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<きちたび>オーストラリアの旅2025🇦🇺 イギリスの流刑地から始まった「世界三大美港」シドニー!囚人が築いた街をトランジットで駆け巡る

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🇦🇺オーストラリア/シドニー 2025年10月11日

シドニーを訪れたのは、建国200年祭で賑わう1988年以来37年ぶりだった。

前回は取材だったのでゆっくり街を見学する余裕はなかったけれど、とにかく美しい街だったという記憶だけは私の頭の中に残っていた。

午前6時半の便でブリスベンを発ち、1時間半ほどのフライトの末、シドニーに到着した。

この日は天気が良く、飛行機の窓から見えるポート・ジャクソン湾の美しさはまた格別だった。

新大陸を発見したイギリス人が、まず最初にこの入江に植民地を築いた気持ちはとてもよく理解できる。

空の玄関口である「シドニー – キングスフォード・スミス国際空港」の国内線ターミナルと国際線ターミナルはかなり離れている。

国内線でブリスベンから到着した私はまず、帰国便が出発する国際線ターミナルに移動して荷物を預けてから市内を観光しようと考えた。

ターミナル間の移動には無料のシャトルバスが便利だ。

シドニー空港には旅行者のために荷物を一時的に預かってくれる便利な窓口がある。

「Baggage Storage」と書かれたこの窓口は、世界300以上の空港で荷物預けのサービスを展開する「Smarte Carte」という会社が運営している。

私は大きめのリュック1個を預け、1日12豪ドル、およそ1200円ほどとリーズナブルだ。

荷物を預けたら、「エアポートリンク」と呼ばれる電車を利用して市の中心部に向かう。

シドニーにも「オーバルカード」と呼ばれる独自の交通カードが存在するが、今ではタッチ決済付きのクレジットカードですべての公共交通機関に乗ることができるというので、オーバルカードは購入せず、「VISAでタッチ!」で市内を巡ることにした。

