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きちたび゜ロモン諞島の旅2025🇞🇧 倪平掋戊争の分岐点ずなった「ガダルカナル島の戊い」ずは・・・戊埌幎、今も遺る戊跡を巡り戊争に぀いお考えた

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🇞🇧゜ロモン諞島/ガダルカナル島 2025幎10月9日

今回の旅行の䞻目的は、快進撃を続けおいた日本軍ず本栌的反攻を開始したアメリカ軍が死力を尜くしお争奪戊を繰り広げたガダルカナル島の戊いに぀いお、珟地を実際に蚪れお孊ぶこずにあった。

ミッドりェむ海戊ず䞊び、倪平掋戊争の垰趚を決定した分岐点であり、連戊連勝だった日本陞軍が初めお手痛い敗北を喫した戊いでもある。

歎史に「if」はないずはいえ、もしも誰も知らないような南の島での戊闘で違う結果が出おいれば、戊争の行方はかなり異なったものになったかもしれず、実際にそうなる可胜性も十分にあった。

私は決しお戊前の日本垝囜䞻矩に勝利を収めおもらいたかったず願う立堎ではないが、䞭倮の刀断で倚くの経隓豊かな兵士たちを無駄死にさせた日本の倱敗は、倚くの教蚓を含んでいるず考えるものである。

゜ロモン諞島到着翌日の月日、私は前日に知り合ったタクシヌ運転手サムさんの車をチャヌタヌしお、ガダルカナル島に点圚する戊跡を回った。

サムさんは私ず同じ代、料金亀枉でも䞀貫しおブレるこずがなく、最初から時間゜ロモン諞島ドル、日本円でおよそ円ずいう料金を譲らなかった。

本職のツアヌガむドではないけれど、そういうサムさんの駆け匕きのない姿勢が信頌できるず思い、党く土地勘のない行き圓たりばったりのガダルカナルでの戊跡探しを圌に蚗したのだ。

ガダルカナル島に関する情報が日本ではなかなか埗られない䞭、私はネットの情報やGoogleマップを参考に最初の目的地をホニアラ垂内から西にキロほどのずころにある戊争博物通「VILU WAR MUSEUM」に決めた。

情報によれば、倪平掋戊争時の倧砲や軍甚機が芋られるずいう。

サムさんも䜕床か行ったこずがあるず蚀うので道に迷うこずはなさそうだが、道路事情が悪いので、距離の割に時間がかかるず蚀う。

サムさんの蚀葉通り、街から西に䌞びる道路は穎ボコだらけ。

スムヌズに走れる舗装道路はほずんどなく、倧きな穎を避けながら、慎重に車を走らせる。

サムさんの車は日産の四茪駆動車だったので、安心しお乗っおいられたが、街䞭の普通のタクシヌをチャヌタヌしおいたらずんでもないこずになっおいた。

やはり信頌できるドラむバヌさんは、途䞊囜を旅する時には䜕より倧切である。

途䞭、道端に黄色いテヌプで囲たれた立入犁止゚リアを芋た。

サムさんに聞くず、やはり䞍発匟があるらしい。

日本であれば、すぐに自衛隊が出動しお凊理するのだろうが、ガダルカナルではこうしお泚意を呌びかけるだけ。

戊埌幎経っおも、日米が撃ち蟌んだ倧量の爆発物を撀去するこずは倢のたた倢である。

安党のためには、道路を倖れお迂闊にゞャングルに立ち入らないこず。

それ以倖に身を守る方法はない。

ようやく森の䞭にある博物通にたどり着いたのは時分。

ホテルを出発しおすでに時間半以䞊経っおいた。

私の他には、誰も客はいない。

人里離れたこの博物通を管理するカスパヌさんが自ら案内しおくれお、貎重な展瀺物を説明しおくれた。

いきなり玹介されたのが、こちらの倧砲。

日本軍が残した「九六匏十五糎抎匟砲」である。

九六匏十五糎抎匟砲は日䞭戊争の最䞭に開発された垝囜陞軍の䞻力重抎匟砲であり、ノモンハンやフィリピンの戊いにも投入された埌、ガダルカナル島に持ち蟌たれたものだ。

砲身には補造幎やシリアルナンバヌもしっかりず残されおいた。

カスパヌさんの説明のよるず、この倧砲は海岞線で茞送船ごず沈没し揚陞に倱敗、実戊には䜿われおいないずのこずであった。

軍甚機の残骞もいく぀か展瀺されおいた。

連合軍が制空暩を握っおいたこずを衚すように、展瀺されおいた飛行機はすべおアメリカ軍のものだった。

ラバりル基地や空母から飛来した日本の戊闘機は陞地ではなく海に墜萜したものが倚く、このミュヌゞアムには零戊の゚ンゞンが個あっただけである。

機皮に぀いおも熱心に説明しおくれたものの、私の方に理解するだけの知識がなく、これが䜕の飛行機かはわからない。

ただ、垂盎尟翌に残る匟痕は戊闘の激しさを芋る者に蚎えるリアリティがある。

䞭でもカスパヌさんが最も熱心に説明しおくれたのが、こちらの米軍機である。

なんずこの残骞は、幎月日ブヌゲンビル島䞊空で山本五十六長官を撃墜した米軍の双発戊闘機「P-38 ラむトニング」だず蚀うのである。

確かに぀の゚ンゞンの䞭倮にコックピットがある機䜓は、P-38の特城的な構造だ。

アメリカ軍は、ラバりルを蚪れおいた連合艊隊の山本長官がブヌゲンビル島の前線基地を芖察する予定を暗号解読により事前に掎んでおり、埩讐を意味する「ノェンゞェンス䜜戊」ず名付け、ガダルカナル島の基地から機のP-38戊闘機をブヌゲンビル島に向かわせた。

山本長官を乗せた䞀匏陞䞊攻撃機には機の零戊が護衛に぀いおいたが、䞍意に珟れた敵機の攻撃をかわすこずはできず、被匟しゞャングルに墜萜した。

山本長官機を撃墜したP-38戊闘機はガダルカナル島に垰還する途䞭、燃料が尜き䞍時着したが回収され、こうしお今ここにあるのだずカスパヌさんは説明した。

䞀方の日本軍は、山本長官が戊死したこずを日本囜民には知らせず、「海軍甲事件」ず名付けお緘口什を敷いたのだ。

山本五十六の死も広い意味ではガダルカナルの倱敗の延長線䞊にあるこずを、私は今回初めお理解した。

そしお嘘に嘘を重ねる倧本営発衚がその埌どんどん゚スカレヌトしおいく。

今回ガダルカナル島を蚪れるにあたり、私は䜕冊か関連資料を読んでみた。

倧勢の人間が絡む総力戊の䞭で、䞀人䞀人が䞋した決断が埌から芋れば倧きな倱敗に぀ながるこずもある。

しかしもしも自分がその圓事者であったら、リアルタむムで正しい決断ができただろうか

ガダルカナルには今を生きる私たちにも通じる倚くの教蚓、倚くの問いが隠されおいる。

このブログでは、私が珟地で撮圱した写真を挟み蟌みながら、関連文献を参考にしながらガダルカナル島の戊いを孊んでいきたいず思う。

たずは、そもそものお話から。

日本軍将兵のほずんどがその名も知らなかったガダルカナル島が倪平掋戊争の激戊地になったきっかけは、真珠湟攻撃の翌幎幎の月に日本海軍がこの島に航空基地の建蚭を決定したこずだった。

その目的は、連合軍の反攻拠点ずなるオヌストラリアずアメリカを分断するこず。

圓初はフィゞヌやニュヌカレドニアの占領を蚈画したが、ミッドりェむ海戊で隻の空母を倱い蚈画の芋盎しを䜙儀なくされ、ラバりルの前線基地ずしおガダルカナルに飛行堎を建蚭し゜ロモン諞島の制空暩を確保するこずにした。

月には蚭営隊人がガダルカナル島に䞊陞、ゞャングルを切り開き飛行堎の建蚭が急ピッチで進められた。

そしお月日には滑走路の期工事が完了、珟堎ではささやかな祝いの酒宎も催された。

しかしそのタむミングを芋蚈らったように、アメリカずオヌストラリアの連合軍が飛行堎を奪う目的でガダルカナル島に攻め蟌んできたのである。

珟圚は「ホニアラ囜際空枯」ず呌ばれるこの飛行堎だが、倪平掋戊争圓時、最初に建蚭を始めた日本軍は「ルンガ飛行堎」、それを奪い取った連合軍ではミッドりェむ海戊で戊死した海兵隊パむロットの名前をずっお「ヘンダヌ゜ン飛行堎」ず呌ばれた。

この飛行堎の争奪戊ずしお繰り広げられたのが、いわゆるガダルカナル島の戊いなのである。

月日に行われた連合軍のガダルカナル島䞊陞䜜戊ず日本偎の察応に぀いお、半藀䞀利著『遠い島ガダルカナル』から匕甚させおもらおう。

月日の陜も萜ちたずき、ガ島では蚭営隊が栌奜だけの祝い事をしおいた。蚭営隊信号員山宮䞊等兵曹の日蚘にそのこずが蚘されおいる。

「本日は、本隊の䞊陞ヶ月目の蚘念日だ。十䞀蚭第十䞀蚭営隊の総員名の呜懞けの成果で、間もなく完成の飛行堎から日の䞞も鮮やかな友軍機が爆音高く飛び立぀のだ。頑匵ろう。午前時分ボヌむング来る。投匟せるも異状なし。倕食時、酒䞀合の配絊がある」

圌ら蚭営隊のスコップ、鶎嘎、鍬、鉈、鋞、モッコを䜿っおの努力で、䞀本の飛行堎はたさに完成しようずしおいた。メヌトル×メヌトルの滑走路ず、兵舎、無線蚭備、飛行機甚掩䜓などがほが出来䞊がっおいるのである。あずは友軍機の進出を埅぀ばかりであった。

ガ島ず向かい合ったツラギ、カブツ島の浜空隊でも、ラバりルからの二匏倧艇による戊絊品の芋舞いによっお、隊員たちは倧いに気勢をあげおいる。敎備員宮川政䞀郎兵長の手蚘には、いかにも楜しげな倜の景が描かれおいる。

「久しぶりの酒の配絊に、お囜自慢の歌などを、南海の倜空に届けずばかり倧声で歌った。酔いが回るに぀れ、䞀同茪になっお螊り出す始末である。四癟䜙名の倧集団の酒宎は、消灯近くたで続けられた」

神は最埌の酒宎を浜空隊将兵に䞎え絊うたのか・・・。運呜ずはいえ、あたりにもできすぎおいた。

米海兵隊の䞊陞はそれから時間埌のこずである。それは熟烈この䞊ない艊砲射撃から始たった。

月日、日の出ず前埌しお、ラバりルの二十五航戊叞什郚の電信宀は、ツラギ通信基地ずカブツ島の浜空隊ずからの緊急電を、次々ず受信した。

「敵猛爆䞭」

「敵機動郚隊ツラギに来襲空爆䞭、䞊陞準備䞭、救助頌ム」

「 空襲に䟝り倧艇党機火灜」

「巡掋艊、空母芋ナ」

「敵各艊艊砲射撃、揚陞開始」

「至近匟電信所付近。戊艊、巡掋艊、駆逐艊、その他茞送船」

「爆匟艊砲射撃銃撃未ダ衰ヘズ」

そしお午前時過ぎに、最埌の電文がツラギから送られおきた。

「敵兵力倧、最埌ノ䞀兵迄守ル、歊運長久ヲ祈ル」

そしお、通信は杜絶する。

ガ島からの緊急電はなかった。蚭営隊の宿泊地は海岞から遠かったため、来襲の敵艊船団を芋るべくもない。そこぞ、いきなりの艊砲射撃に続く猛爆撃である。さらに米軍の倧挙䞊陞に、戊闘集団ではない蚭営隊員はそれぞれが、指揮官の掌握から脱しお、呜がけでゞャングルに逃げ蟌むのが粟䞀杯であった。十䞀蚭の門前隊長も、十䞉蚭の岡村隊長も、わずかな郚䞋を匕き連れお、西方ぞ退避する他はない。遠藀倧尉以䞋の譊備隊も、高角砲門ず山砲門ではどうするこずもならず、これも西方に退いた。圌ら残存の兵たちが合流したのは倜になっおからである。

米軍蚘録によれば、ガ島ず違っおツラギ方面の日本軍は、掞窟陣地に拠っお激しく抵抗しおいる。しかし衆寡敵せずは氞遠の真理である。䞀郚のゲリラ的抗戊は日にたで及んだが、少数の脱出者ず捕虜になったものを陀いお、浜空隊玄人ず譊備隊人のほずんどが戊死しおいる。

先に匕甚した宮川兵長「手蚘」の戊闘蚘録には、最埌の悲痛な堎面が正盎に蚘されおいる。生き残るためにどんな苊難のあったこずか。少し長く匕甚したい。

「日目を迎えたずき、座しお死を埅぀よりはず意を決し、倜半に壕を脱出した。そしお米兵の哚戒線を突砎しお、メヌトル圌方のフロリダ島に泳ぎ枡った。これも人間業ずは思われない生呜力、粟神力であるが、今になっお、我ながら䞍思議ず思うのである。フロリダ島においおヶ月間、朚の芜や山芋を食しながら過ごしたが、さすがに䜓の衰匱は劂䜕ずもしがたかった。山䞭においお䌚った原䜏民の奜意を“だたし”ず知らず、集萜に連れ蟌たれ、栌闘の末に倚勢に無勢、捕らわれの身ずなり、米海兵隊に匕き枡された。原䜏民はすべお蚓緎された民兵であるこずを、のちに知った。時に昭和幎月初旬であった」

こうしお米軍は、ツラギ方面はずもかくガ島には無血䞊陞に成功する。䞇千人の海兵隊員は、敵兵に遭遇しなかった幞運を感謝し、改めお砲爆撃の嚁力の倧きさを認めた。海岞には日本軍の貧しい補絊物資ず匟薬が山ず積たれおいる。圌らは䞀局勇躍しお、飛行堎占領のための前進に移るだけである。

この米軍のガ島䞊陞の報は、ラバりルを経お盎ちに東京ず瀬戞内の柱島に届けられおいる。

この時、柱島の連合艊隊叞什郚の受けた衝撃は、かなり凄たじいものがあった。山本長官以䞋、参謀たちは事態の重倧さに愕然ずなった。宇垣参謀長が日蚘『戊藻録』に、䜙さずにその驚愕を蚘しおいる。たず「刀明たで盞圓の時間を芁した」敵情に぀いおは、

「空母、戊艊、巡掋艊、駆逐艊、これに茞送船隻䜙」

ず刀断を䞋しおいる。二十五航戊が受けた緊急電を元にしおいるこずが掚察できる。宇垣はさらに、次に珟地郚隊から受けた報告を蚘しおいる。

「二十五航戊は時分、䞭攻機、零戊機、艊爆機を発進、攻撃せしむ。䞀方、六戊隊は盎ちに出枯、八艊隊長官は午埌鳥海に乗艊、十八戊隊を合しお同方面に向ぞり」

指揮䞋にある党郚隊ぞの、圓面なし埗る限りの党力をあげおの反撃の様子である。二十五航戊は可動機の党機発進である。八艊隊は麟䞋のバラバラに散っお任務に぀いおいた党艊を集合させお、ガ島ぞの航進を開始しおいる。芋敵必戊の海軍粟神がそこに滲み出おいる。ずいうのも、山本長官以䞋の連合艊隊叞什郚は、アメリカ軍の意図をある皋床たで正しく刀断しおいたから、ず考えるこずができる。以䞋、『戊藻録』はそのこずを䌝えおいる。

「歀敵は正に同方面に居座りの腹にお思い切ったる兵力を䜿甚せり。之を被攻撃迄、発芋探知せざりしは誠に迂闊千䞇ず思う・・・前々日来盞圓の譊告ありしに関わらず、䜕ずしおも埌の祭りなり。之を速にや぀぀けざればモレスビヌ䜜戊どころかラボヌルラバりルも奪回せんずし、同方面の䜜戊は著しく態勢䞍利ずなるを以っお、印床掋方面は埌回しずしおも先ず之を片付くる事に党力を払うべくそれぞれ必芁なる凊眮を講ず」

連合艊隊はそのように情勢を重倧芖したのである。それゆえに、山本は倧本営に察しお、陞軍の掟遣を匷く芁望しおいる。そしお、圓時パラオにいた歩兵第䞉十五旅団長・川口枅健少将が最も迅速に掟兵できるゆえ最適か、ず垌んだ。が、参謀本郚はいい返事をよこそうずはしなかった。

理由は明癜、既定のリ号䜜戊以倖に、南西倪平掋方面に兵力を掟遣する気がほずんどなかったからである。日本軍のいた目指すべき䞻䜜戊は重慶であり、むンド方面である。゜ロモン諞島などに関心の向けようもないのである。

実は、いい顔をしなかったのは参謀本郚だけではなかった。軍什郚もたた、「戊艊、空母」を䌎う「茞送船隻」以䞊の倧兵力ず敵情刀定をしおおきながら、これを本栌的反攻などずは぀ゆ思おうずはしおいない。したがっお、連合艊隊の芁望には目もくれなかった。

東京では、日午前から午埌にかけお、陞海䞡䜜戊課参謀たちは䞀堂に䌚しお、この事態に察凊するための緊急研究䌚議を開いおいる。しかし、情報の䞍正確さもあり、そこで埗た結論はたこずに粗末極たるものずなる。

開戊ヶ月、真珠湟で完敗した敵が、本栌的反攻にかかるには、戊備いただ十分に敎っおいるずは到底思われない。たた、倪平掋艊隊の珟有空母勢力はわずか隻から掚察しおも、無理抌しの倧䜜戊はできない。したがっおガ島ずツラギに察する来航は、いわゆる偵察䞊陞の皋床のものず思われる。それが陞海の䞀臎した刀断であった。

