中山広場

降り立った駅は「中山広場」。
ロシアが計画し、日本の手で建設された大連は広場の街だ。その中でも最も美しいと言われたのがこの中山広場。日本統治時代には「大広場」と呼ばれた。

広場の南側に立つのが、1914年に建設された旧ヤマトホテルだ。
そして、直径213mの広場を中心に10本の道路が放射状に伸びている。まるでパリの凱旋門広場を思わせる作りだ。それもそのはず、寒村だったこの場所に港の建設を計画した帝政ロシアは、パリを模した計画都市を設計した。その後、日露戦争で大連を手に入れた日本が、ロシアの設計図をもとに実際に都市建設に当たった。
つまり大連は、もともと満州人(清)の土地に、ロシア人が計画し、日本人が建設し、戦後は多くの漢民族が移住した中国の都市ということになる。

広場の北側に立つのは、中国銀行のバロック様式の建物。

こちらも日本統治時代の1909年建設の旧横浜正金銀行大連支店だった。
このように大連の街には、満州国時代の面影があちらこちらに残っている。それを求めて日本からやってくるのは、やはり高齢者が圧倒的に多いという。
戦前、満州には150万人もの日本人が暮らしていて、ここで生まれた人も多い。そして兵隊さんとして満州に送られ、終戦後着の身着のままの状態でこの大連から帰国船に乗り込んだ人たちも多かったようだ。
コメント コメントを追加