電車から降りたのは、港町シドニーを代表する海の玄関口「サーキュラーキー駅」。

駅を出ると「シドニーライトレール」の停留所があった。

空は抜けるような青空で、快適な気温、まさに街歩きにぴったりの陽気である。

サーキュラーキー駅の南側には高層のオフィスビルが林立している。

その中にポツンと取り残されたように建つ石造りの建物があった。

旧シドニー税関「カスタムズ・ハウス」である。

1845年に開業し、1990年に税関機能が別の場所に移されるまで、港の税関業務を一手に担った。

そして駅の北側は港に直結されており、各地に向かうフェリーの桟橋になっていた。

私は桟橋の脇を通って「ロックス」と呼ばれるエリアに向かう。

サーキュラーキーの西側に広がるロックスは、1788年アーサー・フィリップ率いる最初の移民船団がイギリスから到着し入植を始めた場所。

すなわちオーストラリア発祥の地なのである。

ただし移民船と言っても、最初にこの地に送られた移民の大半はイギリスで罪を犯した囚人たちだった。

イギリスは本国から遠く離れたオーストラリアを流刑植民地とすることを決定し、その後も多くの囚人たちが長く厳しい航海を経てシドニーにやってきた。

この美しいシドニーの街も、歴史を振り返れば囚人たちの過酷な労働によって築かれた都市なのである。

ロックス地区に入ると、タイムスリップしたような煉瓦造りの歴史的建造物が目につく。

こうした建物の多くも囚人によって建てられた。

この時代、イギリスでは黒人奴隷解放の動きが進み、オーストラリアでは奴隷に代わる労働力として囚人たちが街の建設を担うことになる。

しかしそんな暗い過去は今や昔、今のロックスは古い建物を利用したカフェやショップが立ち並び、多くの観光客がそぞろ歩きを楽しむ人気の観光地である。

老舗ホテルの壁面には「1844」の文字が。

この界隈は街全体がシドニー誕生の頃の雰囲気をとどめており、歴史を体感する「ヘリテージウォーク」が最大の楽しみのようだ。

その一角には「ファーストインプレッション」と呼ばれる上陸記念碑があり、そこに通じる路地は大変な人混み、買い物に興味のない私は人混みを避けて別の場所に向かった。

ロックス地区を西に進むと、ハイウェイの下をくぐる短いトンネルがある。

ここは「アーガイルカット」と呼ばれ、囚人たちが手作業で固い岩を削り東西に貫く道路を完成させた場所だという。

この切り通しが開通するまでには10年の歳月を要したといい、今でも岩肌に残る多数の傷からは手作業で岩を削る囚人たちの姿を想像することができる。

ロックスという地名も、この固い岩盤に由来しているのだ。

アーガイルカットを抜けてウエストロックス地区に入ると、東側の喧騒が嘘のように静かな住宅街が広がっていた。

通り沿いに建つテラスハウスはやはり1840年代に建てられたものだそうだ。

古き良き大英帝国の生活が今もそこにある。

交差点に立つこちらのホテルの壁には「SYDNEY’S OLDEST HOTEL」と書かれていて、先ほど見たホテルよりも2年古い「1842」の文字が刻まれていた。

天気もいいし、新緑も綺麗だし、吹き抜ける風も気持ちがいいし、観光客もまばらだし、私はこのウエストロックス地区が大いに気に入った。

このウエストロックス地区には小高い丘があり、興味本位に登ってみると、そこには大きく枝を伸ばした大木と芝生に覆われた公園になっていた。

地図で確認すると「Observatory Hill」と書かれていた。

名前の由来となったのがこちらの「シドニー天文台」。

1858年に建てられたもので、天体観測だけではなく気象観測や航海のために不可欠な施設として1世紀にわたってシドニーの発展を支えてきた。

