込んではいただろうが、実際転倒した動揺は隠せず、その後の4回転も失敗。
ショートの時のような完全なリカバリーはできなかった。
それでもジャッジからはそれなりに高い評価を受け、順位を8位から4位に上げ元王者としての面目を保った。
長年フィギュア界の人気を支えてきたスーパースターの羽生に対し、世界のジャッジたちから贈られた加点も多少あったかもしれない。
試合後、羽生はこう語った。
「正直、全部出し切ったというのが正直な気持ちです。明らかに前の大会よりもいいアクセルを跳んでましたし『もうちょっとだったなあ』とかって思う気持ちもあるんですけど、あれが僕の全てかなって。それと、もちろんミスをしないってことは大切だと思いますし、そうしないと勝てないのは分かるんですけど、でもある意味、あの前半2つのミスがあってこその、この『天と地と』っていう物語が、ある意味できあがっていたのかなと思います」
そして4回転半への挑戦について問われ、このように答えた。
「いやもう、一生懸命頑張りました。正直、これ以上ないくらい頑張ったと思います。報われない努力だったかもしれないですけど、確かにショートからうまくいかないこともいっぱいありましたけど、むしろうまくいかなかったことしかないですけど。でも、一生懸命頑張りました」
私たちが表舞台で見る天才の裏側には、凡人には想像もできない努力が隠されているのだ。
天才・羽生結弦の挑戦を心からリスペクトしたいと思う。
歴史に刻まれる「ナイストライ」だった。

羽生が転倒した後、私はにわかに、宇野昌磨がパーフェクトな演技をするんじゃないかと思った。
常に羽生の影に隠れ、二番手に甘んじてきた宇野。
それは本人が一番感じていることで、平昌でも銀メダルに輝きながらやはり二番手だった不運な男だ。
真面目な性格で自分を冷静に分析しながら世界で戦うための4回転ジャンプと最高難度のプログラムを作り上げてきた。
自分の実力ではこのプログラムを完璧にこなすことはできないと知りつつ、勝つことよりも自分が成長することを目標として北京に乗り込んだ。
羽生の後は、精密機械のようなネイサン・チェンや急成長している鍵山優真の影に隠れようとしている宇野昌磨が栄冠を掴むことを密かに願った。
しかし、勝利の女神はまたも宇野には微笑まなかった。
いくつかのジャンプが乱れ、期待した完璧な演技とはいかなかった。
それでも、ショートでのリードがあったため何とか羽生の得点は上回り、銅メダルを獲得した。
平昌に続く2大会連続のオリンピックメダリスト。
金メダルではなく銀メダルと銅メダルというのは、「二番手の男」宇野昌磨にふさわしい「努力の勲章」である。
大いに賞賛されるべき快挙であり、彼の努力はこれからも地道に続いていくのだろう。

そして日本人トップとなったのは、ショートプログラムで2位となり、一躍脚光を浴びた18歳の鍵山優真。
オリンピックに来て初めて緊張したという鍵山は、先日のフィギュア団体の時に比べると若干ジャンプに乱れがあったものの、いつもながらの美しい着地を次々に決め、フリーでも羽生、宇野を超える200点超えを叩き出した。
やっぱり、この子はスケートが上手い。
羽生のようなカリスマ性はないものの、静かに滑らかに氷上を滑る鍵山のスケートは見ていて気持ちがいい。
鍵山優真の強みは正確性の高い美しいジャンプ。
難易度を追い求めるのではなく、繰り返し繰り返しジャンプの完成度を磨いてきた。
そうした練習を指示したのは・・・
コーチを務める父親の鍵山正和さんである。
正和さんは1992年のアルベールビルと94年のリレハンメルという2つのオリンピックに出場したオリンピアン、幼い頃から優真に英才教育を施して二人三脚で世界的な選手に育て上げた。
今後も親子で世界に挑むのか、それとも海外の有名コーチにつくのか、鍵山優真の今後が気になるところだ。
リレハンメル五輪といえば、NHKの放送の中ですごく懐かしいVTRが流れた。
「銀盤の女王」と呼ばれたドイツのカタリナ・ビットが、かつて自分が金メダルをとったサラエボでの戦争に抗議してオリンピックに復帰した。
スケートを通して、世界の人たちに反戦を訴ええるためだ。
今のような難度の高いジャンプではないが、その強いメッセージ性に胸が打たれる。
オリンピックは平和の祭典。
スポーツに政治を持ち込まないという原則は尊重しつつも、スポーツはいつの時代も「反戦」の象徴であってほしいと私は思うのだ。
「五輪の華」と呼ばれるフィギュアスケートだが、いつの間にかそんなメッセージ性も優雅さも失い、単にアクロバティックな技術を競う競技になりすぎてはいないか、そんなことを思ったりもする。
3人の日本人選手を押さえて金メダルに輝いたのは、予想通りアメリカのネイサン・チェン。
5本の4回転ジャンプを軸に、いつもながらのミスのない演技で2位の鍵山に20ポイント以上の差をつけて絶対王者ぶりを見せつけたが、彼の演技はカタリナ・ビットの対局にある正確で機械のようなフィギュアスケートだった。
とはいえ、4年前の平昌五輪で優勝候補と言われながら転倒で自滅したネイサンの脅威的な進化は、並大抵の努力では実現しなかったことは容易に想像がつく。
ネイサン・チェンは中国系アメリカ人。
しかも、アメリカを代表する名門イエール大学の現役学生である。
広西チワン族自治区出身でアメリカに留学して医学系の学位を修得した父親と北京出身で渡米後中国語の通訳をやっていたという母親の間に生まれたという。
両親はアメリカで成功をおさめ、ネイサンは子供の頃からさまざまな技術を修得して育った。
バレエ団に所属すると同時に体操にもいそしみ、それが今の彼を作った。

