武蔵野市平和の日

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朝テレビを見てドキッとした。

北朝鮮の木造船が秋田に漂着し、国籍不明の8人の男が保護されたという。ついに日本海に北朝鮮難民が出てきたか、それとも工作活動か、いよいよ有事が始まったかと緊張した。

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しかし、8人は北朝鮮の漁師でイカ釣り漁をしていて船が壊れ日本に流されてきたことがわかってきた。まずはホッとする。

ただ中朝国境でも、補修のため橋の一時閉鎖を中国が発表するなど、厳しい冬を前に北朝鮮を取り巻く状況が緊張してきている。この冬は要警戒だ。

さて、昨日図書館に行った時、こんな張り紙を見つけた。

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きょう11月24日は「武蔵野市平和の日」なのだそうだ。

1944年11月24日に、現在の都立武蔵野中央公園付近にあった中島飛行機武蔵製作所を米軍のB29爆撃機が空爆した。日本本土空襲の最初の標的となったのだ。

ここは東洋一と言われるような大軍需工場だったという。

戦前の日本を代表する航空機メーカーであった中島飛行機株式会社のエンジン工場。最盛時には約5万人が、24時間操業で働き、「零戦」や「隼」といった軍用飛行機のエンジンを生産していた。その量は日本の全生産量の30%近くを占めていた。

この日から始まった米軍の空襲は9回に及び、工場は徹底的に破壊された。従業員ら200人以上が死亡し、500人以上が負傷したと言われている。「空襲があっても生産を止めるな」というのが至上命令で、従業員は工場から外へ逃げることができなかった。

工場を狙った爆弾は、しばしば周辺地域、現在の武蔵野市、三鷹市、西東京市、東久留米市、練馬区などに落とされ、一般市民の犠牲も500人をくだらなかったという。

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あまり語られることのない武蔵野市での戦争体験は3冊の「武蔵野から伝える戦争体験記録集」にまとめられ、図書館でも無料配布されていた。

私は3冊ともいただいてきた。自分が暮らす街で戦時中何があったのか? それを知ることは世界平和のスタート地点だ。ゆっくりと目を通してみたいと思っている。

 

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