🇧🇧 バルバドス/ブリッジタウン&セントピーター 2024年2月6日
私が生まれてから今日まで「アメリカの時代」が続いている。
ソ連が崩壊して中国が新たなライバルに浮上しても、アメリカの絶対優位は当面揺るぎそうにない。
しかし今から100年ほど前、第一次世界大戦までは間違いなく「イギリスの時代」だった。
陽が沈まないと言われた大英帝国の栄華。
それが偲ばれる場所がカリブの島国バルバドスにあると聞き、タクシーを借り上げて島の北部までドライブに出かけた。

6日の朝6時半、カリブ海で初めて見る朝日だ。
波の音が響き、鳥たちの賑やかや鳴き声がアクセントに。
南国らしい穏やかな夜明けである。

筋肉隆々たる地元の男性が柵を乗り越えて岩場で何やらやっていた。
海に向かってしきりに腕を動かしている。
よく見ると、竿は使わず糸だけで釣りをしているのだ。
しかしなかなか当たりは来ない様子。

突然様子が変わり動きが速くなり、連れの女性にサンダルを借りて波が打ちつける岩場を降りていく。
針が岩に引っかかったのかと思って眺めていると、魚を手に嬉しそうに駆け上がってきた。
おお、お見事!
朝からいいものを見た。

部屋に戻り、前日にスーパーで買ったリンゴとヨーグルトをテラスに持ち出し、朝ごはんを食べる。
ホテルでも食べられるようだが、私にはこれで充分だ。
キッチン付きの部屋なので、お湯を沸かしてコーヒーでもと思い探してみたが、コーヒーも紅茶も見当たらない。
湯沸かしポットも食器も完璧に整っているものの、お茶も調味料もないので短期滞在の者にはちょっと辛い。

食べ終わった皿をそのまま置いていたら、私がまだ座っていることなどお構いなしに、1羽の小鳥がテーブルの上にとまった。
じっと見ていると、小鳥は少しずつ皿に近づき、私が何もしないのを確かめるとヨーグルトと蓋をつつき始めた。
蓋に付いていたヨーグルトが気に入ったと見え、今度はヨーグルトが入っていたプラスチック容器に近づいて何とかならないかと首を伸ばした。
しかし残念ながら小鳥は容器よりも背が低く、しばらく睨めっこしたが諦めて飛び去っていった。
バルバドスの一日はこうして始まったのだ。

午前10時、ホテルのフロントで前日に手配してもらったタクシーの運転手スティーブンスさんがロビーに迎えにくる。
ちょっと厳格な印象を受ける黒人男性だ。
バルバドスは国民の9割をアフリカ系が占めているが、かつてイギリスがアフリカ各地で拉致してこの島に連れてきた奴隷の子孫たちである。

スティーブンスさんはプロの観光ドライバーらしく、私は首都ブリッジタウンとかつての砂糖農場に行きたいとだけ頼んだのに、それ以外の場所にもあちこち私を連れて行った。
まず最初に行ったのは、首都近郊にある昔の軍事要塞「ギャリソン」。
今は競馬場になっている。

それでも競馬場の周囲には旧式の大砲が並べられ、かつてこの場所がイギリス海軍のみならず陸軍の重要拠点だったことを偲ばせる。
カリブ海の島々の中で最も東に位置するバルバドスは、イギリスを出た船が最初に寄港する港であり、カリブ海にとどまらず、イギリスの世界進出の足場となった。

競馬場を取り囲むように赤れんがの建物が並んでいるが、これはかつての兵舎の跡だという。

そして、これら大英帝国の名残を見下ろすように掲げられた巨大なバルバドスの国旗。
独立後の1966年に一般公募で選ばれたこの国旗、左右の青はカリブ海と大西洋を、真ん中の金色は砂浜を表すという。
そして中央に描かれた三又の鉾は海の神ポセイドンのは象徴であり、折れた柄は植民地支配との決別の意志を示しているとされる。

