初めての「満州国」
「満州国」は、ある時代の日本人にとって夢の国であった。島国の住民にとって初めて手に入れた植民地であり、それを守り抜くことは何事にも優先された。
そんなかつて「満州国」だった土地に、私は初めて行ってきた。
多くの日本人が船で大陸に渡った街・大連、乃木将軍を英雄にした旅順、そして朝鮮と満州を繋いだ国境の街・丹東。
「地球の歩き方」とともに一冊の中公新書を持って行った。
古屋哲夫著「日露戦争」。50年以上前に書かれた本で、古屋氏は当時京都大学の名誉教授だった。その本の冒頭には、こんな一節が書かれている。
『「20万の将兵の血でかちとった満州を失うな」というスローガンが、ことあるごとに繰り返され、この衝動的な叫びは、政治における合理的判断を妨げ続ける。』
「20万の将兵の血でかちとった満州」。
太平洋戦争に突き進んだ近代日本を理解するための一つの鍵は満州にある。
成田から大連までは2時間あまり。沖縄に行くのと変わらない。
飛行機は、ソウル上空を通過すると、西に旋回して海に出る。北朝鮮上空を避けるためだ。

雲の下は北朝鮮。ちょうど金正恩氏がいる平壌あたりだ。

大連空港は、中国の空港にしてはコンパクトな印象だ。空港の周囲には、同じ形をした洋風の住宅が立ち並んでいた。中国はどこへ行っても、同じような住宅が驚くほど大量に供給される。人ごとながら、こんなに作って需要があるのだろうか、メンテナンスは大丈夫なのかと心配してしまう。

空港駅から地下鉄2号線に乗る。中心街までは4元、およそ70円だ。

大連では3年前に地下鉄が完成したばかりで、車両はまだ新しい。そして、中国の地下鉄にしては乗客も少ない印象だ。
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