<吉祥寺残日録>寺田寅彦が書き残した非常時の教訓 #200516

新型コロナと共存する「新たな日常」が少しずつ私たちの中に定着してきているように思える。

来週1週間、私は有給休暇を取ることにした。

緊急事態宣言が一部解除されるのを待っていたわけではないが、妻と一緒に来週岡山に行くことになった。

自宅で転倒してお尻の骨を折り長く入院していた妻の母親が、来週退院することになったのだ。

岡山では、新規の感染者はほとんど出ておらず、緊急事態宣言の対象地域から外れたばかりだが、県外からの来訪は遠慮してほしいと言われていたので、入院中もずっと行くことを遠慮していた。

ただ、まだ歩くことがおぼつかない状態らしく、自宅に戻ってからの手伝いは必要不可欠だろうと判断した。

私も、車の運転や物の移動など何かしら手伝いもできるだろうし、一人暮らしをしている私の母や伯母のことも気になっていたので、このタイミングで顔を見てこようと思う。

母に電話でその旨を伝えると、「ずっと家にこもっていたので、来るのならデパートと美容院に行きたい」と言っていた。

まあ、少しは外に出た方が体にもいいだろう。

そんなことで、来週1週間、東京を留守にするにあたり、血圧の薬をもらっておかねばと思い立った。

私は吉祥寺のクリニックでいつも薬をもらっているのだが、前回3月には、電話での診察がまだ十分に整備されておらず、「今クリニック空いているので、待たずに診察が受けられますよ」と言われて、のこのこ病院まで行って対面で薬を処方していただいた。

今回クリニックに電話すると、受付の女性が慣れた感じで「電話だけでお薬出せますよ」と言った。2ヶ月の間に、病院にも「新しい日常」が定着したことを感じる。

しばらく経ってから、いつも見てもらっているお医者さんが電話をかけてきてくれた。少し話してから、「次回は血液検査と尿検査を受けてもらいますから」と告げられ、電話による診察は終了した。

診察後、受付の女性に言われた通り、いつもの薬局に電話をする。まだクリニックからファクスが届いていないので、処方箋が届き薬が用意できたら私の携帯に電話をもらうことにした。

こうして特に問題もなく、薬局に出向いて2ヶ月分の薬が手に入れることができた。

とても簡単だった。

「新たな日常」も一概に悪いことばかりではない。

さて、自宅にずっといる新たな日常の中で、いま少しハマっているのが「青空朗読」である。

明治から敗戦後あたりの時代の作家たちが、何を感じて生きていたのか、タイムカプセルを開くような驚きがある。

その一つ、物理学者の寺田寅彦という人が書いた「天災と国防」という文章を聞いた。今の日本人の心情に通じる点があると感じながら耳を傾けたのだ。

https://aozoraroudoku.jp/voice/rdp/rd247.html

冒頭部分を引用させてもらおう。

「非常時」というなんとなく不気味なしかしはっきりした意味のわかりにくい言葉がはやりだしたのはいつごろからであったか思い出せないが、ただ近来何かしら日本全国土の安寧を脅かす黒雲のようなものが遠い水平線の向こう側からこっそりのぞいているらしいという、言わば取り止めのない悪夢のような不安の陰影が国民全体の意識の底層に揺曳していることは事実である。そうして、その不安の渦巻の回転する中心点はと言えばやはり近き将来に期待される国際的折衝の難関であることはもちろんである。

出典:青空文庫

「非常時」という単語は、政治家たちの口からどれほど聞いただろう。

寺田寅彦がこの文章を書いたのは、昭和9年11月。満州事変から3年、国際連盟脱退の翌年である。

満州国では溥儀が皇帝に即位し、東北地方では冷害による飢饉が発生し、ドイツではヒットラーが総統に就任、中国共産党の長征が始まった年でもある。

日本も世界も、激動の最中、戦争の足音が近づいていた。

この年は、災害も多かったようだ。

 そういう不安をさらにあおり立てでもするように、ことしになってからいろいろの天変地異が踵を次いでわが国土を襲い、そうしておびただしい人命と財産を奪ったように見える。あの恐ろしい函館の大火や近くは北陸地方の水害の記憶がまだなまなましいうちに、さらに九月二十一日の近畿地方大風水害が突発して、その損害は容易に評価のできないほど甚大なものであるように見える。国際的のいわゆる「非常時」は、少なくも現在においては、無形な実証のないものであるが、これらの天変地異の「非常時」は最も具象的な眼前の事実としてその惨状を暴露しているのである。

