朝6時すぎ、カーテンが明るくなっているのに気づき目が覚めた。

ちょうど朝日が昇ったところ。
久しぶりに拝む朝日は、ちょっといいことが起きる前兆だったのだろうか。
朝ごはんを食べながら、録画していた番組を見始める。

BSプレミアムで再放送されていた「世界ふれあい街歩き」。
今回紹介される街は、ブラジルのリオデジャネイロだった。
ただ街をぶらぶらするだけの番組なので、わざわざ録画することはほとんどないのだけれど、若き日の思い出の場所ということもあって録画して見ようと思ったのだろう。
昨日は同じ番組の「ウスアイア編」も録画で見た。
ウスアイアはアルゼンチン最南端、フェゴ島にある港町で、南極ツアーの起点となる街でもある。
この街も学生時代に訪れた懐かしい場所だ。
番組の内容はいつもの通りで特筆するようなことはなかったが、この2本の番組をわざわざ録画する気になったのは、学生時代に訪れてから40年以上の時が経ち記憶がほとんど失われる中で、どんな街だったのか映像を見て思い出したいという気持ちがあったに違いない。
学生時代、学園祭の実行委員会で活動していた私は、副委員長として取り仕切った3年の学園祭が終わり、ちょっとした虚脱状態になっていたんだろう。
周囲が就職に向けて動き出す中で、私一人、まだ社会の歯車になりたくないと新たな目標を探していた。
そんな時に思いついたのが、世界一有名なお祭り「リオのカーニバル」を見に行くということだった。
当時はまだ航空運賃も非常に高く、東京からリオまで飛行機で往復するツアーだと100万円以上した時代だ。
私は大学を1年間、休学することを決めた。
半年アルバイトしてお金を貯め、半年かけて南米を旅行する、そんな計画が私の頭の中で膨らんで行った。
そして、私は親を説得し計画を実行に移したのだ。

リオの番組を見終わって、当時の写真がどこかに残っていただろうかと家の中を探し始める。
すると、写真ではなく、すっかり忘れていた当時のノートが見つかったのだ。
すっかり古びた2冊の大学ノート。
表紙には「Southern Cross Caravan」というタイトルが書いてある。
そうだ、思い出した。
私は当初、一人旅ではなく仲間を募ってリオまで車でキャラバンする旅を思い描いていたのである。
実際、旅行雑誌に一緒に旅行する仲間を募る募集広告も掲載した。
アメリカで車を調達するために日産の先輩にも相談に行った。
昔テレビでやっていた「キャラバンⅡ」という車で海外を旅する企画が私の発想の原点だった。
しかし今のようにSNSで簡単に仲間を見つけられる時代でもなく、雑誌に葉書を送ってから広告が掲載されるまでにすごい時間が経ってしまって、もうその頃には予定を変更し一人旅にすると私は決めていた。

当時の私は意外にマメだったようで、旅行の企画書というものを作成していた。
あちこち相談に行く際に使ったのだろう。
【目的】
- 私の子供の頃からの夢、すなわち、リオのカーニバルを見ることと外国を自分の車で走るということを実現する。
- ラテン・アメリカという日本から最も遠い国々で、今何が問題になっているかを知り、理解を深める。
- ラテン・アメリカの風俗・週間を通して、自分や日本を見直す。
- スペイン語・ポルトガル語を多少とも身につけるよう努力する。
【予算】
- 旅費 350000
- 成田〜ロサンゼルス往復 169000
- ブラジル〜ロサンゼルス片道 150000?
- コロン〜カルタヘナ 2〜3万+α
- 車両関係費 600000
- 車両購入費(パーツ等含) 300000
- 修理費 100000
- 自動車保険費 100000
- 燃料費 100000
- 生活費 460000(2000円×230日)
- フィルム代 30000
- 旅行傷害保険費100000
- 雑費 460000
合計 2000000円
8ヶ月ほどの旅行で予算は200万円、そのうちの60万円は車両関係という計画だったようだ。
無邪気ではあるが、意外に頑張って考えた形跡は窺える。
この計画通り私は大学を休学し、半年間は航空写真を撮影する会社の営業職のアルバイトを見つけ旅行費用を稼ぎ、ロサンゼルスでは、たまたま飛行機の中で知り合った韓国人ビジネスマンから中古車を格安で購入して海外で車を運転するという夢も果たした。
しかし残念ながら、買った車は見た目は上等だったが実際にはすぐにバッテリーが上がる不良品で、とても南米旅行に使えるような代物ではなく、計画はすぐに大幅な変更を余儀なくされてしまった。
とはいえ、21歳の若造にしては結構がんばったなと、ノートを見返しながら若き日の自分を褒めてやりたい気持ちになる。

企画書には手描きの地図も描かれていた。
今とは違って結構几帳面な字を書いていたことに自分でも驚く。
計画では、1979年9月15日に成田空港を出発し、ロサンゼルスで車を購入、車で国境を越えるための「カルネ」を手配することになっていた。
10月にはメキシコに入り2ヶ月間スペイン語を勉強、12月から翌年2月初めにかけて中南米を車で回り、2月16日のカーニバルに合わせてリオデジャネイロに入ることになっている。
ドライブのルートは、メキシコシティからユカタン半島を回りニカラグアの首都マナグア、さらにパナマのコロンから船に乗ってコロンビアのカルタヘナに渡り、コロンビア、エクアドル、ペルー、ボリビア、チリの首都を通って南米最南端のウスアイア、そこから今度は北上してアルゼンチンの首都ブエノスアイレスまで行って、空路ブラジルに入る計画になっていた。
実際に旅行したルートとはかなり違っているが、インターネットがなく、「地球の歩き方」も存在しない時代に、一人で調べて計画をまとめた熱意は我がことながら評価してあげたいと思う。
この企画書に沿って私は準備をしたようで、出国前に購入した費用明細もノートに書いてあった。
主なものは・・・
- 航空券(成田〜ロサンゼルス往復) 169000円
- 海外旅行傷害保険(INA) 46320円
- フィルム代 32580円
- カメラバッグ 8500円
- 薬代 30110円
- 国際免許証 1950円
そして、バンクアメリカのトラベラーズチェックを8880米ドル分用意したと書いてある。
当時の為替レートを調べると1ドル=230円ぐらいだったようなので、所持金は200万円ぐらい持っていたようだ。
半年アルバイトをして150万円ぐらいは自分で稼いだ記憶があるので、残りのお金は親に出してもらったのだろう。
兎にも角にも、そうして私は初めての一人旅に飛び立ったのだ。

ノートには、旅行中に私が書きつけた日記のようなものも残っていて、完全に忘れていた遠い昔の旅行の詳細が生々しく蘇ってきた。
何もかも新鮮で、ワクワクしながら旅をする若き日の自分がとても新鮮だ。
日記はすごく飛び飛びで旅の全体像はさっぱりわからないのだが、好奇心旺盛な一人の若者が必死で貧乏旅行する姿が目に浮かんでくる。
60代の今とは全然違うエネルギーを感じるが、人間の本質は何も変わらないのだなと成長のない自分がちょっとおかしくも感じた。
今回発見した日記をもとに、若き日の旅についておいおいこのブログにも書いてみようと思っている。

昼下がり、ベランダに出て井の頭公園を眺める。
私にとって初めての一人旅だったあの中南米旅行。
あれは紛れもなく、私の人生に大きな影響を与えた旅だった。
今日は思わぬ掘り出し物を見つけた。
とても有意義な週末の1日であった。