🇮🇸 アイスランド/レイキャビク 2023年12月4日
今回アイスランドを訪ねるにあたって、ぜひ訪ねたい場所があった。
それは冷戦末期の1986年10月11日、当時のアメリカ大統領だったドナルド・レーガンとソ連の若き書記長ミハイル・ゴルバチョフによる歴史的な会談が行われたレイキャビク市内の「ホフディ・ハウス」である。
世界を二分する東西のトップが核兵器の削減をめぐって真剣勝負を繰り広げたこの会談は、後の冷戦終結につながる文字通り歴史的な出発点だった。
アイスランド滞在3日目の朝、私はようやく東の空に薄灯がさした午前9時半にホテルを出て、歩いて「ホフディ・ハウス」を目指すことにした。

せっかくなので、市内の名所を訪ねながらゆっくり行こうと思い、まず最初に向かったのはホテル近くにある市庁舎である。
ツアーや空港へのピックアップ場所として度々訪れることになるこの市庁舎の南側には「チョルトニン湖」というちょっとした湖があった。
湖はほとんどが凍っており、紫色の市庁舎のライトアップに照らされて幻想的に輝いていた。

対岸にはルーテル教会やナショナルギャラリーがあり、東の空の薄明かりをバックに湖の氷が美しい光景を作り出している。
12月のアイスランドというのはさぞ寒いだろうと予想して来たのだが、気温は0度を挟んで±5度くらいで、北海道と比べても心配したほどには寒くない。

湖の一角に氷が張っていないわずかなスペースがあり、そこに白鳥やカモなどたくさんの鳥が集まっていた。
市民の憩いの場になっているこの場所では餌やりをする人も多いと見え、私が通りかかるとけたたましい鳴き声が静寂の街に轟いた。
しっかり着込んできているので、寒さは感じない。
凛とした冷気がむしろ心地よく感じられ、実に気持ちのいい朝である。

チョルトニン湖から少し北に入ったダウンタウンに、この国にとっての重要な施設が集まっている。
こちらはアイスランドで最も重要な位置にある教会「ドゥムキルキャン教会」、通称「レイキャビク大聖堂」。
1796年に建てられたレイキャビク最古の教会で、ルター派の教義に従いシンプルな作りになっている。
ちょうどクリスマスシーズンということで、目の前の広場には大きなクリスマスツリーが飾られていた。

大聖堂のお隣にあるこちらの素朴な建物は日本で言うところの国会議事堂である。
世界最古の民主議会と言われるアイスランド議会「アルシング」は、700年以上、地球の割れ目である世界遺産「シンクヴェトリル国立公園」で屋外で実施されていて、1849年にレイキャビクにあるこの石造りの建物に移された。
警備の警官が立っているわけでもなく、普通に歩いていると気づかずに素通りしてしまいそうな建物だが、実はすごい歴史を持つ場所なのである。

朝ここに来た時には気づかなかったが、アルシングの前には無造作に岩が置かれている。
岩には「ブラックコーン 市民の不服従の記念碑」と書かれたプレートが添えられていた。
『政府が国民の権利を侵害するとき、反乱は人々とさまざまな国民にとって最も神聖な権利であり、最も不可欠な義務である』
日本人として胸に手を当てて聞きたいような格好いい言葉ではないか。
民主主義とは本来、権力者のためのものではなく国民を守るためにあるのだという確固とした信念は、長いアルシングの歴史がアイスランドの人々に根付かせたものなのだろう。

議会の建物から少し東に歩くと賑やかな大通り沿いに紫色にライトアップされた建物が見えてくる。
学校か何かに見えるこちらの建物は「スチョゥトナルラゥズスフーシズ」と呼ばれ、1904年以来100年以上にわたってアイスランドの首相執務室として使われているという。
日本で言うところの首相官邸だが、ここもまた誰も警備していない。
至って平和な国ということだろうが、それでも国民が政府に不満を持つと、この建物がトイレットペーパーや落書きで汚されるのだそうだ。
ちなみに、建物の左側に立つ銅像は昔のデンマーク王クリスチャン4世で憲法を記した紙を持って立っているという。

首相官邸の脇の坂道を登っていくと、おしゃれなショップや飲食店が軒を連ねる「ロイガヴェーグル」というメインストリートである。
レイキャビクの街は当初、私のホテルがあるダウンタウン西側がメインだったが、時代が下るに従って東に中心が移っていき、今ではこの界隈が街一番の繁華街となって夜遅くまで市民や観光客で賑わっている。
ところが、私が歩いてたのは月曜の午前10時過ぎだったが、ほとんどの店は閉まっていて、歩いている人もほとんどいない。
日照時間の関係で、レイキャビクの人々は活動開始が遅いのだと思う。

それでも営業しているお店には観光客たち訪れていた。
私が言うのも説得力がないが、この街にはオシャレな建物が多く、お店もとてもハイセンスだ。
買い物好きな人なら、ウィンドショッピングするだけでもきっと楽しいはずだ。

