<吉祥寺残日録>大河ドラマ「太平記」で知った足利尊氏の壮絶な人生 #210309

コロナとともに歩んだこの一年、私が何よりも楽しみにしていたテレビ番組はちょっと意外なものだった。

大河ドラマ「太平記」。

NHK-BSプレミアムで日曜の早朝に週1で流れる再放送を毎回録画して見ていたのだが、ついにこの週末で最終回を迎えてしまった。

実に内容の濃い、完成の高い時代劇に仕上がっていて、私の中で「太平記ロス」が半端ない。

この番組、今からちょうど30年前の1991年に放送された大河ドラマだった。

主人公の足利尊氏を演じた真田広之もこの若さだ。

この頃は人気絶頂だった真田広之、決して演技の上手い役者とは言えないが、社会の不正を正したいと理想に燃えて挙兵しながらも、次第に身内との争いに明け暮れていくナイーブな尊氏像を実にうまく表現していた。

30年前の美少女たちがたくさん登場するのも、私としてはとても懐かしかった。

尊氏の子を産む白拍子の藤夜叉に、宮沢りえ。

当時は17〜18歳だったはずで、まだぽっちゃりとした頬をしている。

南朝方の若武者・北畠顕家に、後藤久美子。

彼女はまだ16〜17歳で、しかも男子の役で登場するのも大胆なキャスティングだった。

武者姿も本当に凛々しくて、ちゃんと馬に乗っての合戦シーンもある。

そしてもう一人が、尊氏の正室・登子役の坂口靖子。

最終回では老け役もこなした彼女も、この時にはまだ25歳ぐらいだった。

次々に登場する男たちの中に混じって、この3人の美少女たち、今から考えれば夢のようなキャスティングである。

男性陣のキャスティングも素晴らしかった。

楠木正成役の、武田鉄矢。

実に、飄々としていながら心優しく、しかし勝負どころでは誰よりも腹の座った胆力を見せる。

後醍醐天皇に最後まで忠誠を尽くした武将として、この時代一番の英雄として語り継がれているが、実に思慮深い、人間性豊かな人物として描かれている。

後醍醐天皇を演じるのは片岡孝夫。

若い頃は実に高貴な姿で、尊氏が一眼見てこの帝のために世を正そうと決意したという物語に真実味を与える神々しさがあった。

しかし、天皇親政を目指して鎌倉幕府に戦いを挑んだ後は、どんどん身勝手な専制君主に変貌し、次第に表情も卑しくなっていくのがいい。

足利尊氏と共に鎌倉幕府を倒した新田義貞には、根津甚八。

ドラマのスタート時には、萩原健一がこの役をやっていたが、ショーケンは真珠腫性中耳炎という病で途中降板、急遽根津甚八に交代した。

正直言えば、ショーケンに比べてギラついたところが少なく、後半、尊氏と敵対するようになってからは目立たなくなってしまった。

一方、脇役たちの強烈な個性がこのドラマを俄然面白くしていた。

たとえば、尊氏の終生の友となる近江の武将・佐々木道誉役には陣内孝則。

この時代を代表するバサラ大名で、状況によってすぐに寝返る油断ならぬ男という曲者キャラは陣内にピッタリだった。

このほか、尊氏を若い時から支えた執事の高師直を演じた柄本明も凄まじかった。

いつも冷静で尊氏に直言していた名参謀も、権力を手にした途端、女に溺れ権力欲に支配される。

ドラマの前半では、鎌倉幕府を牛耳る実力者・長崎円喜役のフランキー堺が圧倒的な存在感を放った。

足利尊氏が幕府討伐に踏み切った理由として、ふてぶてしい長崎円喜の存在はドラマに欠かせないものだった。

そして「太平記」に登場する数多いキャラクターの中で、私が一番心に残っているのは、鎌倉幕府最後の執権・北条高時を演じた片岡鶴太郎である。

幕府を統制する力を持たず、小田茜演じる幼女と戯れるばかりの最高権力者の移り気な表情は鬼気迫るものがあった。

自らの無能を知り、争い事を嫌い、最後は燃える鎌倉で自害する姿は哀れでもあった。

力の強い者が支配する時代、人との争いを嫌がる者は、ひょっとすると高時のように無能者とみなされるのかもしれない。

源氏の棟梁として足利家の長男に生まれた足利尊氏。

後醍醐天皇による美しい世を夢見て、仕えていた鎌倉幕府に弓を引くことになるが、幕府を倒した後は帝を取り巻く公家たちの陰謀で、朝敵とされてしまう。

同志だった楠木正成や新田義貞とも戦って、南北朝の動乱に巻き込まれていく。

後醍醐天皇を吉野に追い出し、新たな天皇を都に立てて幕府を落ち着かせたと思った矢先、今度は実弟と執事の対立が起き、さらに後継者を巡っては出来の悪い嫡子と勇ましい庶子が対立する。

最後には、自分の手で最愛の弟を殺し、自分の息子とも戦うことになるのだ。

前半と後半では登場人物も全然違うまさに大河ドラマ。

実に目まぐるしいストーリーだが、一瞬も間延びした部分もなくドラマは最終回まで進んだ。

原作は吉川英治の『私本太平記』だが、何よりも池端俊作の脚本が素晴らしかったのだと思う。

目まぐるしく変わる局面で、常に尊氏は苦しい選択を迫られる。

戦っても戦っても美しい世は現れない切ない胸の内を、無理なく想像させるだけの状況説明が過不足なく散りばめられているのだ。

ドラマの最終回、老いて死を前にした尊氏に池端さんはこんな台詞を喋らせる。

何もせず、1日うとうと眠っておるのじゃ。

妙な心地ぞ。

目が覚めると、庭に陽がさしておるのじゃ。

花が美くしゅう咲いておるのじゃ。

そこはかとのう、良い心地になるのじゃ。

これで良い、もうこれで良い。

まつりごとも、足利家の行く末もすべて忘れて、

これで良いと、そう思うのじゃ。

ワシが手に入れたいと思うたものは、もそっと大きなものじゃ。

もそっと、美しいものじゃ。

だが、庭の花を見て、これで良いと・・・。

生涯を戦に費やし、天下を手にした将軍に、池端さんは最後にこんな言葉を言わせた。

おそらく、30年前に見たとしても、さほど何も感じなかったかもしれない。

でも、今はこのセリフが心に染み入ってくる。

『これで良い、これで良いのじゃ』

そう思って死ねる人は幸せだと、近頃同じようなことを感じる私は「太平記」を見ながら思った。

誠に、これまでに見た中で、ベストな大河ドラマだったと思う。

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