2月24日に始まったロシア軍の侵略は、4月に入って大きな転換点を迎えたようだ。

「ウクライナ北部での軍事作戦を終了する」とした発表通り、ロシア軍は首都キーフ周辺はら部隊を撤退させ、ウクライナ政府は「キーフ州全域を奪回した」と宣言した。
圧倒的な兵力を投入した電撃戦により早期に首都を包囲し陥落させるという当初の作戦をロシア側は完全に放棄したらしい。

ロシア軍の撤退直後、西側のメディアが激戦地となったキーフ北西部のブチャに入ると、死亡した市民の遺体が道路の上にそのまま放置されていた。
私もフランスで戦場取材の訓練を受けたことがあるが、撤退に際し、地雷や仕掛け爆弾を残していくのが戦場の常識らしい。
こうして放置された遺体を収容しようとして体を動かした瞬間、仕掛けられた爆弾が爆発することもあるのだ。
いつまで見られるかはわからないが、英BBCの現地リポートをリンクしておく。
避難する途中でロシア軍に遭遇し射殺された夫婦のエピソードがドローンが撮影したとされる映像とともに紹介される。
これを事実と見るか、ウクライナ側のプロパガンダと見るかは別にして、現地の様子から判断して、激しい戦闘が長期にわたって展開され、かなりの数の市民が犠牲になったことは間違いないだろう。
遺体は露軍の激しい攻撃で廃虚と化した市内各地に点在している。英紙サンデー・タイムズは2日、ブチャの民家の地下室で、両手両足を縛られた子どもを含む男女18人の遺体が見つかったと報じた。遺体はバラバラに切断されていたという。
犠牲者の多くは18~60歳の男性だとの情報もある。撤退決定を受けて露軍が組織的に住民を殺害したとも考えられる。露軍部隊が遺体や民家に地雷を仕掛けているとされ、民間人被害の全容把握には時間がかかりそうだ。
引用:読売新聞

ロシアに占領されたエリアで多くの市民の遺体が発見されてことを受けて、ゼレンスキー大統領は「ジェノサイドだ」とロシアを強く非難するほか、国連や西側諸国でもロシアへの追加制裁の動きが出始めている。
西側メディアが激戦地の取材を始めることで、今後ロシアによる蛮行が暴かれ、反ロシアの国際世論がさらに一段と高まることも予想される。

また軍事侵攻の最初のターゲットとなったキーウ北西部の空港も解放された。
ロシア軍はまた、首都近郊のホストメリ空港からも撤退したと伝えられている。戦略的に重要なこの空港周辺では、侵攻開始以来、激しい戦闘が続いた。
空港の格納庫には、かつて世界最大の貨物機として知られた「アントノフ An-225」(通称ムリーヤ)があったが、現地で取材するBBCのジェレミー・ボウエン中東編集長らが、破壊された機体の残骸を確認した。
ウクライナ国営防衛企業ウクロボロンプロムは、機体の再建費用は30億ドル(約3680億円)に上るとしている。
引用:BBC

一方で、ウクライナ東部・南部ではロシア軍による攻撃が激化されているという。
ロシアは、軍事侵攻の口実とした東部ドンバス地方2州を完全に掌握したうえで、実効支配するクリミア半島と地続きとし、アゾフ海を完全にロシアの内海にすることによって、ロシア国内に「勝利宣言」をするとの見方が有力となっている。
アメリカメディアは、5月9日の「対独戦勝記念日」までにロシアが勝利宣言をするだろうとの観測を伝えている。
いかにもありそうなシナリオだが、果たして思惑通りに進むだろうか?

ロシア軍の包囲が続き、ライフラインが途絶えて久しい南東部の要衝マリウポリ。
フランスなどの仲介により、ようやく一部市民の救出が実現した。
動きの鈍いUNHCRやICRCなどの国際機関も、今回はオペレーションに加わったようだ。
しかし市内には依然多くの住民が身動きできない状態に置かれていて、じわじわとロシア軍の占領区域が広がっているらしい。

ロシアがマリウポリの住民を強制的に連れ去りサハリンに連れて行っているという報道も依然あったが、真相は全くわからない。
ロシア側の報道では、ロシア軍が入った地区で食料を配るなどの援助を始めていて、食料を受け取った住民がロシアに感謝しているといったニュースが流れているようだ。
戦場ではフェイクニュースが意図的に流される。
誰が何の目的で流しているのか慎重に見極める必要がある。
調べていくと、誰かが想像で語った噂話があたかも真実のように人から人へと広がっていくこともよくあることだ。

ウクライナ側がロシア領内の燃料基地を攻撃したとの報道もあった。
これはロシア側が流しているニュースであり、もし本当ならば今回の戦争が始まって以来初めてウクライナ側がロシア国内で反撃したことになる。

