<きちたび>2泊3日福岡&対馬の旅⑤ 福岡から「国境の島」対馬へはフェリーがオススメ

九州への旅行の2日目は、船で対馬へ向かう。

古くから朝鮮半島と九州をつなぐ交易ルートとして、稲作をはじめ数々の大陸文化が対馬を通って九州北部へと伝わってきた。

最初は福岡空港から空路で津島に飛ぶことも考えたが、かつて海を渡って異国文化を持ち帰った先人たちに想いを馳せながらのんびり船で行くのがいいかと考えたのだ。

10月26日の午前9時ごろ、ホテルを出て、JR博多駅前にあるバス停「博多駅西日本シティ銀行前F」から西鉄バスで博多埠頭に向かう。

同じバス停から「博多埠頭」行きと「中央埠頭」行きが出るので、「博多埠頭」の方に乗ろう。

私も、危うく間違えそうになった。

博多駅からは多くのお客さんがバスに乗ったが、途中で全員降りてしまい、終点の博多埠頭に到着する時には、乗客は私一人だった。

博多埠頭でバスを降りると、真っ青な空に紅白の「博多ポートタワー」が立っていた。

高さは100メートル、東京オリンピックが開催された1964年に完成したらしい。

対馬行きのフェリーが出るのは「第2ターミナル」。

「壱岐・対馬・五島 フェリーのりば」と書いてあるので迷わなかったが、対馬行きの高速船「ジェットフォイル」は「第1ターミナル」から出るようなので間違わないよう注意したい。

ターミナルビルの2階が出発ロビーとなっていて、切符売り場や待合室になっていた。

切符を買う前に、まず「乗船申込書」に記入しなければならない。

乗船日時・等級・区間・電話番号・氏名・年齢・性別を書き込むようになっている。

万一事故が起きた場合には、これが乗船名簿となるのだろう。

乗船申込書に記入したら切符を購入する。

対馬の中心地「厳原(いずはら)」行きのフェリーは1日2便だけ。

私は10時発のフェリーに乗船する予定だ。

料金は、2等が片道4190円。

1等6070円、2等指定5130円もあるが、今時乗客も少ないし船内を自由に動き回れるというので一番安い2等の切符を買うことにした。

ちなみに、高速船「ジェットフォイル」だと博多〜厳原の料金は7250円、飛行機だと福岡〜対馬は1万円以上するので、多少時間はかかるがフェリーが一番安い移動手段ということになる。

切符を購入した後、出発ロビーをぶらぶらしていたら、こんなチラシを見つけた。

「長崎しま旅わくわく乗船券」。

対馬などに宿泊予定の旅行者を対象に販売していて、往復の乗船券に100円プラスするだけで1泊1万円分(最大3万円)のクーポンがもらえるらしい。

知っていれば利用したかもしれないが、宿やレンタカーを事前に支払っていたのでクーポンをもらっても使える場所が限られるのが課題だ。

そんなことをしていると、あっという間に乗船時間となった。

乗船前には全員検温を受けてからフェリーに乗り込む。

窓の外、右手に見える船が私が乗る「フェリーきずな」である。

九州郵船が運航する「フェリーきずな」は2012年に就航した比較的新しい船で、全長94mで678名の乗客と80台の車両を運ぶことができる。

第2ターミナルから専用通路を通って、フェリーに乗船する。

船に乗り込むと、船内には入らず2階のデッキ席に陣取った。

この日は天気が良く寒くもないので、屋外で過ごすのが気持ちがいいと思ったからだ。

デッキ席からはいかにもスピードが速そうな船が見えたので、あれが高速船「ジェットフォイル」かと思ってスタッフの人に聞くと、あの船は韓国まで行く新しい高速船だと教えてくれた。

