東北・蝦夷の魂

国譲りの真相

秋田県鹿角市に「大湯ストーンサークル」というのがあり、高橋氏は若い頃この謎を解こうと資料を当たっていくうちに東北に竜にまつわる伝説が多いことに気づく。

東北のストーンサークルを造った人たちは竜信仰を持っていたようだ。

日本の龍信仰の始まりは出雲からである。出雲の斐伊川の上流には八岐大蛇(やまたのおろち)伝説がある。その地で八岐大蛇は神として崇敬されていた。ところが出雲王朝を滅ぼしたヤマト族=天照系の神話では、八岐大蛇は邪悪とされ須佐之男命(すさのおのみこと)が退治してしまう。

出雲を支配していたのは大国主命たちである。東北には大国主命を祀る神社が多いのに、本家本元の出雲には大国主命を祀る神社は出雲大社しかない。もっと奇妙なのは、出雲大社での大国主命の祀られ方だ。拝殿の中には大国主命がいて、それを取り囲む形で天照の神々が配置されている。まるで大国主命を逃さぬよう見張っているかのようだ。

神話によれば天孫族たち、つまり天照系の一派が日本にやって来た時、出雲を治めていた大国主命たちは快く国譲りをしたとされている。

だが、出雲大社の成り立ちは、天照一派が大国主命一派を服従させたことを示すものだったのだ。

新しい支配者が古い支配者を塔に幽閉するのは世界共通だ。

古い支配者に国土を眺めさせるためにではない。かつての支配者が決して救出できないところにいるのを、民に見せつけるためだ。だから大国主命も天孫族によって高い場所に幽閉された。

伝承によれば出雲大社の本殿は130mを超す高さだったとされる。それは見せしめとして造られたのであって、決して大国主命への尊敬からではなかった。

高橋克彦著「東北・蝦夷の魂」より

これは、面白い。

なぜ出雲の地に日本一の高層建築が築かれたのか、これまでどうもしっくりこなかったが、高橋氏の説は目から鱗である。

さらに・・・

では、大国主命に従っていた国つ神たち、つまり日本の先住民の首領たちは、出雲を追われてどこへ行ったのか?

長野の諏訪明神の御神体は蛇=竜だ。

諏訪大社に祀られている建御名方神(たけみなかたのかみ)は大国主命の子で、国譲りを迫る天照の使者建御雷(たけみかづち)と力比べをして敗れ諏訪へ逃げた。のちに様々な祟りをなしたので、朝廷は大和に三輪神社を建立する。

主祭神の大物主大神は蛇神である。三輪神社の縁起は、大国主命が自らの幸御魂・奇御魂を三輪山に祀ったのがそもそもの始まりという。このことからも日本の国つ神は龍の系列であったと考えられる。

「日本書紀」では地上に現れた一番最初の神は国常立尊(くにのとこたちのみこと)とされている。国常立尊は天から命じられて九州に降り立ったものの、何十年経っても報告に戻ろうとしない。そこで天の使いが何度もやって来るが、国常立尊は国つ神たちの仲間になっていた。

業を煮やして、ついに天照が降りてくる。

出雲を征服した天照らは、畿内へと攻め込む。戦闘準備をして待ち構えていたのが、現在の奈良県一帯を支配する豪族・長髄彦(ながすねひこ)だった。天照一派の遠征軍を率いる五瀬命(いつせのみこと)は、長髄彦の弓に当たって死ぬ。五瀬命の弟、磐余彦尊(いわれびこのみこと)は一旦退却し、八咫烏に導かれて熊野から吉野川を遡り奈良へと至る。

「古事記」は、その後の長髄彦と天照軍の攻防に触れていないが、饒速日命(にぎはやひのみこと)の神が磐余彦尊に帰順の意向を示したことで、天照軍は畿内を制圧したことになっている。

饒速日命は長髄彦の妹と結婚していた。「日本書紀」は天照軍に服属しない長髄彦を饒速日命が殺したとしている。磐余彦尊とは後の神武天皇だ。

長髄彦ゆかりの神社が、青森県の十三湊(とさみなと)の近くに今もある。

高橋克彦著「東北・蝦夷の魂」より

もし出雲の国が、大和朝廷によって武力で征服されたことを意味しているとすると、話の筋が通る。

古事記や日本書記は天武・持統天皇の時代に朝廷に都合よく編み出された神話だから、国を譲られたと主張することで、自らが国の盟主である正統性を歴史に書き込みたかったのだろう。

邪馬台国は半島から渡ってきた人たちが九州に作った国であり、それが神武東征の神話のように東に攻め上って大和朝廷となったというのも、実にすっきりと理解ができる。

ただこの説のまずいのは、天皇が半島から来た侵略者の子孫であることが明らかになってしまうことだ。だから邪馬台国論争は今も続いている。

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