どこを抌せばこの楜芳が出おくるのか、今は䞍可思議ずしか蚀いようがない。軍什郚の掚定通りに茞送船隻、そしおその平均トン数をトンずしおも、日本流に兵員䞀人の所芁船腹をトンで蚈算すれば、䞇千人の兵力ずいうこずになる。平均トンずすれば、もっず倧兵力ずなる。

アメリカ兵は装備が莅沢ゆえ、日本兵の倍の船腹を芁するずしよう。それでも人が抌し寄せおきたのである。ガ島ずツラギ方面を合しお海軍陞戊隊など総数千人、しかも建蚭員䞭心の、ろくに歊噚を持たない日本兵のいる島に、である。偵察䞊陞ず決め蟌むにはあたりに倚数の兵力による本栌的な攻撃ではないか。

しかし、頭のいい参謀たちはそうは思わなかった。そういえば陞海の䜜戊課はミッドりェむでの敗戊の事実を知っおいるはずである。にも関わらず、この時点でもただ、敵を䞋算する性癖から脱しおはいなかったのか。

もっずも、圓時䜜戊課参謀であった瀬島韍䞉少䜐の戊埌の回想によるず、ミッドりェむで海軍の機動郚隊䞻力が壊滅したのを知っおいたのは、参謀本郚の䞊局郚のごく少数に限定されおいた、ずいうこずになる。

「私もミッドりェむ海戊はうたくいかなかったずいうこずは分かっおいたしたね。だけど䜕隻沈んだ、どの空母ずどの空母が沈んだずいうこずたでは、私は知らなかった」

ゆえに敵を舐めおいたずいうのであろうか。

そしお、さらに圌らは論じ合った。仮に占領されるこずがあったずする。しかし、わが陞海軍郚隊が反撃に出ればこれを奪回するこずは容易なのである。が、䞀本しかないずはいえ飛行堎が敎備されるず、爟埌の䜜戊が倚少はやりづらくなろう。ならば、奪回䜜戊は可及的速やかであらねばならない。それゆえ結論は、ここで䞀番ガンず鉄槌を加えお敵の戊意を懲らしめおやれ、ずいうのであった。

秀才参謀たちは、䟝然ずしお日露戊争以来の「皇軍䞍敗」の神話を固く信じおいる、ず曞くほかはない。そこからは垌望的芳枬しか生たれおこない。最悪の時を考える真剣さを倱っお、垞に茝ける勝利のみが思い描かれるのである。なぜ、こうなるのか。

考えおみるず、日本陞軍は察゜連に぀いおは明治この方十分な研究もし蚓緎も重ねおきおいたが、察米戊にはほずんど泚意を払ったこずがなかったのである。昭和幎床の陞軍士官孊校の挔習が、すべお広倧な満州の原野における野戊を基調ずするものであった、ずいう䞀事からもそれが明らかであろうか。予想される察米陞戊における諞蚓緎、たずえば䞊陞防埡戊や島嶌山地戊などには時間も割かれるこずはなかった。アメリカ軍は匱いものず頭から決め蟌んでいた。

先の瀬島元参謀の回想からもそのこずが察せられる。

「月日の時点では、本栌的な察日反攻ずいう受け取り方はしなかったですね、私らは。アメリカが態勢を敎えおの本栌的に察日反攻決戊に出おくるのは、幎になっおからだろうずいう䞀般的な刀断をしおいたしたから。それに、月日の軍什郚からの通報自䜓が本栌的な反攻䞊陞ずいう受け取り方ではなかったず蚘憶したす。ずころが海軍ずしおは圓然のこずですが、なにしろ玄千人の蚭営隊員を芋殺しにできないわけです。それでずりあえず陞戊隊を䜕癟人かラバりルから応揎に出すが、海軍郚隊だけでは心もずないから、陞軍の応揎を頌むずいうこずで、陞軍ずしおもずりあえずの兵力を出す決心をした。これが月日盎埌のだいたいの空気ですね」

長い匕甚ずなったが、陞海合同の䌚議の雰囲気がよくわかる話ず蚀えようか。

連合軍の䞊陞を知った日本海軍は盎ちにガダルカナル島に急航、日には第䞀次゜ロモン海戊が勃発する。

結果は癟戊錬磚の日本海軍の倧勝利、䞀倜で重巡掋艊隻を撃沈させるなど連合軍に倧きな損害を䞎え、人以䞊を戊死させた。

この海戊により、連合軍艊隊は䞊陞した海兵隊員らを芋捚おおガダルカナル島から撀退した。

しかし、敵艊隊が逃げたのを確認した日本の艊隊も敵茞送艊を砎壊するこずなく、わずか日でガダルカナル島を去るのである。

そしお島に残る連合軍兵士の掃蚎ず飛行堎の奪還を目的に遞抜されたのが、陞軍でも勇猛さで知られる䞀朚枅盎倧䜐率いる䞀朚支隊だった。

ただ、その数はわずか人、島に残る䞇人を超えるが米海兵隊ず比べるず圧倒的に少ない兵力であり、ここから日本軍の運呜を狂わすボタンのかけ違いが始たる。

再び半藀䞀利さんの著曞からの匕甚。

倧本営からの統垥呜什を正匏に受けた第十䞃軍叞什官癟歊䞭将が、新たに麟䞋に線入された䞀朚支隊長䞀朚枅盎倧䜐に察し、軍呜什を発したのは、月日午埌時のこずになる。

「䞀朚支隊ハ海軍ト協同、ガダルカナル飛行堎ヲ奪回確保スベシ。止ムヲ埗ザレバ、ガダルカナル島ノ䞀角ヲ占領シ、埌続郚隊ノ来着ヲ埅ツベシ。之ガ為先遣隊玄名ヲ線成シ、䞍取敢駆逐艊隻ニ分乗シテ、ガダルカナル島ニ向ヒ前進スベシ」

連隊長䞀朚倧䜐の姓をずっお䞀朚支隊ず呌ばれ、歩兵第二十八連隊を基幹ずするこず郚隊は、圓初はミッドりェむ島攻略の䞊陞郚隊に予定されおいた。しかしミッドりェむ䜜戊が䞭止ずなったため、グアム島埅機から旭川の本隊垰還ず決たり、たさに内地に向かっおいた時に呌び戻され、トラック島に集結したずころなのである。

そしお支隊は歩兵倧隊歩兵䞭隊、機関銃䞭隊、歩兵砲小隊、連隊砲䞭隊、連射砲䞭隊、通信隊、衛生隊の䞉分の䞀、ずいうミッドりェむ䜜戊甚の瞮小線成をそのたたにしおいる。総兵力名䜙。この小回りのきくずころが奪回䜜戊の第䞀陣に遞ばれた理由であり、さらにはたた、䞀朚倧䜐自身がか぀おの盧溝橋事件の折の実戊指揮官倧隊長であり、党歩兵郚隊きっおの勇猛さをもっお知られおいたためもあろうか。

ずにかく䞊長の第十䞃軍叞什郚の意図は「急げ急げ」なのである。そのために軍呜什も早急に出されおいる。ガ島の敵は高射砲、氎陞䞡甚戊車若干、機関銃倚数を有する玄二千名であるが、戊意に乏しく、萎瞮しおいる。むしろツラギぞの脱出を䌁図し぀぀ある。軍叞什郚はこの情報を䞀朚に䌝えた時、さらに䞀蚀、「倧急ぎで行かなければ、敵は逃げおしたうかも知れぬ」ず付け加えたずもいう。

䞀朚はそれに埓っお、支隊を二梯団に区分し、第䞀梯団名だけを隻の駆逐艊で高速茞送、接岞䞊陞甚の倧発動艇は搭茉䞍可胜ゆえ、折畳舟ず駆逐艊の内火艇で䞊陞させるこずに決めた。䞀朚自身はこの第䞀梯団を指揮する。残る玄千䞉癟名は第二梯団ずし、䜎速の茞送船がすずん䞞、倧犏䞞によっお埌続する。

䞀朚支隊に䞎えられたのは海図ず䞀枚のガ島の航空写真だけで、聞いたこずもない名の島ぞ、重火噚なし、歩兵銃匟発ず日分の携行食糧をもっお䞊陞するのである。しかし支隊将兵の士気は旺盛である。軜装は䞊陞戊闘のためであり、飛行堎たでは遮二無二銃剣で癜兵倜襲をもっお突撃する。占領しおから初めお発砲を蚱す、ずいうのは残敵を掃蚎するずいう意味である。米軍撃砎は朝飯前の仕事ならんか、ず䞀朚も郚䞋将兵たちも確信しおいたのである。

䞀朚倧䜐は、いよいよ出発に際しお、第十䞃軍叞什郚に問い合わせたずいう。

「ガ島のみならず、近くのツラギ島も取っおしたっおよろしいか」

察する軍叞什郚参謀の返事はこうであった。

「埌続の川口支隊に倚少の分け前を残しおおいお戎きたい」

月日朝、䞀朚支隊䞡梯団はトラック島を埌にしおガ島ぞ進発する。第䞀梯団の乗った駆逐艊隻は、みるみる第二梯団坐乗の隻の茞送船ず護衛の軜巡神通ず哚戒艇矀ずの距離を開いお、氎平線の圌方に消えおゆく。第二梯団のガ島䞊陞は月日ず予定されおいた。

航進は䜕事もなく、同日午埌時ごろ、ガ島タむポ岬西方の泊地に第䞀梯団の駆逐艊隻は到着した。そこは攻略目暙の飛行堎の玄キロ東方に圓たる。海䞊には敵艊艇の圱も圢もない。䞊陞はスムヌスに実行され、午埌時には、支隊第䞀梯団の䞊陞地点における集結も完了する。同時に、䞀朚連隊長はそこに陣地を構築、確保し、第二梯団の䞊陞を埅぀こずもなく、西ぞ向かっお前進するこずを決意する。海岞沿いに埒歩道がある。郚隊は遭遇戊圢匏の瞊隊をもっお動きだした。

この䞀朚支隊の行く手には、重砲、重機関銃、若干の戊車を持぀近代装備の䞇に近い米軍が、遭遇戊にあらず、匷力な陣地を構築しお埅ち䌏せしおいたのである。そうした敵情を偵知するこずなく、拙速䞻矩をもっお、日露戊争以来の垞套戊法である倜間癜兵戊を信条ずし、果敢に突撃しおいった䞀朚支隊がどうなったか。戊闘を詳现に曞く芁はない。

月日未明、むル川日本軍の呜名は䞭川河口に近く、幅メヌトルほどの砂掲を越えお敵陣に突入の寞前で、䞀朚支隊は敵の猛攻撃を受ける。米軍が巊前方台䞊の絶奜の攻撃点より猛烈な重砲火を、思うように日本軍に济びせかけおきたのである。

䞀朚支隊将兵の䞀郚は鉄条網を突砎し突入したが、倧郚分は砂掲の前面で折り重なっお倒れた。

午前時、支隊の南偎からも米軍の猛反撃が加えられ、午埌になるず戊車六䞡たでが戊闘に加わっおくる。背埌はこれによっお蹂躙された。䞀朚倧䜐はもはや打぀べき手段のなくなったこずを感じ、午埌時ごろ怰子林に入っお自決しお果おる。軍旗は連隊旗手䌊藀臎蚈少尉の決断により、゚レクトロン焌倷剀で奉焌された。少尉はその埌に手抎匟で自決を遂げる。

戊死名。戊傷玄名を含め、幞運にも生き残っお戊堎から離脱できた兵士、たた䞊陞点に監芖のため残留しおいた将兵を合しお名が蟛うじお生き残り、タむポ岬付近を確保しお埌続郚隊の来揎を埅ったが、これたた戊力は無ず蚀っおいい。結果ずしおは日本軍は党滅したに等しかった。

私もGoogleマップを頌りに、䞀朚支隊が党滅したむル川の河口に行っおみた。

ずころが、珟堎は䞀面土砂の集積堎になっおいお、その堎所にあるはずの䞀朚支隊の慰霊碑はどこにも芋圓たらない。

これは䞀䜓どういうこずか

運転手のサムさんも以前来た時ず様子がすっかり倉わっおしたったず蚀う。

私有地のようではあるが、誰にも咎められるこずなく砕石堎の端たで蟿り着くず、目の前に川が珟れた。

右手には海が芋えるので、ここがむル川の河口、すなわち䞀朚支隊が連合軍の埅ち䌏せ攻撃にあり党滅した堎所であるこずは間違いなさそうである。

ガダルカナルの悲劇のシンボルのように語られるこずの倚い䞀朚支隊だが、果たしおどのような郚隊だったのか

スペシャル取材班がたずめた『ガダルカナル 悲劇の指揮官』ずいう著曞には次のように蚘されおいる。

珟圚も自衛隊の駐屯地がある旭川には、か぀お陞軍の第䞃垫団が叞什郚を眮いおいた。第䞃垫団は北の倧囜ロシアの脅嚁から囜土を守る䜿呜を䞎えられおいたこずから、「北鎮郚隊」ず呌ばれ、日露戊争の旅順攻略戊や奉倩䌚戊、シベリア出兵、そしおノモンハン事件ず、倧陞各地を転戊し、日本の近珟代史ず深く関わっおきた郚隊だ。

幎、ミッドりェヌ島攻略䜜戊のために、この第䞃垫団の䞭から遞抜されたのが、䞀朚支隊だった。支隊ずは、特別な任務にあたるために独立線成される郚隊である。兵士たちが出埁の盎前、必勝祈願を行った護囜神瀟が、自衛隊の駐屯地のすぐ近くにある。境内で撮圱された兵士たちの写真が残っおいる。総勢名。蟲家出身が倚く、代の若者たちも倚かった䞀朚支隊は、厳しい蚓緎を経お、粟鋭郚隊に生たれ倉わっおいった。

しかし、いかに陞軍屈指の粟鋭郚隊ずはいえ、兵力ず兵噚の差はいかんずもしがたかった。

しかも敵兵力の情報はおろか、たずもな地図もない状況での䜜戊遂行である。

䞊陞地点から飛行堎を目指しお真っ盎ぐに海岞線を進み、この河口にたどり着いた時、突然川の察岞から集䞭攻撃を受けたのだ。

ホニアラの囜立博物通に䞀朚支隊の写真が展瀺されおいた。

海岞線に散乱する倚数の日本兵の遺䜓。

連合軍はこのむル川河口のこずを「Alligator Creek」、すなわちワニの川ず呌んだ。

この河口゚リアはもずもず砂州で敵の銃匟から身を守る障害物もなかったずされる。

砕石堎で働く人に慰霊碑のこずを聞くず、「あっちだ」ず蚀っおわざわざ案内しおくれた。

土砂の山に取り囲たれるようにポツンず残されおいた慰霊碑。

傍らに本の朚が残っおいるだけで他には䜕もない。

聞くずころによるず、数幎前䞀垯の土地が䞭囜䌁業に買収され工事に䜿甚するための土砂の集積堎に倉貌したようだが、さすがの䞭囜人も日本軍の慰霊碑を撀去するこずは躊躇ったのだろう。

慰霊碑にははっきりず「䞀朚支隊奮戊之地」ず刻たれおいた。

偎面には、平成幎月に䞀朚䌚ずいう遺族䌚がこの慰霊碑を建立したこずも蚘されおいる。

さすがに遺族䌚もこの惚状に぀いおはご存知なのだず思うが、どんな思いでこの光景を芋たのだろう

戊埌幎、長い時の流れを感じ、私もかなりのショックを受けた。

日本軍は䞀朚支隊の投入ず䞊行しお増揎郚隊をガダルカナルぞ送り蟌む䜜戊を進行させる。

䞊陞郚隊の護衛に党力を䞊げる方針を決定し、空母隻を含む機動艊隊を出撃させるずずもに、山本五十六長官が乗る旗艊倧和を先頭に連合艊隊䞻力も南方ぞず前進した。

察する連合軍も、空母機動艊隊をガダルカナル近海に掟遣、こうしお日米の空母が激突する第二次゜ロモン海戊が勃発する。

この海戊は双方に䞀定の被害が出たものの、勝敗は぀かず、倚数の航空機を倱ったこず、䞻目的だった増揎郚隊の䞊陞が達成できなかったこずが日本偎にずっおは手痛いダメヌゞずなる。

その間に、連合軍はガダルカナル島に戊闘機を送り蟌んでヘンダヌ゜ン飛行堎の匷化を着々ず進め、制空暩を確保しおいく。

さらに、゜ロモン囜立博物通には、こんな癜黒写真が展瀺されおいた。

連合軍は珟地の䜏民を味方に぀け、゜ロモン諞島の島々に倚数の監芖員を眮き、日本軍の動向をいち早く䌝える䜓制を構築したのである。

敵の意図を芋誀った日本軍は埌手に回り、埐々に兵員や物資の茞送が困難になり、ガダルカナル奪還の最倧のチャンスを倱ったのだ。

半藀䞀利さんの著曞にはこの時期の陞海軍の霟霬ず迷走する䜜戊に぀いお次のように蚘されおいる。

第二次゜ロモン海戊は、くり返すが、䞀朚支隊第二梯団ず海軍陞戊隊のガ島ぞの船団茞送をめぐっお生起したものであった。その船団は、第八艊隊からの呜を受けお、日の海空戊の時点では、西北ぞ避退䞭で空振りずなった。が、海空戊の戊果を有利ず刀定し、か぀すでに䞀朚支隊の第䞀梯団が党滅しおいたこずを承知しおいなかった連合艊隊は、船団に日揚陞決行を電什する。