文字通り「アメリカンドリーム」を体現したような男なのだが、そんな彼が母の故郷である北京で五輪王者になったというのもできすぎたストーリーである。
実は今回の北京五輪、アメリカチームは過去に経験したことがないほどの不振に苦しんでいた。
「金メダル以外はメダルではない」というお国柄のアメリカで、一昨日まで金メダル「0」の状態が続いていた。
当然メディアでの五輪報道も低調だったが、ネイサン・チェンの金メダルでようやく北京オリンピックが始まったような雰囲気である。
アメリカは今日もうひとつ金メダルを獲得した。
女子ハーフパイプのクロエ・キム、見事オリンピック二連覇を達成した。
4年間負けなしという前評判通り、一人抜きん出た実力を遺憾なく発揮し、1回目から他を寄せ付けない圧巻のパフォーマンスを見せつけた。
21歳のクロエ・キムは、カリフォルニア生まれの韓国系アメリカ人。
韓国人の両親のもとで4歳からスノーボードに打ち込んだ。
彼女と共に世界を転戦した両親への想いはとても強く、彼女のインスタにはそんな気持ちがたっぷり詰まった動画がアップされている。
異国で成功するためにはスポーツはその一つの武器になる。
夢を求めて世界中から集まる才能は、まさしくアメリカの強さの源泉だといえる。
アスリートたちにとって、国籍って何なのだろう?
アメリカに渡った中国人や韓国人の子供がアメリカに金メダルをもたらし、アメリカ人として育ったアイリーン・グーが中国代表として中国に金メダルをもたらしている。
考えてみれば、アメリカで生まれ育った大坂なおみの優勝を日本人が我が事のように喜んでいるのと全く同じなのだ。
自国の代表としてメダルを取ってくれたら誰でもいい、そういうことなのか?
我が国の代表が勝ったか負けたかだけでなく、アスリート一人一人のことをより深く知り、自分が応援したいと思える人を探す努力をしよう。
スポーツはもともと戦争の代わりとして編み出された側面もある。
だから自国の勝敗が気になるのはやむを得ないのだが、必要以上に愛国的に偏れば、中国と韓国の間で起きている醜い罵り合いに発展してしまう。
もしみんなが国家ではなくアスリート個人を応援すれば、失格になった高梨沙羅があれほど深く謝罪する必要もなくなって、スポーツがもっと明るく楽しいものになるのだろう。

クロエ・キムが優勝した女子ハーフパイプでは、日本人選手も活躍し、冨田せながこの種目初となる銅メダルを獲得した。
クロエに比べるとまだ実力差は明らかだが、それでもいろんなジャンルにどんどん若い選手が出てくる日本の健全さは失いたくないと思う。
妙高高原の出身で今回は妹のるきと共に同時出場となったせなも、3歳でスノーボードを始め、中1でプロ資格を取得したという。
今後の更なる進化を期待したい。

明日はいよいよ、私のご贔屓である平野歩夢が金メダルを目指す。
予選では、ソチや平昌よりもさらに磨きがかかった超人的なジャンプで圧倒された。
順当に行けば、日本に2個目の金メダルをもたらしてくれるに違いない。
私はそう信じている。
<吉祥寺残日録>北京五輪2022🇨🇳 「穴にはまった」羽生結弦!フィギュア頂上決戦の「まさか」と中国を熱狂させる「雪のプリンセス」 #220209