<吉祥寺残日録>岡山二拠点生活🍇 背が高くなりすぎた柿の木を切ってくれたシルバーさんの腕に感服 #221013

今日は3人のおばあちゃん巡り。

ブドウと柿をお土産にしようと、朝から少しだけ収穫してきた。

ブドウの方は、すでに旬は過ぎて熟れすぎてダメになった粒も目立ち始めたが、まだ大半の粒は十分食べられそうである。

柿は種類によって、すでに食べられる柿と11月ごろまで待ったほうがいい柿があり、とりあえず我が家で一番最初に熟す「御所柿」を何個が採ってみた。

「御所柿」は甘柿のルーツと言われる歴史ある品種だそうで、「ひらがき」の名で売られている柿も元はこの御所柿のことらしい。

色づきからいえばもう食べ頃のようにも見えるが、実際はどうなのか?

とりあえず1個皮をむいて食べてみることにした。

妻が一口食べて「美味しい」と言った。

お店で売っている柿に比べて小ぶりで種もあるが、その実はしっとりしていて色艶もいい。

食べてみると、想像以上に甘かった。

お店で買う柿に比べても糖度が高く、私には少し甘すぎるほどだ。

これならおばあちゃんたちにあげても喜んでもらえるに違いない。

まず最初に訪れたのは、妻の両親である義父母が入所する介護付き老人ホーム。

入り口の扉のところに透明のフィルムが貼られて、フィルム越しの対面ができるようになっていた。

義父は起き上がるのが億劫だということで面会に出てこず、義母とだけ15分間話ができた。

フィルム越しに妻が赤ん坊の写真を見せながら、お宮参りの様子などを義母に伝える。

義母は入所前に比べて元気そうだった。

義母との面会を終えて、今度は私の母のもとへ。

ブドウ、柿と一緒に、赤ん坊の写真をプレゼントする。

そして母が一度行ってみたいと言っていた先月オープンしたばかりの商業施設「杜の街グレース」に一緒に出かけた。

1階にはちょっと北欧っぽいおしゃれなフードコートができていて、そこで軽くランチを一緒に食べる。

それから真新しいスーパーマーケットで母は買い物をした。

私の母は浪費家ではないが、いい物を少しだけ買うという主義の人で、デパ地下に時々買い物に出かけるのが好きだった。

この新しい商業施設はデパートよりも自宅に近いので、タクシーで行くにしても節約できると思ったらしい。

そして今の母にとって一番大事なのは亡き父の仏壇に供えるお花を買うこと。

この商業施設にはおしゃれな花屋さんもあり、早速自分の好みで見繕ったお供え花を買って帰った。

来年には90歳の大台を迎える母は、義母や伯母に比べるとまだしっかりしているが、新しい場所に行くとすぐには適応できないようで、スーパーでも買い物した後に動線がわからなくなって品物を持たずに外に出ようとするなど、昔の母とは明らかに様子が違ってきた。

母を自宅まで送り届けた後、最後に伯母が入所しているグループホームに立ち寄った。

この施設では今も面会が許されないため、赤ん坊の写真とブドウ、そして伯母の好物である「大手まんぢゅう」を少しだけ差し入れた。

その施設では地元の新聞しかないので伯母が「私は朝日新聞しか読まん」と言っているという話をヘルパーさんから聞いた。

確かに伯母は長年ずっと朝日新聞を購読していたので、試しに施設宛に朝日新聞を届けてもらおうと思いついた。

ひょっとすると、伯母にとって新聞がいい刺激になるかもしれない。

こうして3人のおばあさんを訪ね歩いている間に、突然妻の携帯電話が鳴った。

裏庭の背の高くなりすぎ西条柿の老木を切断したいと相談していたシルバー人材センターのおじさんからだった。

今日の夕方なら、別の仕事の帰りに我が家に立ち寄って問題の柿の木を切ることができるという内容の電話で、急遽来てもらうことになった。

この柿の木は私が子供の頃、すでに相当高い木だったが、今では一番高いところが7〜8メートルほどになってしまい、三脚に乗っかって高枝鋏を伸ばしても高い位置の柿には到底届かない状態だ。