出典:青空文庫

この年、3月には2000人以上の死者を出した函館の大火、9月には死者・行方不明者3000人以上を出した室戸台風が日本列島を襲った。

災いは続くことが多い。コロナ危機の真っ最中の日本でも、このところ地震が多いのが気になっている。コロナだけでなく、地震にも備えて非常食にはなるべく手をつけないよう、妻とは話しているのだ。

こうした昭和9年に物理学者でもある寺田寅彦は、こんなことを書いていた。

 一家のうちでも、どうかすると、直接の因果関係の考えられないようないろいろな不幸が頻発することがある。すると人はきっと何かしら神秘的な因果応報の作用を想像して祈祷や厄払いの他力にすがろうとする。国土に災禍の続起する場合にも同様である。しかし統計に関する数理から考えてみると、一家なり一国なりにある年は災禍が重畳しまた他の年には全く無事な回り合わせが来るということは、純粋な偶然の結果としても当然期待されうる「自然変異」の現象であって、別に必ずしも怪力乱神を語るには当たらないであろうと思われる。悪い年回りはむしろいつかは回って来るのが自然の鉄則であると覚悟を定めて、良い年回りの間に充分の用意をしておかなければならないということは、実に明白すぎるほど明白なことであるが、またこれほど万人がきれいに忘れがちなこともまれである。もっともこれを忘れているおかげで今日を楽しむことができるのだという人があるかもしれないのであるが、それは個人めいめいの哲学に任せるとして、少なくも一国の為政の枢機に参与する人々だけは、この健忘症に対する診療を常々怠らないようにしてもらいたいと思う次第である。

出典:青空文庫

それまで経験したことのない不幸に見舞われると、いつの世も人は「神秘的な因果応報」のようなものを感じるものなのだろう。

最近問題になっている、医療関係者に対する差別だとか、自粛要請を守らない店舗に対する通称「自粛警察」といった人間の醜さが表面化するのも、こうした非常時の常なのである。

しかし、良い年があれば悪い年もあるのは「純粋な偶然の結果としても当然期待される自然変異の現象」であると説明している。学者らしく、「自然変動=ナチュラル・フラクチュエーション」という耳慣れない言葉を使っているが、要するに時々そうした悪い出来事が起きるのは当たり前であり、「悪い年回りはむしろいつかは回って来るのが自然の鉄則である」と人々を諭しているわけだ。

今年、誰も予想していなかった新型コロナウィルスが世界中で猛威を振るい、百年に一度の危機だと騒ぎ立てているが、確かに経済的にはそうかもしれないが、戦争に比べたら精神的なストレスはなんということはない。歴史をちょっと振り返るだけで、もっと悲惨な境遇はいくらでも見つけることができるのだ。

ことさらに「非常時」だと言い募り、それを口実に悪巧みしようとする政治家たちが登場しがちなので、それには気をつけなければならない。

重要なのは、悪い年は必ずやってくると思って、平時から備えておくことだ。

しかし、寺田が言う通り、人間はすぐに忘れてしまう。

「良い年回りの間に充分の用意をしておかなければならないということは、実に明白すぎるほど明白なことであるが、またこれほど万人がきれいに忘れがちなこともまれである」

そうでなくては、しんどくて生きてはいけない。

重要なのは、政治家や官僚など、国民の命と生活を守る役割の人たちの心構えだと寺田は言うのだ。

「少なくも一国の為政の枢機に参与する人々だけは、この健忘症に対する診療を常々怠らないようにしてもらいたいと思う次第である」

私も、100%同意する。それが国政を預かる者に課された使命である。

それは、86年前も今も変わらない。

歴史を知れば、技術が進歩しても、人間の本質は進歩しないことがよくわかる。

この後、日本が歩んだ戦争への道を再び進まないよう庶民としてもしっかりと監視しながら、「新たな日常」に慣れていこうと思っている。

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