天文台ができる前、この丘は「フォート・フィリップ」と呼ばれる砦で、シドニー港を一望できるこの場所に4門の大砲を据え付け、街の防衛を担っていた。

最初にシドニーに定住した人たちが砦を築いた場所だけあって、その眺めは最高で、複雑に入り組んだ湾に沿って広がっていったシドニーの様子が手に取るようにわかる。

丘の北側、真正面に見えるのはシドニーの象徴の一つ「ハーバーブリッジ」。

その手前には緑あふれる落ち着いた邸宅街が広がる。

観光客でごった返すロックス界隈から道を一本隔てただけで、まるで別世界、時代が100年以上巻き戻ったような錯覚を覚える。

そして、ハーバーブリッジの脇を悠然とセイリングするヨットとその向こうに広がるビジネス街。

人工的なビルと自然が見事に調和した美しい街である。

そしてわずかに視線を移すと、もうそこには無骨なビルはなく、木々に覆われた昔ながらのシドニー湾を見ることができるのである。

街のど真ん中にこんなにも豊かな自然が残っているとは、まさに世界三大美港、羨ましい限りの生活環境だと感じた。

丘の西側に移動しても、やはり眼前には海が広がっていた。

こちらは「ダーリング港」と呼ばれる入江で、近年再開発が進められ新たな人気スポットに生まれ変わっているそうだ。

多くの入江が枝分かれしながら内陸に切れ込むポート・ジャクソン湾。

その複雑な地形がもたらす長い海岸線が、多くの人たちにウォーターフロントでの生活を提供しているのである。

ウエストロックスから港に戻り、今度は船に乗ってどこかに行ってみようと考えた。

サーキュラーキー駅の北側には5本の桟橋が直結していて、ここからポート・ジャクソン湾のいろんな場所へ定期フェリーが運航している。

船はバスや電車と並ぶ大切な市民の足であると同時に、観光客にとってもシドニー湾観光の目玉の一つなのだ。

ただし、この日は週末ということもあり、桟橋はどこも大混雑。

人気の路線では長蛇の行列で船に乗り切れず、次の船を待たなければならないものもあるようだ。

そんな中、私が選んだ行き先は「ダブルベイ」。

オペラハウスの沖合を回ってすぐの比較的近い高級住宅街だという。

ちょうど正午ごろ、私が待つ桟橋に一隻のフェリーが到着した。

乗客が降りるとそのまま私たちの乗船が始まり、すぐに出航だ。

私は、シドニー名物「オペラハウス」が間近に見える2階デッキ席の最後尾右側の位置を確保した。

この船も混雑すると思って急いで場所を取ったのだけれど、結果的にはこの船はガラガラ、急ぐ必要など全くなかった。

船は桟橋を離れると、ぐるり180度方向転換をした。

私の背後に広がるサーキュラーキーの港とビル街が徐々に遠ざかっていく。

空は抜けるような青空で、巨大なクルーズ船を横目に見ながら短時間のシドニー湾クルーズに出航だ。

狙い通り、私の右側に「シドニー・オペラハウス」が迫ってきた。

1973年に完成した20世紀の近代建築ながら世界遺産にも登録され、シドニー最大の観光名所となっている。

とはいえ、中はただのオペラハウス。

わざわざ近くに行かなくても、こうして海上から眺める方が美しいに違いない・・・と思う。

船はオペラハウスの沖合で右に舵を切り、まるでオペラハウスの周りを旋回するように進路を変えた。

真正面から見るオペラハウスはだいぶ印象が変わり、少し間抜けな感じに見える。

疾走するヨットの帆をイメージしたと言われるこのオペラハウスだが、私には折り重なった貝殻のように見える。

いずれにせよ、岬の先端に立つこの白いオブジェのような建物はとても印象的で、目の前を行き交うヨットやボートと合わせ世界のどこにもないシドニーならではの景観を形作っていることは間違いない。