10時を回るとさすがに少し明るくなってきた。
それでもまだ日の出前である。
ロイガヴェーグルの通りを東に進むと、交差する通りの先に海が見えてきた。
レイキャビクは半島に造られた街で、北にも南にも湾を望む風光明媚な場所なのだ。

坂を下って海辺の道まで降りてきた。
コッラフィヨルズル湾の向こう側には雪を被った山々が連なる。
レイキャビクのランドマークでもあるエシャン山、最高峰は914メートルあるという。
実に美しい風景だが、海沿いは風が強いので街中に比べ体感温度が低く感じる。

最終目的地である「ホフディ・ハウス」は、この海と山を望む海沿いにポツンと立っていた。
時刻はちょうど10時半。
ホテルから1時間のお散歩だった。
この建物、元々はフランス領事館として使われていた。
歴史的な会談が行われた舞台というには、あまりに小さくてこじんまりとしていて、言われなければ町の公民館か何かだと思って誰も気にもかけないだろう。

塀もなく、もちろん警備する人もなく、自由に建物の周りを歩くことができる。
海沿いの通りから反対側にある正面に行くと、丸い車寄せがあった。
この建物で行われた米ソ首脳会談を描いたドキュメンタリーを見たことがある。
先に到着したレーガンに対し補佐官がコートを脱いでゴルバチョフを迎えるよう助言するのだ。
「あなたが分厚いコートを着て、若いゴルバチョフがもしコートを着ずに来たら、あなたはひ弱な年寄りに見えてしまう」というのがその理由だった。
10月とはいえレイキャビクは寒く、なかなかレーガンはコートを脱ごうとしなかったが、ゴルバチョフの到着を知らせると怒ったようにコートを脱ぎ捨ててスーツ姿で車寄せに出てきた。
車から降りたゴルバチョフは分厚いコートを着てマフラーも絞めていた。
まずはアメリカ側が最初の駆け引きに勝利したのだ。

両首脳は早速、海が見えるこちらのテラス席に座り真剣勝負に臨んだ。
最大のテーマはヨーロッパに配備されていた両陣営の中距離核ミサイルの撤廃問題。
就任以来ソ連を「悪の帝国」と呼び力により東西冷戦に勝利することを主張していたレーガンは、俗に「スターウォーズ計画」と呼ばれたSDI=戦略防衛構想を推し進めていた。
チェルノブイリの原発事故やアフガン戦争からの撤退で財政が火の車だったゴルバチョフは、中距離核の撤廃と引き換えにレーガンにSDI計画の断念を迫った。

その時の写真が、建物の外に設置されたパネルに使われていた。
まさにこの場所、角度的に山は見えないが、紛れもなく出窓のあるあの部屋で2人は2日間にわたって駆け引きを繰り広げたのだ。
しかし、結果的に合意には至らなかった。
レーガンがSDIについて一歩も譲らなかったからである。
当時のソ連首脳部は、アメリカが本当に宇宙から核ミサイルを迎撃するシステムを開発した場合、対抗する術がないと危機感を募らせていた。
本当に合意したかったのはゴルバチョフの方だったが、どうしてもレーガンから譲歩を引き出せなかったのだ。

失意の2人の指導者は2日間の交渉を終えて、冴えない顔でこちらのドアから出てきた。
すかさず記者たちからの質問が飛ぶ。
「合意できましたか?」
レーガンはゴルバチョフを促すように車に乗り込んだ。
初日の交渉に好感触を得たアメリカサイドは記者たちに楽観的な見通しを示していたが、結果としてゴルバチョフの最後の壁を崩せなかった。

この会談の記憶は、「ホフディ・ハウス」の外に3枚の記念碑として残されている。
アイスランド語、英語、ロシア語で書かれたその石碑には次のように記されていた。
『この歴史的な建物の中で、1986年10月11ー12日、アメリカのロナルド・レーガン大統領とソビエト連邦のミハイル・ゴルバチョフ書記長によるレイキャビクサミットが開催された。この首脳会談は冷戦終結の始まりを告げるものとみなされている。』
シンプルではあるが、両者が納得する文言を編み出すのが難しかった事情はよくわかる。
ここから始まる怒涛の展開の中で、冷戦時代アメリカの世界を二分してきた超大国ソ連が一気に崩壊に突き進むのだから。