日午前時、果敢に南䞋した船団はガ島北方海里の海域に達した。速力はノット。時間埌、敵機機が雲を突き砎っお襲いかかっおきた。

午前時分、神通は艊橋付近に呜䞭匟を受け火灜を起こした。最も倧きい金韍䞞も被匟し、ガ島ぞ揚陞するはずの匟薬が誘導しお、航行䞍胜に陥っおいた。船䞊の海軍陞戊隊の将兵は倧半が死傷しおしたう。船団盎衛の任務を負っおいる第二氎雷戊隊叞什官田䞭頌䞉少将は、駆逐艊睊月ず哚戒艇隻に金韍䞞の生存者の救助を呜じ、たた、がすずん䞞ず倧犏䞞は第二十四駆逐隊叞什の指揮のもずに、北西方ぞ避退させるよりほかはなかった。盎掩の戊闘機の傘なしでこのたた前進を続ければ、茞送船は党滅するのみず刀断したからである。

事実、ガ島の飛行堎の米軍機の行動は勢いづいおいた。沈み぀぀ある金韍䞞䞊空に飛来した䞉機は、海䞊の乗員救助に倧童であった駆逐艊睊月を攻撃、盎撃匟を䞎えるこずに成功する。睊月は時分に波間に姿を消した。

惚たる報告を受けた連合艊隊叞什郚は「日揚陞取消し」を発什、空母瑞鶎ず護衛の駆逐艊隻を急掟しお避退䞭の第二梯団の䞊空を譊戒させるこずにした。

䞀方陞軍は、海軍の空母隻を虎の子ずしお倧事がる萎瞮がちの䜜戊をみお、圓然のこずながら䞍信の念を抱く。敵倧型機の進出をただ芋おいないガ島に察しお、䞊空茞送船団をすら揎護できないずは、䞀䜓どういうこずか。海軍は䜜戊遂行よりも、艊艇の安党保持に汲々ずしおいるのではないか。それに海軍はなぜか敵空母や戊艊のみを攻撃しようずしお、敵の茞送船には目もくれない。それが飛行堎奪回を困難にしおいるのではないか。陞軍の䞍満は高たる䞀方である。

そうした陞軍の癜い県をよそに、この揚陞呜什取り消しに続く戊策ずしお、連合艊隊叞什郚は日の午前䞭に、ガ島敵飛行堎攻略たで茞送船団による兵力茞送をやめ、駆逐艊など快速艊艇による急速茞送によるこずを決定する。誠に早急な方針転換である。快速艊艇には重火噚は搭茉䞍可胜、ずなれば、このディレンマをどう解決する぀もりがあったのか。

これからのガ島戊を象城する茞送䜜戊の苊闘がここに始たる。駆逐艊がガ島に䞀番近接したショヌトランド基地に埅機、倜、敵機の飛べない時間を利甚しお海里東京ヌ倧阪間ずほが同じの距離を突っ走り、ガ島の増揎・補絊を行い、党速で匕き返し倜の明けぬうちに敵機の制空圏倖に出る、ずいう窮䜙の策が実行されるこずになったのである。

それは、急行列車が毎倜同じ時刻に、同じずころを、猛スピヌドで走るに等しかった。アメリカ偎は「東京急行」ず呌んだのに察しお、日本の駆逐艊乗りは「䞞通」ず名乗り、宇垣ずは違っお「ねずみ茞送」ず自嘲した。そうした圌らが消耗品ずしお、死ぬたで内地に垰れぬ戊士ずしお、これからのガ島戊の䞻圹ずなるのである。

駆逐艊はスピヌドは速いが、戊闘力の高い兵噚は積めない。

しかしこの駆逐艊に頌る䞊陞䜜戊を採甚したこずにより、ガダルカナル島ではその埌次々に悲劇が起きるのである。

ホニアラの街の䞭心郚、囜立博物通のすぐ隣に、川口支隊の慰霊碑が建おられおいる。

䞀朚支隊に続きガダルカナル島に投入された陞軍郚隊が、川口枅健少将率いる川口支隊だった。

九州男児で結成され東南アゞアでの戊いでも連戊連勝、意気揚々ずガダルカナルぞ乗り蟌んだ川口支隊だったが、その初っ端からトラブルの連続だった。

スペシャル取材班による『ガダルカナル悲劇の指揮官』より、川口支隊の戊いぶりを匕甚する。

ねずみ茞送の実行を決めた海軍が島ぞ送り届けようずした陞軍郚隊は、犏岡出身者からなる連隊を䞭心ずした「川口支隊」だ。荒ぶる九州男児たちの屈匷な郚隊ずしお、その名を党囜に蜟かせおいた川口支隊は、倪平掋戊争開戊以来、南方戊線で戊果をあげおいた粟匷郚隊である。むギリス領ボルネオの占領戊や、フィリピンのバタヌン戊の埌半に参加しお連戊連勝を誇っおいた。隊長の川口枅健少将は、筋骚たくたしい兵士たちの䞭にあっおも、ひずきわ異圩を攟぀ほど倧柄な男だった。端正な顔立ちにしっかりず圢の敎った八の字の口ひげを蓄えた川口は、粟匷郚隊を率いるにふさわしい堂々たる身なりをしおいた。この偉䞈倫の指揮官に率いられ、「アメリカ兵恐れるに足らず」ず自信に満ちあふれた川口支隊の兵士たちは、ガダルカナル島ぞの䞊陞を埅ち望んでいた。

月日朝、第䞀回のねずみ茞送が行われた。川口支隊の先遣隊人は、第八艊隊の指揮のもず、茞送を担う第駆逐隊の駆逐艊倕霧、朝霧、倩霧、癜雲の隻に乗り蟌み、日本海軍の拠点だったトラック島を出発した。

ずころが、陞海䞡軍の期埅を受けお始たったねずみ茞送は、なんず初回で぀たずいおしたう。ガダルカナル島の飛行堎を飛び立ったアメリカ海兵隊の艊䞊爆撃機に折り悪しく発芋され、日午埌、ガダルカナル島の北方およそキロの地点に到着したずころで、艊䞊爆撃機から連絡を受けやっおきた敵機およそ機アメリカ偎の蚘録では機に囲たれお、猛攻を受ける。

たちたち朝霧は沈没、乗船しおいた川口支隊の人の兵士が戊死し、倧隊砲門ず匟薬のすべおが海の底に沈んだ。ほかにも倕霧は䞭砎、癜雲は倧砎の被害を受ける。唯䞀被害を免れた倩霧は、倧砎しお自力での航行が困難な癜雲を曳航しお、自航可胜だった倕霧ずずもに、ショヌトランド島ぞ匕き返した。

第回のねずみ茞送は、完党な倱敗に終わった。この結果が日本軍に䞎えた衝撃は倧きかった。アメリカ軍がガダルカナル島の制空暩を確保したずいう事実が、いかに重倧事かずいうこずを、改めお認識させられるこずになった。そしおラバりルの陞軍第䞀䞃軍では、ねずみ茞送も実行できない状況では、飛行堎奪還䜜戊の遂行はもはや䞍可胜だずしお、“ガダルカナル島の攟棄”が真剣に怜蚎され始める。

第䞀䞃軍叞什官の癟歊晎吉は、もはや兵力茞送の手立おはなく、今埌たずえ䞀時的に兵力茞送に成功したずしおも、食糧や物資の継続的な補絊は困難ず刀断。この際、ガダルカナル島は攟棄し、䞀朚支隊の残兵のみ救出したのち、同時䞊行で行われおいたニュヌギニアのポヌトモレスビヌ攻略に専念した方が賢明なのではないか、ず考えた。

埌から考えれば、この遞択は理にかなっおいた。しかしここでも、䞀朚支隊の掟遣の時ず同じように、䞍安の衚明や慎重な意芋は、積極論者たちの声に朰されるこずになる。

第䞀䞃軍参謀の束本博は、今回の倱敗は、昌間に敵航空嚁力圏内に入っおしたったこずが誀りであり、空母の護衛がなかったために起こったず䞻匵。今埌海軍はその点に぀いお協力するず蚀っおいるのだから、ねずみ茞送は継続すべきであるず匷く蚎えた。それでも、叞什官が玍埗しない様子を芋るず、束本は「戊略䞊の重芁地点の攟棄は残念」「第䞀䞃軍から蚀い出すわけにはいかない」ず、倧本営や海軍に察するメンツを持ち出し、たた参謀の越次䞀雄も「もう䞀床やっおみお考えおはどうか」ずいっお、ねずみ茞送の継続を抌した。二人から説埗を受け、遂に癟歊は折れた。

第䞀䞃軍ず第八艊隊は、翌日倜、第回のねずみ茞送を敢行。そしお、䜜戊は䜕事もなくスムヌズに完了した。

ここで再床倱敗しおいれば、ガダルカナルの戊いは終わりを告げおいたかもしれなかったが、その埌も継続されたねずみ茞送が成功を収めたこずで、第䞀䞃軍のガダルカナル島攟棄論は立ち消えになった。そしお幎昭和の末に兵隊たちの食糧䞍足が深刻になるたで、この論が再燃するこずはなかった。

月日、川口はねずみ茞送によっお支隊䞻力ずずもにガダルカナル島ぞ䞊陞を果たす。その埌もねずみ茞送は継続され、月日に兵員の茞送が完了。川口支隊は、飛行堎に向けお行軍を開始する。ここで川口は、䞀朚支隊の時ずたったく異なる行軍ルヌトを取る。

䞀朚支隊は海岞沿いを西に行軍し、飛行堎の東偎に䜍眮するアリゲヌタヌ・クリヌクでアメリカ海兵隊ず戊った。これに察し川口支隊は、最初は海岞沿いを行軍するも、途䞭、南西に方向転換し、内陞郚ぞ螏み蟌むルヌトを取る。飛行堎に察しお回り蟌む圢で、アメリカ海兵隊の防埡が手薄ず芋られた飛行堎の南偎を攻めるこずにした。䞀朚支隊の倱敗に孊び、敵の匱点を突こうずしたのだ。

敵の匱点に぀いおの情報は、日本軍が撃墜したアメリカ軍機のパむロットを尋問しお埗たものだった。この川口の狙いは正しかった。飛行堎南偎からの攻撃を遞択したこずで、川口支隊はこの埌、アメリカ軍を敗北の瀬戞際にたで远い蟌むこずになる。日本では戊埌、指揮官ずしおの評䟡が芳しくなかった川口だったが、アメリカ軍偎の取材を重ねるず、独創的な䜜戊を遞択した「知将」ずしお、高い評䟡を埗おいるこずも芋えおきた。

この迂回攻撃を成功させるには、䞀぀条件があった。ガダルカナル島の鬱蒌ずしたゞャングルを行軍しなければならなかったのだ。しかし川口は、ゞャングルの行軍に察しお䞍安を抱いおいなかった。川口支隊は、すでに倪平掋戊争開戊埌、ボルネオやフィリピンのゞャングル地垯を経隓しおいたからだ。だが川口したいの兵士たちは、すぐにその芋蟌みが甘かったこずを思い知る。ガダルカナル島のゞャングルは、地球䞊のどのゞャングルずも違う“緑の魔境”だった。

誰よりもゞャングルの恐ろしさを知っおいたのは、島の䜏民たちだった。圌らの間では、みだりにゞャングルの䞭に立ち入るこずは犁じられおいた。圌らは、密林の䞭に足を螏み入れる時は、森の粟霊の蚱しを埗なければならないず考えおいた。そのため、安党に通行できるこずを祈願し、ゞャングルの入口で生莄の儀匏を行っおきた。

遠い海の向こうからやっおきた日米の兵士たちが、傍若無人に島䞭を荒らし回り、圌らの神聖なゞャングルの䞭にずかずか入っおいく様子を芋お、䜏民たちはいったいどう思ったのだろうか。

月日、川口支隊は、海岞沿いからゞャングルぞの迂回を開始する。

ゞャングルは、すぐに兵士たちに牙をむいた。内郚の空間は倧小さたざたな朚々に芆われ、地面は幎䞭降る雚のせいでぬかるみ、行軍は遅々ずしお進たない。足元にはムカデ、サ゜リ、毒蛇がうごめく。手元には無数のトゲに芆われた怍物がたずわり぀き、䞍甚意に぀かむず、倧けがを負う。さらに恐ろしいのは、早朝や倕方になるずやっおくる、マラリア原虫を䜓内にため蟌んだ蚊だ。圌らは人間の足元ばかりを狙うため、兵士たちは矜音に気づくこずもなく、知らぬ間に刺されおマラリアにかかっおしたう。マラリアを発症するず床近い高熱に苊しみ、激しく䜓力を消耗し、ひどい時には脳症を起こす。

この危険だらけの行軍は、倜間に行われた。倜ならば敵飛行機に発芋されにくく、攻撃を受ける恐れがなかったためだ。しかし倜になるずゞャングルの䞭はほずんど䜕も芋えない。月が出おいたずしおも、その明かりは頭䞊をびっしりず芆う朚々に完党に遮られおしたう。兵士たちはすぐに方向を芋倱った。

困難を極めたゞャングル突砎行を可胜にしたのは、川口のリヌダヌシップだった。決しお意志を曲げない指揮官のもずで、兵士たちは知恵を働かせ、南極を切り抜けようずした。ゞャングルの腐食した朚々には、倜間にわずかに発光するリンのような物質が含たれおいるこずを発芋し、兵士は皆垜子や背嚢にそれを塗り぀けた。これで前を行く兵士に付いおいける。こうしお暗闇の䞭を䞀列で、少しず぀、前進しおいく。ゞャングルの䞭をどこたでも続く䞍気味な青癜い光の列が、ゆっくりず飛行堎を目指した。

日䞭は日䞭で悩みの皮があった。アメリカ軍は、垞に日本軍の远撃に察しお譊戒態勢を取っおいお、䞊空には敵機が飛び亀っおいる。ゞャングルが隠れ蓑になっおくれるずはいえ、行軍䞭も油断は犁物だった。日本軍の䞻食である米も兵士たちを悩たせた。米を炊くため兵隊は皆飯盒を持っおいたが、それを䜿うためにはもちろん火を起こす必芁がある。火を起こせば煙はゞャングルの朚々を通り抜けお䞊空高く立ち䞊る。アメリカ軍は日本軍が米を炊いお食べるこずを知っおいる。この煙が原因で、隠密行動が敵に察知される恐れがあった。だから日䞭は米を食べるこずができない。兵士たちは、空腹ずも戊わなければならなかった。

そんな䞭、アメリカ軍に芋぀からないよう息を朜めおいるず、時々、芋知らぬ人間が目の前に珟れた。髭がうがうで痩せ衰えた人間だ。腹を空かせた珟地の䜏民かず思っおやり過ごそうずするず、驚くこずに日本語で話しかけおくる。毛に芆われおよく芋えなかったのだが、どうやら確かに日本人であるこずに気づく。それは、ガダルカナル島にアメリカ軍が䞊陞する前、飛行堎建蚭を行なっおいた工兵隊の男たちだった。飛行堎が占拠された埌、島の方々に逃げた圌らは、ゞャングルでサバむバル生掻を送っおいた。川口支隊の兵士たちは、圌らを䞍憫に思い、携行した食糧を分けおやるこずもあった。

川口支隊の兵士たちが目指した飛行堎の南偎には、日本軍が「ムカデ高地」ず呌んだ小高い䞘があった。この䞘は、呚りが濃緑のゞャングルに囲たれおいるものの、䞘の䞊は薄黄色のススキのような怍物が茂る草地になっおいた。䞊空から芋るず、ゞャングルに瞁どられ、薄黄色の䞘の圢がはっきりず芋お取れる。偵察機に乗った日本兵がその圢を芋お、ムカデに䌌おいるず思ったこずから、この名前で呌ばれるようになった。

この特城的な地圢は、ガダルカナル島の“雚”が生んだものず蚀われる。もずもずサンゎ瀁が隆起しおできたガダルカナル島は、倚雚地垯に䜍眮し、長幎の降雚で䞘状郚から谷間に栄逊分の豊富な土砂が流れ蟌み、谷間には肥沃な土壌が生たれた。そこに次第に朚々が茂り、ゞャングルが圢成された。䞀方、䞘の䞊は、激しい雚で土砂が流れ去っおずころどころで隆起したサンゎ瀁がむき出しになり、そこには草しか育たなかった。倧自然が長幎の時をかけお生んだ特城的な地圢だ。この䞍思議な地圢が、兵士たちの運呜を巊右する。

ゞャングルの行軍を続ける川口支隊は、予定された攻撃開始日である月日の倜を迎えおも、ただゞャングルの䞭をさたよっおいた。さらに悪いこずに日没埌、各隊ずの連絡は途切れ、各隊はそれぞれ各個の行動を取り始めた。攻撃地点に到達した隊は散発的な攻撃を始め、隊の䞭には川口ず同様、密林に迷い、攻撃開始地点にたどり着けないものもあった。

川口はやむなく攻撃の開始日を翌日に倉曎する。この䞘を越えれば、飛行堎はすぐそこだ。

今回発芋されたアメリカ軍の戊闘蚘録には、これたで愚かな癜兵突撃を繰り返したずされおきた川口が、実は巧劙な戊術を取っおいたこずをうかがわせる蚘述があった。川口支隊がアメリカ軍に攻撃を仕掛けようずしおいたのは、飛行堎南偎だったはずだが、実は、飛行堎の東ず西の䞡偎にも郚隊を配眮し、攻撃を仕掛ける準備を行なっおいたずいうのだ。

川口支隊の䞻力はあくたでムカデ高地に向かっおいたが、その攻撃を確実なものにするため、飛行堎の東西䞡サむドに、敵を陜動する郚隊を展開させおいたのだ。ガダルカナル島北西端の゚スペランス岬付近に䞊陞し、海岞沿いを東に向かっお行軍しおいた岡明之助倧䜐率いる岡倧隊を、飛行堎の西偎に展開。そしお東偎には、䞀朚支隊の先遣隊・第䞀梯団を合䜓させた、氎野鋭士少䜐率いる通称「熊倧隊」を展開しおいた。東西二方向に敵の泚意を向けおおいお、手薄になった南偎を川口支隊の䞻力で䞀気に突き厩すずいう、䞉方向からの攻撃を䌁図しおいたのだ。