オペラハウスとハーバーブリッジ。

シドニーの2つのシンボルを同時に見たいのであれば、船に乗ることを是非お勧めしたい。

心地よい海風を感じながらわずか10分あまりのクルージングではあるが、値段は700円ほどで混雑もせず、とてもいい船旅だと思う。

中心街を離れると、そこはもう住宅街。

海辺に立つ立派なお屋敷もあれば、オーシャンフロントの高級マンションもある。

それをバックに走り抜ける大型クルーザー。

庶民には夢のような、地中海の高級リゾートを思わせるような緑あふれる住環境が広がっている。

船は再び右に舵を取り、静かな入江に滑るように入っていく。

入江にはたくさんのヨットが停泊し、低層の住宅が木々に覆われて立ち並んでいる。

ここが「ダブルベイ」、ガイドブックによればシドニーきっての高級住宅街ということである。

桟橋に降り立つと、目の前には広々とした公園が広がっていた。

港につきもののごちゃごちゃとした飲食店や土産物店はなく、いきなり静かな住宅街である。

南国を思わせる椰子の木が植えられ、住宅一軒一軒がでかい。

客待ちのタクシーもおらず、ゴミゴミしたものが何もない閑静な住宅街である。

少しお腹が空いてきたので、ここで何か食べていこうと思っていたのだが、すっかり当てが外れたようだ。

港の周りにはカフェもレストランも一軒も見当たらず、仕方なく目の前の道をまっすぐ歩いてみることにする。

まあ人間が暮らしている以上、どこかにお店はあるだろう。

案の定、数ブロック歩いた先に、飲食店やショップが集まったエリアがあった。

どこもそれなりの店構えで多少敷居が高そうだが、その中で比較的入りやすそうな店を見つけた。

「ROYAL OAK HOTEL」というホテルの1階にあるパブである。

生ビールが人気のお店のようで、メニューを見ると食べ物もそれなりに用意されていた。

まずはオーストラリアを代表する生ビール「カールトン・ドラフト」を注文する。

色といいサイズといい、いい感じじゃないか。

後で知ったのだが、このオーストラリアを代表するブランドである「カールトンビール」、実はアサヒビールの傘下に入っているらしい。

ただ日本では販売していないらしく、現段階ではオーストラリアに行って飲むしかないようである。

メニューの中から選んだこの日のランチは「Steak Sandwich」。

オーストラリアといえば肉ということで、一度はステーキをと思いこれを選んだ。

値段は29豪ドル、およそ2800円である。

パティの代わりにステーキがドーンと入っていて、なかなかのボリュームである。

噛むと案外柔らかくて、オージービーフ、予想したよりも美味いじゃないか。

日本に比べて外食が割高なオーストラリアだが、もうだいぶそれにも慣れてきて、他の食べ物と比べてステーキの値段が相対的に安いと感じるようになった。

フライドポテトもホクホクでとても美味しく、もうお腹はパンパン、完全に食い過ぎである。

開け放たれた窓からは春のやさしい風が吹き抜けていく。

実に気持ちのいい昼下がり。

もう少しこの店で休んでから市内に戻ることにしよう。

バス停を探しながら大通りに出ると、これまた立派な門がある。

ここは大邸宅なのかと思ったら、門柱には「APARTMENT」と書かれているように見える。

こんな豪邸のようなアパート、一度住んでみたいものだ。

路線バスに乗って、「シティ」と呼ばれる市の中心部まで戻ってきた。

この近くに、ちょっと立ち寄りたい観光施設がある。

立派な木々が立ち並ぶ広々とした公園は、旧宗主国の首都ロンドンにあやかって「ハイドパーク」と名付けられている。

1810年に作られた公園だそうで、新しい街を作る際に真っ先に公園を作るあたりいかにもイギリス人らしい。

私が目指す目的地は、この公園を通り抜けた北側にある。

私が訪れたかったのは、こちらの「ハイドパーク・バラックス」。

1819年にイギリスから送り込まれる男性囚人の宿泊施設として建てられたものだ。

オーストラリアには自然遺産を中心に21の世界遺産が存在するが、私が訪れてみたかったこの施設は「オーストラリアの囚人史跡群」という日本人にはあまり馴染みのない括りで他の10の施設とともに世界文化遺産に登録されている。

赤煉瓦の3階建の建物は、囚人の収容施設としては立派すぎるように見えるが、現在のオーストラリア人の中にはそうした囚人の子孫たちも相当数いるため、国の歴史を紹介する施設としてそれなりに美しく保つ必要性もあるのだろう。

18世紀から19世紀にかけて、こうした囚人を収容する監獄はオーストラリア全土に数千もあったという。

入場料は無料で、受付で希望すればこれまた無料で音声ガイドを借りることもできる。

私が日本人だと伝えると、日本語の音声ガイドが渡された。

ガイドの案内に従ってエレベーターで3階まで上がると、そこにはシドニーに到着した囚人たちが寝泊まりするハンモックの部屋があった。

劣悪な環境を強調する音声の説明に比べ、建物内は博物館として綺麗に整備されすぎていて、まるでボーイスカウトの宿舎のように快適そうに見えてしまう。

初期にシドニーにやってきた囚人たちの仕事について、ジオラマを使った説明が続く。

オーストラリア大陸を覆っていた森を切り拓き・・・

建物の材料となる岩を切り出し・・・

まず最初に街の中心となる教会や囚人たちが暮らすこのバラックなどを建設していく。

何もなかった土地に徐々にシドニーの街ができていく。

とはいえ、この施設からは囚人たちが置かれた当時の状況を想像することは難しく、残念ながら私の期待とはかけ離れていた。

しかし、こうして囚人として未開の大陸に送られてきた人たちもやがて解放され、普通の市民としてオーストラリアという新しい国の建設を担っていくことになる。

後に世界各地から様々な移民がやってくることになるが、イギリスから送られた囚人とその子孫たちは、一番最初からこの国を築いたパイオニアとしてオーストラリアで重要な地位を占めることになるということは理解できた。

博物館見学にも疲れたので、シドニーを代表するビーチに行ってみることにする。

Googleマップで検索すると、近くのバス停から33番のバスが人気の「ボンダイ・ビーチ」まで直行していることを知った。

なかなかの人気路線のようでバスの中は終始混んでいて、私は幸い座席を確保できたのでおよそ30分間、車窓から見えるシドニーの街を眺めながらバス旅を楽しむ。

ボンダイ・ビーチに着くと、いきなり街中を水着の女性や上半身裸の男たちが歩いていたりする。

さすが人気のビーチリゾート。

シドニーの中心部よりも一段と解放的である。

まずはビーチを見渡せる高台の展望台に行ってみる。

海を見た瞬間、そのあまりの美しさに思わず息を呑んだ。

1キロに及ぶボンダイ・ビーチは太平洋に面し、大都市の近郊とは思えないほど水が澄んでいた。

このビーチは人気のサーフィンスポットでもあり、この日は波が穏やかだったが、ビーチの南側にサーファーたちが集まり、いい波が来るのをじっと待っていた。

かつては移民労働者たちが住む郊外の住宅地だったというこのボンダイ・ビーチも、今ではシドニーっ子たちが気楽に遊びに来る有名リゾートとなり、人気のレストランやバーが立ち並び、周辺の地価も跳ね上がった。