こちらが、対馬・壱岐に行く高速船ジェットフォイルの「ヴィーナス」。

博多〜厳原間を2時間15分で結ぶ。

私が乗るフェリーだと4時間45分もかかるが、ジェットフォイルの問題は席から移動できないこと。

写真を撮りたい私には向かない乗り物と判断した。

船は定刻の10時に港を離れた。

青い海の向こうに福岡タワーやドーム球場が見える。

福岡は縄文時代から人が暮らしていた土地だ。

市内にある板付遺跡からは日本で2番目に古い水田跡が見つかっているように、日本列島の中で最も早く稲作が伝わったエリアとして知られる。

埠頭を離れてすぐ左手に小さな島が見える。

「鵜来島(うぐるしま)」というらしい。

このように福岡沖には大小様々な島が壱岐に向かって並んでいて、古代、手漕ぎボートで海を渡った人間がいたとしても不思議のない地形だと感じた。

福岡湾は古くから天然の良港だった。

魏志倭人伝に登場する「奴国」の所在地はこの福岡だと考えられていて、遣唐使もこの港から大陸を目指した。

一方で、その地の利の良さから外敵の侵略にも晒された。

最大の脅威は、モンゴル帝国の大軍が押し寄せた「元寇」である。

博多港を出ると、目の前になだらかな島かげが現れる。

「奴国王」の金印が見つかった場所として有名な志賀島である。

砂州によって陸地とつながっている志賀島は博多湾を外洋から守る天然の防波堤の役目を果たしていて、古代より重要な交易ルートの出発点となってきた。

志賀島の手前に浮かぶ小さな島は「端島」。

白い灯台が博多港に入る船舶の目印となる。

志賀島につながる一本道をトラックが走っているのが見えた。

一方、船の左舷には博多湾の真ん中に位置する「能古島(のこのしま)」。

奈良時代には外敵に備えて防人が配置されたが、今は花の名所として親しまれている「のこのしまアイランドパーク」がある。

能古島の向こうに見えるのは「糸島半島」。

糸島半島は、古代の「伊都国」があった場所と見られている。

目に入る場所それぞれに古代のロマンが宿る、それが九州北部の魅力である。

前方から波しぶきを立てて高速船がやってきた。

これが壱岐・対馬を結ぶジェットフォイル「ヴィーナス」である。

右舷側、志賀島の先に見えてきたのは「玄海島」だ。

博多湾の入り口に位置することから、江戸時代には外国船を監視するための番所が置かれた。

今では漁業の島だが、2005年には震度7の地震に襲われ島の7割の住宅が破壊されたそうだ。

玄界島の西には、鯨のような島が見えてくる。

大きい方が「大机島」、小さい方が「小机島」だ。

昔の人は「机」に見えたらしい。

左右に特徴のある島々を眺めながら進んでいくのが、古くからの交易ルートだ。

今でも博多港を出入りする多くの船舶が島々の間を縫うように行き交っている。

こうして歴史ある島々を眺めているうちにフェリーは博多湾を出た。

景色が目まぐるしく変わるのであっという間だが、もう港を出てから40分が過ぎていた。

少し寒くなってきたので、船内の様子を見て回ることにする。

デッキから入った2階部分から見ていくと・・・

中央の階段より前は「一等客室」が並ぶ。

定員4名の部屋が6つと定員8名の部屋が2つ。

一等の乗客専用の「スカイラウンジ」という特別室も用意されているという。

2階後方は「二等指定客室」。

定員16名と定員12名の部屋がそれぞれ2つずつある。

窓から中を覗くと、枕と毛布が並んでいた。

今はコロナの影響で乗客が少ないので、わざわざ指定席を取る人はほとんどおらず、事実上個室状態になっている。

階段の脇には船の現在位置を示す地図がリアルタイムで表示される。

階段を降りて1階に行くと、自動販売機が並ぶ一画がある。

飲み物だけでなく、お菓子や軽食もあるのでお腹が空いた時などにも利用できる。

そして1階は全体が「二等客室」になっていた。

カラフルな椅子席が並び、テレビでは野球中継が流れている。

椅子席の周囲には、寝っ転がれるフロア席がいくつも設置されている。

常連さんは乗船と同時に自分のスペースを確保して移動中寝て過ごす人が多いようだ。

船内には「毛布貸出所」もあって、50円で毛布を借りることもできる。

こうして船内を一回りした後、再び外の様子を見るためにデッキに戻った。

右手に見えたのは「烏帽子島」。

玄界島と壱岐島のちょうど中間地点に当たる。

岩の上に立つ白い灯台が印象的だが、この灯台は難工事の末、1875年に運用を開始した。

左手を見ると、「東松浦半島」。

