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<きちたび>アウシュヴィッツに行って来た④ ビルケナウのショパン

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ビルケナウ

線路の先に待ち受ける恐怖の門。

アウシュヴィッツの悲劇を象徴するカットとして、様々な印刷物やテレビで見て来た光景だ。そこに私もついに来た。

何枚もの似たような写真を撮った。スマホでも撮り、Goproでも撮った。

この写真に写った場所が「ビルケナウ」だ。

「ビルケナウ」という名前はアウシュヴィッツという総称の中に隠れ、何度も目にしているはずなのに、今回の旅行まで私の記憶に残ることはなかった。

「第二アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所」。「アウシュヴィッツⅡ」とも呼ばれる。

死の門

第一アウシュヴィッツ強制収容所から3キロの場所の広がっている。バスでわずか5分ほどの距離だ。個人客用にはシャトルバスもあるらしい。

バスは施設から数百メートル離れた駐車場に止まる。

周囲には野の草花が咲き誇っている。「第一」に比べて広々としている。

砂利道を歩いてビルケナウの象徴「正門」に向かう。まるでピクニックだ。

監視塔と鉄条網に囲まれた収容施設が見える。しかし、開放感がある立地のせいか重苦しさを感じさせない。何となく、のどかだ。

砂利道の上に一本のレールが現れる。ビルケナウの正門をくぐり、収容所の中へとまっすぐに伸びている。ヨーロッパ各地から貨車で運ばれたユダヤ人たちにとってはまさしく「死の門」であった。

敷地の広さは175ヘクタール。300棟以上のバラックが建設され、アウシュヴィッツよりさらに大規模で計画的に建設された一大殺人工場だった。

囚人たちから「死の門」と呼ばれたこの正門には、ナチス親衛隊の中央監視塔が置かれた。

門をくぐる。まっすぐな砂利道がどこまでも伸びている。

破壊されたバラック

砂利道に沿って有刺鉄線が張られたフェンス、その中にレンガ作りのバラックが残っている。

現在残っているのは、レンガ作りのものが45棟、木造のバラックが22棟だ。

残りのバラックは、焼かれたり破壊され、暖房用の煙突だけが残った。

そして砂利道の右手には引込み線が3本に分かれて敷設されていた。

私はガイドの説明もそっちのけでグループから離れて写真を撮影した。

「選別」の線路

死の門から伸びるレール。

レールの先には一台の貨車が止まっていた。

囚人たちがこのような貨車に乗せられて運ばれたということを象徴する意味で置かれているのだろう。

彼らはここで貨車を降ろされ、まずは男女に選別され、さらに労働のために生かされる者とそのままガス室に直行する者が選別された。

「選別」はまさにこの場所で、親衛隊と医師によって行われた。

ビルケナウの複数に分かれた線路は、単なる分岐ポイントではなく、命の分かれ目だったのだ。

そしてこの線路の先には2つのクレマトリウム、すなわちガス室と焼却炉が待ち受けていた。

撤退する親衛隊員は証拠隠滅のため、ビルケナウにあった4基のクレマトリウムすべてを爆破した。それでも今も破壊の跡は見学することができるという。

しかし、残念ながらガイドツアーはそこには行かず、説明をろくに聞かずに写真を撮っていた私は線路の先に破壊されたクレマトリウムがあることさえ知らなかった。

死のブロック

ガイドは私たちを木製の門に導いた。ここから先は、女性収容者専用のバラックだ。

ビルケナウでは、エリアごとに収容される囚人の性別や民族を選別していた。女性収容所、男性収容所、家族収容所、ジプシー収容所・・・。

その中に「死のブロック」と呼ばれるバラックがある。

親衛隊がもはや労働に適さないと判断された女性たちがこのバラックに移され、ガス室に送られる日をただ待つのだという。

中にはよく映画などに登場する三段の蚕棚が並んでいた。

この1区画に5人が入れられた。板の上に藁を敷き縦に押し込まれた。

ビルケナウが建設される前のアウシュヴィッツでは三段ベッドだった。戦争が長引き、ユダヤ人絶滅の方針が徹底される中で、囚人たちの環境はどんどん劣悪になったのがわかる。

