日本人公式ガイド
今回、東ヨーロッパに行こうと思った理由は、行ったことのない国が多いということのほかに、アウシュヴィッツに一度は行くべきだと思ったからだ。
アウシュヴィッツ強制収容所は、ポーランドの古都クラクフの西54キロ、オシフィエンチムという地方都市にある。
せっかくなので日本人ガイドの説明を聞きながら回ろうと、唯一の日本人ガイド中谷剛さんにメールを送った。しかし、すでに定員がいっぱいでその日は受けられないとお断りの返事をいただいた。
随分前から予定を決めていたのに、中谷さんに連絡したのは7月のことだった。私の中で、アウシュヴィッツが「人気の観光地」というイメージがまったくなかったので、「定員がいっぱい」というお返事は想定していなかった。
英語のツアー
ガイドブックを読むと、夏の期間、アウシュヴィッツを見学するためにはガイドツアーに参加するしかないと書いてある。バスや電車で自力でアウシュヴィッツまで行くことも考えたが、どうせ現地でガイドツアーに参加するのならクラクフからのツアーで行った方が時間の節約になると判断した。
クラクフで宿泊したコンドミニアムの管理会社がツアーの仲介もしていたので到着翌日のツアーを申し込んだ。バス代・ガイド代込みで1人155ズウォティ(約6000円)だった。
みんながぞろぞろと一緒に歩くツアーは苦手だが、今回は我慢するしかない。
バスの出発時間は朝6時。
毎朝3時か4時に起きる生活が続いているので苦にならない。20分ほど前に集合場所に着くと、荷物を持った若者たちがすでに集まっていた。
乗り込むのは大型の観光バス。座席の半分ほどが埋まった。
バスはポーランドの田園風景の中を進む。ところどころ森が残っている。
道は狭い。結構渋滞している。車内ではアウシュヴィッツの歴史を紹介するビデオが流された。
持込荷物はA4サイズ以下
バスは1時間半ほどでアウシュヴィッツの到着した。ガイドはポーランド人と思われる若い男性で、英語で注意事項を説明した。
一番重要なのは、「A4サイズ以上の持ち物は持ち込めないので車内に置いておく」ということだった。私はガイドの若者を捕まえて、「このリュックは大丈夫か?」と聞いた。携帯用の薄い布でできたリュックで普通に持てばA4サイズより大きいが、グルグルっと巻いて中の荷物の大きさに合わせるとA4サイズ以下になる。水や若干の資料などが中に入っている。妻も同じリュックを持っていた。
ガイドは「OK」と言った。
しかしトラブった。
入り口の手荷物検査で我々のリュックが大きすぎると引っかかり、検査員はあっちで預けてこいと外の方を指差す。同じバスで来た観光客たちはみんなスムーズに通過している。
「これはヤバい」
妻がとっさに私たちの後ろにいた同じツアーの人に「私たちがトラブったことをガイドに伝えて」と英語で頼んだ。妻はこの旅の過程で少し英語を話すことに自信をつけたようだ。切羽詰まった時の妻の行動はいつも意表をつく。
どこに行けばいいのか焦りながら外に出ると、カバンのマークが描かれた小屋があった。何人かが並んでいる。妻はリュックの中から小さな手提げバッグを取り出し、水など最低限の物をそれに移した。そして、私のリュックの中に彼女のリュックを入れ預ける荷物を一つにまとめた。
確かにこの小屋で荷物を預ける場合、荷物1個につきお金を取られた。ちょっと慌てていたので正確な金額を覚えていない。5ズウォティ(約150円)だったか、もっと高かったか。
こうしたあたり妻のケチ精神には脱帽だ。
2人のガイド
無事に荷物検査をパスしグループに追いつく。彼らは私たちを待っていてくれた。
ここで受信機とヘッドフォンを渡される。ガイドの声が離れていても聞こえる仕掛けだ。
ここからはクラクフから同行している若い男性ガイドのほかに、アウシュヴィッツ公認の女性ガイドが我々を担当する。女性ガイドがポーランド語で解説し、それを男性ガイドが英語に訳す。早口なので半分も理解できない。まあ、アウシュヴィッツの大まかなことは知っているので何とかなるだろう。