圌の緻密な陜動䜜戊は、さらに手が蟌んでいた。南偎から攻める川口支隊の䞻力を、枡蟺久寿䞭䜐率いる右翌、田村昌雄少䜐率いる䞭倮、囜生勇吉少䜐率いる巊翌の䞉方向に分け、䞀斉に攻撃を仕掛ける。巊右の郚隊が敵の泚意を匕き぀けおおき、その隙に枩存しおおいた䞭倮の郚隊が突っ蟌んで敵陣の突砎を図る狙いだった。䞉方向䜜戊は、二重構造になっおいたのだ。

だが、これだけでは終わらない。敵陣ぞの斬り蟌み隊である䞭倮の田村倧隊も、小野寺、黒朚、石橋の䞉個䞭隊に分かれ、これたた䞉方向からの攻撃を狙っおいた。し぀こいほど培底的に策を巡らせた、䞉重構造の䜜戊だった。川口隊長が行おうずした癜兵突撃は、単玔至極な正面突撃ではなかったのだ。敵の目を欺き、敵の匱点を突くために、党知党胜を懞けた川口が、アメリカで知将ずいう評䟡を受けおいるこずも䞍思議ではなかった。

日午埌時分、発の砲撃を合図に、川口支隊の兵隊たちは総攻撃を仕掛けた。察するアメリカ軍は、ムカデ高地付近に有刺鉄線などを匵り巡らしお䞉重の陣地を築き、日本軍を迎え撃った。

戊いは劇的な展開を芋せる。川口支隊䞻力の䞭で、䞭倮を担圓しおいた田村倧隊の掻躍がめざたしかった。九州出身者が䞭心をなす川口支隊にあっお、この隊は仙台出身者が䞭心。「倜襲の仙台垫団」ず呌ばれるほど、倜襲戊に自信を持぀郚隊だった。

海兵隊を脅かした田村倧隊の動きはこうだ。

倧隊を構成する䞉個䞭隊のうち、たず小野寺䞭隊は、䞀぀目の敵陣地に突入し、これを奪取。埌退を始めた敵を远いかけ、さらに奥に敷かれた二぀目のアメリカ軍陣地に迫っおゆく。この時小野寺䞭隊は、ムカデ高地の特城的な地圢をうたく利甚した。䞘の凞凹した地圢を最倧限掻かしお、敵の攻撃の死角を芋぀け、そこを進攻ルヌトずしたのだ。䞘には背の高い草が生えおいたため、匍匐前進をすれば姿を悟られるこずがない。こうしお二぀目の敵陣の目前にたで迫り、遂に䌝家の宝刀である“癜兵突撃”を敢行、二぀目の敵陣も奪取し、飛行堎ぞ歩を進めた。

小野寺䞭隊ず同時に、石橋䞭隊も䞀぀目の敵陣地に突入、こちらも奪取を果たす。さらに敵の二぀目の陣地に迫るず、川口の芋立お通り、防埡陣地の手薄な䞀角があった。すかさず二぀目の陣地もすり抜け、ムカデ高地を越えた地点にたで進出した。

この間の、アメリカ海兵隊の混乱ぶりはすさたじかった。海兵隊員の䞭には、闇倜の突然の波状攻撃に恐れをなし、陣地を捚おお埌方に退华を始める者も珟れた。防埡ラむンを突き厩され、戊線が厩壊し぀぀あった。海兵隊のベむリヌ少䜐は、退华しおくる兵士をずっ捕たえおは、最前線に無理やり攟り蟌んだ。゚ド゜ン倧䜐は、田村倧隊の猛攻を受けおひるむ最前線の兵士たちに向かっお、叱咀激励し、䜕ずか士気を䞋げないよう、必死だった。

「貎様たちになくお敵にあるのはガッツだけだ」

アメリカ軍の誇る火力を隊員たちに思い出させ、日本軍に立ち向かう勇気を、再び呌び起こそうずした蚀葉だった。

ムカデ高地は䞡軍入り乱れる倧混戊の珟堎ずなった。

小野寺、石橋䞡䞭隊の奮闘を受け、田村隊長は、遂に枩存させおいた黒朚䞭隊に攻撃呜什を䞋す。黒朚䞭隊は、敵の混乱に乗じ、二぀目の陣地を越えた小野寺䞭隊の前進地点を、さらに超越。遂に䞉぀目の敵陣地に至る。敵は最埌の䞀線を死守しようず猛烈な反撃を加えおきたため、黒朚䞭隊には倚数の死傷者が出た。しかしそれでもひるたず突撃を仕掛け、䞉぀目の陣地をこじ開けた。遂に圌らは、アメリカ海兵隊の本䞞である第䞀海兵垫団叞什郚の目前に到達。このたた叞什郚を占領するこずができれば、ガダルカナル島の党海兵隊員に察する指揮呜什系統は混乱をきたし、海兵隊は戊闘を継続するこずが難しくなる。たさに千茉䞀遇のチャンスだった。

海兵隊は、重倧な危機に瀕した。

長幎ガダルカナル戊を研究しおきたアメリカの歎史䜜家リチャヌド・フランク氏は、川口支隊ずの戊いを、ガダルカナル戊の䞭でも特に重芖しおいる。

「私が思うに、川口少将は、ガダルカナル戊においお、日本軍の䞭で最も明敏な指揮官でした。川口は飛行堎南偎からの奇襲攻撃を考案し、それはほかの指揮官よりもはるかに優れた案でした。月から月にかけお、ガダルカナル戊においお日本が勝利を収め埗た時点は倚くあったず思いたす。しかし、私は、日本軍がガダルカナル戊で最も勝利に近づいたのは、このブラッディリッゞムカデ高地のアメリカ偎の呌称の戊いだったず思いたす」

フランク氏は、この戊いで日本軍が勝利を収めおいたら、それは倪平掋戊争党䜓の趚勢にも重倧なむンパクトを䞎えたはずだず指摘する。

「アメリカ軍は、この戊いが厳しく、匷敵ず争っおおり、勝利・敗北どちらにもなり埗るこずを認識しおいたした。第二次䞖界倧戊䞭、幎月のノルマンディヌ䞊陞䜜戊前倜を陀いお、ホワむトハりスが緊匵したのは、このガダルカナル戊の時でした。日本が倪平掋戊争に勝぀には、アメリカの戊意を挫かなければなりたせんでした。アメリカは、日本よりもずっず倚くの資源を有し、囜力も匷倧だったため、戊意を挫く、ずいうのが唯䞀戊争を終わらせる方法でした。ガダルカナルの戊いで日本軍が勝利すれば、アメリカは戊争を続ける意欲をなくしおいたかもしれたせん」

アメリカ海兵隊叞什郚の目前に迫った黒朚䞭隊は、ガダルカナルの戊い、ひいおは倪平掋戊争党䜓の行方すら巊右する、重倧局面に立っおいたのだ。

川口支隊の面々を襲ったのは、圧倒的な火力の差だった。

兵力にも䞀朚支隊の時ず同様、倧きな開きがあった。川口支隊の兵力は、党郚でおよそ人。䞀方、アメリカ海兵隊は䞀朚支隊の攻撃時より増員され、およそ䞇人。䟝然倍以䞊の開きがあった。所持しおいる火力を考慮に入れるず、党䜓の戊力の差は、倍もの開きがあったず倧本営陞軍䜜戊参謀の井本熊男は分析しおいる。

火力・兵力の違いは歎然。アメリカ軍の戊闘蚘録や日本軍の蚘録を調べおいくず、敵叞什郚の目前に迫った黒朚䞭隊も、この戊力差によっお苊戊を匷いられおいたこずがわかる。

叞什郚に到達した黒朚䞭隊の数はおよそ人。䞉぀目の陣地を越える際に倧きな被害を受け、兵力は少なくなっおいた。敵の本䞞を萜ずすには、これでは兵力が足りない。远加の人員が必芁だった。日本陞軍の戊法では、通垞、敵陣に突入した郚隊に続き、第二波、第䞉波の攻撃が続くこずになっおいる。しかし、䞀向に埌続の郚隊がやっおくる気配はない。

黒朚䞭隊ず同じく田村倧隊に所属する小野寺、石橋䞡䞭隊は、第䞀、第二の敵陣を攻略しおはいたが、アメリカ軍のすさたじい火力による反撃にあい、足止めを食らっおいた。幟床ずなく果敢に突撃を詊みるも、倚数の死傷者を出し、さらなる前進は困難だった。

巊翌隊の囜生倧隊も同様だった。敵の䞀぀目の陣地は突砎したものの、二぀目の陣地を越えるこずができなかった。ここでも、猛烈な砲撃に察しお突撃を行い、膚倧な被害を出した。囜生倧隊長は、敵の重砲陣地に自ら突っ蟌み、重砲の䞊に銬乗りになった状態で、壮烈な戊死を遂げた。

右翌隊の枡蟺倧隊に぀いおは、明確な資料が残っおいない。

䞉぀目の陣地を突砎した黒朚䞭隊の埌方では、䞀朚支隊の時ず同様の構図が繰り返されおいた。たもなく日の出がやっおくる。これは臎呜的だった。黒朚䞭隊には時間がない。凹凞が深いムカデ高地の地圢は死角が倚く、倜間は日本軍の進攻に有利に働いた。だが、日の光にさらされるず、身を隠すにも限界がある。草地の䞘は、匧を描いお飛んでくる敵の迫撃砲からは逃れるこずができない。䞞裞の郚隊は恰奜の的になっおしたう。すでに空は癜々ず明け始めおいる。黒朚䞭隊はやむなく、残された兵力での突撃を行うしかなかった。

䞀瞬の勝機は、無情にも過ぎ去った。

空を切り裂く鋭い音を立お、敵の猛烈な攻撃が、黒朚䞭隊に襲いかかった。アメリカ海兵隊の蚘録によれば、その日、ある砲兵隊はミリ迫撃砲矀だけで、発ずいうすさたじい数の砲匟を発射しおいる。アメリカ軍の高官は、のちに「砲兵隊の脅嚁的な支揎がなければ、䞘は確保できなかっただろう」ず蚘しおいる。海兵隊はすんでのずころで火力に救われたのだ。

川口支隊は、戊死者名、戊傷者名、生死䞍明名ずいう倧きな犠牲を出し、日、攻撃䞭止を決定した。川口支隊が掎みかけた絶奜の勝機は、倱われた。

火力・兵力の䞍足。䞀朚支隊の時ず同様の倱敗は、䜕故繰り返されたのか。それを説明するには、いったん話を川口支隊の掟遣時に戻す必芁がある。

陞軍内郚では、䞀朚支隊の倱敗を受け、火力・兵力の芋盎しを求める声が䞊がっおいた。ラバりルにある第䞀䞃叞什郚からだ。

第䞀䞃軍は、ねずみ茞送に぀いおも火力の茞送の芳点から懐疑的だった。ねずみ茞送に䜿甚される駆逐艊は、スピヌドが速く倜間の隠密茞送には適しおいるが、その積茉胜力に問題があった。もずもず船䜓が茞送船に比べお小さいこずに加え、そこには陞海軍協同䜜戊の難しさも圱響しおいた。海軍には、前述の通り、飛行堎奪還ずずもに“敵機動郚隊の撃滅”ずいうより重倧な目暙があったため、䞇が䞀敵機動郚隊ず遭遇した堎合に備え、匟薬を積んでおくスペヌスを確保する必芁があった。それは、陞軍の火力や兵力の茞送に充おる空間を、犠牲にするこずを意味しおいた。

陞海軍は、䞀朚支隊の時ず同様、䟝然ずしお“飛行堎奪還”ずいう䞀぀の目的に集䞭するこずができおいなかった。

さらに掟遣兵力に぀いおも、第䞀䞃軍の二芋参謀長は䞍安を抱いおいた。日本軍は未だに海兵隊の正確な兵力を掎みきれおいなかった。川口支隊のずいう数も、確たる根拠があるわけではない。やはり、敵兵力は、倧本営が考えおいるよりも倧きいのではないか。二芋は、第䞀䞃軍の参謀たちに、兵力増匷の研究を呜ずるず同時に、川口支隊長に宛おお電報を打った。

「珟兵力にお十分なりや 青葉支隊の䞀郚及䞭倮より送附の特殊資材を日タむボ岬に送る甚意あり」

これもたた䞀朚支隊の時ず同様、既芖感のある事態だが、珟実を冷静に芋぀めた二芋の提案は、迅速果敢な攻撃をよしずする姿勢の前に立ち消えずなっおしたう。月日、二芋参謀長の電報を受けた川口支隊長から、第䞀䞃軍に察し以䞋のような返答があった。

「珟兵力にお任務完遂の確信あり 埡安心を乞う 予定の劂く日攻撃を行う 日は月なく倜襲に適す 攻撃日時の遷延は最も䞍利なり」

指揮官の川口は、兵力に関しお䞀抹の䞍安もなかったのだろうか。

戊埌の回想では、戊いの前に抱いおいた䞍安を率盎に衚明しおいる。しかし結果的に、川口は二芋の電報に、匷気の返答を返した。二芋の提案を受け入れるずなるず、攻撃開始は予定より遅れおしたう。すでに海軍偎には攻撃開始日を䌝えおあり、川口支隊の攻撃ず協同しお艊隊や航空機を出動させるこずが決たっおいた。もちろん倧本営にも情報は䌝わっおいる。陞海軍協同の倧䜜戊を遅らせるこずはできない。積極果敢な甚兵で評䟡を受けおいた川口がそう考えたずしおも䞍思議ではない。

䞀床は申し出を拒絶された二芋参謀長だったが、よほど兵力䞍足に懞念を持っおいたのか、増揎郚隊の投入準備だけは進めようずした。

するず月日、今床は倧本営から、川口支隊の攻撃開始を急がせる電報が第䞀䞃軍に届く。

「海軍の通報によれば、月日頃ハワむを出発せる敵海兵隊搭茉の有力なる茞送船団は、月日フィゞヌ島に到着せる由、右に鑑み川口支隊の攻撃開始時機の繰り䞊げに぀きさらに怜蚎盞成床。念の為」

再び二芋に突き぀けられた、倧本営からの圧力。第䞀䞃軍叞什郚内でも孀立し぀぀あった二芋は粟神的に远い蟌たれ、積極的に反察意芋を述べるこずが難しくなっおいく。二芋が眮かれた苊境は、察するにあたりある。仕事を進める䞭で問題を発芋しお声を䞊げおも賛同者はおらず、䞊局郚からも無芖される。期日が迫っおいるずいうプレッシャヌから、問題を解決できないたた既定路線で突っ走っおしたう。そうした経隓は、組織に身を眮く人なら、倚かれ少なかれ誰しも味わったこずがあるのではないだろうか。

倧本営の「急げ、急げ」ずいうプレッシャヌにさらされた第䞀䞃軍叞什郚は、したいには川口支隊に察し、攻撃を急かすようになる。

川口支隊が肉匟戊を展開した「ムカデ高地」にも行っおみたいず思った。

か぀おのヘンダヌ゜ン飛行堎、珟圚のホニアラ囜際空枯の南偎をフェンスに沿っお進み、途䞭から車は右折しお小高い䞘に登っおいく。

川口支隊がかき分けたゞャングルはもはやなく、人工的な林の䞭に点々ず民家が建っおいる。

途䞭、民家の庭先に倧きなドラム猶を暪倒しにしたようなシェルタヌがあった。

サムさんによれば、こうしたシェルタヌは戊争䞭兵士が寝泊たりしおいた兵舎だったずいう。

空枯の呚蟺にはたくさん残っおいお、アメリカ軍が飛行堎の南偎に䜕重もの防埡陣地を構築しおいたこずをうかがわせる。

そんな戊争の遺物も、今では人々が勝手に占拠しお䜏居の䞀郚や倉庫ずしお䜿っおいるのだそうだ。

䞘を登り切ったずころに、遮断機のようなものがあった。

よく芋るず、脇にある小屋には「BLODDY RIDGE NATIONAL PARK」ず曞いおある。

日本軍が「ムカデ高地」ず呌んだこの䞘を、連合軍は「BLODDY RIDGE」、すなわち血染めの䞘ず呌んでいお、今ではこの激戊地が゜ロモン諞島の囜立公園に指定されおいるらしい。

私たちの車が近づくず、䞀人の女性が出おきおゲヌトを開けおくれた。

ゲヌトの先は車の蜍も残るスロヌプになっおいお・・・

そのスロヌプを登った䞘のおっぺんに、こんな蚘念碑が建おられおいた。

英語で「ブラッディ・リッゞの戊い」ずいうタむトルが付けられおいお、『幎月日から日にかけおガダルカナルおよび゜ロモン諞島で戊ったすべおのアメリカ海兵隊員に捧ぐ』ず蚘されおいる。

そしおこの䞘に立぀ず、「ムカデ高地」ず呌ばれた飛行堎の南偎に䜍眮する高台の地圢がよく理解できる。

倪平掋戊争圓時も、この高台にはほずんど暹朚がなく、今ず同じように草地が広がり、その圢がムカデに䌌おいたのだずいう。

尟根沿いにムカデ高地の䞊を䌞びる䞀本道を進むず・・・

今床は日本語で曞かれた癜い慰霊碑が立っおいた。

『ガ島戊没者慰霊碑』

慰霊碑には日本語ず英語でそう刻たれおいお、建立したのは「第二垫団勇䌚」ず曞いおあった。

どうやら、この慰霊碑は川口支隊ではなく、それに続き䞊陞した第二垫団の生存者や遺族によっお建おられたものらしい。

この䞘に立぀ず、遠くガダルカナル島を貫く山脈たで芋通せお、日米䞡軍がその小高い䞘を巡っお熟烈な争奪戊を繰り広げた理由も理解するこずができる。

ムカデ高地の西偎にはルンガ川が流れおいる。

倪平掋戊争圓時、䞘から芋䞋ろす平野郚分は䞀面ゞャングルに芆われおいたようだが、川口支隊の攻撃が倱敗したこずでようやく匷い危機感を抱いた日本軍䞭枢は、本栌的な郚隊投入を決意。

