白黒写真

今回の帰省では、もうひとつタイムスリップのきっかけがあった。「宿のおばちゃん」から渡された私の幼稚園時代の白黒写真だ。

私は、東京の南青山で生まれた。

父が勤めていた農林省の官舎がそこにあった。父はノンキャリ官僚で農林省統計局というところで働いていた。実際には働いていたのは見たことがなく、役所の脇の空き地でいつも仲間たちと野球をしていた。官舎も役所に隣接していたので、幼かった私の記憶に空き地で野球をしている父たちの姿がなぜか焼き付けられている。

官舎は木造の二階建て、ボロボロの建物だった。廊下の窓ガラスはいつも割れていて、テープで穴を塞いでいた。部屋は四畳半一間で、トイレ、台所は共用。風呂は銭湯に通った。銭湯は高級スーパー紀伊国屋の裏にあった。砂利道を歩いて銭湯に行っていた記憶がある。

幼稚園には、表参道の交差点を渡って通った。東京オリンピックの前、「三丁目の夕日」の時代だ。表参道の交差点を少し入ったところに今もある長野・善光寺の分院。その中に私が通っていた善光幼稚園があった。

先生は尼さんだった。角田先生という名前をなぜか覚えている。おそらく親から話を聞いたのだろう。

今回の帰省で、思いがけずその角田先生と再会した。正確に言うと、「宿のおばちゃん」が家の片付けをしていて私の幼稚園時代の白黒写真を見つけ、私に渡してくれたのだ。

幼稚園の遊具の前で撮られたその写真には、幼稚園時代の私と角田先生が映っていた。

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角田先生の記憶は残っていないので、この写真を見て特段懐かしいということもなかった。ただ、幼稚園で私はたびたびお漏らしをした。一人でトイレに行けない子だった。きっと角田先生がパンツを履き替えさせてくれたのだろう。

善光幼稚園の記憶は、お漏らしの記憶。人間の思い出というものは、不思議なものでできている。

伯母からもらった白黒写真は古い写真立てに入っていた。それを我が家に持ち帰り妻に見せた。写真立ては古いので、妻が写真を取出してアルバムに入れようとしたところ、写真立ての中から別の家族写真が4枚出てきた。

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これはおそらく、両親が結婚したばかりの頃に撮った写真と思われる。右上が父、手前にしゃがんでいるのが母。左上が亡くなった祖母、母の後に立っているのは多分今年97歳になる伯父だ。そして母の両隣にいるのが私の従姉妹だと思う。古都宿の実家の玄関前で写した写真だ。

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こちらの写真は私が生まれた後、弟が生まれる前の両親の写真だ。場所はおそらく東京だろう。

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そしてこちらは弟が生まれた後の写真。母のやつれ方がすごい。

セピア色をした白黒写真を家にあった光沢紙にコピーしてみた。白黒でコピーすると普通の白黒写真になった。セピア色が示していた時間の流れが消え去ったが、被写体からは圧倒的な昭和の香りが漂い出す。

母に写真立ての中から古い写真が出てきたことを伝えると、あまり覚えていない様子だった。とりあえずコピーした写真を我が家に残して、原本は母に送ってみせてあげようと思う。

母の脳裏に忘れていた時間が蘇るかもしれない。子どもの幼少期の思い出は、子ども自身ではなく親にこそ色濃く残るものだから・・・。

 

 

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