<きちたび>カナダの旅 2016 バンフ編①🇨🇦 カルガリー空港からバンフへ!レンタカー・ドライブの際の注意点

🇨🇦 カナダ/カルガリー→バンフ 2016年8月9日

カナダのカルガリー空港でレンタカーを借り、カナディアンロッキーの玄関口バンフまでドライブした際の、道順などをまとめました。

カルガリー到着

窓から見えるカルガリーは、とても人工的でした。

広大な平原の中に突如として現れた計画都市。
中央に高層ビル群がそびえ、それを取り囲むように区画整理されたニュータウンが延々と広がる、そんな印象です。

カナダは、世界第二の広大な国土を持つどでかい国。
そしてようやく来年、建国150年を迎えるまだ若い国です。

カナダのような大きな国を実感するには、時差が役立ちます。

一番東にあるニューファンドランド島は日本との時差10時間30分。
一番西のバンクーバーが時差16時間です。
同じ国の中で5時間30分もの時差があるのです。
5時間半の時差というと日本と中東のイラン。

カナダという国は、本当にびっくりする広さです。

eTAを義務づけられるようになり、入国審査もさぞ厳しいだろうと覚悟していたのですが、拍子抜けでした。
審査官にパスポートを見せただけで何も問われることはありませんでした。
eTAのことも、何も聞かれません。
逆に、eTA申請の際、必要事項を入力しているからなのでしょう、これまでのように機内で入国カードをもらって書くという手間がなくなりました。
税関では夫婦で1枚、申告書を提出しましたが、荷物を調べられることもなくすんなりとカナダ入国です。

空港でレンタカーを借りる

キャッシングマシンでカナダドルを100ドルだけ引き出して、レンタカーショップを探します。

空港内の標示に従って進むと、空港ビルを出て道を渡ったところに、レンタカー各社のカウンターが並んだ建物がありました。

私が予約したのは「Alamo」という会社です。
持参した予約バウチャーを提示すると、受付の女性が手際よく手続きをしてくれます。
クレジットカードと国際免許証、さらに日本の運転免許証も求められます。

万一の時の支払いを免責にする保険への加入を勧められました。
1日10ドルかかりますが、海外ではトラブルはできるだけ避けたいので入ることにしました。

返却時の満タン返しを省略できるオプションも勧められましたが、ガソリンは自分で入れて返すつもりだったので、これは断りました。
後日談ですが、目論みははずれ、給油できないまま車を返却することになったため、結果的には、勧められたオプションに入っていた方が安かったようです。

車は左ハンドル、まずは慎重に

異国での久しぶりの運転、最初はいつも緊張します。

カナダの車は、日本とは逆、左ハンドルで右側車線を走ります。
ただ、スピードメーターはアメリカのようなマイル表示ではなく、日本やイギリスと同じメートルで表示されます。
さすがはエリザベス女王を元首に戴くイギリス連邦の一員です。

道幅は広く、日本でよく見る軽自動車はまったく走っていません。
私たちが借りたアメリカ車も、見るからに頑丈そうです。

慎重に空港を出発すると、すぐにハイウェーの入口がありました。
カナダのハイウェーはありがたいことに、すべて無料です。

大きなキャンピングカーがたくさん走っています。
派手なペイントが施されているのは、レンタルのキャンピングカー。
車体に書かれているのは広告なのでしょう。

私も当初、キャンピングカーを借りることも検討しましたが、まりさんがあまりいい顔をしなかったこともあり、地雷原を避けて断念しました。

レンタカー屋の女性が教えてくれたルートに従い、ハイウェイ2号線を北上。
カルガリーの東側を南北に走る高速道路で、「Deerfoot Trail」 という別名が付けられています。
直訳すると「鹿の足の踏み分け道」、この土地の昔の景色が目に浮かぶようです。

カルガリーの歴史

ここでちょっと、カルガリーの歴史をお勉強。

1876年、今から140年前に、この地に北西騎馬警察の駐屯地が置かれました。
昔の西部劇に登場するような木の塀で囲われた駐屯地。
スコットランドの地名から名前をとって、カルガリー砦と名付けられました。
これが街の始まりです。
そして1883年、カナダ太平洋鉄道が開通し、ここに駅が建設されます。

しかし、この西部の田舎町を大きく発展させたのは石油です。
第二次大戦後、カナダ石油産業の中核都市となり、巨額のオイルマネーが大平原に今日の摩天楼を築きました。
私は知りませんでしたが、カナダの原油埋蔵量は、ベネズエラ、サウジアラビアに次いで世界第3位、世界有数の石油大国なんだそうです。