アウシュヴィッツ博物館へ
いよいよアウシュヴィッツのツアーが始まった。
一般にアウシュヴィッツと総称されるが、数年の間に急速に拡張されたこの施設は、第一アウシュヴィッツ強制収容所、第二アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所、第三アウシュヴィッツ・モノヴィッツ強制収容所と、その他40を越す小規模収容所から構成されている。
ツアーではまず「アウシュヴィッツ博物館」として公開されている第一アウシュヴィッツ強制収容所を2時間かけて回る。
グループごとに回るので写真をじっくり撮影するのは困難だ。それでもグループから少し離れてなるべく人が写り込まないように写真を撮る。
ツアーはこんな感じ
アウシュヴィッツでの展示内容については別稿に譲り、ここではこのアウシュヴィッツ・ツアーについて書いて行く。
基本的には建物から建物へと回る。
展示内容は写真や資料、被害者の遺物などいたってオーソドックスで、南京の虐殺祈念館のような演出はされていない。
地下牢に降りる。
狭い通路に人がすし詰めになる。この状態で説明を聞く。
狙いかどうかわからないが、これはこれで収容所に送られたユダヤ人の気持ちを感じるのに役立つ。
ツアーでは有名な「ガス室」にも入る。
多くのツアーが同時に回っている。ゆっくり写真を撮っていると自分のガイドがどこにいるのかわからなくなってしまう。
その意味では、事前に想像していたアウシュヴィッツの重苦しいイメージとはちょっと違う慌ただしいグループツアーだった。
来場は早めに
2時間ほどのアウシュヴィッツ博物館ツアーを終わって外に出ると、入場を待つツアー客の長蛇の列ができていた。
朝8時私たちのツアーが入った時はこんな行列はできていなかった。
向こう側には、個人でアウチュヴィッツにやってきた観光客たち。こちらも行列ができている。
「地球の歩き方」を見ると、アウシュヴィッツ博物館は「入場無料」と書いてあった。しかし、「4〜10月の10時から15時はガイド付きでのみ見学可能」との但し書きがある。
それにしてもこんな大勢の観光客が押し寄せるとは・・・。
駐車場には大型バスがずらっと並んでいた。
ビルケナウ収容所へ
少し休憩してから次の目的地「ビルケナウ強制収容所」に移動する。距離にして2〜3キロ、バスで5分ほどの距離だ。
この日は快晴。爽やかな青空が広がるビルケナウの前には野の花が一面に咲いていた。
アウシュヴィッツのイメージからすると、ちょっと悲壮感が足りない。
アウシュヴィッツを代表する映像といえば、ビルケナウのこの線路と門だろう。
ビルケナウ強制収容所の中央門を囚人たちは「死の門」と呼んだ。ここにはナチス親衛隊(SS)の中央監視塔があった。
列車から降ろされた囚人たちは、その場で男女に分けられた上で、労働可能と判断された者は強制収容所に収容され、残りの人たちはそのままガス室に送られた。
「選別」というのがここビルケナウのキーワードだ。
ビルケナウにあった殺人施設はドイツ軍によって破壊され残っていないが、囚人たちが収容されていた建物は今も残されている。テレビでもよく見る3段の棚に囚人たちはぎゅうぎゅうに押し込まれた。
売店に日本語資料も
ビルケナウでの滞在時間は1時間。展示はほとんどないので、30分ほどの自由時間が与えられ、広い施設内を自分のペースで見て回ることができる。
ただ、晴天の下に整然と並ぶ煉瓦造りの建物を見て、往時の悲劇を重ね合わせるのはとても想像力の求められる作業だ。
中央門の一角に売店がある。
ここにはアウシュヴィッツ関連の本も売られている。日本語のものも置かれていたので数冊購入した。
次回は、その資料を参考にしながら、アウシュヴィッツで今何が見られるか、具体的に書いてみようと思う。
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<参考情報>
私がよく利用する予約サイトのリンクを貼っておきます。