内宮vs外宮
伊勢神宮の歴史を遡ると、今では信じられないような出来事も起きている。
私が特別面白いと思ったのは、内宮と外宮の対立時代があったことだ。
『 古代律令制がそれなりに機能していた時代は内宮と外宮の関係も安定していた。しかし、武士が台頭して朝廷の力が衰える中世ともなると、エネルギッシュに活動する外宮が教義においても財力においても力を伸ばす。ついに両宮が拮抗し、公然と反目しあう状況が生まれた。』
鎌倉後期には、朝廷に提出する文書に、外宮側がそれまで使っていた「豊受太神宮」に代わり「豊受皇太神宮」と「皇」の一文字を入れ、内宮側と対立する事件が起きる。
外宮側は、外宮が祀る「豊受大神」は天地開闢の根源神である「天御中主」と同一であり、アマテラスよりも根源的な皇祖神であると主張するようになる。
抗争は教義上のことにとどまらず、利害が衝突し、実際に暴力沙汰に及ぶことも珍しくなかったという。
『中でも激烈を極めたのは室町後期に起きた、内宮・外宮それぞれに属する御師たちの、やられたらやり返すという集団実力行使の応酬だった。それは一度や二度でなく、たびたび繰り返されたのである。
御師とは下級神職たちによる信者獲得活動から生まれた、いわば営業マン集団。全国をまわって祭祀に使う大麻を頒布し、祈祷を行う。また庶民をお伊勢参りに勧誘し、道中の手配からご当地での宿泊やおまいりの面倒までみる。それは彼ら自身だけでなく、内宮・外宮のそれぞれを大いに潤した。中世に入って朝廷ばかりに頼っていられなくなった状況の下、神宮はみずから運営財源を確保する必要に迫られていた。特にアクティブだったのが外宮であり、その人気と実力は内宮と肩を並べ、もしくはそれを上回る勢いであった。』
いつの時代もパトロンの財力が衰えると、組織維持のために自力営業に精を出す。そうなるともともとの理屈が影を潜め、営業力あるものが力を誇示するようになるのだろう。
1486年には、内宮門前の宇治の御師と国司の兵が外宮門前の山田に攻め入る「正殿放火事件」が起きる。山田の町が焼き払われ、追い込まれた山田の御師たちは外宮正殿に火を放って応戦したという。
その3年後には、今度は山田の御師たちが報復に出て宇治の町を焼いた。端垣内でも斬り合いが生じ、正殿は地で汚されたという。
この時代、外宮では129年間、内宮でも123年間の間、式年遷宮は行われなかった。

伊勢神宮と仏教
伊勢神宮と仏教の関係も、知らねばならないだろう。
日本では千年以上の間、神社とお寺は合体していた。
『 神まつりの頂点に立ち、仏教ともっとも距離を置いたとされる伊勢神宮も無縁ではなかった。その神郡(かみこおり)には伊勢大神宮寺が建立され、称徳天皇寄進の丈六の仏像が納められていた(神宮寺はその後、移され、のちに廃絶)。なお神郡とは神社の領地とされた郡のことで、租税を神社が収納し、庶務を国司とともに行った。』
『 平安時代にもっとも勢力を伸ばした宗教は、大日如来をいただく密教だった。大日如来はこの世をあまねく照らす太陽神を前身とし、釈迦をも包含する宇宙的な根源仏。太陽の化身という点でアマテラスと共通する。密教はこの点を突いて、大日如来とアマテラスは同体であると説く。平安時代も11世紀以降のことだった。
密教は神まつりの頂点に君臨する伊勢神宮に注目し、内宮・外宮の両宮を両部マンダラと結びつけた。つまり内宮を胎蔵界(陰=女性原理)、外宮を金剛界(陽=男性原理)と位置づけ、両宮が両部マンダラを体現していると喧伝したのである。神宮を密教の世界観でからめとり、すっかりその中に納めてしまった。これが両部神道である。』
こうした内宮と外宮の対立や仏教の影響をすべてぶち壊し、今日の伊勢神宮のイメージを作り上げたのは明治政府だった。
つまり、我々が知る伊勢神宮の姿ができて、まだほんの1世紀しか経っていないというのはちょっと驚きである。
常若と中今
明治時代の大改革については、次の記事で書こうと思うが、武澤氏の本で初めて知った2つの言葉「常若」と「中今」について引用しておこうと思う。
『 神道でよく言われる言葉に、<常若(とこわか)>とか<中今(なかいま)>がある。
<常若>とは文字の通り、常に若々しく、清新で溌剌としていること。<中今>とは時の流れの中で今、この瞬間が中心であり、永遠につながっているということ。』
この言葉を知らなかったということは、私がいかに神道と遠い人生を歩んできたかという証なのだろう。
『<中今>は皇統の連続性において語られた言葉だが、式年遷宮にもよく当てはまるように思われる。皇祖が新しい宮に遷座してもっとも輝く今、この時こそ、悠久の昔から永遠の未来の中で「一番中心の時」と受け止められるからである。
式年遷宮がユニークなのは、<中今>の顕現を建築行為においてリアルに捉える点である。皇祖神という神話的存在を輝かせるために、歴史の時間の中で、宮と建て替える。その時、始原と現在、「永遠」と「今」が結びつく。式年遷宮において<中今>が確実に顕現するのである。
地上の現実は一気に超越性を帯びる。同時に、神話的世界が現実と化す。こうしたマジックを可能としたのは、取りもなおさず、建て替えを前提とする工法の選択であった。』
「常若」と「中今」という言葉が私の心を捉えた。
国家権力と結びついた国家神道には嫌悪感を抱くが、神道の精神には最近興味がある。
還暦を過ぎた私の心のうちに響くものを感じるのだ。
武澤氏の本には、ごくわずかしか触れられていないが、もう少し詳しく知りたくなった。伊勢神宮や天皇に関する興味はさらに神道へとつながっていく。