<ぶらり駅散歩>駒場東大前駅から日本民藝館と旧前田家本邸を巡る

ちょっと日差しが春めいてきた。でもまだ風は冷たい。

そんな2月の休日。新たなシリーズを始めた。

電車に乗って初めての駅に降り、周辺の知らない街をお散歩する。高齢者向けの定番。お散歩企画を私もやってみようという安直なシリーズだ。

でも、私たちもシニアの仲間入りをする年齢なので、こういう楽しみもそろそろ許されるだろう。

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記念すべき第一回は、京王井の頭線の駒場東大前駅。

吉祥寺に引っ越してから毎日通勤で通過しているのに、この駅にはこれまで一度も降りたことがない。井の頭線の各駅停車しか止まらない駅周辺には、そんな私にとって未知の街が広がっている。

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駅周辺には文字通り閑静な住宅街が広がる。

真っ青な空の下、白梅が咲き誇っている。

それにしても、この辺りは豪邸ばかりだ。

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人通りの少ない住宅街を歩くこと数分、立派な歴史建造物が現れる。

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「日本民藝館」。

そのホームページを見てみると・・・

『日本民藝館は、「民藝」という新しい美の概念の普及と「美の生活化」を目指す民藝運動の本拠として、1926年に思想家の柳宗悦(1889-1961)らにより企画され、実業家で社会事業家の大原孫三郎をはじめとする多くの賛同者の援助を得て、1936年に開設された。』

大正から昭和にかけて活躍した柳宗悦(むねよし)の執念が詰まった施設なのだ。

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「民藝」とは何か?

サイトには次のように記されている。

『 1925年、民衆の用いる日常品の美に着目した柳宗悦は、濱田庄司や河井寛次郎らとともに無名の職人達が作った民衆的工芸品を「民藝」と名付けた。』

そして・・・

『 当館には柳の審美眼により集められた、陶磁器・染織品・木漆工品・絵画・金工品・石工品・編組品など、日本をはじめ諸外国の新古工芸品約17000点が収蔵されており、その特色ある蒐集品は国の内外で高い評価を受けている。』

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重々しい民芸調の入口。

入館料は大人1100円。意外に高いが、民間の施設なので致し方ないのだろう。

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玄関で靴を脱ぐ。玄関ホールは吹き抜けになっていて、正面には木製の重厚な階段がある。

1階と2階に展示室があるようだが、ここで撮影禁止のサインが目に入る。日本民藝館の内部は撮影することができない。

ということで・・・

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チラシの写真を接写する。

今、日本民藝館では『柳宗悦の「直観」』という特別展が開かれていた。

「直観」をテーマにした展示なので、説明や解説が一切添えられていない。その代わりに、「直感について」という柳宗悦がなくなる1年前に書いた文章が玄関に置かれていた。

『直観とは文字が示唆する通り「直ちに観る」意味である。美しさへの理解にとっては、どうしてもこの直観が必要なのである。知識だけでは美しさの中核に触れることが出来ない。

「見る」と「観る」と何処が違うのか。しばしば同じ意味に使われはするが、敢て区別すれば、「見る」とは眼の働きで五感に属し、いわゆる感覚のことであるが、「観る」とはただ感覚に終わるのではなく、強いていえば「内覚」または「心覚」とでもいおうか。この内なる感覚を「観」の一字に託してあると考えてよい。それゆえ「観」には、もとより眼も働くが、心も大いに働くことになる。それゆえ心に何か執着の跡が残ったりして、その濁りのために心が充分に自由でなくなると、直観は立ちどころに曇ってしまう。直観が心覚たる所以がここにある。』

何となくわかる気がするが、俗人としてはどうしても多少の説明を求めてしまう。

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『時代や産地、分野を問わず、柳が蒐めた名品を中心にして一堂に展覧』しているという今回の特別展。確かに、古いものもあれば、現代の作家の作品もある。

