南京事件の話を続ける。秦郁彦氏の本の続き、南京事件に至る経過が書かれている。それによると・・・。

昭和12年7月7日 盧溝橋事件
7月11日 近衛内閣5個師団の河北派遣声明
7月末 北京・天津地区を占領
8月31日 北支那方面軍編成、第一軍・第二軍が河北省の省都保定を目指して進撃
9月24日 保定を占領
10月10日 石家荘を占領
8月13日 上海で戦闘開始
8月15日 上海派遣軍編成(松井軍司令官)
10月末まで上海地区の激戦続く
11月5日 第十軍杭州湾上陸
11月9日 大上海全域の占領を発表
2ヶ月半におよぶ上海攻防戦は死傷者4万人とも言われる甚大な損害を与えた。
「上海戦の惨烈な体験が、生き残りの兵士たちの間に強烈な復讐感情を植え付け、幹部をふくむ人員交代による団結力の低下もあって、のちに南京アトローシティを誘発する一因になったことは否定できない」
11月7日 中支那方面軍(上海派遣軍+第十軍)編成
11月15日 第十軍が南京進撃を決定
11月19日 中国政府首都を重慶に移す
12月1日 南京攻略の大命伝達
12月7日 蒋介石南京を離れ漢口に移る
12月9日 降伏勧告状送付
12月10日 南京城総攻撃を命令
12月12日 日本軍南京入城
12月13日 南京陥落

南京事件を誘発した要因が5つあげられている。
①域内進入兵力を制限する方針が守られず域内に7万以上の兵力が入り込んでしまった
②憲兵の不足
③捕虜の取り扱いについての指針の欠如
④占領後の住民保護を含む軍政計画の欠如
⑤12月17日の入城式挙行を急ぎ全軍あげた掃討作戦を実施
さらに先陣を争って兵站を無視した進軍をすすめたこと、上海戦以降捕虜の処刑が暗黙の方針となっていたことなども大きな要因とされる。