扁平な顔

『長者がほしいものは、若者の扁平な顔であった。』

本を読んでいて、このフレーズがちょっと気になった。

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いつも利用している吉祥寺図書館が今月からリニューアル工事のため使えないため、今日初めて少し離れた武蔵野市中央図書館に行ってみた。

自転車で10分ほど、意外に近い。

本の数はこちらの方が圧倒的に多いので、基本こちらでもいいかなと思う。気の早い話だが、来年の夏休みどこに行くか、リサーチを始めた。カリブ海、ベトナム、ルクセンブルク、シリコンバレー・・・。脈絡もなく、行きたいエリアのガイドブックを借りた。ちなみにベトナムは妻のリクエストだ。

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さて、冒頭に書いた気になるフレーズ。司馬遼太郎著「義経」の中に出てくる。

義経が単身、京から奥州に逃げた時、雪が深く進めなくなり、「あずみ」という社所の長者の家に泊めてもらった時の話である。夜、長者の娘が伽(とぎ)にきた。若い義経にはよくわからなかったが、当時の奥州では「都の血を欲することは渇いた者が水を恋うよりもはげしい」という事情があった。

このくだりが、現代との比較で興味深い。キーワードは「扁平な顔」である。

『 長者がほしいものは、若者の扁平な顔であった。

扁平 鼻ひくく 色白で、ひげが薄い 瞼は一重

これが、若者のような畿内人の特徴であった。この相貌は、韓国人を祖型としている。が、奥州人は、京の言葉でいうけびと(毛人)であった。

毛が濃く、顔の彫りは深く、鼻はひくからず、瞼はあざやかな二重にくびれている。この祖型は白皙(はくせき)人種の一種とされているアイヌであろう。

奥州人はみずからの祖型を恥じ、遠い都の扁平の顔を貴重としそれを恋うた。扁平の顔が奥州でふえるごとに奥州人はよろこび、奥州も「熟した」とした。

娘は目が胡桃のように大きく、濃いまつげでふちどられ、そのまつげが風をよぶように動く。

時代が変わればこの娘の貌(かお)はよほどの美人とされるであろうが、若者の時代の京都貴族の好みでは目は眠れるほどに細く、唇のかぼそい、いわば韓(から)の王室王女といった貌が佳しとされていたから、娘のようなかおは下品でしかない。

(美しい娘ではない)

と、若者はおもった。』

義経はその後、平泉に入るが、そこでも毎夜違う娘たちが伽に来た。都の血を求める親たちに言われるがままやってくるのだ。

美の感覚は、時代とともにこうも変わるものか。

人間、生まれる時代によって随分と運命が変わるのだろう。

私の場合は、今の時代でよかったと思っている。

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