🇯🇵 岡山県/津山市 2024年5月13日
岡山県で街といえば、県南の岡山市と倉敷市の存在感が圧倒的で、そのほかには大きな街はない。
人口で両市の次に位置するのは10万人弱が住む津山市、津山藩の城下町として発展した県北の中核都市である。
津山といえば、岡山県人ならばすぐに思い浮かべるのは、ご当地グルメの「津山ホルモンうどん」と県内随一の桜の名所である「津山城跡(鶴山公園)」だろう。
私は小学校から高校まで岡山で育ったが、津山には一度も行ったことがなかった。
ということで鳥取旅行の帰り道、わざわざ津山に立ち寄って1泊してみようと思い立ったのである。
まずは、「津山ホルモンうどん」発祥の店とされる「橋野食堂」へ。
この話はすでに書いたのでここでは省くが、創業134年の渋い店内で本場のホルモンうどんを満喫し、その足で勇んで津山城に向かった。
お城に到着する頃には、前日の雨が嘘のように青空が広がってきた。
駐車場に車を停め、津山城の入り口にやってくると、想像していた以上に立派な石垣に圧倒される。
私は何の予備知識もなくこの城を訪れたのだが、この城は兵庫の姫路城、愛媛の松山城と並ぶ「日本三大平山城」として知られる名城なのだそうだ。
「平山城」とは、平野の中にある小山や丘陵をうまく利用して築かれたお城のことで、山城と平城の性格を併せ持つとされる。
その立派な石垣をバックに鎮座しているのが、津山城を作った津山藩初代藩主、森忠政である。
その説明書にはこうある。
『元亀元年、美濃金山城に生まれる。京都本能寺の変で、織田信長を守護し、非運の最期を遂げた森蘭丸の弟。天正2年兄長可の戦死後家督を継ぎ、豊臣秀吉に仕えて金山7万石を与えられる。のち徳川家康に仕え、慶長5年信濃川中島13万7000石を領す。同8年美作国一円18万6500石を与えられ津山に入封。翌9年より津山城の築城に着手、また城下町の町づくりを始め、現在の津山の基をなした。』
そうなのだ。
津山城を作ったお殿様は、織田信長に愛され本能寺で共に果てたあの森蘭丸の弟だったのである。
入場料310円を払って城内に入ると、高い石垣が迷路のように組まれ、その間を縫う石段も1段1段の高低差があって、登るのも一苦労だ。
そして、石垣に沿って植えられている木々はほとんどが桜である。
明治の廃城令により、天守閣を含めて全ての建物は破却されてしまったにも関わらず、津山城が「日本100名城」に選ばれるのは、この見事な石垣とその戦略的な構造によるものだろう。
自然の地形を巧みに利用して何重にも積み上げられた石垣には確かに美しさを感じる。
長い戦乱の世が生み出した築城の技術には本当に驚かされる。
石段の先に、白壁の城が見えてきた。
これは平成に入って再建された「備中櫓」だが、天守閣ではないものの、こうした建物があるだけで気分が盛り上がってくる。
どんな立派な石垣でも、やはり石垣だけでは物足りない。
石段を登りきったところは広い広場のようになっていた。
津山の街並みを見下ろす側に植物が絡まった日除が作ってある。
風が吹き抜けて実に気持ちがいい。
ここに建っているのが先ほど石段を上る途中に見えた「備中櫓」である。
『備中櫓は本丸御殿の南西端に位置し、その名は鳥取城主池田備中守長幸に由来すると伝えられる。森忠政は長女於松を池田備中守長幸に嫁がせており、長幸は忠政の娘婿にあたる。その長幸が津山城を訪れるのを機に完成したのが備中櫓であったと考えられている。』
城の四方を固める櫓といえば、通常は守りの要として軍事的な意味合いが強いものだが、この櫓は外見こそ普通の漆喰仕上げだが、内部には女性的なしつらえが施されていて、津山城の中でも特徴的なものとして復元の対象となったそうだ。
備中櫓の内部は一般公開されているが、その大きな特徴は櫓の各階に畳が敷かれていることである。
さらに通常の櫓には作られない城主が使う「御座之間」や茶室まで備えられている。
こうしたことから、本丸御殿の最奥部として、城主にごく近い間柄の女性もしくは城主自身の生活空間として使用していたのではないかと考えられているそうだ。
備中櫓の奥には一段高くなった「天守台」がある。
『津山城の天守は、地上5階建てで、最上階以外に破風を持たない質実な造りでした。高さは石垣の除いて約22メートルで、一般的な五層の天守としては最大規模のものです。この壮大な天守を支える礎石は、地下の穴蔵部分で確認されています。柱は、約38センチ角もある巨大なものであったことが分かっています。』
津山城の五重の天守を巡っては、幕府から豪華すぎることを咎められた森忠政が「これは四重だ」と弁明し一部の屋根を慌てて壊したという言い伝えも残っているほど全国的にも立派な天守だったようである。
天守台に昇ると、備中櫓越しに城下町が見下ろせて、ちょっとした殿様気分が味わえる。
それにしても、備中櫓を支える石垣の急勾配、見ているだけで目の前がクラクラするようだ。
この立派な天守を囲むように、津山城には姫路城をも凌ぐ77もの櫓が建っていたというから、さぞ壮観だったに違いない。
こうした建造物が全て撤去された明治時代、残った石垣は公園として地元に払い下げられた。
明治から昭和にかけてこの石垣に桜の苗木を植え続け、「日本さくら名所100選」にも選ばれる桜の名所に変えた人物がいる。
津山市議会議長を務めた福井純一という人だそうだ。
何事も続けることで後世にその名が残るという典型のような人である。
津山城を後にして、この日の宿「津山城山ホテル」に向かう。
市の中心部からは少し離れた川沿いに立つ津山を代表する老舗ホテル。
とはいえ、手頃な価格がこの宿を選んだ決め手だった。
ロビーには、桜満開の津山城の絵が飾られていた。
その奥は結婚式場。
チャペルも併設されていて、昔から津山のカップルの多くがこのホテルで結婚式を挙げたであろうことがうかがわれる。
部屋は特別広いということはないが、今時のビジネスホテルとはひと味違う、古き良きホテルの雰囲気を漂わせていた。
この感じ、私は嫌いじゃない。
ホテルの近くには、かつての街道筋が残る歴史地区があった。
夕暮れ時、ぶらぶら散歩するには悪くない。
特別、観光客が集まる街ではないが、落ち着いたいい街だと思った。
その日の夜、街まで夕食を食べに行こうかとも思ったが、わざわざ車に乗るのも面倒になって、ホテルの1階にあるレストランで済ませることにした。
「チャーハンセット」(1600円)
特別ブログに書くこともない。
一夜明けると、窓の外が白く霞んでいることに気づいた。
津山は盆地の街。
濃い霧が街を覆っていたのだ。
もう少し津山の街を散策しようかとも思ったが、朝霧に促されて岡山の家に戻ることに決めた。
津山から吉井川沿いの道を南に下ると、川面に霧がかかり幻想的な風景が広がっていた。
岡山県には私が知らない素敵な場所がまだまだある。
そんなことを感じた津山の旅だった。
