<きちたび>アラビア半島の旅2023🕌バーレーン🇧🇭 「お酒が飲める国」バーレーンは空港で簡単にアライバルビザが取れる

2月5日、クウェートからバーレーンに入った。

バーレーンは、サウジアラビアの沖、アラビア海に浮かぶ小さな島国で、私にとっては91番目の訪問国となる。

島の南部4分の1ほどが米軍基地となっていて、第5艦隊の司令部もここバーレーンに置かれている。

中東で一番最初に油田の開発が行われたバーレーンでは頼りの石油が枯れてしまい、周辺の産油国とは一味違った国づくりから進められていて、そのしたたかさが私の興味をそそるのだ。

クウェートのホテルを出発したのは朝の4時。

前日にホテルで手配してもらった車の運転手は、バングラデシュの人だった。

料金はあらかじめ10ディナールと決められていたので、タクシーのように値段交渉に煩わされることもなく、スムーズに空港に到着した。

空港に着いたのはフライトの3時間前。

どうせ時差ボケです早くから起きているのだから、早めにチェックインを済ませてしまおうと考えたのだ。

ところが搭乗カウンターがまだ開いていない。

ちょっと早すぎのかと思い、ロビーにあるコーヒーショップで時間を潰す。

1時間経って、さすがにもう始まっているだろうと再びカウンターの様子を見に行くが誰もいない。

これは何かおかしいと感じ途方に暮れていると、空港の職員がにこやかに話しかけてきてくれた。

「ガルフ・エアはまだなのかな?」と尋ねると、何と場所が違うというのである。

リムジンの運転手がここだというので、何も考えずに奥に進んで来たが、実は手前に別のチェックインカウンターがあったのを私が完全に見落としていたのだ。

幸いガルフ・エアのカウンターはそれほど混んでいなかった。

クウェートでは何をするにしても朝が空いているのかもしれない。

これならさほど待つこともないだろうと思ったのだがさにあらず、ただ一つのエコノミークラスのカウンターでおじさんが揉めている。

次の客も揉めて、3番目だった私は突然襲ってきた便意と戦いながらイライラの中で待つ羽目となる。

初めて利用するガルフ・エアは、バーレーンの国営航空。

機体は金色に塗装されていた。

クウェートの空港は比較的規模が小さく昔ながらにバスで飛行機まで行くというケースも多いらしく、歩いてタラップを上がるのは、太ったアラブのおばさんたちには大変そうである。

飛行機は定刻よりも10分も前に離陸した。

この日はプライオリティパスを使って無事にラウンジに入れたのに、出発の1時間もう前にファイナルコールガルフアナウンスされたのでバタバタと搭乗口に向かうと、もう搭乗が始まっていた。

のんびりしているように見える中東でもこんなこともあるのだ。

窓の下には新たに建設中の空港らしきものが見えた。

ドバイの成功に刺激され中東では今、熾烈なハブ空港争いが起きているのだ。

クウェート到着が夜便だったので光の帯しか確認できなかったが、今度ははっきりとクウェートの大地を上空から眺めることができた。

見渡す限りの砂漠、むしろ土漠と言った方がいいのだろうか。

クウェートシティを離れるともう街らしい街はまったくない。

離陸してしばらくすると、飛行機は海の上に出た。

ありがたいことに窓際の席がもらえたのでずっと窓の外を眺めていたら、岬の先端に石油の積み出し施設のようなものが見えた。

さらに海の上に点々と油田らしきものも見える。

そうか、クウェートの油田の多くは海底油田なんだなあと実感する。

機内食が出た。

パンが2つと水。

わずか1時間のフライトだし、これなら機内食などなくていいのにとも思ったが、食べることが生き甲斐のようなアラブの世界ではそうはいかないのだろう。

飛行機は順調にフライトし、定刻の20分前にバーレーンの首都マナーマに到着した。

海の上を走る高速道路のようなものが見える。

空港もまだ新しそうで、ナショナルキャリアのガルフ・エア機がずらりと並んでいる。

ドバイのエミレーツ、アブダビのエティハド、さらにはカタール航空やトルコ航空など、中央にはライバルがひしめいているのだ。

今回の旅行では、クウェートとサウジアラビアのビザは事前に取得したが、バーレーンのビザは取らなかった。

到着が朝でこちらに余裕があるというのもあるのだが、いろいろ調べるうちにバーレーンは空港で簡単にアライバルビザがもらえるという書き込みをたくさん見たからだった。

特別な窓口があるわけでもなく、普通の入国審査の際にビザが欲しいと係員に伝え、クレジットカードで5バーレーン・ディナール(約1730円)を払えばOKなのだ。

バーレーンでも入管職員の態度は横柄だったが、宿泊先や電話番号などを聞かれたらくらいで簡単に入国が許された。

サウジアラビアのようについ最近まで国を閉ざしている国に囲まれたバーレーンは、国を開くことによって石油収入の落ち込みをカバーし豊かな国を築いてきたのだ。

こうして予定の到着時刻には、私はもうピカピカの空港ロビーにいた。

まるでヨーロッパを旅行しているような快適さだ。

こうして出入国を簡便で、お酒も飲めるということだけで中東では価値がある。

だから多くの外国企業がバーレーンに湾岸諸国の拠点を構え、さらに周辺国からの旅行者も吸い寄せるのである。

なんとしたたかな小国の知恵。

そんなバーレーンが新たに仕掛ける巨大プロジェクトをこの後私は目の当たりにすることになる。

その話は長くなるので、また後日。

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