次にタクシーが止まったのは首相官邸の前。
建物はごく普通だが、ここの主人である現在のバルバドス首相には興味があった。
独立以来バルバドスは他の英領カリブの国々と同じく立憲君主制を取りエリザベス女王を君主に担いでいたのだが、2020年9月英連峰王国を脱退し大統領を君主とする共和政に移行すると決断したのが女性首相ミア・モトリー氏である。
共和国への移行を発表した際、モトリー首相は「ついに植民地時代の残骸を置き去りにする時が来た」と宣言、その後も気候変動問題や途上国の債務問題で積極的に発言し、Time誌が選ぶ「世界で最も影響ある100人」にも選ばれた注目の女性政治家だ。
彼女が決断したイギリス王室からの決別は他のカリブ海諸国にも広がる様相で、植民地時代は徐々に過去のものとなりつつあるようだ。

首相官邸の前にはとびっきり綺麗な砂浜が広がっていた。
ペブルスビーチとかブラウンズビーチとか呼ばれるみたいだけど、バルバドスの西海岸にはずっと美しい砂浜が続いているので、どこに行ってもハズレはなさそうだ。
エメラルドグリーンのカーライル湾の向こうには巨大なクルーズ船が遠目にもはっきりと確認できた。

そしてタクシーは首都ブリッジタウンの中心部へ。
大英帝国の拠点として1628年に築かれた歴史ある街は先ほどのギャリソンと共に世界遺産に登録されている。
市内を流れるコンスティテューション川の河口には立派なクルーザーが停泊していた。
いかにもカリブ海で一番豊かと言われるバルバドスの首都らしい雰囲気だ。

大英帝国の植民地だった1872年に完成した「チェンバレン橋」。
その南端にあるこのゲートは、独立を21年間維持した記念に1987年に建てられたものだそうだ。
国民的シンボルとされるイルカやペリカン、花の絵が描かれている。

そしてブリッジタウンの象徴といえば、こちらの議事堂。
こちらも大英帝国時代の1874年に完成した歴史遺産で、独立後も国会議事堂として使われている。

ブリッジタウンは、イギリスが植民地にしていたカリブ海南部を管轄する行政の中心地だった。
この議事堂もイギリス本国を含め大英帝国で3番目に古い歴史を持つということからも、バルバドスの重要性がわかるというものだ。

とはいえ敷地に生える植物はイギリスとは全く違う。
こうした様式は本国のジョージアン様式と区別して「カリビアン・ジョージアン」と呼ばれ、ブリッジタウンが世界遺産に登録された一つの要素となっているという。

もう一つ、世界遺産になった重要なポイントがこの街並み。
ちょっとごちゃごちゃして見える街の作り方がイギリスの特徴だそうで、碁盤の目のように街を作るスペインやオランダとの決定的な違いなのだそうだ。

タクシーはブリッジタウンを離れ、海沿いの道を北に向かう。
すると次第に道端に大きな樹木が増えてくるのに気づく。
「この先は金持ちたちが世界中からやってくる場所だ」
スティーブンスさんが教えてくれる。

こちらは、セレブが集まる高級マンション。

中が全く見えないお屋敷もいくつもある。
すべて敷地の西側はプライベートビーチで、セレブたちが誰にも邪魔されることなく、バルバドスの海を楽しむのだ。

さらに北上すると、小さな街があった。
ホールタウンとと呼ばれるこの街こそ、最初のイギリス人入植者たちが開拓した集落である。
その経緯について、バルバドスの大使を務めた品田光彦氏が面白く紹介されているのを拝見したが、たまたまブラジルから本国に戻る予定の武装商船が進路を間違えてこの浜にたどり着いたのが始まりだった。
スペインやポルトガルが放棄して無人島になっていた島にイギリスの貴族コーティーン卿が入植者を送り込んだのがイギリス領バルバドスの始まりだったが、エリザベス1世の死後、スコットランドからやってきて国王となったジェームズ1世の取り巻きカーライル卿が自らの借金返済のためバルバドスの利権を横取りしたのだという。

