司馬遼太郎著「この国のかたち」第一巻を読み進めていて、「テゲ」という言葉が気になった。
『大概大概(テゲテゲ)という方言が薩摩にある。テゲだけでもいい。 「将たる者は、下の者にテゲにいっておく」 そういう使い方をする。薩摩の旧藩時代、上級武士にとって配下を統御する上で、倫理用語ともいうべきほどに大切なことばだった。 上の者は大方針のあらましを言うだけでこまごまとしたさしずはしないのである。そういう態度を、テゲとかテゲテゲとかといった』
上の者は大方針を言うだけで現場に任せる。私も日頃からそうしているつもりだが、本当の所は部下たちの受け止め方である。正直自信はない。
司馬さんはテゲを体現した人物として3人の名前をあげる。
西郷隆盛、大山巌、東郷平八郎。当然3人のことは知っているが、実際に彼らがどのようにテゲだったのかは知らない。
テゲについて、司馬さんはこうも書いている。
『このことは薩摩の風土性というよりも、日本人ぜんたいの風であるらしい。誤解をおそれるのだが、テゲにいは、いいかげんとかちゃらんぽらんといった語感はない』
私はどちらかと言うと、「いい加減」「ちゃらんぽらん」な面がある。テゲではないらしい。
『かれらはマスター・プランを明示したあとは部署部署をその責任者にまかせてしまい、自信は精神的なーーー高貴なーーー象徴性を保つだけで終始する』
どうやら私に足りないのは「高貴な象徴性」ということのようだ。
司馬さんは児玉源太郎を大いに評価している。
「上司にかついだ大山巌に対しては精密そのものの補佐者でありつつ、一方部下だった後藤新平に対してはまったくのデゲであり、一人格にして同時期にそういうことをなし得た。 日本的な機構は、右の仕組みが安定した型といっていい。 ただし、大山と児玉、あるいは児玉と後藤という人物を得なければ滑稽なものになる。 デゲであるべき人物は、人格に光がなければならない。人格は私心がないことが必要で、それに難に殉ずる精神と聡明さが光源になっているものだが、それとはおよそ逆な人間ーー自己肥大した人格ーーが首領の座につくと、日本人は神経的に参ってしまう」
私は「私心」はない方だと思っているが、難に殉ずる精神や聡明さは足りない気がする。人格に「光」などというものはないが、「自己肥大した人格」でもないと思っている。ただ、人格に「光」を持ちたいものだとは思う。
「日本史には、英雄がいませんね」
アメリカ人の学者からそう指摘された司馬さんは、「この感想は正鵠を射ていると思った」そうだ。この場合の英雄とは、アレクサンドロス大王や始皇帝のような地球規模で自己を肥大させた人物を指すらしく、司馬さんは「世界史的典型としての英雄を日本史が出さなかったーーーというよりその手の人間が出ることを阻み続けたーーーというのは、われわれの社会の誇りでもある」と評価している。
「どういうことなのか、日本人は、老荘を学んだわけでもないのに老荘的なところがあって、虚(無あるいは空といってもいい)を上に頂きたがる。また虚の本質と効用を知っているようでもある。虚からすべてがうまれるとも思っている」
「この組み合わせの成功が、後世、人を得ずに単なる型になった。 その後の日本陸軍は、くだらない人間でも軍司令官や師団長になると、大山型をふるまい、本来自分のスタッフにすぎない参謀に児玉式の大きな権限をもたせた。この結果、徳も知謀もない若い参謀たちが、珍妙なほどに専断と横暴のふるまいをした。それらは太平洋戦争史の大きな特徴にもなっている」
「人を得ずして単なる型になる」とは、今の社会でもよく見られることだ。私もこの傾向はある。人の能力をきちんと見極めること、心しておきたい。
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