そして、人口およそ100万人のカルガリーの名を世界的に知らしめたのが、1988年に開催された冬季オリンピックです。

この大会では、オリンピック史上初めてスピードスケート競技が屋内リンクで行われ、男子500メートルで黒岩彰が悲願の銅メダルを獲得しました。

今や国会議員となった橋本聖子が、出場した5種目すべてで8位以内に入賞、フィギュアスケートの伊藤みどりも5位入賞を果たしました。

最近ではメダルを取らないと「あ〜あ」という感じですが、当時はまだソ連や東ドイツが強かった時代、日本人のメダル獲得は厳しい時代でした。

トランス・カナダ・ハイウェイ1号線

ハイウェイの話に戻ります。

ハイウェイ2号線からハイウェイ201号線に乗り換え、今度は南西方向へ。
カルガリーは、街の周囲を取り囲むように高速道路が走っており、市の中心部を大きく迂回して目的地のバンフへと向かいます。

ハイウェイの両側には、緑あふれる住宅街が続きます。
イギリスの経済誌「エコノミスト」が発表した「世界の住みやすい都市ランキング」で、6位に選ばれたカルガリー。
壮大なカナディアン・ロッキーの麓に位置し、ビジネスの中心でありながら都市公園が多いことが評価されました。

お目当ての道路が見えてきました。
トランス・カナダ・ハイウェイ1号線です。

トランス・カナダ・ハイウェイは、カナダを東西に横断する幹線道路網です。
目的地バンフもこのハイウェイ沿いにあります。
片側2車線の高速道路は、走る車もまばらで、のんびりと走れます。

このトランス・カナダ・ハイウェイには、カナダらしいエピソードがあります。

2000年頃、連邦政府が、トランス・カナダ・ハイウェイを全線片側2車線のフリーウェイにする計画を立てたのですが、州政府の反対であえなく中止となってしまいました。

お隣のアメリカには、「インターステート・ハイウェイ」と呼ばれる、全米をつなぐ全線片側2車線以上の巨大高速道路網が整備されています。
カナダの連邦政府もこれを真似したかったのでしょうが、カナダの人たちはもう少し現実的、かつ合理的だったようです。

車の少ないトランス・カナダ・ハイウェイに投資するより、もっと交通量の多い州内道路やアメリカにつながる道路に投資した方がよいと考えたのです。

「地方分権」が徹底していて、連邦政府より州政府の権限が強いカナダ。
ただそれだけではなく、「隣町と同じにしないと格好悪い」という日本ではよく耳にするような「見栄」が、カナダの人たちにはあまりないのでしょう。

「モザイク国家」と呼ばれ、多民族が共存するカナダは、それぞれの考え方の違いを尊重する、そんな国なのです。

カナナスキス・リゾート

トランス・カナダ・ハイウェイ1号線を一路西へ。
のどかな大平原の風景が広がります。

ここカルガリーがあるアルバータ州といえば、牛肉が有名。
「アルバータビーフ」は、カナダを代表するブランド牛です。
赤身が多く、肉質が柔らかい、これを豪快にステーキにして食います。

しかし、予想に反して大平原に牛の姿はほとんど見かけません。
その代わりに見かけたのは、馬。
そう言えば、カルガリーはカウボーイの町としても有名です。

毎年7月上旬には、世界最大のロデオの祭典「カルガリー・スタンピード」が開かれ、100万人もの来場者が集まります。

30分ほど走ると、山が見えてきました。

リゾートとして名高いカナナスキスです。

カルガリーオリンピックではアルペン競技の会場として使われたほか、2002年にはG8サミットの舞台ともなり、時の小泉総理も訪れました。

2002年といえば、前年に起きたアメリカ同時多発テロ事件を受けて、アメリカがアフガニスタンに軍事侵攻、「テロとの戦い」がキーワードになっていた時代です。
そのためサミットでは警備が最優先でした。

首脳たちがいるカナナスキスは完全に隔離され、プレスセンターは100キロ離れたカルガリーに置かれるという異例のサミット。

そして翌年には、イラク戦争が始まります。

「West Banff」の看板にご用心

このカナナスキスを過ぎ、いよいよロッキーの峰々に分け入っていきます。
両サイドには、切り立った岩山が連なります。
「おお〜、ロッキーだ〜」
妙な感慨が湧いてきます。

しばらく進むと「 Canmore 」の看板が見えてきました。
キャンモアはバンフの東に位置するリゾート地です。

ここで、注意情報をひとつ。

このキャンモアの手前に、「West Banff」と書かれた出口があります。
「西バンフ」???
山に見とれている間にバンフを通り過ぎてしまったと勘違いした私は、慌てて高速を降り、道に迷ってしまいました。

💢

なんで、バンフより東に、「西バンフ」があるんだ。
だまされた!

