都会の人間には関係ないが、農閑期という言葉がある。
1月は、多くの農家にとっては農閑期だ。
なんといってもこの季節は草刈りをしなくていいのがありがたい。
秋に刈った畑に行ってみると、枯れ草を覆い隠すように緑の草が広がっていた。
この冬の時期にも芽吹く植物もあるのだ。
この草たちのかわいらしいのは、草丈が低いこと。
こういう草が一年中畑をカバーしてくれれば、まるで牧場のような美しい景観になる。
わざわざ草を刈らなくても、そのまま草たちの好きなように任せておけばいい。
この時期には収穫できる作物もほとんどない。
我が家の畑に残っているものといえば、わずかな九条ネギくらい。
それとてさして大きくは育っていない。
家の裏庭にはレタスが生きているが、これも結球することなく、どちらかと言えば外側に開く形で成長していた。
なぜ結球しないのか調べてみると、種まきや植え付けの時期が遅かったか、肥料不足が原因だと書いてあった。
どちらも思い当たる節がある。
こちらの葉っぱはコカブのようだ。
葉はそれからに育ってはいるが、肝心のカブがない。
一緒にタネを蒔いたラディッシュは全然発芽しなかったと見える。
そんな寂しい裏庭に、見慣れぬ葉っぱがひとつだけあった。
雑草にしては立派ないでたちなので、植物の識別アプリを使ってチェックしてみると、チンゲンサイと判別された。
チンゲンサイなんて蒔いたかな?
妻に電話して聞いてみると、ミックスシードの中に混じっていたのではないかと言う。
チンゲンサイにしては茎が短い気もするが、食べてみればわかるだろうと思い、葉っぱを数枚摘み取ってみた。
レタス、コカブ、九条ネギと、チンゲンサイらしきもの。
これを鍋にして食べようと豚肉を買ってきた。
妻がいたら絶対に買わないインスタントの胡麻豆乳鍋のスープを買い、豚肉と葉っぱ類、さらに去年収穫したジャガイモも加えて鍋を作った。
余ったスープに昔もらった半田そばの乾麺を放り込み、この日の晩ごはんの出来上がり。
レタスもコカブもチンゲンサイも、みんな柔らかく美味しくなった。
今回の帰省中、寒さはそれほど厳しくはなかったが、ずっと雨が降ったり止んだらのぐずついた天気だったため、無理をして畑仕事をする気にもなれない。
こうしてありあわせの野菜と賞味期限が切れそうな保存食品を使って適当な料理をするのが主な仕事となった。
滞在期間が短いので買い物は最小限にとどめ、なるべく無駄なく使い切ることに専念する。
私の妻もそうだが、主婦は毎日こういう作業をやっているんだと思うと、結構頭を使う仕事である。
今月唯一やらなければならなかった仕事は、ブドウの木の剪定作業だった。
前の年に伸びた枝を根元の芽を残してバッサリと切り落としていく。
この作業は寒い1月にやるのがいいとされているのだ。
この作業を行うのも今年で3年目。
最初のドキドキ感はなくなって、ただ黙々と枝を切ってゴミ袋に入れていく。
1芽残して2番目の芽の手前で切るのが基本。
しかし我が家のブドウの木はすでに老木なので、枝の間隔が不規則になっているため、周りの様子を見ながら勘で切る位置を変えていく。
過去2年、こんな感じでまあまあ上手くいったので、ちょっと作業が雑になっている気もする。
こうして3時間ほどで剪定作業は終わった。
要らない枝がなくなって、棚がずいぶんスッキリした感じだ。
幹の表皮が厚くなっているのが気になる。
こうした皮の裏側で害虫が越冬すると聞いたからである。
ちゃんとはいであげた方がいいのかもしれないけど、まあ今年はこのまま様子を見ることにしよう。
剪定した枝は一輪車に積んで別の畑に運び、後日焼却する予定だ。
次に岡山に来るのはおそらく3月。
それまでには乾燥して燃えやすくなっていることだろう。
こうして今月やることは半日で終わってしまったので、この後どうするかいくつかの選択肢が浮かんだ。
さっさと東京に戻る、何もせず岡山でのんびりする、春に果樹の苗木を植えるための土づくりをする、県北の湯郷温泉に行ってみる。
そんな時テレビで偶然「神戸ルミナリエ」が始まったというニュースを見たのである。
阪神淡路大震災が起きた1995年には私はパリにいて、神戸で起きたことをちゃんと理解していないことに思い当たった。
一度、自分の足で神戸の街を歩いてみるのも悪くない。
もう震災から29年も経ってしまいその痕跡はほとんど残っていないかもしれないが、それでも実際に行ってみると何か感じるものがあるに違いない、と思った。
思い立ったらすぐに実行。
ホテルを確保し、神戸から東京に戻る飛行機も予約した。
こうして急遽私は、21日に神戸に行くことになったのである。