ところが間もなく,コーティーン卿の植民地ビジネスは別の人物に横取りされてしまいます。
先にふれた「ジェームズタウン」の地名の由来になった国王ジェームズ1世は,もともとはイングランドではなくスコットランドの王でした。1603年にイングランド・テューダー朝最後のエリザベス1世女王が世を去ったのですが,女王には後継ぎがなかったので,血縁があったスコットランド王ジェームズ6世が迎えられてイングランド王ジェームズ1世となったのです。これがステュアート朝のはじまりです。
ジェームズ1世の取り巻きのひとりにジェームズ・ヘイという人物がいました。イングランド王になったジェームズ1世と一緒にスコットランドからロンドンに出てきたヘイは,王により伯爵に叙せられて「カーライル伯」となります。バルバドスにせっせと投資していたコーティーン卿から島の利権を奪い取ったのは,このカーライル伯ジェームズ・ヘイです。
彼は伯爵に成り上がったものの,もとから浪費癖がひどくて借金漬けでした。そこで窮状を脱するために植民地ビジネスの儲け話を利用することを思いついたのです。彼は王室とのコネをフル活用して,ジェームズ1世のあとを継いで国王になった,息子のチャールズ1世を適当に言いくるめ,バルバドスの植民地利権をコーティーン卿から横取りしてしまったのです。詐欺まがいの行為で,バルバドス経営の国王特許状を手に入れたカーライル伯はさっそく,見たこともないバルバドスの土地1万エーカーについてロンドンの商人たちとリース契約を結び,得たカネで莫大な借金の一部を返済したのでした
引用:バルバドス 歴史の散歩道
ブリッジタウンが面するカーライル湾の名はこの横取りしたカーライル卿に由来するものだ。
まさに海賊顔負けの騙し合いが権力者たちの間でも繰り広げられていたことがこの街の歴史として今に伝えられているのだ。

タクシーはさらに北に向かう。
Googleマップで現在位置を確認してみると、目的地の邸宅はそろそろ右に曲がるはずなのに一向に曲がる気配がない。
1時間50バルバドスドルという条件を受け入れたので、わざと遠回りして時間を稼ごうのしているのではないか?
私の中に疑念が湧いてきた。
地図で見ると島の中ほどに広めの道路があるのに、なぜかずっと海沿いの混んだ道を走っているし、速度も他のタクシーに比べて妙にゆっくりなのも気になり始める。
タクシーは海岸線を離れ民家のない田舎道をさらに北上していく。

気がつくと道の両側にサトウキビ畑が広がっていた。
バルバドスは植民地時代、砂糖の大生産地として巨額の富をイギリスにもたらした。
お皿を伏せたようななだらかな地形はサトウキビ栽培に適していたようで、当初栽培していたタバコなどに変わりサトウキビのモノカルチャー経済が推し進められる。
その名残もあって、今でも海岸線を離れて内陸に入るとこうしたサトウキビ畑を目にすることができるのである。

スティーブンスさんは私にこのサトウキビ畑を見せようとしたのかと一瞬考えたが、実はそうではなかった。
彼が私を案内したのは島の一番北にある「 Sandy Hill Point Lynches」というこの断崖だったのだ。
確かに観光客を乗せたタクシーが何台もやってきていたが、こんな場所なら日本にもいくらでもある。
私は少し不機嫌になり、早々に車に戻って「Let’s go to Abbey」と言った。
ここに来るために1時間は無駄にしたというイライラが、間違いなくスティーブンスさんにも伝わったようで、それからはほとんど喋ることもなく、私が希望した目的地に向かってくれたのだ。

その場所は、平坦なこの島の中ではちょっとした丘の上にあった。
緩やかな坂を登っていくと、いきなり道の両側にバナナの木が植えられている。

さらに進むと、原生林がそのまま残されたような林が現れ明らかに周囲と景色が違う。
ここがかつて広大なプランテーションを経営していた一族の屋敷である。

「St. Nicholas Abbey」
「聖ニコラス修道院」という名で呼ばれるこの建物は、教会とは関係なく、ベンジャミン・ベリンジャー大佐が1658年に建てたプランテーションハウスで、一族の邸宅にラム酒の醸造所が併設されている。
西半球に3つしかない「ジャコビアン様式」の邸宅の一つだそうだ。

その後所有者は何度か変わったが植民地時代にはずっと砂糖プランテーションだった。
今は博物館として一般に公開されていて、敷地内に入るためには66バルバドスドル(約4850円)を支払わねばならない。