東松浦半島の先端にある呼子の港は壱岐への最短距離にあるため、朝鮮出兵の際、豊臣秀吉はここに派兵の拠点となる名護屋城を築いた。

船の進路の先には平べったい島が見えてきた。

最初の寄港地となる「壱岐島」だ。

壱岐は古代、邪馬台国の支配下にあった「一支国」の所在地とされる。

博多港から74km、呼子港からは26km。

九州北部から朝鮮半島を目指す時、最初にまずこの壱岐島を目指すことになる。

こうした交通の要衝にあったこの島は、時代ごとに歴史の舞台となる。

弥生時代にすでに1万5000人が暮らしていたといい、当時の日本としては最も人口が密集した場所だったと考えられている。

2度にわたる元寇では大きな被害を受け、その後は倭寇の拠点となった。

フェリーは壱岐の南西部・郷ノ浦港に入港した。

2万5000人が暮らす壱岐市の市役所はこの郷ノ浦にある。

博多港を出て2時間20分。

乗客の半数以上は、この郷ノ浦で下船した。

壱岐に15分ほど停船してからフェリーは郷ノ浦を出港した。

防波堤の向こうには、原島、長島、大島という3つの有人島が見える。

船は静かな入江をゆっくりと進んでいく。

集落前の海には養殖の生簀が広がっている。

のどかな風景だ。

船は壱岐の本島と大島の間の狭い海峡を抜けて、一路対馬を目指す。

壱岐には4つの有人島以外に、19の無人島がある。

壱岐の周辺ではこうした島々を眺められるが、壱岐を離れると対馬までの間に目標となる島はなくなる。

壱岐から対馬の厳原までは68km。

私も二等客室に寝転がって過ごすことにした。

壱岐でかなりのお客さんが降りたので、運よくコンセント脇のスペースを確保した。

ここでスマホに充電しながら、iPadで日記を書き始める。

枕はたくさん用意してあるので、眠たくなったら寝ればいい。

床の上に転がると、こんな感じ。

毛布に包まれて爆睡している人もいる。

エンジン音は少しうるさいが、細かな振動が眠気を誘う。

壱岐を出発して1時間半、窓から大きな島が見えたのでデッキに出てみると、左舷から対馬が見えた。

やはりこれまで見てきた島とは大きさが全然違う。

なんと右舷側に回っても、島が見えるではないか。

こちらも、対馬。

南北82キロもあり、面積は日本で10番目の大きな島なのだ。

徐々に島影が大きくなってくる。

しかし、対馬にはほとんど平地がなく、山また山である。

島全体が山脈のようで、最高峰の矢立山は648mの高さがある。

日本とは思えない人家がまったく見えない島だ。

古代より朝鮮半島から日本列島への重要なルートとなった対馬。

魏志倭人伝にも邪馬台国の支配下にある「対馬国」として登場する。

稲作に適する低地がないため、九州で弥生文化が広まった後も狩猟や漁撈中心の島だったとされる。

対馬の東岸を北上して30分。

ようやく町が見えてきた。

対馬の中心地であり、フェリーの終点となる厳原の町だ。

フェリーが厳原港に入っていく。

港の島には延々と陸地が続いている。

対馬は、九州から132km離れているが、島の最北端から朝鮮半島までは50kmほどしか離れていない。

港内には、巡視艇も止まっている。

ここはまさに、国境の島なのだ。

対馬で一番大きな町とはいえ、谷沿いに平地はわずかしかなく、多くの住居が山に張り付くように建っている。

フェリーが厳原港に着岸したのは、定刻の午後2時45分だった。

荒海のイメージがある玄界灘だが、天気にも恵まれて穏やかな船旅を楽しむことができた。

船を降りると、ターミナルビルでは朝鮮通信使の絵巻物が出迎えてくれた。

「日本遺産 国境の島 壱岐・対馬・五島〜古代からの架け橋〜」と書かれていた。

朝鮮通信使は、室町時代から江戸時代にかけて、李氏朝鮮から日本に派遣された使節団だ。

対馬藩の藩主だった宗氏一族は朝鮮に対する江戸幕府の窓口を務めていて、通信使の派遣にも大きな役割を果たした。

日本人があまり知らない国境の島・対馬。

私は初めてその地を踏んだ。

まだほとんど観光化されていない島だが、そこは魅力あふれる素敵な島だった。

長い歴史と絶景の宝庫である対馬には、時間をかけてフェリーでアプローチするのがいい。

そこは古代人らが島々を辿って渡った海であり、私たちのルーツを知る旅なのだ。

日本の中でも、絶対オススメの船旅だと私は思う。

対馬への船旅については「九州郵船」のホームページで。

<きちたび>2泊3日福岡&対馬の旅

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