丘の上の豪邸街

須藤の滝に沿って急な坂を登っていくと、閑静な住宅街に出る。
古くて立派な木造家屋。こんな広々とした家が並んでいるのだ。

お庭も綺麗に手入れされている。

瓦を乗せた立派な塀に囲まれた豪邸もある。

石塀の広大な邸宅もある。
須藤と書かれた表札。須藤公園を寄贈した須藤家の末裔だろうか?

洋風の豪邸もある。
丘の上に並ぶ豪邸街は、かつて海を望むことができる超高級住宅街だったのだろう。
森鴎外記念館と観潮楼
そんな住宅街を抜けると、団子坂に出る。

夏目漱石、森鴎外、二葉亭四迷、正岡子規、江戸川乱歩など、文豪たちの作品にたびたび登場する地名だ。
明治から大正にかけて、多くの文人がこの界隈に暮らしていたのだ。

そんな団子坂沿いに、コンクリート造りのモダンな建物が建っている。

「文京区立 森鴎外記念館」。
かつて、森鴎外が暮らした邸宅跡に生誕150年を記念してオープンした。

記念館の裏手に回ると、「観潮楼趾」と書かれた石盤が。
森鴎外は1892年から亡くなるまで30年間ここに暮らし、自宅を「観潮楼」と称した。家の2階からは東京湾が望めたからだ。

観潮楼には、鴎外を訪ねて永井荷風、芥川龍之介、伊藤左千夫、石川啄木、斎藤茂吉など多くの文人が訪れ、サロンの役割も果たしていた。

記念館の敷地内には、大きなイチョウの木とその脇に埋め込まれた石が残されているが、これは鴎外の生前からあったものだ。

記念館の入口を入ると、シンプルな壁面に森鴎外のレリーフが飾られていた。
鴎外は陸軍軍医として日清日露戦争にも従軍、軍医総監にまで上り詰める傍ら、小説家、戯曲家、評論家、翻訳家としても活躍した。

当時男性中心だった文壇の中で、鴎外は女性作家を差別しなかった。中でも高く評価し応援したのが、樋口一葉、与謝野晶子、平塚らいてうの3人だ。今ちょうどこの3人の特別展も記念館で開かれていた。
平塚らいてうの活動の場となった青鞜社も、ここ千駄木にあった。

入館料500円を入り口で払い、打ちっ放しのコンクリートに挟まれた階段を降りる。
しかし残念ながら、展示室の撮影は禁止だった。
展示スペースはさほど広くはない。鴎外の足跡がパネルで示され、写真や作品が発表された雑誌が並べられている。

展示スペースの最後に映像シアターがあり、観潮楼のこと、千駄木のこと、そして現代の作家3人が森鴎外を読み解くVTRが流される。
森鴎外、ほとんど読んだことがないなあ。
千駄木を歩くと、明治期の日本のことをもっと勉強しなさいと諭されている気がした。
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