建物の内部は豪華な調度品で18世紀のプランテーション所有者たちの暮らしぶりが再現されている。
ウェッジウッドの陶器、チッペンデールの家具、彫刻されたサンゴ石の高いフィニアルとコーナー煙突を備えた曲線的なオランダの切妻。

玄関の柱廊玄関、中国チッペンデールの階段、杉の羽目板は後からこの家に追加されたものだという。
いずれにせよ、砂糖がもたらす利益が植民地の名士たちに貴族の生活をもたらしたのだ。

裏庭に出ると見事な巨樹に迎えられた。
庭には青いパラソルが並べられ、観光客に気持ちの良いスペースとを提供している。
そして古い建物を改修したカフェが併設されている。

これがまた素敵なカフェで、熱帯の木々が日差しを遮ってくれるテラス席には赤いパラソルが並べられ、たくさんの観光客たちがランチを楽しんでいた。
私も本当はここでゆっくりしたかったが、スティーブンスさんにあちこち連れ回されて飛行機の時間が迫っていたので断念せざるを得なかった。

ただ、ここで作ったラム酒を試飲することはできた。
入場料の中にラムの試飲も含まれているらしく、樽が並んだ部屋で一杯だけ試飲する。
「セント・ニコラス・アビー」の名が入ったそのラム酒は前日に飲んだ「マウントゲイ」よりも甘さが控えめでドライな感じがした。

私にラムを手渡してくれた男性が話しかけてきて、なんとこの建物の現在の所有者だという。
サイモン・ウォーレンさんというこの方のお父さんかおじさんがこの建物を買って博物館に回収したそうだが、17世紀から続く家系図を説明してくれたので、彼の先祖はどこかで昔のプランテーション所有者に繋がっているのだろう。

カフェからさらに奥へと進むと、高い煙突のある古い建物が見えてきた。
ここが先ほど試飲させてもらったラム酒の醸造所である。

外の建物は古くても、中の設備は新しく見える。
今も現役バリバリの醸造所というわけだ。

隣には出来上がったラムを1本1本手作業で瓶詰めする建物もあり、1日何回か開かれるガイドツアーに参加するとラム酒の作り方をじっくり説明してもらえるようだ。

でも私はラムの作り方よりも熱帯の植物で作られたこの庭の方が興味深く、限られた時間のほとんどを庭の写真を撮影することに費やした。
植生が変わっても庭づくりに並々ならぬ情熱を傾けるあたり、いかにもイギリス人である。

そういえば、ロンドンの有名な植物園キューガーデンにもこうした熱帯の植物があり、イギリス人が世界中から珍しく植物を集めたのは有名な話である。
確かに熱帯の庭は力強くて、なかなか魅力的だ。

敷地内にはなんと蒸気機関車の駅まであった。
小型の蒸気機関車と客車もあって乗って敷地内を走ることもできるらしい。

おそらく昔プランテーションで蒸気機関車を運搬用に使っていて、それを再現したんだと思うが、最近作ったものらしく、観光客にもさほど人気がないようで、入り口でひとり女性が暇そうに座っていた。
私もこれには興味がなく、タクシーに乗り込むと急いで空港に向かった。

空港に到着したのは、出発時刻の1時間前だった。
ばたばたと搭乗手続きを済ませ、出国手続きへ。
ちょっと焦ったけれど、小さな空港は移動距離が短いので助かり、無事に予定の便になることができた。

結局、朝ホテルを出てから空港到着まで4時間かかり、スティーブンスさんには200ユーロ払うことになった。
要らない所にも連れて行かれたけれど、自分だけでは見られなかった場所にもいろいろ連れて行ってくれたので、プライベートツアーだと考えれば割安でもある。
もともとバルバドスドルか米ドルで払う約束になっていたので、どこかで両替したいというと、「ユーロはドルと同じだからユーロで払える」と言われた。
この時初めて、カリブ海諸国では1ユーロ=1USドルで普通に使われていることを知った。
アメリカだけでなくヨーロッパからも多くの観光客が来るので、少なくとも外国人観光客に接する人たちの間ではユーロ払いも珍しくないに違いない。

昔は植民地として、今はリゾート地として欧米人を受け入れているバルバドス。
大英帝国が君臨した時代を理解するうえで、とても興味深い国だと感じた。