私が「ホフディ・ハウス」の周りを歩き回っている間に、建物のバックの空が真っ赤に染まった。
時刻は11時前、日の出の時間だ。
この予期せぬ光景を見つめながら、東西両陣営を率いるトップとして負けられない交渉に臨んだ2人のリーダーの情念のようなものが今もこの場所に宿っているように私には感じられた。
この会談後、レーガンは中米ニカラグアの反共ゲリラ「コントラ」に秘密裏に武器を供与していたスキャンダルに巻き込まれてしまう。
ところが、歴史の面白いところは、レーガンが窮地に立たされたことでゴルバチョフは逆に焦ったという点だ。
国内の保守派からの突き上げもあり、ゴルバチョフは国内の改革を急がなければならない。
そのためには国家予算を圧迫していた軍事費を削減する必要があり、レーガンがいる間になんとしても中距離核兵器問題を片付けようと考えたのだ。
こうして翌1987年12月、米ソは画期的な中距離核兵器全廃条約に署名することになる。
世界、中でも東西ヨーロッパの人たちにとってそれは信じられないニュースであった。
歴史は動き始めた。
多くの人にそう感じさせる歴史的な合意となる。
ゴルバチョフはアメリカとの軍事的緊張がなくなったことで、東欧に駐留させていたソ連軍の撤退に踏み切る。
軍事負担を軽減し予算を経済の立て直しに向けるためである。
ところが、ソ連軍のいなくなった東欧ではソ連からの解放を求める運動が吹き上がる。
それはついに1989年のベルリンの壁崩壊を招き、ついに1991年ソビエト連邦の崩壊へと突き進んでいくのだ。
レイキャビクでの首脳会談が行われた時、そんなことを予想する人は世界中に誰もいなかった。
歴史とは、そういうものなのである。

レイキャビクで見る日の出の瞬間は、実に幻想的なものだった。
「ホフディ・ハウス」を赤く染めた朝焼けは、対岸の山々や雲も染めていく。
なんと壮大な光景だろう。
首都にいながらにして、こんな大自然を目の当たりにできるとはなんと贅沢なことだ。

そして午前11時。
太陽の光が山々の頂に当たった。
東の空が明るくなり始めてから1時間半、ようやく地平線から太陽が顔を出したようだ。
ピンクに色づく雲をバックにカモメたちが舞う。
人間の醜い争いを超越するような大自然の神々しさ。
レイキャビク、徒歩で回れる小さな街だが、実にさまざまな魅力が詰まっている。

美しい朝焼けを堪能した後、別のルートを通ってホテルに向かって再び歩き始める。
海沿いにはオシャレな集合住宅が並んでいた。
同じマンションでも、国が違うとこんなにも違うデザインになるんだ。
こんなマンションに住んで、毎朝海や山を眺めて暮らすのはとても贅沢な感じがする。
しかも北向きなので、冬にはオーロラが部屋から見えるかもしれない。

坂を登って住宅街に入ると、実に色とりどりの住宅が並んでいる。
こんな色彩、日本じゃ絶対にないな。
でも、嫌味がなくてむしろカワイイと感じる。
日本にこんな住宅があったら、居住希望者が殺到するだろう。

なんなんだろう?
日本人とは基本的に色彩感覚が違うようだ。
日本人の色彩感覚も素敵だと思うが、アイスランドの人たちの色使いも本当に巧みだと思う。
昭和の画一的な住宅が日本人が持っていた美意識を破壊してしまったように感じ、我々ももっと意識を高く持たねばと思ったりもする。

こうして坂を登ってたどり着いたのが、レイキャビクで一番高い丘に立つ「ハットルグリムス教会」。
宇宙ロケットを思わせる独特のフォルムで市内のどこからでも見え、まさにレイキャビクのシンボルと言える建造物である。
1986年に完成したまだ新しいルーテル教の教会で、その建設には実に41年を要したという。

真正面に立つと、まさにスペースシャトルを思わせる。
高さは74.5メートル。
900クローナの入場料を払えば、塔の上まで登ることができるそうだ。
でも、教会の中に入るだけならば入場無料である。

ルーテル教らしく内部の装飾もシンプルで、正面のステンドグラスもあえて中からは見えなくしてある。
後部には大きなパイプオルガンが設置されていて、ちょうど奏者が演奏の練習をしていた。
私を含めて訪れた観光客たちは椅子に座って練習に耳を傾ける。
とても目立つ建造物ではあるが、日常の礼拝の場所として普通に使われているんだそうだ。

教会の門前には、これまたオシャレなショップが並んでいた。
街の中心が東に移り、この教会へつながる道も観光客が訪れる主要なショッピング街となった。

そのまま門前の道を下っていくと、突然道はレインボーカラーに変わった。
言わずとしてたジェンダー平等を表す虹色のシンボルである。
アイスランドは、ジェンダー平等が世界一進んだ国として知られる。
そこに至る過程では多くの女性たちが議会に足を運んで抗議活動を展開した歴史があるという。
『政府が国民の権利を侵害するとき、反乱は人々とさまざまな国民にとって最も神聖な権利であり、最も不可欠な義務である』
議会前の岩に刻まれていた言葉が、この街には実際に根付き、単なる目標ではなく実践を伴って生きていることに感銘を受ける。

ホテル近くにあるアルシングの石造りの建物まで戻ってくると、観光客らしき一群がアイスランドの民主主義についてガイドの説明を聞いていた。
美しい大自然だけでなく、アイスランドを訪れたすべての人がこうして民主主義についても考える機会にすれば、きっと地球はもっと住みやすい場所になるに違いない。