今床は、日本軍の残存郚隊が死守しおいた飛行堎の西偎に倧兵力ず十分な兵噚を送り蟌み、真正面からの力攻で飛行堎の奪還を詊みる。

遞ばれたのは仙台を拠点ずする第二垫団。

日枅日露の戊いにも参戊した䌝統ある垫団で、「倜襲の仙台垫団」の異名を持ち、満州事倉や盧溝橋事件にも加わり、倪平掋戊争が始たるず蘭印での戊いに勝利した埌、ガダルカナルぞの掟遣呜什が䞋った。

再び半藀䞀利著『遠い島ガダルカナル』からの匕甚。

月日、ずにかく参謀本郚は掻発に動き出した。第十䞃軍兵力の増匷はもちろん、軍参謀郚の増匷が決定される。束本参謀が、次の飛行堎奪取のための決戊兵力たる第二垫団の䜜戊䞻任ずしお転出、その埌に参謀本郚研究班長小沌治倫倧䜐が高玚参謀䜜戊ずしお着任するこずになる。これに䌎っお、わずか名であった第十䞃軍参謀郚は名に拡倧匷化された。海軍に匕きずられお、やらずもがなの戊いをしおいる、ずいう䞍満を投げ打っお、参謀本郚もやっずその気になったのでもあろう。

これを受けお杉山総長が再び参内しお、倧元垥陛䞋に奏䞊する。それは誠に意欲に満ちた壮倧な䜜戊蚈画なのである。次の攻撃は第二垫団䞻力、青葉支隊の残郚の総力をあげ、さらに戊車䞭隊、重砲兵䞭隊䞊びに倧本営より先に送っおある自動砲門、重擲匟砲門、火炎発射機門そのほかを集䞭䜿甚する。その攻撃時期は月に行われるであろう。こうしお第二垫団の䜿甚目的ははっきりずガ島ずいうこずになった。

さらにポヌトモレスビヌ攻略䜜戊もあるゆえ、埌続ずしお第䞉十八垫団、戊車第八連隊、野戊重砲兵第四連隊、独立山砲兵第十連隊、䞊び独立工兵連隊、野戊茞送叞什郚など所芁の郚隊を匕き抜き、第十䞃軍に増加補匷するこずずする。

「このように兵力を続々増匷いたしたすれば、第十䞃軍は手䞭に有する兵力を思いきっおガ島に泚入するこずができたす。でありたすので、飛行堎占領は䞇が䞀぀にも間違いないこずのみならず、今埌の敵情の倉化に察したしおも、速やかにこれに察応するこずができる次第にございたしお」

倩皇に時に厳しく、いうこずず実行ずは違うではないかず、叱責されお「たた倩ちゃんに叱られたよ」ず銖をすくめるこずの倚い杉山ずしおは、この日の奏䞊は倧いに胞を匵っお成し埗たものであったろう。胞䞭の必勝の信念をそのたた蚀葉にのせお、杉山の奏䞊は終わる。そしお倧元垥陛䞋はこれを裁可し、「倧陞呜」倧本営陞軍郚が䌝達する奉勅呜什第六八八号を持っお、兵力抜出、第十䞃軍線入は発什される。

さらに、「切り札」ずしおマレヌ䜜戊の立圹者ずしお参謀本郚内での評䟡を高めおいた蟻政信参謀の掟遣も決たる。

倪平掋戊争の様々な堎面で登堎し、クセの匷い蚀動で珟堎を掻き回した蟻参謀がガダルカナルでも波王を広げるこずになるのだ。

海に空に激闘が続けられおいる間に、第二垫団のラバりル集結は着々ず進んでいた。月日、先遣隊ずしお歩兵第十六連隊の到着を皮切りに、第䞀梯団垫団叞什郚、歩兵第二十九連隊、工兵第二連隊䞻力などがラバりルに到着したのは月日のこず。続いお第二梯団も月日たでには集結を完了する予定である。

そしお、これら倧郚隊を笑顔で迎えたのは、誰あろう、倧本営からの掟遣参謀蟻政信䞭䜐である。参謀本郚は、第十䞃軍叞什郚の陣容匷化ずずもに、次の総攻撃の勝利を確実にするために、䜜戊班長蟻䞭䜐の珟地掟遣、䜜戊指導を決めおいた。今床こそ的に優る兵力ず、時間的にも、質量的にも呚到な䜜戊準備を完敎し、さらに蟻の知識を加重するこずによっお、飛行堎奪回の必成を期そうずいうのである。たさしく倧本営は“䜜戊の鬌才”ず定評のある蟻に党幅の信頌を眮いたずいえる。

その蟻はどんな戊争芳あるいはガ島戊に察する戊略戊術を持っおいるのか。このこずに぀いおは、参謀本郚で戊力班長ずしお机を䞊べおいた高山信歊䞭䜐の回想をあげるのがいちばんいい。蟻のラバりル赎任の盎前に、むしろガ島を攟棄しお埌方に本栌的防埡地垯を構築しお血栓を挑むべき、ずする高山䞭䜐の意芋に、蟻が激しく論駁した。

「偉そうなこずを蚀うな。戊いには機ずいうものがある。兵には勢いずいうものが倧事だ。今や戊機だ。今ガ島を敵手に委したら、敵に勢いを䞎えるこずになる。埒に数や圢に囚われるこずなく、必勝の信念をもっお敵に食い぀くこずが倧事だ。わが粟鋭なる皇軍の粟神力の向かうずころ、䜕の恐れるずころあろう。貎様に忠告するが、参謀たる者は絶察匱音を吐いたらいかん。退华などずいう蚀葉は絶察に口に出すではないぞ」

高山はただただ蟻の迫力に圧倒されるばかりであったずいう。この燃えたぎるような闘魂を抱いお蟻は東京から飛び立っおきたのである。

月日、蟻は早速小沌参謀ずもども第八艊隊叞什郚を蚪ね、䜜戊䞊の打ち合わせをする。ねずみ茞送が月明のため䞭止ずいうこずでは、党攻撃郚隊のガ島集結は遅れる䞀方ずなろう。暗倜を埅っおいおはヶ月近く遅れる。月総攻撃を実行するずするならば、危険を芚悟しお倧茞送船団を組んで茞送を敢行するほかはない。その船団護衛を海軍は党力を挙げおやっおもらいたいず、蟻は匷く申し入れたのである。

第八艊隊叞什郚の返答は、そのような倧䜜戊は艊隊独自の力量で宰領するこずはできない、ずいう至極圓然のもの。そこで蟻は、ならば連合艊隊叞什長官に䌚い「盎接決裁を受ける」たでず、圌䞀流の倧決意を固めた。決心するず盎ちに実行に移すずころに圌の本領がある。そこで日、ラバりルにいた連合艊隊の枡蟺安次参謀、第十䞀航空艊隊の倧前敏䞀参謀ず連れ立っお、蟻は第十䞃軍の林忠圊参謀䜜戊ず共に勇躍しおトラック島ぞ飛んだ。

宇垣参謀長の日蚘、月日の項には、蟻の熱意に煜られお同意せざるをえなかったこずが蚘されおいる。“鉄仮面”の宇垣も理論的に抌したくられおは、たじたじずなるほかなかったのか。たた、このずき連合艊隊叞什郚が構想しおいた䜜戊蚈画も垣間芋られるので、その郚分を匕く。

「倧茞送船の突入はわが航空䜜戊はもちろん支揎郚隊および巡戊巡掋戊艊をもっおするガ島砲撃など圱響する所倧なり。さりずお茞送の遅延は攻撃開始の遅延ずなり、月霢の関係䞊䞀月を遅延せざるべからざるに至る。茞送船の被害を芚悟し盞圓思い切ったる凊眮を芁すず認めらる」

この巡戊による砲撃ずは、埌に敢行される戊艊金剛、抛名によるガ島泊地ぞの突入攻撃のこずである。

䜜戊参謀䞉和倧䜐は月日の項にあっさり蚘しおいる。

「午后、倧前参謀及び陞軍蟻、林䞡参謀来り䜜戊に付打合せす。頗る困難なるも、艊船茞送を実斜せざれば成り立たず。海軍もどう怅子」

そしお同日蚘の翌日の項に「倧前参謀、蟻、林䞡陞軍参謀ず共に、航空参謀䜐々朚地䞭䜐機動郚隊に行く」ず、蟻たちの掻発な動きが蚘されおいる。

これが蟻の手蚘になるず、がぜん匵り扇の講釈調ずなる。「山本元垥に盎蚎しよう。元垥以倖に誰も決定し埗ないであろう。元垥ず䞭䜐の䞀階打だ。負けおも惜しくはない。進んで圓ろう」ず決意しおトラックに向かったのが月日ずある。日付も勘違いなら、山本が元垥になったのは戊死埌である。こう楜しくやられおはこの著曞がベストセラヌになるわけである。

ボヌトから倧和に移乗し、「人呌んで倧和ホテルずいうのも宜なる哉。迷子になったら容易に出られそうもない」ず感想を述べ぀぀、䜜戊宀ぞ。そこで黒島参謀に䌚い、やがお宇垣ずも䌚う。二人ずもはっきりした返事をしない。そこで案内されお長官宀ぞ。山本は「無心に筆をずっお揮毫されおいるずころ」であったずいう。

蟻が党身党霊をあげお珟状ず䜜戊構想ずを説明するのを、黙々ずしお聞いおいた山本は、やがおおもむろに口を開く。それが䜕ずもドラマチックな返答である。蟻の曞くこの郚分の党文を、そのたた匕き写す。

「海軍が油断し、拙い戊さをしお奪われたガ島に、陞軍を揚げお、補絊が぀づかず、逓死させたずあっおは、䜕ずも申蚳がありたせん。よろしい、山本が匕受けたした。必芁ずアラバ、この倧和をガ島に暪づけにしおもかならず船団茞送を、陞軍の垌望のずおり揎護したしょう。その代り、ただ䞀぀、癟歊さんに茞送船に乗っお行くこずだけは、山本の顔に免じお、やめお貰いたい。駆逐艊で安党に䞊陞しお、立掟に指揮しお䞋さいず、䞀蚀䌝えお䞋さい」

いい終わるず山本はハラハラ涙をこがした、ずいう。

「鉄のような身䜓のどこに、涙があったのだろう。思わず貰い泣きする。このような将軍提督が果しお陞軍に、幟人か圚ったであろうか。海軍参謀になっお、この元垥の䞋で死にたいずさえ考えた」

歌舞䌎芝居の名堎面を芳おいるような想いにさせられる。ほんずうにこうであったかどうか、なんら保蚌するものはない。しかし、戊埌に議員䌚通で盎接に䌚い時間近く話を聞いたわが䜓隓からいえば、蟻参謀が熱血ほずばしるように匁をふるったであろうこずは容易に想像できる。

川口支隊の予期せざる敗退埌の、東京・ラバりル・トラック島の、いうならば“右埀巊埀”の月は、こうしお終わる。月日、第十䞃軍の二芋参謀長は日誌にこう蚘した。

「蟻君トラックより垰る。連合艊隊倧乗気にお党艊隊出動あらゆる協力し、金剛、比叡ずもに戊艊海峡に入り、芁すれば倧和も出動する、頌もしきも果たしお実珟劂䜕。支隊艊隊は日出枯、週間目にトラックに油の関係䞊垰る芁あり。之がため攻撃準備期間を短瞮せられたしず云う」

蟻参謀の肩を怒らせお報告する姿が芋えるようである。

ずもあれ、陞海の同意もなり、駆逐艊によるねずみ茞送、倧型舟艇による蟻茞送を䜵甚するほか、高速茞送船団による突入も決定される。䜜戊予定は抂ね次の通りずなる。

蟻茞送、月日ガ島、爟埌毎日隻。

ねずみ茞送、駆逐艊隻による。月日再開、爟埌日たで連日。

重火噚茞送、氎䞊機母艊日進による。月日ず日に決行。

高速茞送船団隻にお匷行䞊陞、月日〜日たでに予定䞊陞完了。

そしお総攻撃開始は月日ごろずいうこずになった。今床こそは、ず誰もが思う決戊である。

山本長官は、蟻ずの玄束を守った。

月日の倜、アメリカ海兵隊が埌々たで「The Night」ず呌んで語り継ぐこずになる日本海軍による猛攻撃が実斜されおのだ。

スペシャル取材班「ガダルカナル悲劇の指揮官」からの匕甚。

圢勢を逆転させるため日本海軍は、月日の倜、未曟有の䜜戊を決行する。

アメリカ海兵隊の兵士たちが、「The Night」ず呌んで語り継いだ倜。アメリカ軍は、日本海軍によっおか぀おない恐怖に远い蟌たれるこずになる。

「陞軍の総攻撃に必芁なドンバス高速茞送船団接岞には、䜕ずしおもそれ以前に飛行堎を叩いおおく必芁がある。私は連合艊隊叞什長官ずしお、陞軍の切なる芁請を承認した。承認した以䞊、私が行く。䜕か意芋があるか」

予定されおいる高速茞送船団の陞揚げを完遂するために、連合艊隊叞什郚は、月日、䜜戊蚈画を策定した。

「日、戊艊金剛、抛名を䞭心に、ガ島飛行堎に連倜の艊砲射撃を行うこず」

この日、山本はい぀も以䞊に積極的であった。できるならば、戊艊倧和を先頭に、総力をもっおガダルカナル島に殎り蟌みたいずたで蚀ったずいう。だが、ガダルカナル島の海域は耇雑か぀狭い行動海面のため、倧和の運航には、制玄が䌎った。倧和ほどの倧きさでなかったずしおも、戊艊金剛や抛名でガダルカナル島飛行堎を砲撃するこずは、あたりに危険が倚すぎた。この日の打ち合わせでは、反察意芋が盞次いだ。

「戊艊はあくたでも癜昌堂々ず、䞻砲をもっお射ち合う海䞊郚隊が盞手です。敵の艊隊ず刺し違えお死ぬならいざ知らず、こんな小島の倚い、狭い海域で䜎速で行動もたたならぬたた、陞䞊砲撃や敵の飛行機で沈められるようなこずがあったら、かけがえのない損倱を招くこずになりたす」

さすがの山本も連合艊隊叞什郚を眮く倧和の出撃は、芋送った。それでも、戊艊による飛行堎砲撃に関しおは、䞀歩も退かなかった。

䜕故山本は、呚りの反察を抌し切っおたで、リヌダヌシップを発揮しお、軍を動かしたのか。圓時、山本が芪友の堀悌吉予備圹䞭将に宛おた手玙から、圓時の心境を垣間芋るこずができる。

「米があれだけの犠牲を払っお腰を据えたものを、䞀寞やそっずで明け枡すはずがないのは、ずっず前から予想したので、こっちも䜙皋の準備ず芚悟がいるず思っお意芋も出したが、皆土壇堎たでは垌望的楜倩家だから、しあわせ者ぞろいだ」

垌望的芳枬がはびこる䞭でも山本は事態を楜芳せず、最倧玚の譊戒を払っおいたこずが、この手玙から芋えおくる。こうしお連合艊隊叞什長官の決意に動かされる圢で、戊艊による飛行堎の艊砲射撃は決定した。連合艊隊の䜜戊参謀・䞉和矩勇倧䜐の日蚘からは、この攻撃にかける海軍の緊迫感がひしひしず䌝わっおくる。

「本日日はガダルカナル飛行堎砲撃の日なり。歀の事は垝囜海軍未曟有の事なるを以お、決行の圓吊倧いに議論ありしが、遂に決行の事ずなる。緊匵しお電報を埅おり」

日深倜、アメリカ海兵隊の兵士たちはそれぞれ寝床にいた。

日午前時ごろ、突劂コンディションレッド敵機来襲のサむレンが鳎り枡る。兵士たちは、塹壕ぞず駆け蟌む。貚物列車の汜笛のような音が空気を震わせる。爆発音だ。たばゆい閃光が暗闇を薙ぎ払った。倜を昌に倉えるような巚倧な爆発だった。爆発は、トラック台分ほどもある土砂を飛行堎の地面からえぐり取り、宙に舞い䞊げた。塹壕が降り泚ぐ土ず岩で埋たった。空気は埃ず煙で充満し、兵士たちの錻や耳、目、喉に入り蟌んだ。

日本による艊砲射撃䜜戊は、成功した。未曟有の攻撃であり、戊䟋にない奇抜な戊法だっただけに、完党にアメリカ軍の意衚を぀いた。砲撃は時間分に及び、䜕ず発も撃ち蟌たれたずいう。圓時、島にいた海兵隊の兵士が、県前で展開される凄たじい地獄絵図を次のように回想しおいる。

「斉射の閃光が空を照らすのが芋えた。砲声が、それから砲匟の颚を切る音が、そしお最埌に炞裂する砲匟の恐ろしいガヌンガヌンずいう音が聞こえた。ココ怰子の朚が裂けお地面に倒れ、匟片が宙を飛び亀い、数発の䞍発匟が爆発しないたたゞャングルに飛び蟌んで跳ね回った。火薬の匂いが挂っおいた。䜕発かの砲匟は我々の地䞋壕からメヌトルからメヌトルも離れおいないずころに萜ちた」

空っぜの塹壕よりも、混み合った塹壕の方がマシだったずいう蚌蚀もある。人がいれば、お互いにしがみ぀いお支え合うこずができたからだ。自分䞀人しかいない堎合には、倖の爆発による振動で、地䞋壕の䞭でピンポン球のように振り回されるこずになった。悪倢ずしか思えない光景だった。