ただ、今回私がここを訪れたいと思ったのは、柳宗悦が朝鮮の白磁を愛し、朝鮮人を愛した文化人だったからだ。今回の展示の中にも、柳が蒐めた朝鮮白磁の名品がいくつか含まれていた。中でも、チラシに印刷された9点の作品の中央にある朝鮮白磁は、素人の私が見ても心惹かれる魅力があった。

柳と朝鮮との関係について、ホームページにはこんな風に書かれている。

『 韓国で小学校教師をしていた浅川伯教が朝鮮陶磁器を手土産に柳を訪ねた。その美しさに魅了された柳は、1916年以降たびたび朝鮮半島へ渡り、朝鮮工芸に親しむようになった。そして、民族固有の造形美に目を開かれた柳は、それを生み出した朝鮮の人々に敬愛の心を寄せ、当時植民地だった朝鮮に対する日本政府の施策を批判した。1921年、日本で最初の「朝鮮民族美術展覧会」を開催。1924年にはソウルに「朝鮮民族美術館」を開設していった。』

日本の植民地時代、朝鮮の旧王宮・景福宮の正門「光化門」の取り壊し計画に反対し、それを阻止したのは有名な話である。そして、3.1独立運動に対しては「反抗する彼らよりも一層愚かなのは、圧迫する我々である」と日本政府による弾圧を批判した。

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『 直感の人とは、何ものにも縛られない自由さの主人公になる事なのである。』

柳宗悦の言葉と行動、ちょっと心に留めておきたいと思う。

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日本民藝館の近くには「目黒区立駒場公園」がある。

明治期この地には駒場農学校があったが、その後東京帝国大学農学部となり本郷に移転。その跡地にやってきたのは、旧加賀藩主だった前田家だった。

戦後は米軍に接収され、連合国最高司令官の官邸として使用される。

明治から昭和に至る激動の歴史をくぐり抜け、今では市民の憩いの場となっている。

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東門をくぐると、すぐに立派な日本建築が現れる。

「旧前田家本邸(和館)」

昭和5年、前田家の迎賓館として建てられた。

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入場は無料。自由に中を見ることができる。

広々とした畳のお部屋の向こうには、お庭が広がる。

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主室「御客間」と次の間「御次之間」を合わせると40畳近くある広い空間。

シンプルな和室だが、欄間細工の美しさが目を引く。

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窓越しに見る庭も、四季折々に美しいに違いない。

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一方、前田家が実際に暮らしていたのは、こちらの洋館。

「旧前田家本邸」

昭和4年、第16代当主・前田利為によって建設され、2013年に隣の和館とともに国の重要文化財に指定された。

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洋館だが、こちらも入り口で靴を脱ぐ。入場は無料だ。

玄関から赤い絨毯が奥に伸び、天井にはおきまりのシャンデリアが輝いていた。

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1階は、おもてないしの空間。

サロン、大客室、大食堂などが並ぶ。この時代の洋館は、だいたい同じような作りだ。

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私が気に入ったのは、天井の飾りとシャンデリア・・・。

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食堂の棚に置かれていた「カトラリー・セット」・・・

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階段を照らすステンドグラス。

当時の最先端が家中に散りばめられている。

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そして階段を上がった2階は、暮らしの空間だ。

侯爵夫妻の寝室。

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侯爵の書斎には、夫人の肖像画が飾られていた。

加賀百万石の大名だった前田家は、明治維新で目立った動きをしないまま、廃藩置県によって大名の地位を失い華族となった。

利為侯は軍人として要職を歴任し、昭和2年から駐英大使館付武官としてイギリスに滞在し、帰国後の昭和5年からここ駒場の本邸で暮らした。子供たちと庭でゴルフや乗馬に興じるなど駒場での生活を楽しんだという。

この邸宅は、かつて日本に存在した華族と呼ばれた人たちの暮らしぶりを知ることができる貴重な施設である。

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初めて歩いた駒場東大前駅の周辺。

明治から昭和初期にかけて、目まぐるしく変貌を遂げる日本社会を生きた人々を感じられる、ちょっと面白い場所だった。

 

 

 

 

 

 

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