攻撃が行われたとされるベルゴロドは、ウクライナ第二の都市ハルキウの北方、国境をまたいだすぐの位置にある。
ウクライナ東部の中心都市ハルキウでは依然としてロシア軍の攻撃が続いていて、西側の援助で態勢が整ってきたウクライナ側がロシア軍の補給路を攻撃したとしても不思議ではない。
この攻撃にはウクライナの攻撃ヘリが使われたとされ、それが真実ならば、ウクライナ側が制空権も取り戻しつつあるというふうに解釈できる。
今月に入ってからの戦況の変化は、今回の戦争が収束に向かって動き始めていることを示しているように感じる。

それにしても、軍事大国ロシアに対して真っ向から対抗するウクライナ人の反骨精神には驚かされる。
日本にもし、ロシアや中国、北朝鮮が攻め込んできたら、日本人は武器を持って戦うだろうか?
地理的に見て、ヨーロッパ諸国よりも日本の方が遥かに危険な位置にある。
周囲を敵対的な国々に囲まれて、友好国であるはずの韓国とも仲が悪い。
NATOのような集団安全保障の枠組みはなく、ただひたすら日米同盟にすがるしかないのだ。

ウクライナでの戦争が重大な局面を迎える中、昨夜ウクライナ人の反骨精神の原点を探る番組が放送された。
NHKスペシャル「ウクライナとロシア 決別の深層」。
番組ホームページにはこう書かれていた。
ウクライナ危機の泥沼化は、なぜとまらないのか。世界の2000に及ぶ関係論文を解析すると、8年前の“マイダン革命”が要因として浮かび上がった。親ロシア派政権を崩壊させたウクライナ市民の抗議活動。NHKが記録した参加者たちを探すと、命がけで戦闘に協力、徹底抗戦を支える姿が見えてきた。それに対し、核使用まで想定するプーチン大統領。何が、攻撃激化に駆り立てているのか。歴史的視点も交えて危機の行方を見通す。
引用:NHK
ロシアの軍事侵攻が始まった直後、留学先のアメリカから帰国した若いカップル、レシィとオレナ。
アメリカの友人たちから送られてくる医薬品を軍に手渡す活動を行なっている2人、危険を冒してキーフに戻った理由をこう語った。
『彼女が部屋に入ってきて「ウクライナで戦争が起きている」と言った時、信じられませんでした。実際、2日間眠れませんでした。なぜこんなことが起こるのか、21世紀にもなってこんなことがあるなんて信じられないです。この状況では働けません。勉強もできません。平気なふりをするなんてできない。「大丈夫?」という質問にどう答えたらいいのか分からない。自分の夢や留学での計画がすべて崩れてしまったから、そしてアメリカにいても自分たちの国には何の役にも立たないことがわかったのです。だから、私とオレナはウクライナに戻ることにしました。』
実際にウクライナに入国した時には・・・
『アメリカを出発する前は覚悟していたつもりでしたが、国境を越える時に心の中で実感がわきました。「これはもう後戻りできない」「もう出国はできない」とね。ここから出る唯一の方法はこの戦争に勝つことだと思います。』
レシィさんが戦いに参加することを決めた原点は2014年2月の「マイダン革命」にある。
ロシアの意向を受けてEU加盟の方針を突如撤回した大統領に対し2013年11月、多くの市民がキーウ中心部の独立広場に集まり抗議運動が始まった。
市民が主導する民主化運動によって親ロシア派の大統領を追放したこの事件は、ウクライナとロシアの関係を決定的に変えた。
学生だったレシィさんも抗議活動に参加し広場で歌を歌った。
『私がマイダン革命で音楽を演奏していたのは民主的で個人が参加する大きな運動だったからです。動員したり先導したりする人はいなかった。自分たちの国にとって正しいと思うことをやっていただけです』
キエフの広場を舞台にした衝突の末、大統領はロシアに亡命、EU加盟を目指す暫定政権が発足する。
しかしプーチン大統領はこれが許せなかった。
ロシアは、突然謎の覆面部隊をクリミア半島に送り込み、地方政府の施設や空港を占拠。
親ロシア派の人物を自治共和国の首相に据えて住民投票を実施して、ウクライナからの独立とロシアへの編入を一方的に宣言した。
これが今に続くクリミア併合の始まりである。
さらに対立はロシア系住民の多い東部ドンバス地方にも飛び火。
親ロシア武装勢力とウクライナ政府軍の戦闘が始まった。
私たちは今回のロシアの軍事侵攻を突然の出来事を感じたが、ウクライナの人々にとってロシアとの戦争は2014年以来もう8年間も続いていたのだ。
レシィは言う。
『マイダン革命の後、すべてが変わりました。ロシアが我々の敵であることがはっきりわかったんです。この敵によって全国民は本当に団結したと言えるでしょう。私たちが誰か、ロシアではないということを本当に理解したのです。ウクライナは自由と民主主義の国です。私たちの国には支配者や独裁者、プーチンのような人はいらないのです。私たちの社会では受け入れることができません。』

