昭和4年の式年遷宮
武澤氏は、昭和4年の式年遷宮にも言及している。
『 この時の式年遷宮は空前の盛大さと豪華さを誇るものであった。それは木材の材質選定や茅葺きの一本一本にまで神経を配るといった社殿の最高級の仕上げ、宝物やしつらえの豪華さ、参加者の陣容や数に及ぶまで、様々な面にわたっており、「復古」のレベルをはるかに超えるものであった。
豪華さの例として一つ、正殿の扉の装飾を付け加えよう。これを見ると、大きな飾り金物が所狭しと取り付けられ、圧倒される。当時の時代状況を想起すると、あたかも伊勢神宮が大日本帝国の大きな勲章をジャラジャラつけているようにも見えてしまうのである。
何がそのような盛大さをもたらしたのだろうか?
それは、時代の空気と無関係とは言えない。昭和4年と言えば、満州事変が勃発する2年前である。
昭和初期、東アジアにおける緊迫した軍事情勢の下、ナショナリズムの異様なまでの高揚が、皇祖をまつる神宮式年遷宮に空前の盛儀をもたらした。同時に式年遷宮もまた、ナショナリズムを大いに盛り上げたのである。』
昭和4年の式年遷宮が行われた日は休日とされ、国民こぞって祝う日とされた。学校では、公募によって選ばれた神宮唱歌が高らかに斉唱されたそうだ。
さらに昭和15年。戦前の歴史としてよく紹介されるように、「紀元2600年」を祝う祭が国を挙げて盛大に挙行された。
『この年の6月、昭和天皇は伊勢神宮を親祭した。午前に外宮を、午後に内宮を参拝したが、その時刻は「全国民黙祷時間」として午前11時12分、午後1時54分と予め周知された。この時、特別にラジオから時報が流れ、各地のサイレンが鳴った。これに合わせて全国民は一斉に伊勢の方角に向かい、皇祖アマテラスに一分間の黙祷を捧げたのであった。
「贅沢は敵」「遊楽旅行廃止」が叫ばれる時世でであったが、神宮参拝だけは大いに奨励された。この年、皇祖アマテラスをまつる伊勢神宮の参拝者は800万人、初代神武をまつる橿原神宮は1000万人を数えたという。』

こうして伊勢神宮と天皇の歴史をたどってくると、いつの時代も権力者の思惑が大きく左右してきたことがよくわかる。
安倍さんにも、皇室の政治利用は謹んでいただきたいものだ。
伊勢神宮への参拝は、絶対に強制されるべきではない。
個人の意思のもと、静かな祈りを捧げ、日本人について考える場であり続けてもらいたいと改めて強く感じということを書き残しておきたいと思う。
何度か行きましたが、何度行っても神々しい気持ちになりますね。
私、まったく信心深い者ではありませんが、そんな些末な私でも厳かな気持ちになります。すごいと思ってます。
(=^・^=)