倜が明けお、惚劇の結末が埐々に明らかになっおきた。至るずころに、ゞヌプが台隠れそうな、ずお぀もなく倧きな砲撃の穎が開いおいる。飛行堎の滑走路は粉々に砎壊され、軍甚機も機のうち半数以䞊の機が䜿い物にならなくなった。

月日、アメリカ軍は、確かに最倧の危機に盎面しおいた。

アメリカ倪平掋艊隊叞什郚は、圓時、叞什長官のニミッツや幕僚たちが、いかに惚めな思いをしながらガダルカナル島の戊況を芋぀めおいたのかに぀いお、克明に䌝えおいる。

「珟圚、我々はガダルカナル地域の海䞊を支配するこずは䞍可胜のように思われる。わが陣地ぞの補絊は非垞なる損倱によっおのみ果たされるであろう。状況は絶望ではないにしおも、重倧な局面を迎えおいるこずは確かである」

䞀方、日本軍はこの奇襲攻撃の成功で、俄然息を吹き返した。

苊境にあったガダルカナル島の陞軍郚隊に䞎えた粟神的効果は絶倧で、第䞀䞃軍叞什郚は「野砲門に匹敵する」「欣喜雀躍す」ず報じた。

アメリカ軍が飛行堎の修理を完了するたで䞀時的に茞送䜜戊を遮るものはなくなった。重巡掋艊隻の揎護のもず、氎雷戊隊に護衛された高速茞送船隻笹子䞞、埌戞䞞、䜐枡䞞、九州䞞、吟劻山䞞、南海䞞が、日、ガダルカナル島海域に入った。この日は未明たで霧が茞送船団を芆い隠し、倜が明けるず、制空暩を取り返した零戊が頭䞊を守っおいた。その間、高射砲門をはじめ、匟薬、糧秣立方メヌトルなど倧量の歊噚匟薬、食糧の揚陞を開始した。埅望の増揎郚隊もやっおきた。この月の茞送䜜戊で、歩兵第䞀六連隊、二䞉〇連隊をはじめ、名の䞊陞に成功した。

東京では、氞野修身軍什郚総長が䞊機嫌で宮城に参内し、倩皇に戊況の䞊奏を行った。

こうしおガダルカナル島での最倧の戊闘が始たる。

半藀䞀利さんの著曞によれば、正攻法で行くずされおいた第二垫団投入だったが、䜜戊開始盎前、ゞャングルを迂回し飛行堎の南偎からの攻撃に倉曎された。

ヶ月前、川口支隊が倱敗したルヌトを敢えお遞んだのである。

第十䞃軍叞什郚の策定した䜜戊方針は、海岞線を抌し進んでの正面からの正攻法ではなく、倧きく迂回しお飛行堎の南、ゞャングル偎からの攻撃である。これは倧きな倉曎ず蚀えた。少なくずも月日の参謀䌚議の日たでは、正面からの力攻に぀ぐ力攻による䞀挙突砎が最良の策ず考えられおいた。それも䞀倜、やむを埗なければ二倜をかけお、断固飛行堎を奪取するずいうものであった。蟻政信参謀もこれに同意しおいる。正面からの力攻が合理的ずされたのは、倧兵力のゞャングル突砎は困難、ずいうより䞍可胜であるからである。ほずんどの参謀がこれを玍埗しおいた。それが、突然に、ゞャングル突砎の迂回案に䜜戊蚈画が倉わったのはなぜなのか。

確かに、戊闘叞什所をガ島にたで進めおみたら、第䞀線の戊力は驚くばかり䜎いものであるこずがわかった。特に砲力火力においおは比范にならないほど劣勢である。それゆえ、ずいう理由は䞀応なされおいる。぀たり、これでは第十䞃軍が最初に策定した正攻法による攻撃成功はおが぀かない、ず刀断されたずいうのである。しかし、それだけであろうか。

䜜戊倉曎の経緯を蚘す唯䞀の資料「第十䞃軍迂回䜜戊決心の経緯」には、次のように蚘されおいる。

  1. ガ島埌方状況ならび第二垫団の珟況により正攻法は䞍適圓なりず刀断す。
  2. 海図により迂回路を研究するに、勇川河谷ヌアりステン山南偎隘路ヌルンガ川河谷を迂回せば、比范的容易に、か぀敵飛行堎の盎前に進出し、敵の虚を衝き埗。
  3. 参謀を高地に掟遣し地圢を芋るに、郚隊の正面より前進するより迂回路の方がはるかに通過容易の劂く芋らる

぀たり、川口支隊の攻撃の時䜿甚したのず同じ海図で研究しおみるず、簡単に飛行堎たで進出できるずわかったずいうのである。実は、その海図たるや等高線も河川の䜍眮もいい加枛な代物である。それを芋お「比范的容易」ず刀断したこずになる。それに、この海図に頌っお川口支隊は攻撃を倱敗したのではなかったか。

しかも高地より遠望した結果、迂回路の方がゞャングル通過が容易ずあっさり結論しおいるのは、䞀䜓どういう神経なのであろうか。危険を冒しお持っおきた山内参謀の写真情報、それは迂回䜜戊はかえっお危険ずいうこずを瀺しおいる。それを埮塵も考慮に入れようずはしおいない。科孊的芳察資料よりも、高所からの参謀の望遠鏡による芳察を正確ずする論理などは存圚しない。にもかかわらず、どの参謀の頭脳もそれに疑いを挟もうずしないずは、奇怪至極ず評するよりほかはない。

それずいうのも、ラバりルの䜜戊宀の机䞊で確定しおいた“正攻法”の䜜戊蚈画に察しお、ガ島に䞊陞しおみたら、十䞃軍叞什郚の参謀たちは、確たる自信が持おなくなっおいるのである。䞊陞盎前の、米軍の思い切ったマタニカり川東岞ぞの先制攻撃によっお、歩兵第四連隊が敗退しおしたったずいう事実が、前途に暗柹たる翳を投げかけおいる。ずいっお、日本を離れる盎前に田䞭新䞀䜜戊郚長から、「ガ島の米軍はこれたでの怍民地軍ずは党く異なる。本栌的に四぀に組たなければ勝おぬ」ずき぀く念を抌されおきたのは、ほかならぬ高玚参謀の小沌倧䜐であり、蟻参謀なのである。それなのに、今曎どうしお正攻法を断念し、自分の方から迂回奇襲を蚀い出せようか。苊悩で頭を抱えおいるちょうどその時、日、第二垫団参謀長の玉眮枩和倧䜐ず束本参謀ずが展望のきく高地に登っお敵情偵察をし、それを十䞃軍叞什郚に報告しおきたのである。

「山地の森林は密床倧ならず」

そしおこう付け加える。

「座しお、逓死するよりは迂回奇襲を」

十䞃軍叞什郚はよくよく怜蚎するこずもなく、この報告に飛び぀いたのである。蟻参謀は圓初「倧兵力のゞャングル突砎は䞍可胜」ずしお迂回䜜戊などテンずしお受け入れようずもしなかった。それが䜕ずいう豹倉か。日の軍ず垫団の合同䌚議は、「軍の意図は垫団の構想ず䞀臎せり」ずいうこずで、あっずいう間に迂回奇襲ずいうこずに蚈画は倉曎された。

そこに山内参謀から新しい貎重な情報がもたらされた。それを芋れば、せっかく暹立した䜜戊蚈画をもういっぺん緎り盎さなくおはならない。圓初退けおいた迂回䜜戊を決行するための条件は党く敎っおいないのであるから。が、月日ごろたでには攻撃を実行するず、参謀総長は倩皇に䞊奏しおしたっおいる。海軍にもその旚を通告しおいる。緎り盎しの䜙裕はないのである。

したがっお情報は芋なかったこずにする。そしお芋ないで䜜戊呜什を出した以䞊は、以埌もずヌっず芋ないこずにするほかはない。いわば暗黙の了解ずいうもので、参謀たちはそこに意芋䞀臎する。極論すれば䞀皮名状しがたい八癟長ずいうこずになろう。しかし、呜什は断固ずしお発せられるのである。

「軍は日薄暮䞻力をもっお飛行堎南偎地区より敵を急襲、これを撃滅す。日は日ず予定す」

この新たに構想された戊策すなわち「飛行堎南偎地区」よりの攻撃は、繰り返すが、ヶ月ほど前に川口支隊が攻撃をかけ倱敗しおいる地点である。そこぞもう䞀床突っ蟌んでゆく。匷固な瞊深陣地ず圧倒的な砲火がスクラムを組み、がっちりず防護を固めおいるずころなのである。その時の戊蚓を、ちょっぎりずでもいい、参謀の誰かが念頭に浮かべなかったのであろうか。

蟻参謀は日には田䞭䜜戊郚長にあおお迂回䜜戊実斜の報告電報を打った。

「密林障碍の床は予想以䞊に軜易なり」

戊埌の田䞭の回想手蚘にはこんなこずが曞かれおいる。

「いたや、案じたように、蟻の奇道機略の戊法にひきづられたるか、ず思わずにはいられなかった」

それならば、倧本営はそれは駄目だず䜜戊指導をしなかったのか。ここにも、なぜが残るのである。

月日正午、那須匓雄少将が指揮をずる郚隊これたで青葉支隊ず呌ばれた郚隊が出発。続いお日早朝、垫団叞什郚ず川口郚隊ずが、それぞれ集結地を出発する。第二垫団の密林内機動はここに倧々的に開始されおいた。

こうしお第二垫団がいよいよ動き出した時、アメリカ軍にも倧きな動きがあった。

南倪平掋方面の叞什官に「猛牛」の異名を持぀猛将ハルれむ䞭将が任呜されたのだ。

ハルれむは、幎月に行われた東京に察する電撃的な空襲を実行した指揮官でもある。

着任したハルれむは盎ちに海兵隊や陞軍の指揮官を召集し、日本軍の猛攻撃を受けお匱気になり撀退論も出始めた珟堎に怒りを爆発させる。

『よし、わかった。諞君、持ち堎に戻り絊え。私は、私のできる限りのこずはなんでもしおやる。そしおガ島戊に勝ち抜いおみせる。 空母郚隊もいたや枩存の時ではない。戊闘に加わるこずを呜什する。 それでどうだ 撀退するか、死守するか』ず指揮官たちを問いただした。

このハルれむの䞀喝が、連合軍将兵の闘志を蘇らせた。

その頃、日本軍は珟圚の銖郜ホニアラの南偎に䜍眮するアりステン山あたりを西から東ぞ進んでいた。

今では人間の手が入っお開墟されおいるこの界隈も、圓時は人跡未螏のゞャングルだった。

その頃、ガ島のゞャングルの䞭を日本軍の各郚隊は、苊闘力戊し぀぀突き進んでいる。月日倕刻、第二垫団叞什郚ず同行しおいる蟻参謀は、ずっず埌方の十䞃軍戊闘叞什郚に電話報告をしおいる。

「集合に日、攻撃準備に日を芁するゆえ、日に攻撃開始を至圓ず認める。敵は未だ垫団の迂回行動を察知しあらざるものの劂し」

第䞀線の将兵はそうした狂気や楜芳ずはおよそ無瞁である。圌らの県前に拡がっおいるのは、千叀斧鉞の加えられたこずのない鬱蒌たる倧密林なのである。真先に立っお工兵隊が斧ず鋞をもっお密林に足を螏み入れる。機械力など䜿えない。人間の腕ほどの倪い蔓をたたっ切っおいく。藪や朚の根は掘り払われた。草原では網を匵っおカムフラヌゞュが斜された。断厖にかかるず藀蔓で梯子をかけ、沌や湿地にぶ぀かるず暹朚を切り倒しお橋がわりずする。

そうしおやっず切り開かれ造られた现い䞀本路これを「䞞山道」ず呌ぶようになるを、垫団兵力が䞀列瞊隊で機動するのである。しかも地図では䌌たような山そしお山があるが、その名は䞀぀もかきこたれおいない。アりステン山南偎ず指瀺されおもその評定を誰ができるずいうのか。もちろん密林には蚘号のあるべくもない。方角を倱っおも䞍思議ではないのである。

このため、隊の先頭は朝に到着しおも最埌尟の到着は翌日昌頃、ずいった苊闘を匷いられる。連隊砲を分解しお担ぐ支揎隊に至っおは、倕刻にならなければ終結は䞍可胜ずいう有様なのである。

詊みに、分解茞送ずはどのくらいの重量か、参考たでに蚘しおおく。

九二匏重機関銃 銃身.キロ 脚.キロ

九四匏軜迫撃砲 砲身.キロ 砲架.キロ

四䞀匏山砲 砲身.キロ 揺架.キロ

この途方もない重量を背負っお、急げ急げず督促されおも、それは人間業を超えなければ䞍可胜ずいうものである。

これでは参謀たちの垌望的芳枬どおりには、䜜戊は決行できそうにない。予想はその日その日で狂っおくる。

それでも、日本軍の粟鋭郚隊は困難を乗り越えそれぞれの攻撃予定地点にたどり着く。

その䞭には、川口支隊を率いた川口枅健少将も右翌攻撃隊長ずしお加わっおいた。

攻撃開始盎前、ここで重倧な事件が起きる。

たさに日、「日米決戊」ず銘打぀総攻撃の日が到来する。

戊闘叞什郚は「䞀挙殲滅」の意気に燃えおいる。皇軍の最匷たるゆえんの癜兵倧倜襲の前には、ルンガの敵陣は物の数にあらず、ず自信満々である。この勝利過信の参謀たちは、米軍がどれだけの兵力を集結しお決戊に備えおいるか、たったく念頭から振り払っおいる。癟門の倧砲を癟門以䞋、䞉重、四重に構えた防埡陣地を䞀線だけず蚈算しおいる。さらには、敵がゞャングル内の芁所芁所にマむクロフォンを仕掛け、日本軍の進撃地点ず接近速床を捕捉し、その䜜戊蚈画を逐䞀探知し、応倉の策を緎っおいるこずなど思っおもみなかった。頭から「敵は我が䌁図を察知しあらざるものの劂し」ず安堵楜芳しおいた。

たしおや、米軍が昚日たでの日本兵の銃剣突撃に悲鳎をあげる、ぞなぞな腰の匱兵にあらず。䞀人䞀人の将兵が「ゞャップを殺せ」の闘志を改めお燃やし、その䞀念で固くたずたっおいる。圌らは日本兵を䞀人残さず撃ち殺すこずを最倧の矩務ずしおいる集団に倉じおいるず、日本軍の秀才参謀たちはそんなこずずは露思っおもいないでいる。

第二垫団の飛行堎奪取のための総攻撃が、たさに開始されようずする。その最倧に重芁な時にあっお、たず情けない事実から曞かなければならないのである。それはもう総攻撃倱敗の予告でしかなく、気の進たぬこず倥しいものがあるがやむを埗ない。いちばん緊芁な時に指揮暩の混乱を露呈するこず自䜓、日本陞軍ずいう倧きな組織が内郚厩壊しおいたこずの蚌しずも蚀えるであろう。

こずは月日、右翌攻撃隊長の川口枅健少将が、山内参謀によっおラバりルより急遜届けられおきた航空偵察写真を、自分の県で確認したこずに発する。第十䞃軍戊闘叞什郚の参謀たちが䜜戊機動がもう始たっおいるゆえ、ずいう理由で無芖したこの航空写真を、川口は暗然たる想いで芋たずいうのである。

戊埌に曞かれた川口の手蚘にはこうある。

「日歩いた時に、䌝什が軍から枚の航空写真を持っお来た。最近撮圱したばかりのもので、敵飛行堎を䞭心ずするものである。私はこれを芋お驚いた。私が攻撃した月、日頃には南方には別の陣地らしいものはなかったが、今床芋る写真には、明らかに䜕か立掟な工事が写真に衚れおいる。その正面ぞ私共は攻撃しようずいうのだ。これでは金城鉄壁に向かっお卵をぶ぀けるようなもので、倱敗は戊わなくおも䞀目瞭然だ。私は悩んだ。私はこの陣地を避け、遠く敵の巊偎背に迂回攻撃しなければならんず思った」

長い匕甚ずなったけれども、䞊局郚の䜜戊䞊の衝突ず混乱の内情を知るためには、ずりあえずは川口の手蚘によるほかはないからである。

川口はそこですでに正匏に䜜戊呜什が発什されおはいるが、自分の抱いた憂慮を第二垫団叞什郚に䌝えようず考える。が、奥知れない密林の䞭、叞什郚がどこに䜍眮しおいるのか、連絡の取りようもない。

するず、埌から思えば䜕たる倩の配剀ずいうか、マルスの悪戯ずしか蚀いようがないのであるが、䞞山通䞉叉路で偶然に蟻政信参謀ず出っ食わす。この邂逅を「倩䞎の奜機」ず思った川口は、「䜜戊の神様」の倧本営掟遣参謀に、瞷々ずいうか、くどくどず情況ず自分の意芋を説明をする。そしお䌚話は次のように続いた。

川口「埓っお、私の隊はこの方面巊偎背に迂回しお攻撃しようず思う。どうぞ垫団長にこのこずをよろしく䌝達しおいただきたい」

蟻「それは結構なお考えですね。承知したした。よく垫団長閣䞋にお䌝えしたす。愉快ですなあ」

ただし、右の和やかな䌚話は川口手蚘に基づいおいる。蟻の戊埌の手蚘には、川口の意芋具申を聞いたこずも、垫団長ぞの䌝蚀をは請け負ったこずも、䞀蚀たりずも曞かれおいない。いや、䞉叉路で川口ず䌚ったこずすら觊れられおいない。

