認知症の伯母を入院させるという私的には極めて困難な「ミッション・インポシブル」を奇跡的に達成し、昨日吉祥寺に戻ってきた。

雨続きだった岡山とは違い、朝の井の頭公園には青空が広がっていた。
とはいえ、私の頭と体はまだ緊張しているようで、昨夜も4回目が覚めてトイレに行った。
私はどちらかといえばストレスに強い方だと思っているが、人生の末期を迎え残りの時間を家で過ごしたいと願っている老人を半ば強制的に入院させるというミッションには想像以上のストレスを感じていたのだろう。
最近では感じたことがないほど体の芯が凝り固まり、脳髄あたりがジンジンしている。

そういえば、昨日東京に戻る前に実母の住むマンションに立ち寄った時、4階の外廊下からきれいな夕日を見た。
オレンジ色に染まる西の空にマンションの隣にあるファミリーマートの看板が不思議なアクセントを添え、何となく幻想的な光景だった。
あの世からお迎えが来る前に、不思議な光景を見る「お迎え現象」というのがあるそうだが、この日の夕暮れの景色はちょっと「あの世的」だなと感じた。
私の母も、毎日のように電話で話していた伯母が入院したことが、かなり精神的にこたえたようだ。
いつも笑いながら話す朗らかな母が、妙によそよそしい。
母ももう88歳。
次は自分の番であり、伯母のように自ら望まないところへ無理やり連れて行かれる恐怖を感じたのかもしれない。

夜8時過ぎの飛行機に乗って羽田に向かう。
この日から岡山も「まん延防止措置」の対象地域となり、乗客は少ないかと思ったが、金曜の夜ということもあって座席の3分の2が埋まっていた。
吉祥寺の街に帰り着いたのは夜の11時ごろだったが、駅の南口にはいつものように多くの客引きのお兄さんたちが立ち、明かりが灯る居酒屋には多くの人が集まっていた。
この時間に街に出歩いている人たちはマスクもしない「確信犯」が多いようで、店の中を覗くと、みんな肩を寄せ合うように密集してコロナ前と同様に大声で話をしている。
東京都に4度目の緊急事態宣言が出されてはや6週間、これじゃ、コロナ感染者が減らないのも無理はない。
この人たちが感染して、治療費も払わずにベッドを占領していると思うと、何だかすべてが馬鹿馬鹿しく感じてしまう。
「正直者が馬鹿を見る」
どうもコロナという病は、そういう大きな矛盾を内在する。
介護の疲れも手伝って、強いイライラを抱えながら家に帰った。

疲れているはずなのに、夜ぐっすりと眠れない。
やはり、入院中の伯母の様子が気になっているのだ。
あれだけ嫌がっていた入院である。
きっと「家に帰る」と言ってスタッフの皆さんを困らせているのではないか・・・心配は募る。
電話で様子を聞いてみたいが、果たして伯母がどんな反応を示すのか、それが予想つかなくて躊躇してしまう。
自分を騙して病院に連れてきた私を責めるのか、「早く家に帰りたい」と泣くのか・・・その時私は何と答えればいいのだろう?
電話をためらう心を抑えたのは、やはり伯母の様子が心配だという気持ちだった。
私は恐る恐る病院に電話をかけ、伯母のいる病棟に電話を回してもらった。
電話に出た女性スタッフに様子を聞くと、意外にも「落ち着いている」という。
驚いたことに、誰が何と言っても入らなかったお風呂に昨日入ったというではないか。
ご飯もほとんど残さず食べていて、ほとんどの時間は自分の部屋でおとなしく過ごしているらしい。
「本人と電話で話してもいいでしょうか?」と勇気を出して聞いてみた。
すると、女性スタッフは「今呼んできますから少しお待ちください」と言って電話から離れた。
私はドキドキしながら待つ。
2分ほど待っただろうか、伯母が電話口に出てきた。
「お世話になっています」
伯母の第一声はとてもよそよそしい言葉だったが、その声は落ち着いている。
私を責めることはなく、家に帰りたいとも言わない。
伯母なりに病気の治療をしないといけないと思っているようで、話している間に少しずついつもの伯母の話し方に戻っていった。
伯母は家に残してきた財布の話をした。
私は家にあったお金はちゃんと預かっているから安心してと伝えたが、どうやら伯母が気になっているのは別のことだったようだ。
お金を持っていないので、病院の支払いなどが心配だっららしい。
「俺が払うことになっているから何も心配ないよ。食べたいものや何か欲しいものがあったらスタッフさんに伝えれば買ってきてもらえてその請求が俺に方に来るから、おばちゃんにもらったお金で払っておくよ。だから、お金のことは心配しないで治療に専念してね」
そう伝えた。
その場は伯母は納得したようだったが、その後で母が電話した時には再び同じ心配を口にしたという。
一度心配になると、何度説明してもなかなか心配事は消えないのだ。
それは家にいる時と変わらない。
母には、近所に入院すると伝えて来なかったことも気になっているようだ。
それでも、母と話した時には普段の口調に戻っていて、ずっと眠れないでいた母もずいぶん安心したという。
電話の内容をお互いに伝え合っているうちに、母も私も妻も、心の中に安堵感が広がっていくのを感じていた。
「やっぱり、この病院に入ってもらってよかった。さすが、プロはすごい」
みんなが、そう感じた、素晴らしい出来事だった。

伯母の家を覆っていた分厚い雨雲が去り、僅かながら青空がのぞいた。
安心した母は、これまで通り、毎日のように伯母に電話をかけると約束してくれた。
私たちも時々電話をかけて、次に岡山に帰省した時は絶対に面会に行こうと妻と決めた。
胸の支えが取れたように、午後、私は少し昼寝ができた。