プーチン大統領はなぜ、そこまでウクライナに執着するのか?
ウクライナとロシアの関係を研究するキーフ・モヒラ・アカデミー大学のタラス・クジョウー教授はこう分析する。
『プーチンの20年で何が変わったか? ソビエトより前、ロシア帝国時代の考え方に変わったのです。ウクライナのアイデンティティを完全に否定する「汎ロシア国家」という考え方です。「汎ロシア」です』
プーチン大統領は去年、「ロシア人とウクライナ人の歴史的一体性について」という論文を発表したが、これについてクジョウー教授は反論する。
『ロシアとウクライナはもともと一つで枝分かれしたものであると。1930年代のナチスの「汎ゲルマン主義」ととても似ています。ドイツ語を話す人、ドイツ文化を持つ人はみんな「汎ゲルマン国家」の一部であるというように。プーチンはこの考え方を採用するようになりました。ウクライナ人なんてそもそも存在しない。ウクライナ人を作ろうとするのは、ロシアを分断しようとする西側の陰謀だと言っているんです』
ロシア国内では政府による言論統制によって、反戦運動は完全に抑え込まれている。
直近の世論調査では8割のロシア国民がプーチン政権を支持しているという。

医療物資の支援を続けるレシィは、そうしたロシア国民にも怒りをぶつける。
『ウクライナ人が怒っているのは、ロシアが侵略をしてきたという理由だけではありません。みんなロシア人に怒っています。プーチンにではなく、ロシアの普通の人々に怒っているのです。ロシア人はもう20年もプーチンに何もしていない。もし大統領が気に入らなければ国から追放すればいい。私たちがマイダン革命でやったように。そしてロシア人が「私たちの責任ではない」「なぜ私たちは制裁のために苦しむのか」「戦争は私たちのせいではない」と言うのなら、私たちは本当に怒っています。自分の政府には自分で責任を持たなければならない。もし何もしないならその政府を肯定しているのと同じです。それは政府を支持し、人を殺すことを支持していることになる』
こうしたウクライナ人の反ロシア感情は、調査によっても裏付けられている。
2014年のマイダン革命後も50〜60%で推移していたEU加盟への賛成が、ここにきて86%にまで高まったのだ。
ロシア系住民が多くこれまで賛否が拮抗していた東部や南部でも大半の国民が賛成に回った。

ウクライナ人の反骨精神の原点となった2014年の「マイダン革命」。
当時の様子を描いた番組が3月初めの深夜に再放送された。
「引き裂かれる祖国で〜ウクライナ・独立広場の若者たち〜」
革命後に新たな大統領を選ぶ選挙が行われた2014年5月にNHKスペシャルとして放送された番組らしい。
革命から3ヶ月が経っても、キーフ中心部にある独立広場には多くのテントが建てられ、自警団と称する若者たちが広場を守っていた。
その中には東部ドンバス地方から革命に参加した若者たちの姿もあった。
民主化運動に参加するためにキーフに来ている間に、自分の住んでいたドンバスは親ロシア派武装勢力の支配地域となり、彼らは知らぬ間に「裏切り者」とされ故郷に戻ることができなくなった。
革命の中心地となったキーフの独立広場でも、ロシアに雇われたとみられる男たちが時折騒ぎを起こす。
ドンバスから来た若者たちは広場に泊まり込み、いつ来るともわからないロシアの攻撃から広場を守ろうとしていたのだ。
『これまで私たちは国内の敵、前大統領と戦ってきました。しかし今は国外からの侵略者が敵です。ロシア政府、プーチンです』
広場の様子はまるでフランス革命を思わせ、天安門事件や香港の雨傘運動を思い起こさせる。
広場を守る若者たちの言葉には、どこか絶望感が漂っていた。
『親ロシア派は、私を見つけようと実家を捜索しています。私が反ロシアの組織に属していると疑っているのです。実家や婚約者の家も調べられ友人も尋問されました。両親からは「お前の顔は二度と見たくない」と勘当されました。姉は「あんたの墓を掘って花を捧げる」と私に言いました。年配者の気分は今でもソビエト時代のままです。「ソビエト時代は良かった」と不満ばかり言うんです。みんなロシアの方が豊かで給料も高いと知っているんです。もちろん戦争は嫌だし誰も戦いたくなどありませんよ』
この当時からキーフに通じる幹線道路には検問所が設けられた。
警察と自警団が協力して不審人物や武器の持ち込みを厳しくチェックし、24時間体制で行うために道路脇には自警団のキャンプもできていた。
ドンバスから来て自警団に加わった若者は言う。
『私を支持してくれている婚約者をドネツクから早く連れ出したいです。昨日、故郷の親友が電話で「お前は裏切り者だ、民族主義者だ」と。私は違うのに。わかっています。もう心に決めています。もし内戦になったらドネツクに戻り、良心の呵責なくロシア国旗を持つ者を射殺します』
ウクライナの各地には、彼のような故郷を追われたドンバスの人々が移り住んだ。
あれから8年間、ウクライナでは家族や友人を引き裂く形でロシアとの戦争が終わることなく続いていたことがこの番組でよくわかった。
プーチン大統領の思惑とは裏腹に、この8年の年月がウクライナの民族意識を高め、激しい抵抗の原点となった。
100年前、日本が占領した朝鮮や中国の人々が日本への恨みを忘れないように、ウクライナ人の心に刻まれたロシアに対する敵意は今後長く消えることはないだろう。