そしお話は、日の川口の突然の指揮官眷免ずいう倧事に぀ながるのである。蟻は恐れいったこずをぬけぬけず手蚘に曞いおいる。

「午埌時ごろになっお突然、少将から電話がかかった。曰く、『第䞀線の攻撃準備䞍十分で今倜は到底倜襲出来たせん。明日に䌞ばしおください』ず。日の予定を延期したのも少将の意芋であった。すでに党垫団に䞋し終わった今倜の倜襲を、その盎前にたたもや出来ないず、半ば脅迫的な電話である。枩良な垫団参謀長玉眮倧䜐の声が、さすがに怒りを垯び、電話噚を握る右手がブルブルず慄えおいる」

が川口であるのはいうたでもない。が、この䞀連のクビに぀ながる話も、川口手蚘によれば、電話は垫団叞什郚の方から圌にかかっお来たこずになる。蟻に䌝蚀を䟝頌しおあったので、そのこずに関しおのこずであろうず、受話噚を取った川口は、盞手が参謀長玉眮枩和倧䜐であるこずを知る。そしお、

玉眮「蟻参謀から聞くず、右翌隊は敵を偎背に迂回されるずのこずですが、やはり予定の通り、正面攻撃しおください」

川口「君正面攻撃しお僕は勝おるずいう自信が持おない。どうか垫団長のお蚱しを願いたい。蟻君が匕き受けおくれたので、その぀もりで郚䞋に呜什も䞋し、迂回のためすっかり準備もしおあるのだから」

ず川口は曞くが、蟻手蚘では、

「二人のやりずりを偎で聞いおいた䞞山垫団長は、癜髪を逆立おるかのように、自ら参謀長に代わった。『少将は、今盎ちに垫団叞什郚に出頭せよ。自今右翌隊の指揮は東海林倧䜐に譲れ』぀いに枩容慈顔の䞞山垫団長も堪忍袋の緒を切ったのである」

ずなっおいる。写しおいお恥ずかしくなるような匵り扇の講談調である。

これもたた、川口手蚘ではやや異なっお曞かれおいる。電話は䞀旊は切れお、玄分埌に再びかかっおくる。川口の耳には玉眮参謀長の声が飛び蟌んでくる。

「垫団呜什をお䌝えしたす。閣䞋は右翌隊長を免ぜられたした。埌任は東海林倧䜐です。閣䞋は垫団叞什郚の䜍眮に来おください」

いずれにせよ、川口にずっおは青倩霹靂の解任呜什であったが、二぀の手蚘ではかなり内容が違っお曞かれおいる。どちらの手蚘が正しいか。少なくずも、川口・蟻の䞡者が䞉叉路で話を亀わしたこずは間違いあるたい。蟻がそれを党く蚘憶しおいないこずはないであろうから、曞かなかったこずに察しおは䜕かの意図的なものが感じられる。それに、いきなり垫団長が盎々に怒鳎るように銖切り呜什を䌝える、ずいうのもどうか。

さらに蚀えば、䞊長の第十䞃軍叞什所が党く関知しおいないのも、劙ずいえば劙な話ずいうこずになる。垫団叞什郚だけの刀断によっお、いよいよ䜜戊決行の盎前に、こんな匷匕な幹郚の人事異動が行われおは果たしおうたくゆくずは思えないのである。

突然に右翌攻撃隊長を呜じられた東海林俊成倧䜐の手蚘が、その無茶な眷免ずいう意味からは実に面癜い䞀面を瀺しおくれる。

「日倕方、第二垫団玉眮参謀長から電話あり、『垫団が重点を巊に保持しお攻撃するずき、右翌隊ずしおはどうするか』ず戊術の問題を聞かれた。自分は『右翌隊は巊に重点を保持したす』ず答えた。玉眮参謀長は続いお『よし、川口少将の右翌隊長を免じ、東海林倧䜐に右翌隊長を呜ずる』ず蚀った。自分は『攻撃を前にしお歊士道に反する。たた自分は健康を害しおいる』ず蟞退した。玉眮参謀長は『呜什、呜什』ず蚀っお電話を切っおしたった。䞁床その時川口少将が来られた。非垞に興奮しおおられた」

これで、急遜の隊長眷免が、埌先をほずんど考慮するこずなく、きちんずした刀断や怜蚎もなしでヒステリックに行われたこずがよくわかる。そしお、眷免の理由が迂回䜜戊の意芋具申にあったこずも、参謀長のいたさらの戊術に関する念抌しでわかるのである。

䜜戊は参謀が立お、軍叞什官なり垫団長なりが決裁する。そうしたきちんずした原則を螏みにじっお、実践郚隊長ごずきが尋ねられもしないのに、䜙蚈な論評をし意芋具申をするずは䜕事であるか。たしおや、「第䞀線の攻撃準備䞍十分で今倜は到底倜襲出来たせん。明日に延ばしおください」ず脅迫的な意芋を述べるなど、䜜戊倉曎を求めるこずは蚱されるものにあらず。倧本営の枢芁な䜍眮にあり、名参謀の誉れ高い俺に察しお、無瀌極たる、ずいう驕りが果たしお蟻にはなかったか。

そう芳じるず、この参謀の心のうちには、激しく川口に察する憎悪ず嫌悪ずが亀錯しおいるように考えられる。どう奜意的にみおも、この人事には激情に走った蟻の圱がちらちら芋えおならないのであるが。

たた、川口その人が土䜐の血を匕く“いごっそう”で、頑固で䞇事に批刀的で反骚的な軍人であった、ずいう人もいる。暪柄な口利きが蟻には秩序を乱す䞍敵な振る舞いずでも思えたのかもしれない、ずもいう。仮に、その結果ずしおの断固眷免ずいう匷硬策が生たれお来たずしおも、これから突撃せんずしおいる郚䞋の闘志を萎えさせるような、攻撃開始盎前の眷免はあたりにも気たぐれであり、偏芋の所産ずいうほかはない。

それゆえに手蚘では、蟻は川口を責めお責めたくる。第回総攻撃の時、田村倧隊が猛攻をかけ、たさに飛行堎を占領しようずした。あの奜機の時に川口支隊䞻力のずったザマは䜕だ。もたもたしお勢いに乗った突撃をしようずもせずに、折角の勝機を逞した。぀たり川口支隊の攻撃の倱敗以来、川口少将には垫団長も軍叞什官も、誰䞀人信頌感を持っおいなかったのである、ずしお、蟻の手蚘の続きはこうである。

「本来ならば圓然、軍職を去らせられたのであろうが、せめお、この機䌚にもう䞀床、雪蟱の戊いをさせよう、ずの軍叞什官の枩かい心から、わざわざ䞞山垫団長の指揮に入らせたのであった。腐朚は遂に腐朚である。指揮暩を、敵前で剥奪された少将は、その埌垫団叞什郚でも誰䞀人盞手にするものもなく、ゞャングル内の孀独を楜しんでいた」

ここたでくるず、個人的な私怚でもあったのか、ず蚀いたくなる。しかも、生死を賭しお戊った人に「腐朚」ずは。䜕をか蚀わんや、で衚する蚀葉もない。

なお、眷免は実は日であったず蚘憶する人もいる。垫団叞什郚付の枡郚実軍曹である。その手蚘によれば、「日には敵情が確認できず、互いに困惑の䞭に前進を続けおいた最䞭である。軍叞什郚ず垫団叞什郚ずの間には電話が架線されおいたが、先を急ぐ右翌隊ずの間には架線が無理であったであろう」ずいうのである。そしお枡郚手蚘は、川口に眷免通達埌の垫団叞什郚内の雰囲気をこう蚘しおいる。

「将校や䞋士官の間には、䜕やらうんざりした気配が感じられた。それは川口少将に察しおなのか、あるいは蟻参謀に察しおなのか。あるいはその䞡者に察しおだったかもしれない」

蟻参謀の怒声が響いおいるのみの、埌のシヌンず静たり返った叞什郚でもあったのか。そんな想像も浮かんでくる。

それにしおも、眷免が日では、たすたす戊闘集団のやるべきこずにあらず、ずいうこずになる。

こうしお突然の指揮官亀代の混乱の䞭で、月日、総攻撃の呜什が発せられた。

戊堎ずなったのは、今回もたた「ムカデ高地」だった。

この戊闘に関しお半藀さんは詳现を曞いおいない。

その代わりに、倚くの兵士を無為に死なせた日本軍のあり方ぞの匷い怒りが溢れおいた。

日正午、䞞山垫団長は攻撃開始に関する最埌の呜什を発する。

  1. 倩䜑神助ト将兵ノ蟛苊トニ䟝リ垫団ハ其ノ䌁図ヲ秘匿シ、敵ノ偎背ニ進出スルコト埗タリ。
  2. 予ハ神明ノ加護ニ䟝リ既定蚈画ニ基キ攻撃ヲ行ヒ、䞀挙飛行堎付近䞀垯ノ敵ヲ撃滅セントス。
  3. 䞡翌隊ハヲ期シ突撃ヲ敢行シ、敵線深ク殺到スベシ。
  4. 予ハ迄珟圚地ニアリ、爟埌巊翌隊埌方ヲ飛行堎ニ向ヒ前進ス。

第十䞃軍戊闘叞什所には、前埌しお蟻参謀よりの報告が入った。これがすこぶる阿呆らしいものであるが、曞き写しおおく。

「第二垫団の第䞀線は敵に察知されるこずなく、飛行堎䜕方玄キロ付近に進出し、䞡翌隊は各々四条のゞャングル道により前進䞭。歩兵第十六連隊はムカデ草原南偎に集結しあり。垫団叞什郚は今よりムカデ南偎地区出発、前方に進出す。電話線の䜙力なき故、爟埌軍戊闘叞什所ずの連絡はきれるも、本倜は確実故次回に無電にお『バンザむ』を送る」

「バンザむ」ずは突入成功を意味する暗号である。どこから「本倜は確実」に飛行堎を占領できるず螏んだのか、党く蚳がわからないが、ずにかく自信は満々であった。第十䞃軍の方でも、疑いを挟むこずもなく、この楜芳に乗っかっお倧本営ずラバりルの叞什郚ず連合艊隊に向けお、電報を晎れ晎れしく打っおいる。

いずれも戊堎はるか埌方にある秀才参謀たちの気楜さずいうものであろう。ただし、第䞀線にある将兵たちはそうした気楜さずは無瞁である。圌らの行動は米軍によっお逐䞀把握されおいる。その進撃方向には、たさしく地獄の砲火だけが埅ち受けおいる。その䞊にこの日午埌からは倩候が悪化し、豪雚が沛然ずしお降り出し、激しい雷雚ずもなる。日没ず共に密林の䞭は真っ暗闇ずなり、進路は泥濘化し、腰たで没する泥氎を挕いで前進せねばならない隊も各所にできおいる。

しかし、将兵たちは必死の信念を固めお前進に前進をしおいく。日本陞軍にあっおは癜兵突撃こそがこの必勝の信念の蚌しなのである。そのために生呜を捚おるのに臆するずころはない。

圌らは等しく勇敢であった。倪平掋戊争においおは、敗れたずいえども、䞋玚将校や䞋士官兵の果敢な善戊力闘が、連合軍偎からも賞賛されおいる。その根源には兵隊それ自身の矜持、あるいは闘志、戊友愛、぀たりは戊士ずしおの心意気があるず蚀っおいい。さらには郷里に顔向けできないこずはすたい、ずいう匷烈な郷土愛もあったこずであろう。名誉ずか勲章ずか感状ずかを垞に頭に眮く、戊争を指導しおいるもののそれずは、党く異なる粟神構造で戊い抜いたのである。

さりながら、戊堎での将兵の必死の頑匵りが参謀たちの戊術の拙劣さを補うこずはできないのである。たさに叀今東西唯䞀無二の戊理である。戊闘の恐ろしさがそこにある。さらにたた、戊術がいかに巧緻を究めようが、最高叞什郚の戊略の愚劣さをプラスに転ずるこずはできないのである。倧本営はガ島戊の最初から戊略的に倧きな勘違いを犯し、米軍の戊力を過小評䟡し、誀算に誀算を重ね、米軍兵士の䞀人ひずりをなめおかかっおきたこずは、すでに䜕床も曞いおきおいる。

米軍兵士は鉄壁の陣地に身を朜め、ひたすらファむティング・スピリットを燃やしおいた。

統垥郚の底知れない無責任ず、根拠なき自己過信ず、過剰なたでの楜芳のツケを支払わされた、それがこの総攻撃の結果ずいうこずになるであろう。米軍の備え十分の反撃によっお、完膚なきたでに撃砎され、日本軍はほうほうのおいで退华する。そしお蚱せないくらい倚くの勇敢な将兵が、ゞャングルの䞭で空しい死を死ななくおはならなくなったこずを、詳しく曞くのはずおもずおも忍べるこずではない。

しかも、敗戊の非情ず悲惚ずを倍化したものに誀報があった。午埌時ごろ、垫団叞什郚の電話が鳎った。受話噚をずった参謀が「なに、飛行堎突入」ず倧声をあげた。電話は指揮官䞍圚の右翌隊からのもので、「右翌隊は敵陣を突砎し、目䞋、飛行堎東方の草原地垯を北方に向かい前進䞭」ず䌝えたずいうのである。叞什郚は、字矩通り「バンザむ」「バンザむ」の歓声で埋たった。それだけではない。報告はそのたた無線によっお、ラバりルぞ、トラック島ぞ、そしお東京ぞず繋げられおいく。

寝ずに埅っおいた倧本営の䜜戊参謀たちも興奮その極に達する。快報は東條銖盞以䞋の各銖脳ぞ、さらには宮䞭の䟍埓歊官を呌び出しお明早朝これを陛䞋にいち早く報告するように芁請する。「日米決戊」での倧勝利である。ミッドりェむ敗戊の仇を蚎ったず同時に、皇軍䞍敗の信念をあらためお確認するこずができたのである。統垥郚が有頂倩になるのも圓然のこずであった。

しかし、これが誀報であるず、わずかその分埌には垫団叞什郚が確認するこずになる。「ただいたの飛行堎占領は、飛行堎付近で激戊䞭の誀りなり。䞻力の突撃は成功しあらず」ずいう前線参謀の悲痛な声が、叞什郚の受話噚に飛び蟌んできた。「激戊䞭」ずいえば「苊戊の真っ最䞭」を意味するこずは、わざわざ泚釈するたでもないであろう。垫団叞什郚は、さながら結婚匏の喜びがいっぺんにツダの悲しみに転じたように、シヌンず陰鬱な沈黙の䞭に沈み蟌んでいく。日本軍の突撃は再床立ち盎っお、日の倜の明ける頃たで続けられる。察する米軍の反撃も執拗を極める。日本軍の突撃を迎え撃぀自動火噚はもちろん、芳枬射撃を実斜する迫撃砲の嚁力は凄たじいの䞀語に尜きる。さらに無尜蔵ず思われる倧口埄の砲が間断なく撃ちだす砲匟の幕が、攻撃に぀ぐ攻撃をしかける日本軍の頭䞊を被った。人の顔を芋分けられるほどに明るんだ密林の䞭で、巊翌隊長那須匓雄少将が重傷埌に戊死を遂げたこずが刀明する。歩兵第十六連隊長広安倧䜐、第二十九連隊長叀宮倧䜐ず高玚幹郚の戊死も明らかになる。以䞋の倧隊長、䞭隊長、小隊長の戊士は数えきれない。生き残っおいる戊闘指揮官もほずんどが重軜傷を負っおいる。

川口の埌任の東海林倧䜐指揮の右翌攻撃隊䞻力はどうしおいたか。公刊戊史には「歩兵第二癟䞉十連隊長代リシ為、郚隊ノ掌握出来ズ、攻撃セザリキ」ずしおいる。䜕ずか参加しようず急行したが、総攻撃には間に合わずやっず「巊翌隊右第䞀線郚隊ノ埌方ニ進出シ、歀ノ倜敵陣地ニ突入スルニ至ラズ」ずいう情況であったようである。巊右䞡翌からの䞀斉猛攻はどうみおも成らぬたたの、突撃開始であったずいうこずか。

日午前時、第十䞃軍叞什官は飛行堎攻撃隊に察しお「攻撃䞭止」呜什を発しお敗北を確認した。

午前時、那須少将の遺䜓が担架で垫団叞什郚にたで運ばれおきた。䞞山䞭将は、那須の顔を芗き蟌むようにしおかがむず、

「那須君、ご苊劎であった」

ず最んだ声で蚀った。それを受けお、県鏡をかけた那須の顔は埮笑んでいるように、幕僚たちには感ぜられたずいう。

敗退した軍隊の惚憺たる退华行は、戊囜の䞖も珟代も倉わるこずない。山内䞃郎の描く幻滅の様を長く匕甚する。

「垰途、いたるずころに兵の死䜓がころがっおいる。傷぀いお埌退の途䞭、疲劎ず飢ず枇のためたおれおいった人たちである。瀕死の兵はにごった瞳をあげお氎を求めた。誰もやるものはない。やれば自分が倒れる。いたや動物の䞖界の掟が皆を支配し、力぀きお手をあわせ物乞う兵を芋ぬふりをしお通り過ぎるのだ。倜は飯盒泥棒が流行する。ある兵は銖に結び぀けお寝た筈の飯盒が、朝目を芚たすず盗たれおいた。目圓おを倱った戊争は、各人に颚土に病気に、飢枇に、環境に察する争闘ず倉っお身内に燃えはじめた」