観光客に人気なのが、ビーチ南側の岩場をくり抜いて造られたこちらの名物プール。

「ボンダイ・アイスバーグス・クラブ」という会員制クラブが運営するオーストラリアで最も歴史の古いプールだそうだが、観光客でも料金を支払えば泳ぐことができるそうだ。

時間があれば私もぜひ試してみたいところだが、今回はトランジット中、わずか12時間のシドニー滞在なので上から眺めるだけで諦めることにする。

そしてプールの先には、まさに絶景の岩場が続いていて、丘の上には海を見渡す高級住宅街、それを縫うように気持ちの良さそうな遊歩道が整備されていた。

絵に描いたようなセレブな生活空間である。

シドニーの東海岸には、こうした美しいビーチが連なり、都会と自然が隣接したのんびりした暮らしがそこにはあるように感じた。

観光客らしき若者たちが岩場に降りて遊んでいる。

ちょっと危なそうに見えるが、何も行動を規制するものはない。

事故が起きても自己責任という考えなのか、ライフセーバーの国なので何か特別な安全対策があるのかわからないが、私も真似して遊歩道を外れ、安全そうな岩に腰掛けて気持ちいい海風に吹かれながらぼんやり海を眺めた。

そろそろ空港に戻る時間だ。

岩場から立ち上がり、ビーチの脇を通ってバス停に向かう。

浜辺で寝転ぶ人、芝生で寝転ぶ人、サーフボードを抱えて歩く人。

南半球の春、土曜日の午後、実に平和な風景である。

ただ、注意深く観察すると、世界中から観光客が集まるこのビーチにこんな旗が掲げられているのが気づくだろう。

黒と赤のベースに黄色い丸。

オーストラリア先住民「アボリジニ」を象徴する旗である。

オーストラリアのどこに行っても見かけるこの旗は、白人たちの移住によって住む場所を追われ、獣のように殺された先住民に対する贖罪の証なのである。

流刑地として始まったその歴史は、日本人が普段意識することのないオーストラリアが持つもう一つの顔なのだ。

再びバスに乗りシドニー中心部に戻り、「ミュージアム駅」から空港行きの電車に乗る。

ミュージアム駅はなかなかおしゃれな駅で、ホームも清潔でアートの香りがした。

駅名も、壁の広告パネルも、ベンチもトータルデザインされていて、まさに博物館という名の駅にふさわしい。

短時間だったシドニー滞在、ちょっと後ろ髪を引かれる思いだ。

帰国便は、行きと同じく全日空のプレミアムエコノミー席。

心配した咳もほどんど治まり、ゆっくりとは言い難いものの、少し眠ることもできた。

2025年の年間テーマとして過去に日本が行った戦争の足跡を辿った戦後80年の旅は、マレーシア、シンガポール、ブルネイに始まり、マニラ、満州、最後オーストラリアとガダルカナルをめぐり無事に旅を終えることができたのである。

訪れたことのある国が多かったため、訪問国の数はあまり増えなかったけれど、若かった日々に訪れた国の再訪も多くの発見があって面白かった。

ただ、ここ数年海外旅行にかなりのお金を使ってきたので、隠居の身であることを考えて来年からは少し海外に行くのを控えるつもりだ。

不思議なことに今回訪れたソロモン諸島で私の訪問国数も108となり、除夜の鐘ではないけれど外国に対する煩悩が少し減ってきた気がする。

今後は、どうしても行きたいという煩悩が高まったタイミングで、次の旅行を計画することにしようと思っている。

それが来年早々なのか、それとも当分心穏やかなままなのか・・・。

まあ、心の赴くままに・・・という感じだろうか。

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