地下監獄

このブロックの地下には監獄があった。
抵抗活動や規律違反で取り調べ中の囚人たちを閉じ込めていた。

収容所当局は「地下室の清掃」と呼ばれた定期的な選別を行った。選別された囚人たちは銃殺または懲罰班に編入された。

そしてこの「18番」には餓死刑を言い渡された被収容者が収監された。

1941年、他の囚人の命を救うため自ら死を選び、のちに列聖されたマクシミリアン・マリア・コルベ神父もこの牢で亡くなった。
今もこの18番には花が飾られていた。

そのほか地下監獄には、暗室で酸素不足で窒息死する牢屋、わずか90センチ四方敷かない小さな地下室など、特別な懲罰が課される囚人たちもいた。

さらにここにはむち打ち台や吊るし上げ用の柱、移動絞首台なども置かれている。

そしてこの地下監獄で1941年9月、チクロンBを使った集団殺人の実験が行われた。
約600人のソビエト軍捕虜と250人のポーランド人受刑者がこの薬剤によって殺され、ここからガス室を使った計画的な大量虐殺が始まったのである。
死の壁

そして、この第11ブロックと第10ブロックの間にあるのが「死の壁」だ。

他の建物とは違い、この2つのブロックの間だけ高い壁で仕切られている。

この壁の前で、数千人が銃殺された。

死の壁に面した窓には目隠しが施された。処刑を見られないようにするためと言われている。

その目隠しされた第10ブロックでは、ドイツ人の産婦人科医によって、ユダヤ人女性囚に対する不妊処置の人体実験が行われた。