2つの維新

南京事件の記念館のリポートをまとめるかたわら、司馬遼太郎著「竜馬がゆく」第4巻(文春文庫)を読んでいる。

外国の侵略を恐れて尊皇攘夷の志士たちが登場し、江戸幕府を打ち倒した。そうして出来上がった明治政府は富国強兵につとめ、結果として朝鮮半島や中国大陸の侵略へと突き進んだ。南京事件は決してそれ単体として存在するのではなく、一連の他国侵略の過程における悲劇であった。青年将校たちは昭和維新を掲げた。幕末に活躍した若き志士たちに己を重ねたのだろう。その行き着く先が、南京事件であり、沖縄戦であり、国土を燃やし尽くした上での敗戦だったのだ。

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司馬遼太郎さんが書いた一節が心に残った。引用させていただく。

『幕末における長州藩の暴走というのは、一藩発狂したかとおもわれるほどのもので、よくいえば壮烈、わるくいえば無謀というほかない。 国内的な、または国際的な諸条件が、万に一つの僥倖をもたらし、いうなればこの長州藩の暴走がいわばダイナマイトになって徳川体制の厚い壁をやぶる結果になり、明治維新に行きついた。 たしかに行きついた。 しかし、行きついた、としか言いようがないのである。

当時の長州藩は、正気で文明世界と決戦しうると考えていた。攘夷戦争という気分はもうこの藩にあっては宗教戦争といっていいようなもので、勝敗、利害の判断をこえていた。長州藩過激分子の状態は、フライパンにのせられた生きたアヒルに似ている。いたずらに狂躁している。 この狂躁は、当然、列強の日本侵略の口実になりうるもので、かれらはやろうと思えばやれたであろう。 が、列強間での相互牽制と、列国それぞれが日本と戦争できない国内事情にあったことが、さいわいした。 さらにいえば、当時のアジア諸国とはちがった、この長州藩の攘夷活動のすさまじさが欧米人をして、日本との戦争の前途に荷厄介さを感じさせた、ということはいえる。 だから、列強は手びかえた。

いずれにせよ、長州藩は幕末における現状打破のダイナマイトであった。 この暴走は偶然右の理由で拾いものの成功をしたが、 「これでいける」 という無智な自信をその後の日本人の子孫にあたえた。とくに長州藩がその基礎をつくった陸軍軍閥にその考え方が、濃厚に遺伝した。

昭和初期の陸軍軍人は、この暴走型の幕末志士を気取り、テロをおこし、内政、外交を壟断し、ついには大東亜戦争をひきおこした。かれらは長州藩の暴走による成功が、万に一つの僥倖であったことを見ぬくほどの智恵をもたなかった。」

昭和の軍人が明治維新の志士に憧れ、彼らについて書かれた書物を読み、互いに男の本懐について論じあった。勝海舟や坂本龍馬が果たせなかった夢、すなわち日本と中国・朝鮮の三国が手を結び西欧列強と戦うという夢を自らの手で実現させようとしたかもしれない。しかし、そこには他国に国土を侵略されることを恐れた幕末の危機意識は薄く、逆に侵略者としての勝手な論理を振りかざして他国に戦争を仕掛けた日本人の姿があった。

明治維新から昭和維新へ。そこには変異しながらもつながる一本の流れがある。

日本史におけるこの特異な時代について、私たち日本人は今も知る必要がある。

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