いたや米軍ではなく、生き残った兵たちにずっお、どうしおも生き抜いおいくためには呚りのものすべおが“敵”ずなっおいくのである。

床にわたる地䞊戊に倱敗しおもなお、その埌もガダルカナル島での戊いは続いた。

島の西郚、遠くサボ島を望む海岞には、日本軍に城甚された茞送船「鬌怒川䞞」の残骞が今も海面から顔を芗かせおいる。

それは床重なる倱敗により重火噚の重芁性を認識した日本軍が月日に実行した、茞送船団を連ねお第䞉八垫団ず倧量の歊噚を運がうずいう捚お身の䞊陞䜜戊の痕跡だ。

それを成功させるためにはたず、邪魔なヘンダヌ゜ン飛行堎をもう䞀床叩かなければならない。

日本海軍は茞送船団に先立っお艊砲射撃に成功した「The Night」の再珟を目指しお、隻の戊艊ず護衛艊隊をガダルカナルに送る。

しかしこの䜜戊は、すでに日本軍の暗号解読に成功し぀぀あったアメリカ軍に察知され、ハルれむ叞什官は察抗するためアメリカの空母機動艊隊をガダルカナルに急掟する。

こうしお、月日に勃発した第次゜ロモン海戊は、双方の艊船が入り乱れ、近距離から撃ち合う壮絶な海戊ずなり䞡軍に倧きな被害をもたらしたが、日本軍が䌁図した飛行堎の砎壊には倱敗した。

それでも、すでに茞送船団はガダルカナル島に向け突き進んでおり、䜜戊はそのたた継続されるこずずなる。

そしお、䜜戊は悲惚な結末を迎えるこずになった。

駆逐艊隻に護られた頌みの日本の茞送船団は、ガ島たで、あず半日足らずの海域に達しおいる。船団の䞻たる乗船郚隊ず積茉軍需品は次の通り。

第䞉十八垫団麟䞋の歩兵第二癟二十九連隊䞻力、歩兵第二癟䞉十連隊第二倧隊、工兵第䞉十八連隊、茜重兵第䞉十八連隊の将兵たち総員玄䞇䜙。䞻芁匟薬は山砲千発、センチ抎匟砲千発、センチ抎匟砲千発、センチカノン砲千五癟発、高射砲䞇千発、その他歩兵各皮匟薬。糧秣は圚ガ島兵力䞇人の日分。確かに十分ずいっおいい戊力である。が、問題はここからである。

ガ島ヘンダヌ゜ン飛行堎を午前時に飛び立った米海空軍機が、船団䞊空に到達したのはそれから分埌であった。それは予想通りに船団が魔の海里圏に入った盎埌のこずになる。しかも、船団の䞊空には、それたで期埅に期埅をかけおいた零戊の防埡の傘は圱もない。

叞什官田䞭頌䞉少将の指揮のもず、護衛する第二氎雷戊隊の各駆逐艊は煙幕を匵り、高角砲ず機銃で必死に防戊の火幕を展匵するが、それくらいで鈍足の茞送船団を護り切れるものではない。敵の戊闘機機、雷撃機機、急降䞋爆撃機機の第䞀波は駆逐艊には目もくれず、ただ䞀文字に茞送船をめがけお容赊なく襲いかかる。癜昌、きれいに晎れあがった倧掋の真ん䞭、抵抗のための匷力な歊噚もなく、動きもたたならない貚物船ずあっおは、敵機の跳梁に身を任せるよりほかはない。倚くの兵員ず第䞉十八垫団の幕僚を乗せおいた䜐枡䞞ず長良䞞が被爆、たず掋䞊に停船せざるを埗なくなる。続いお、きゃんべら䞞が倧きく傟斜したたたぐるぐる回り出した。

田䞭は倩霧ず望月ずを被爆した茞送船の救助ならび護衛のために残し、䟝然ずしお前進を続ける。時間埌、さらに、機の急降䞋爆撃機の攻撃を受け、ぶりすべん䞞が倧砎しお動けなくなる。やむなく江颚を護衛ずしお残し、船団はかたわずに決められた航路を突き進む。゚スピリットサントからの機がトンにも及ぶ爆匟の雚を降らしたのは午埌時分。さらに、陜のただ高いうちにず、ガ島からの攻撃機が倧挙しお再床飛来する。ずめどなく攻撃は続けられ、茞送船は次々に火炎に包たれ速力を萜ずしおいく。

時過ぎには、南方はるかの掋䞊にあった空母゚ンタヌプラむズの艊茉機も、獲物の分け前にあずかるべく割り蟌んできた。艊爆機、戊闘機機は、やっず䞊空盎衛に飛来した零戊の燃料消費でやむなく立ち去るのを埅っお、勝ち誇るかもように攻撃を加えおくる。信濃䞞が被匟し、ありぞな䞞はあっずいう間に猛火に包たれる。長波ず巻波が救助すべく残されたが、船団は止たるこずなく前進を続けるのである。

目的地であるガ島たであず海里の海域に達した時、茞送船団は仮借のない米軍機の攻撃によっお぀いに壊滅ずいう情況に陥っおいた。虎の子である信濃䞞は空しく沈んだ。那叀䞞がその姿を海面䞋に没したのは、陜が没せんずする時である。涌颚が党速で駆け぀け海䞊の陞兵や乗組員を救助しおいる間にも、船団はなお攻撃にさらされおいる。が、次第に暗くなっおいくためか、どうやら呜䞭匟はほずんどなくなっおいる。

田䞭をはじめあらゆる戊闘員にずっお、この日は終わりのない日のようであった。猛火を噎き぀぀停止した茞送船には駆逐艊が駆け぀けお暪付けし、沈没たでの須臟の間に船員ず陞兵ずを収容する。あるいは内火艇やカッタヌをおろし、海䞭から拟い䞊げる。乗組員人足らずの艊に、その数倍の歊噚なき陞兵を積み蟌み、収容を終えるず駆逐艊はそのたた突き進んできたのである。

長い䞀日が終わる。昌から日没たで空からの攻撃は回、機に及んだ。信濃䞞、ありぞな䞞、那叀䞞、きゃんべら䞞、長良䞞、ぶりすべん䞞が沈み、䜐枡䞞は倩霧、望月に守られおよろよろず、ショヌトランドぞ戻っおいった。人䜙の兵士が戊死した。匟薬・糧秣はすべお海の藻屑ずなっおいる。しかし、千人䜙を駆逐艊は無事に海面より救助した。こうしお、すっかり暗くなった海䞊に、なおも生存者救助を続け駆逐艊は広く散っおしたっおいる。手空きの駆逐艊は芪朮、陜炎のみ。その艊ず残存の茞送船隻に旗艊早朮から信号が飛んだ。

「アルマレ、アツマレ」

田䞭をはじめ郚䞋の将兵は疲劎困憊ずいっおいい。しかし、揚陞䜜戊はなお攟棄されおはいない。たったの隻ずはいえ、残った茞送船をガ島に送り届ける。その倧仕事はこれからなのである。

こうしお“悲壮な”ずいう圢容詞を぀けるにふさわしい奮闘を続け、南䞋䞭の田䞭叞什官や将兵を元気づける電報が届けられたのは、前進を開始しおしばらく経った時である。近藀信竹䞭将指揮の、戊艊霧島を䞻力ずする挺身攻撃隊が、ガ島飛行堎砲撃のために党速でそちらぞ向かった南䞋䞭であるず、それは告げおいる。

喜ぶ田䞭ずは違っお、その頃ヌヌメアの米艊隊叞什郚は最埌の決断に迫られおいる。日午埌遅くなっお、皮々の情報を分析したずころ、日本艊隊が、それも戊艊を䞻力に、再びガ島ぞの攻撃に出ようずしおいる、ずいう結論を埗た。ハルれむは躊躇するこずなく、新鋭戊艊ワシントンずサりスダコタに察し、空母護衛の任を解き、ガ島急航・断固阻止を呜じようずする。これに幕僚たちが反察した。ガ島海峡は戊艊隻が戊闘行動するには狭すぎる。

「広いずころで、奎らをやっ぀ければいいわけだ。それゆえにいち早く出撃させるこずが肝腎だ。ずにかく飛行堎を守るんだ」

ずにかく飛行堎を守る、この䞀蚀がすべおを決した。

海戊はたさに闘志ず闘志のぶ぀かり合いずなった。

日本艊隊前衛の掃蚎隊は軜巡川内ず駆逐艊綟波、浊波である。戊闘はこの日米の前衛に立っおいる駆逐艊同士の砲撃・雷撃戊で開始される。

このあず日本の掃蚎隊は米駆逐艊隻を完膚なきたでに撃沈砎する。前日の駆逐艊倕立にも負けないほどの、綟波の奮戊に぀いお少しく筆を費やしたいが、その䜙地もないし、䞻戊闘ぞず先を急がねばならない。

重巡愛宕坐乗の近藀長官は、敵艊隊発芋ずずもに、軜巡長良ず隻の駆逐艊を分離させサボ島の西ぞ送り、自らは戊艊、重巡、駆逐艊を率いおそのたた予定のコヌスを南䞋した。その近藀が、迎撃しおくる敵が傷だらけの巡掋艊にあらず、なんず新鋭の戊艊であるこずを確認したのは、戊闘が始たっお分も経っおからである。今床は遭遇戊ではなくお想定戊であるはずの戊闘も、この瞬間からすっかり様盞を倉えた。䜜戊蚈画通りに敎然ず運ぶこずはできなくなる。混戊の䞭で、結局、最埌には火力の倧きさず正確さの勝負ずなる。日本の䞻力である霧島は䞇トン、センチ砲門、しかも建造以来幎を数える老艊で、察する米戊艊は隻ずも真珠湟以埌に進氎した新鋭の䞇トン、センチ砲合蚈門である。その巚砲同士の砲匟が闇を裂いお飛び亀ったのである。初めお展開される戊艊察戊艊の真正面からの撃ち合いであり、しかも近接戊闘ずなり、互いに䞻砲を氎平にしお撃ち合うこずずなる。

愛宕、高雄、そしお霧島は、突然ずいっおいいほど県前に立ちはだかった敵戊艊に猛撃を加える。戊闘開始は午埌時分。その集䞭攻撃を济びお、たちたちにサりスダコタが撃砎され、䞻砲は沈黙しわずかに䞭郚副砲のみで応戊しおいたが、やがお戊闘力を倱い挞次傟斜しお退いおいくのが認められた。が、敵戊艊炎䞊に喜んでいる暇はない。もう隻の巚倧な戊艊がその背埌から、䞻砲を振り立おお急速に近接しおくるのを芋匵りが発芋した。

戊艊ワシントンに坐乗の敵将りィリス・リヌ将軍は怯むこずなく突撃を続けた。われに気づくこずなく僚艊サりスダコタに攻撃を続行しおいる敵戊艊を目暙に、チャンスず芋お䞀気に砲撃をかける。呜什は簡単である。

「䞀番でかいや぀を叩き朰せ」

実に、ワシントンの発射砲匟は発、そのうち発が霧島に呜䞭した。時分には霧島は火灜に包たれ、舵の自由操䜜が䞍可胜になっおいた。

日付の倉わった日午前零時分、近藀艊隊は愛宕以䞋の無事の艊がたずたっお、煙幕の䞭を北䞊しお去っおいく。米戊艊隻もよろよろず戊堎から離れる。残された結果は、日本偎はサりスダコタを撃砎したものの、霧島ず綟波を喪倱し、そしお比叡に続いおたたしおも戊艊による飛行堎砲撃の雄図は倢ず消えたのである。

この砲撃戊のわずか倖偎を、今や隻の茞送船が党速力でガ島ぞ舳を向けお突き進んでいた。

早瀬の艊橋にある田䞭叞什官は、このずき、決断に迫られおいる。やっずの想いで隻をガ島たで運んできたものの、䞊陞予定地点が戊堎そのものなのである。正垞な揚陞䜜業は䞍可胜である。ずいっお、いたさら避退はできない。避退したずころで、船団の速力では魔の海里圏から倜明けたでに脱出するこずは蚱されないであろう。残された手立おは 田䞭の決意にはなんら躊躇逡巡するものはない。

「このたた突入する」

氎雷戊隊が茞送船隻を抌し包むようにしお䞀盎線に突進した。戊闘力を倱っお挂う圌我の艊のあげる炎が、持火のように倜空を焊がし、砲声はなお殷々ずしお゜ロモン海に蜟いおいる。茞送船は遮二無二突進しお、ガ島の海岞にそのたたのしあげるのである。突然、前方に敵戊艊の巚倧なシル゚ットが、燃える海の赀い火を背景に浮かび䞊がっおきた。田䞭はこれにもただちに応戊する。拟い䞊げた陞兵の数の少ない艊は芪朮ず陜炎の隻である。この隻なら十分に戊うこずができる。

「攻撃せよ」

田䞭の呜什を受けた隻はただちに本隊ず離れ戊闘海面に躍り出おいく。

日の倜が明ける。

芪朮も陜炎も敵戊艊に肉薄しお魚雷を発射したものの、戊果を確認する䜙裕はなく、開頭するず、ショヌトランドぞの北方氎道に向けお前進党速で走り出す。早朮を䞭心ずする戊隊の姿は北方の闇の䞭にずうに消えおいる。敵機の跳梁する前に、海里圏から離脱しなければならない。芪朮ず陜炎の芋匵員は、その巚倧な盎埄センチの双県望遠鏡でガ島の方をもう䞀床芋返った。高く黒煙の柱が二筋䞉筋。擱座した隻の茞送船が䞊げおいる煙であろうず思う。それは泣哭するかのように、芋匵員の県にはい぀たでもゆらめいお眺められたずいう。

圌らが想像したように、鬌怒川䞞、山月䞞、安川䞞、山浊䞞の隻の茞送船は、舳を高く持ち䞊げお、ガ島の海岞にのしあげおいる。䞇難を排しおも陞兵ず匟薬・糧秣を揚陞する、闘魂をそのたたに瀺しおいる。けれども、それもたた、倜明けずずもに無傷の飛行堎から飛び立った敵攻撃機による銃爆撃を受けお、すべお炎䞊する。その黒煙が、ガ島にいる陞兵たちの県に無残ずも映じた。炎䞊するたでに、陞兵千人、匟薬箱、日間食い぀なげるだけの米俵の揚陞にどうやら成功したずいう。二床にわたる戊闘の真の成果ずしおは、倚くの犠牲を払っお、ただそれだけである。そしお、茞送船の䞊げる黒煙は、日本の攻勢の終末点を告げ、さながら犠牲者を哀惜するかのようにい぀たでも消えなかったずいう。

霧島が自沈したのは午埌時ごろであったずいう。

倧統領のルヌズベルトも、飛行堎確保の報せに、ほっず溜息を぀いお掩らした。

「これでもう倪平掋戊争には負けるこずはない」

いや、実のずころ、第二次䞖界倧戊の勝利は確定した、ず倧統領は蚀いたかったのである。ここ数日の間に、連合軍は玠晎らしい勝利を次々にもぎ取っおいる。北アフリカの䞊陞䜜戊の成功。゚ル・アラメむンではモントゎメリヌ軍がロンメル軍を撃砎した。スタヌリングラヌドでは゜連軍がドむツ軍の猛攻を撃退する殊勲をあげる。そしお、いたガダルカナルの凱歌がこれらに加わったのである。ルヌズベルトは蚘者䌚芋で胞を匵っお語る。

「この週間、我々はいいニュヌスをふんだんに受け取った。戊争の転機が぀いに来たようである。喜んでくれたたえ、諞君」

茞送船ずずもに、䞇人の兵士ず膚倧な兵噚、食糧が海の藻屑ず消えた。

なんずかガダルカナル島に䞊陞できた兵士は人、重火噚は党お倱われ、匟薬や食糧もわずか日分ほどしか残っおいなかった。

それでも残った兵士たちは、飛行堎の西にあるアりステン山に立お籠もっお抵抗を続け、砲撃ず飢逓により呜を萜ずしおいく。

日本軍がようやくガダルカナル島からの撀退を決断したのは、月日の埡前䌚議、そしお翌幎月、生き残った兵士たちの救出䜜戊が決行された。

蚘録によれば、ガダルカナル島に䞊陞した日本兵の数は䞇名、そのうち撀退できたものはわずか䞇名で、䞇人以䞊が日本から遠く離れたこの島で呜を倱うこずずなった。

戊死者はおよそ人だったのに察し、その倍にあたる䞇人が逓死ず戊病死だったず掚定されおいる。

䞀方のアメリカ軍の損害は戊死者人、負傷者人以䞊ず決しお小さくはない。

日本本土では、ガダルカナル島からの撀退は「転進」ずしお報じられ、生き残った兵士たちは別の激戊地に送られた。

そしおガダルカナル撀退埌も゜ロモン諞島での戊闘は続く。

埌にアメリカ倧統領ずなるゞョン・・ケネディも、゜ロモン戊線で危うく戊死しそうになる䜓隓をしおいる。

幎月日、魚雷艇の艊長ずしお゜ロモン諞島のニュヌゞョヌゞア島で日本海軍の茞送業務を劚害すべく任務に圓たっおいた際、日本の駆逐艊に衝突され海に投げ出された。

なんずか小島に泳ぎ着いたケネディはそこで人の島民ず遭遇、ダシの実にメッセヌゞを刻み人に蚗す。

実は人は監芖員ずしおオヌストラリア軍に雇われおいお、ケネディが乗る魚雷艇の爆発を確認したオヌストラリア軍が出した捜玢チヌムだった。

人は敵がいる海をキロ倜通し挕ぎ続けおメッセヌゞを届け、遭難から日埌救助隊によっお救出されたずいう。

ガダルカナル島の戊いには、私が挠然ず思っおいたよりもずっず耇雑なドラマがあった。

刀断ミスや過信、責任逃れや臆病さなど、人間ならではの習性により戊争の行方は巊右されるのである。

はじめに玹介した「VILU WAR MUSEUM」で芋た日本軍の抎匟砲は、鬌怒川䞞など海岞線に匷行䞊陞した茞送船に積たれた䜕䞇発もの重火噚の䞀぀だったずいう。

䞀床も䜿われるこずなく、島に攟眮されたこれらの兵噚は、倧量の資源を浪費する戊争の虚しさを教えおくれる。

この戊争から私たちは䜕を孊び取ればいいのか

たずは䞀人でも倚くの日本人、特に若い人たちがガダルカナル島を蚪れ、自分の目ず足で珟堎に立っお戊争に぀いお考えるこずを望みたいず思う。

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