自分で運転してバンフに行かれる方は、くれぐれも騙されないようご注意ください。

国立公園の入園料

さて、キャンモアを過ぎてしばらく進むと、バンフ国立公園の入口です。
高速の料金所のようなゲートがいくつか並んでいます。
ただ、ハイウェイはそのゲートを通らなくても直進できるように作られていて、ほとんどの車はゲートをスルーしているのです。

「一体どうなってるんだ」

意味がわからないまま、私たちも何となくスルーしてしまいました。
後で知ったのですが、バンフ国立公園を旅する人は、1日9.8ドルの入園料を払わなければならないのだそうです。
あのゲートは、バンフ国立公園の入園料を支払うためのものだったのでした。

とは言え、ここで入園料を払わなくても、特にとがめられることはありません。
実際、私たちはバンフの観光案内所で入園料のことを知り、その場で2人×5日分=98ドルを払いました。

支払済のレシートを車のフロントガラスに貼るように言われ、滞在中ずっと貼っていましたが、そんなものは貼っていない車もたくさんあります。
そこは、おおらかなカナダのこと。
知らずに払わなくてもそれなりに何とかなってしまうのかもしれない。

バンフ到着

やがて、右手に湖が見えてきました。
そして正真正銘「 Banff 」の看板、頂の尖った岩山が、四方にそびえます。

ハイウェイを降り、「City Center」 と書かれた案内板にしたがって車を走らせると、山小屋風のモーテル街が道の両側に現れました。
さらに進むと中心部、土産物屋が並ぶバンフ大通りです。

カルガリーからの距離は、およそ150キロ。

ずっと無人のエリアが続いていただけに、バンフの人口密度はちょっと驚きです。
世界中から集まった観光客たち、日本の繁華街並みのにぎわいでした。

この街でちょっと驚いたのは、カナダの人たちの運転マナーの良さ。
交差点では必ず止まり、道を譲ってくれます。
先を急ぐ人がほとんどいません。
親切なのか、それとも皆さん、暇なんでしょうか?

駐車場と観光案内所

駐車もとても便利で、30分以内なら道端に駐車OK。
いくつかある公共のパーキングに入れると3時間も駐車無料です。

狭い街なので、どこかの駐車場に止めて歩くのがよさそうです。

観光案内所も、バンフ大通りに面しています。
山小屋風の建物で、地図や観光パンフレットが手に入ります。

事前の情報収集といえば、図書館で借りた「地球の歩き方」にざっと目を通した程度で、何をするか予定を立てていない私たちは、目についたパンフレットを片っ端からいただきました。

ただし、日本語のものはありません。すべてカナダの公用語である2つの言語、英語とフランス語で書かれています。

多くの移民を受け入れ「人種のモザイク」と呼ばれるカナダですが、予想外に「多言語対応」は遅れているようです。

まあ、「英語=世界言語」と言う事なのでしょう。

カルガリー空港からレンタカーでバンフへ。

途中戸惑うこともありましたが、基本的にはゆったりと走りやすいドライブでした。

レンタカー返却時のトラブル

バンフでの5日間の滞在を終え、カルガリー空港でレンタカーを返却した際のちょっとしたトラブルを書いておこうと思います。

私たちは、余裕を持って空港に行き給油するだったので早めに空港近くまでたどり着いたのですが、なんとガソリンスタンドが見当たりません。

満タン返しの契約なので、空港の周辺をウロウロ探します。
しかし、高速のインターを降りて、空港に着くまでの間およびその周辺には、一つのガソリンスタンドもないのです。

給油のために街まで引き返すのは無駄なので、仕方なく返却時にお金を払って精算することにしました。

ところが、ここでまた問題が・・・。

レンタカーの返却場所がえらい混雑で、大行列ができているのです。
どうやら、この時間に車の返却が集中する一方、日曜日でスタッフの人数が足りず処理が追いつかないようです。

ようやく私たちの順番になると、汗だくのスタッフが適当に車をチェックし、「いいからさっさと空港に行け」といった仕草で追い払われます。
あまりにいい加減な対応で不安になりましたが、後日明細を確認すると、ガソリン代はしっかりクレジットカードから引き落とされていました。

旅先でのトラブルはつき物。

何事にも同様しない太い神経と時間に余裕を持ってレンタカーは返すようにしましょうという教訓だったのかもしれません。

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