渤海国
もともとこの地には、ツングース・満州系に属する靺鞨(まっかつ)と中国で呼ばれた民族が暮らしていた。
『靺鞨の経済は複合的であった。彼らは、土地の鋤き起こしにウマを利用しながら農耕に従事し、ブタを飼育していた。タイガでの狩猟と漁労もまた彼らの経済の重要な部門であった。靺鞨は住居のために半地下小屋を建て、入り口は、年代記の記述によると、上から入るように作られた。』

この地方の情勢が大きく変わるのは7世紀、中国の唐が積極的な侵略戦争を開始し、ついに朝鮮の高句麗を滅ぼしたことによる。高句麗と同盟関係にあった靺鞨は強制的に移住させられその勢力を弱めたが、移住先から先祖の地に逃れた一部の靺鞨と高句麗人が中核となり渤海国が誕生した。創始者は靺鞨のリーダー大祚栄である。
渤海国は、唐や新羅への対抗上、日本との交流を図った。日本に派遣された渤海使は200年の間に34回、反対に日本から渤海国に派遣された遣渤海使は100年間で14回とこの時代としては結構な交流があった。

230年近く続いた渤海国を滅ぼしたのは遊牧民族・契丹(きったん)の帝国・遼だった。
約3分の2の渤海住民は契丹帝国領内に強制的に移住させられ、約5分の1の住民は朝鮮に逃亡、渤海国の領土は著しく寂れた。

この過程で、渤海国の街は破壊され尽くし、遺跡らしい遺跡はほとんど残っていない。だから渤海国にはまだ解明されていない謎が多く、今発掘調査が進められているという。
女真族の帝国・金
そして時代を経て、その寂れた極東地方で勢力を伸ばしたのが女真族の帝国・金だった。

女真族は靺鞨の末裔であり、後世の満州民族である。女真の指導者・阿骨打(あぐだ)は契丹と戦い、1115年、女真の黄金の帝国・金の建国を宣言した。そして10年後、金は武力により契丹を滅ぼしその領土を奪った。
金はその関心を中国に向けた。長年の戦争の末、中国北部を支配下に置き、女真人の多くは北中国に移り住んだ。都も北京に移され、極東地方は金帝国の辺境となった。

女真の帝国・金は1115年から1234年まで続いた。
モンゴルと満州人
その金を滅ぼしたのは、あのモンゴル帝国。きっかけは、女真の皇帝がチンギス=ハーンに対して朝貢を要求したことだった。これに対する回答として、翌年春、モンゴルの騎兵が黄金の帝国女真の国境に侵入した。その後、モンゴル人の攻撃は続き、街を廃墟に変え、ほとんどすべての住民は皆殺しにされた。
ユーラシア大陸の東で女真を滅ぼしたモンゴル帝国は、大陸の西ではロシア民族の祖国である「ルーシ」を滅亡させた。しかし史上最大の領土を支配したモンゴル人の帝国は、14世紀に入ると解体へと向かう。
そして極東では、新たに南女真族(満州人)の一部が強大となった。1616年に後金国を樹立、17世紀後半には中国全土を制服した。清の誕生である。しかし極東地方では・・・
『 略奪と破壊をもたらした満州軍の遠征によって、16世紀末から17世紀初頭にかけて、地元住民の大部分が満州に連れ去られた。経済と文化は破壊された。残った住民たちは、満州人の襲撃から逃れて森へ去り、そこで狩猟と漁労のみに従事していた。ここで最初のロシアの探検隊たちが出会ったのは、このような荒廃であった。』
コメント コメントを追加