このバラックの外には可憐な草花が咲き誇っている。

ビルケナウのショパン

このビルケナウの売店で私は偶然、一枚のCDを購入した。日本語の小冊子だと思って買った中に、CDが混ざっていたのだ。

タイトルは「ビルケナウのショパン」という。

このCDにはたった1曲しか録音されていない。ショパンの「エチュード 作品10 第3番」。この1曲には、とても深い物語があった。

CDに添えられた解説書の裏面に書かれた文書を引用する。

『アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所では11の囚人オーケストラが活動していた。オーケストラの主な任務はコマンドと呼ばれた囚人労働隊が労働に出る時と戻って来た時に行進曲を演奏することだった。そんなオーケストラの中に、1943年に編成された女性音楽隊があり、指導者の一人が一流バイオリニストのアルマ・ロゼだった。音楽隊ではポーランド人およびユダヤ人作曲家の作品を演奏することは禁じられていたが、異例の状況下でそれらの作曲家の曲が演奏されたことがあった。

このCDには1944年にアウシュヴィッツ・ビルケナウ収容所でアルマ・ロゼが仕上げ、彼女の指揮で音楽隊が演奏した作品にほぼ近い形で再現した曲が録音されている。このショパンの作品を編作することは元収容所女性音楽隊メンバーだったヘレナ・ドウニチ・ニヴィンスカの発案で生まれた。』

つまり、ドイツの行進曲ばかり演奏させられていた女性バイオリニストが、禁じられていたポーランドの作曲家ショパンの曲をアレンジしビルケナウの中で密かに演奏したという秘められた史実をこの一枚のCDは今日に伝えようと作られたのだ。

アルマ・ロゼの物語は、ドキュメンタリーや映画の題材になりそうだ。

こうした背景を知って聴くと、収録されたショパンのエチュードは、一層美しく悲しく心に響いてくる。

偶然手に入れた一枚のCDは、この先も戦争の悲劇を私に思い起こさせることだろう。

戦後のポーランド

アウシュヴィッツには、収容所群全体で少なくとも130万人が連行された。そのうち20万人は他の収容所に移されたが、1944年ソビエト軍がアウシュヴィッツを解放した時、収容所にはわずか7500人の囚人が残されていただけだった。

さらに皮肉なことに、解放されたポーランドはソビエト軍の影響下に置かれ、それまで共にナチスと戦ったポーランドの共産主義者と反共主義者の内戦に突入した。

アンジェイ・ワイダ監督が名作「灰とダイヤモンド」で描いたドイツが降伏した日のポーランド。

ナチスからの解放は「自由」を意味するものではなかった。ポーランドは戦後45年にわたってソ連の支配下に置かれることとなった。

アウシュヴィッツを象徴する「ユダヤ人迫害」は、ヒトラーが初めて作り出したものではない。それはキリスト教社会が、2000年にわたって築き上げてきた差別構造だった。

ナチスだけ、ヒトラーだけが問題なのではないのだ。

戦争や差別というものは、人間が本質的に秘めている「悪」である。油断をすると、どこからともなく姿を現し、気がつかないうちに巨大化して人間社会を呑み込んでいく。

アウシュヴィッツは、日本にとっても他人事ではない。

アウシュヴィッツは、すべての人間の心の中にあるのだ。

人間の心を制御して戦争を防ぐ。

アウシュヴィッツでその誓いを新たにした。

<関連リンク>

アウシュヴィッツに行ってきた① 苦手なツアーに参加して・・・

アウシュヴィッツに行ってきた② 鉄条網と赤い靴

アウシュヴィッツに行ってきた③ 地下監獄とクレマトリウム

アウシュヴィッツに行ってきた④ ビルケナウのショパン

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<参考情報>

私がよく利用する予約サイトのリンクを貼っておきます。



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