<吉祥寺残日録>岡山帰省4日目、伯母を車に乗せて海辺の故郷に連れて行った #210707

今日は七夕だ。

私は引き続き、岡山にいてボケが始まった伯母の介護に悪戦苦闘している。

私と違って生真面目な妻は、「今日こそは伯母を検査に連れて行く」と興奮状態で、まだ朝も遠い夜中のうちから起き出した。

難航必至のオペレーションを前にすっかり平常心を失い、介護する側が睡眠障害に陥っている。

私には伯母よりもむしろ、妻が倒れる方が心配に感じられる。

完全に不眠症に陥った妻は、「寝られない」と言って私を起こした後、台所で暗いうちから料理を始めた。

私も妻の機嫌を損ねぬように気を使いながら台所に行き、今日の作戦を2人で相談していると、物音に気づいた伯母が起きてきた。

ここで、ちょっとうれしい変化に気づいた。

昨日までずっと同じ服を着ていた伯母が、自分で別の服に着替えていたのだ。

「あんたが服が汚いって言うから着替えた」と伯母は私のせいにした。

しかし、汚れたズボンと破れた靴下はそのままで、上だけを大昔に自分で編んだ長袖の服に着替えたようだ。

そして何を思ったのか、ゴミ袋を下げて外に出て行こうとしている。

「今日はゴミの日じゃないよ」と私と妻で止めると、伯母は「今日は月曜じゃろ?」と完全に曜日の感覚が狂っていた。

「今日は水曜日で、ゴミの日は木曜だよ」と言うと、伯母はきょとんとした顔をした。

どうやら新しい服に着替えたのも、ゴミ捨てのために外出するためという理由があったようだ。

普段身なりなど全く気にしない伯母だが、家で着る服と外出着をはっきり区別するのはやはり昭和の人間である。

朝6時ごろから朝ごはんを3人で食べる。

「せっかくきれいな服に着替えたんだから、病院に検査に行こう」と水を向けてみた。

しかし答えは「絶対に行かん」、いつも通り絶望的につれない。

「病院は阿津に行く途中だから、検査が終わった後、阿津まで行ってみよう」

阿津というのは伯母の生まれ故郷で、岡山市の南部、児島湾に面した漁師町だった。

今回の滞在中、伯母は何度となく生まれ故郷のことを私に話した。

どうも意味不明ではあるが、阿津のことが気になっている様子である。

伯母は阿津には行ってみたいが病院には行かないという雰囲気だった。

すると今日なんとしても病院に連れて行くと言っていた妻が、思いがけないことを言った。

「それなら病院は行かなくていいから、阿津に行ってみよう。私もまだ一度も阿津に行ったことがないから行ってみたい」

そんな妻の態度変化により、伯母を病院ではなく生まれ故郷に連れて行くことになった。

伯母の生まれ故郷である阿津は、海に面した昔ながらの集落である。

山がちな児島半島の沿岸部に開けたわずかな平地に民家が密集して建っていて、狭い路地が昔の漁師町の面影を今に留めている。

私はこの辺りの風情が好きで、帰省した際に時々レンタカーを走らせて海辺を走ったりしていて、特に阿津は伯母の故郷だということで何度も立ち寄ったことがある。

しかし、伯母は今の家にお嫁に行ってからほとんど実家には帰らず、夫を早くに亡くしてからも頑固に実家に近づこうとしなかった。

だから、伯母が阿津を訪れるのは何十年ぶりのことである。

あまりに久しぶりに訪れた故郷に、伯母は自分の家がどこだったか思い出せない様子でバス停のベンチに座り込んだ。

目の前の海をボーッと眺めている。

「伯母ちゃんの家はどこだったの?」

そう問いかけても、キョトンとしている。

自分の家がどこだったか忘れてしまうものだろうか?

伯母は、この集落から船で岡山に渡り女学校に入った。

戦前のことなので、優秀な女学生だったのだろう。

そして女学生時代にたまたま実家に帰省している時に、岡山市内が米軍の空襲を受け焼け野原となった。

伯母は海越しに岡山の街が燃えるのを見ていたという。

阿津のバス停で一人のおじいさんと偶然出会った。

伯母の旧姓を告げ、最近亡くなった弟の話をするとおじいさんはすぐにわかったようで、「あんたのお姉さんとうちの姉さんが同級生じゃった」と言った。

伯母のことも知っていたらしく、おじいさんの口から伯母を含めた兄弟全員の名前が飛び出したのだ。

狭い集落の中のこと、同年代の人と巡り合えば話は通じる。

伯母も懐かしそうに話をしていたが、伯母の方はそのおじいさんのことをまったく憶えていないみたいだった。

「来て良かったなあ」と伯母に話しかけると「よかった」と答えたが、結局実家を探そうとはしなかった。

農家に嫁に来たものの若くして夫に先立たれた伯母には、きっと私たちには想像できない苦労と実家への複雑な思いがあるのかもしれない。

現在の家から故郷までは車で走るとわずか30〜40分の道のりだ。

行こうと思えば何度でも行くことはできるが、認知症の状況を考えれば、伯母がこの場所に来ることはもう二度とないかもしれないと私は感じていた。

阿津から戻り、疲れた様子の伯母を寝かせてから、私と妻はかかりつけ医を訪問した。

妻が一人で診察室に入り、伯母がどうしても病院に行かないと告げると、お医者さんは「強制的にも入院させて治療を受けさせないと危険だ」と妻に告げ、月曜日に受け取った紹介状とは別の病院宛の紹介状を書いてくれることになった。

しかし、嫌がる伯母をどうやって強制的に連れて行くかについては「わからない」という答えであった。

もともと伯母に一人暮らしをさせるのは危険だと主張していた妻は、我が意を得たりとばかりに入院に邁進する姿勢だが、私はそう簡単に伯母を入院させることはできないのではないかと危惧している。

別に伯母が入院し、そのまま施設に移されることに反対しているわけではない。

でも、どうやったら伯母を病院や施設に連れて行けるのか、今の私には成功するビジョンがまったく思い描けないのだ。

泣き喚く伯母を無理やり抱き抱えて車に押し込む光景が脳裏に浮かび、そんなことをして入所させても、果たして施設での生活に適応できるのだろうか、「他の入所者に迷惑なので連れ帰ってください」と言われるのではないかと、次から次へと悪いイメージばかりが想起されるのである。

明日、新たな紹介状を受け取って、まずは対象の病院に相談に行くことにした。

病院側がどんな反応なのか私にはまったく想像できないが、何かいいアドバイスがもらえればと一縷の希望を抱いて今夜は眠りにつきたいと思う。

七夕の豪雨

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