<吉祥寺残日録>「映像の世紀」と見ながら、独裁者について考える #200827

台風のせいなのだろうか?

今日の雲は、すごく猛々しい。

しかも、刻々とその姿を変えていくので、見ていて飽きないのだ。

上の写真など、まさに「風雲急を告げる」といった緊迫感を感じる。

このところ、ずっと百年前の第一次大戦から第二次大戦にかけての歴史をずっと調べているものだから、こうした雲がひときわ気になってしまうのかもしれない。

数日前の話だが、録画してあった「映像の世紀」を見た。

私が最も好きなテレビ番組を一つあげろと言われたら、おそらくNHKの歴史ドキュメンターリー番組であるこの「映像の世紀」のシリーズを真っ先に挙げるのではないかと思うぐらい好きな番組である。

20世紀、映画が発明され歴史が初めて映像として後世に残る時代を迎えた。

世界中の人たちがスマホを持ち、日々膨大な映像が撮影される現代と比べれば残された映像の量はごくごく少量ではあるが、この番組は世界各地のライブラリーに保管されている貴重な映像を掘り起こして、これまで紙でしか知らなかった近代史に命を吹き込んでくれる。

歴史的なフィルムに重い緊迫感をもたらすのが加古隆のテーマ曲「パリは燃えているか」。

この曲を聴くだけで、心がざわざわしてしまう。

私がテレビマンとして本当に作りたかったのは、こんな番組だった。

毎回打ちのめされる思いで番組を見ているのだ。

最新作シリーズ「映像の世紀プレミアム」では、俳優の山田孝之がナレーションを担当している。

これがまた、絶品なのだ。

当初からこの番組を担当してきた女性アナウンサーの山根基世さんとの読み分けも完璧で、ナレーションも過不足なく、本当によくできた番組だと思う。

2016年から放送を開始した「映像の世紀プレミアム」の第9集のテーマは独裁者。

2018年6月に放送された「独裁者 3人の“狂気”」が先日再放送されていて、それを録画して見たのだ。

3人の独裁者とは、ムッソリーニ、ヒトラー、そしてスターリン。

いずれも第二次世界大戦の主役であるが、独裁者と言っても3人の印象には大きな違いを感じる。

2人はファシスト、1人は共産主義者。

第一次大戦後の不況と不安定な情勢の中で、民主主義は無力さを露呈した。

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その困難の中から「ファシズム」を立ち上げたのがムッソリーニだった。彼はもともと社会主義者だったが、国民の期待に応えられない民主主義に限界を感じ、一人の強い指導者が方針を決定し国民がそれに従う政治体制を作り上げた。

ムッソリーニは、民衆とともに働きその様子を映像で撮影した国民に広く見せた。彼はすぐに上半身裸になって強い男をアピールしたらしく、番組内ではムッソリーニが服を脱ぎ穀物の収穫を行う様子が映し出される。

これって、まるでプーチンのようではないか。いや、きっとロシアのプーチン大統領の方が、ムッソリーニのやり方を研究しているのだろうと感じる。

ムッソリーニはある意味で、人間味があり、多くの人を魅了し、女性にもモテたという。

出たがりで自己演出に熱心という意味ではトランプ大統領も当てはまるが、自らの見え方と再選にしか興味がないトランプさんよりもムッソリーニの方がはるかに政治家としては優秀だったようだ。

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古代ローマの栄光を取り戻すことを掲げたムッソリーニは実際にイタリア経済を立て直し、多くの国民から熱狂的に支持される。

だから、20年以上にわたってイタリアのトップに君臨したのだ。

そのムッソリーニに憧れ、徹底的に真似をしたのがヒトラーだった。

ヒトラーの代名詞として知られる右手を真っ直ぐに伸ばした敬礼。この「ローマ式敬礼」もムッソリーニの真似であった。

ムッソリーニの「黒シャツ隊」を模して作ったのがナチスの「突撃隊」なのだ。

ヒトラーに初めて会ったムッソリーニは、ヒトラーを無教養な「道化師」だと思ったという。勉強家で数カ国語を自由に操ったムッソリーニに対して、ヒトラーはただ単に権力欲と人種的偏見に満ちたちっぽけな男に映った。

しかし結局、ムッソリーニはヒトラーの狂気に引きずられて戦争に突入し、敗戦が濃厚となるとイタリア人の手によって逮捕され、最後はイタリア人の手で処刑されてしまう。

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それに対しヒトラーは、敗戦まで権力を維持した。

その原動力となったのが、教育だったと番組を指摘している。

若者たちを強制的に「ヒトラー・ユーゲント」に組織化し、ナチスの一員としての忠誠心を植え付けた。純粋な若者たちは容易にヒトラー に洗脳され、ドイツ人の理想郷を作るための戦いが始まるのだと教え込まれた。

その結果、ベルリンが陥落する日まで「ヒトラー・ユーゲント」の若者たちはヒトラーへの忠誠を貫いたのだという。

番組の中ではそんな「ヒトラー・ユーゲント」に加入したある若者の回想が紹介されれる。

僕たちは総統と国家のために、戦い、殺し、必要とあらば死ぬ覚悟はできていました。父や母は、今にも戦争が起こりそうな状況を憂いていましたが、僕たちはヒトラー・ユーゲントの教え、すなわち戦争は人類にとって必要な浄化のプロセスなのだと信じていたのです。父や母は、単にひどく時代遅れの愚かな人間としか思えませんでした。