おまけに老木なので台風などで万一倒れると近所の家を破壊する危険性もあった。

約束通り午後4時半ごろに、2人のシルバーさんがやってきた。

12尺(約4メートル)の大きな三脚を持ってきている。

さらにロープや滑車も使って、太い幹が落下して周囲のものを壊すことをなるべく防ぎながら作業をしてくれるという。

まずは作業の邪魔になりそうないちじくの木をチェーンソーで切り倒す。

シルバーさん曰く、いちじくは根元の方で切っても来年そこから新しい芽が伸びてくるので、古い幹をバッサリと切った方がいいとのことだった。

チェーンソーの音を聞きつけたのが、裏の家のおばあさんが顔を出し、「あらあらいちじくを切ってしまうんかな」と驚いたように声をかけてきた。

すかさずシルバーさんが「いちじくは切った方がええんよ」と答えると、おばあさんは何も言わず長年見慣れた風景が荒々しく変わっていくのを眺めていた。

きっと、若い人たちが勝手なことをしていると心の中で思っているのだろう。

いちじくの木はあっという間に切り倒されてしまった。

義母が大好きだったいちじくだが、今年はいい果実がひとつも収穫できないままシーズンを終えることになる。

結果的にいえば、いちじくの木を残したままでも柿の木の切断はできたのだが・・・。

いよいよ2人は柿の木に取り掛かった。

切断する高い場所にある太い幹にロープを巻きつけ、それを木の根元近くに固定した滑車を通して体格の良い方のおじさんがそれを引っ張る。

そしてもう一人の身軽なおじさんが三脚を上り、柿の木に乗り移る形で、ノコギリを使って太い幹を切り始めた。

チェーンソーではなく手で切るんだ、と私は感心しながら作業を見守る。

幹を切りながら、おじさんが「半分もう腐っとる」と教えてくれた。

この柿の木がいつ植えられたのか、おそらく伯母でも知らないだろう。

伯母がお嫁に来た時にはすでにこの柿の木はここにあり、伯母はそれを60年以上守ってきたのだ。

このまま放置しておけば、この柿の木はまだしばらくの間、実をつけたに違いない。

でもいろいろ検討した結果、高くて手が届かない上半分を切除することを決めたのだ。

これによって老木が死んでしまう可能性もある。

木の上のおじさんからの指示を受けながら、地上にいるおじさんがロープを引っ張ったり緩めたり。

これはとても自分ではできない作業だった。

こうして無事に一本、また一本と空に伸びた太い幹が切断され、ロープにぶら下がる。

その反動でかなりの柿の実が落ちたが、半分以上は枝に残ったまま、ゆっくりと地上に下ろされた。

見事なロープワーク。

ロープの扱い方ひとつで木が倒れる方向もコントロールできるのだ。

こうしてわずか30分足らずで、柿の木の高さは半分になった。

中程から伸びていた細い枝は残してもらったが、来年果たしてこの枝に実がつくかどうかは疑問だ。

老木にとって、今日の切断は大手術であり、致命傷となるかもしれない。

しかし、この老木が突然倒れるリスクは多少軽減されたことは確かだろう。

これで作業代6000円はまったく高くない。

切ってもらった幹にはたくさんの柿がなっていた。

去年までは手が届かず、鳥の餌になっていた柿の実である。

細長い形の西条柿は渋柿で、この実を使って昔から干し柿を作っていた。

私たちも枝についた柿を切り取り、落ちた実も潰れていないものは集めて、2種類に分類した。

まだ硬い実は干し柿用に・・・。

そしてすでに熟した柿はそのまま冷やして生食用にする。

西条柿は渋柿だが、完熟になると甘くなる。

どろっとゼリー状になった実をスプーンで食べるのだ。

こうして慌ただしく一日が終わった。

老木を切るのはなんとなく心が痛むが、シルバーさんに言わせれば「ここまで高くしたらおえん」ということで、本来は早い段階で上に伸びる枝を切り、手の届く高さで管理するものだそうだ。

もしも伯母が家に戻って柿の木やいちじくの木が切られたのを見たら、さぞ悲しむだろうと感じる。

でも、家というものは住む人によって少しずつ姿を変えていくのだ。

伯母が守り続けてきたこの家の価値を再生できるように、少しずつ新陳代謝を図っていくのが私たちの務めだと思っている。

<吉祥寺残日録>赤ん坊を見せに来た姪たちのために柿ジャムを作る #211123

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