なんと恐ろしい言葉だろう。

こうして洗脳された我が子に、父や母はどんな言葉を投げかけることができるのだろう。

こうした若者たちへの組織だった洗脳は、ポルポト時代のカンボジアでも北朝鮮でも中東のテロ組織でも、実に様々な国で行われ、今も行われている。

もちろん戦時中の日本も例外ではない。

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一方のスターリンは、2人とはまた少し違う。

ムッソリーニやヒトラーがゼロから組織を作り上げたのに対し、スターリンはレーニンの死後、彼が作り上げた共産党を乗っ取った。

その手法は、ライバルたちに対する徹底した「粛清」だった。人事権を駆使して自らに近い人間で周囲を固め、ライバルたちを無実の罪で追い落としていく。

実に卑劣なやり方だ。

本来は人民が主役のはずの共産主義国家で、スターリンが独裁者となっていく過程では1000万人以上の人命が失われたと言われている。

もしレーニンがもっと長生きして別の後継者を選んでいたとしたら、ソ連や共産主義国家の形は全く違ったものになったかもしれない。

ムッソリーニとヒトラーが第二次大戦中に非業の死を遂げたのと対照的に、戦勝国の独裁者となったスターリンは74歳の生涯を全うした。

後を継いだフルシチョフは「スターリン批判」を行ったものの、毛沢東など他国の指導者たちはスターリンに憧れ、強制収容所や秘密警察といったスターリン式の統治システムを導入していく。

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現在ロシアを率いるプーチン大統領は、共産主義者ではないがスターリンを再評価し、独裁者としての地位をますます強めようとしている。

つい先日もロシアの野党指導者に対する毒殺未遂事件が起き、お隣のベラルーシで窮地に追い込まれている「最後の独裁者」ルカシェンコ大統領と手を組む動きも見せている。

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中国でも、毛沢東に並ぶ絶大な権力を手にした習近平総書記も、スターリン主義を引き継ぎ、ITを駆使した新たな監視社会を作り上げた現代の独裁者となった印象を受ける。香港での民主化運動を力で封じ込め、大量のウィグル族を強制収容所送りにしていると国際社会から批判されている。

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一方で、アメリカのトランプ大統領は、まるで独裁者のような気分次第の政策を次々に打ち出して話題を振りまいてきたが、独裁者というにはあまりに組織の使い方が稚拙である。

今行われている共和党大会でも、ブッシュ元大統領など共和党主流派の有力者が登場せず、連日トランプファミリーが演説する前代未聞の党大会となっている。

トランプさんのために命を懸けるような側近はいないという意味ではトランプさんの権力基盤は極めて脆弱だ。

それでも岩盤支持層を維持しているのは、トランプ大統領個人が持つ天才的なポピュリスト的タレント性の賜物である。

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それでは、わが日本はどうだろう?

歴史に残る3人の独裁者を眺めてくると、日本の指導者像はやはりとても特殊に見える。

ヒトラーやムッソリーニと手を組み日独伊三国同盟を締結して米英との戦争に突入した日本だが、2人のような独裁者は存在しなかった。

強いて言えば東條英機だろうが、彼は軍部内で順繰りにポストを回す中でたまたま対米開戦の時にお鉢が回ってきたに過ぎない。戦時中の息苦しい監視社会には彼の性格が大いに影響していると言われるが、東條自身は決して独裁者ではない。

三国同盟を熱心に推進した外相の松岡洋右は、スターリンを巻き込んでソ連を加えた四国同盟を画策していた。各自がバラバラに動いているうちに、戦争が拡大し最後は資源確保のために対米戦に踏み切るのだ。

日本の権力構造の最大の特徴は、最終的に誰が判断したのか極めて曖昧なことだ。

一貫してソ連を最大の仮想敵国として満州を侵略したにも関わらず、国家的な意思統一がなされないまま現場が暴走し、中国との全面戦争に突入し、ヨーロッパ戦線でのドイツの快進撃に触発されてアメリカとの戦争に雪崩れ込んでしまう。

一人の独裁者が決めたわけではない。

軍部の中にも反対する者はたくさんいたが、メディアや多くの国民は逆に戦争を煽っていた。

対米戦に最も強く反対していた山本五十六が、最後には真珠湾攻撃の英雄となる。

変な国だ。

誰が最終的な責任者なのか判然としない。

でも、この曖昧さこそ日本社会の特徴であり、今の日本社会にも変わらず広く浸透している。

政府でも官僚でも一般企業でもどこでも見られることである。

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「安倍一強」と言われた安倍総理でさえ、結局独裁者のような権力を手にすることはできなかった。

その意味では独裁者を生まないある種の遺伝子を、私たち日本人は生まれつき持ち合わせているのかもしれない。

それならそれで、悪いことばかりではないと私は思うのだが・・・。

2件のコメント 追加

  1. dalichoko より:

    チャップリンの『独裁者』とそっくりですね。驚きます。(=^・^=)

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