アラハバキと縄文人
さらに、高橋氏の説に納得する理由は、縄文人は争いを好まなかったとされる説との符号である。
本の中でも、縄文人との関連が登場する。
長髄彦神社の周辺には、やはり龍の伝承が残っている。
龍の伝承はシュメールからシルクロードを経てインド、中国、最後には日本へ渡って来た。もともと、日本にあった信仰ではなく、シュメールから伝播して来たものだったのだ。だからインドや中国の伝説と日本の竜伝説はとても似ている。
津軽の民が古代から信仰していた神にアラハバキがある。
御神体は黒光りする鉄の塊という謎めいた神で、いまだに正体は解明されていない。亀ヶ岡遺跡や大湯ストーンサークルからは、変わった形の壺や笛に用いたとされる菱形の土器がよく出土する。それらはトルコの辺りにかつて存在したヒッタイトの土器と非常に似ている。
ヒッタイトは世界で初めて製鉄を行なった古代帝国である。ヒッタイトのどこで土器が作られていたかを追い求めると、製鉄施設を含むアラジャ・ホユックの遺跡にたどり着く。
ヒッタイトでは鉄製品をハバルキと呼んでいた。
アラジャ・ホユックのハバルキが転じて、アラハバキになったのではないのか。
土器の類似性から、相当古い時代に龍を崇める民が日本に渡って津軽辺りに住み着き、縄文時代を作り上げた可能性があると考えている。
津軽を中心に東北のアラハバキ神社を調べていくと、御神体はほとんど鉄鉱石である。岩木山の麓にある岩木山神社もアラハバキを祀っているが、御神体は黒い鉄のような石だ。十三湊に近い洗磯崎神社も鉄鉱石を御神体にしている。
出雲の八岐大蛇の神話も、鉄鉱石を製錬するタタラから溶けて流れた鉄から連想されたと考えられる。
大国主命は相当古い時代に龍の伝承を持って日本にたどり着いた一族の末裔であり、彼らが得意としたのが鉱山開発だったのだろう。
映画化されて有名になった「砂の器」という松本清張の小説がある。
秋田県の亀田辺りらしい訛りを話す犯人を刑事たちが追い詰めていく。捜査の過程で島根県に亀嵩という場所があり、秋田の亀田そっくりの言葉を使っていることが分かる。
その亀嵩はまさに八岐大蛇伝説のある場所だ。亀嵩を含む島根の人たちが故郷を追われ、やがて東北に定着したに違いない。
出雲から海伝いに北へと逃れ、新たな民族を形成していったのが東北人のルーツなのである。
高橋克彦著「東北・蝦夷の魂」より
縄文遺跡は日本中、特に東北や関東、信州などに多い。各地で交易も行われた形跡があるが、国を揺るがすような大きな戦争はなく1万年も続いたとされる。
その平和を乱したのは、稲作とともに半島から渡ってきた弥生人だった。稲作のために共同生活をし、稲作によって多くの人を養うことが可能となった。稲作はより大きな集落を作り、やがて国を生み、国同士の領土争いをもたらした。
そしてその争いを制したのが、大和朝廷であり、天皇家であった。
朝廷に追われた出雲の人々は、古来からの縄文人が暮らしていた関東や東北に逃れ、朝廷から蝦夷と呼ばれるようになる。半島から渡ってきた人から見れば、彼らは遅れた野蛮人ということになる。
でも、高橋氏が指摘するように、見方を変えると蝦夷こそ日本列島に昔から住んでいた縄文人であり、平和を愛する民だったのかもしれない。
東北は「ひのもと」
この本を読むまでは、「えみし」というのは、アイヌの人たちのことかと思っていた。でも、北海道を「蝦夷地」と呼ぶようになったのは江戸時代のことで、えみしとアイヌは全く別の民族だということを知った。
そして「みちのく」という呼び名についても記述も興味深い。
陸奥(みちのく)あるいは奥州という呼び名は、支配する側の呼び方であって、東北の本来の名称は「ひのもと」だった。
「ひのもと」は「日の本」と書く。日本と表記したために元の意味が曖昧になってしまった。
坂上田村麻呂が蝦夷の本拠まで大軍を進めていくと、そこに蝦夷の国の中心地だということを示す「壺の碑」があった。石碑には「日本中央」と刻まれていた。
田村麻呂が見つけた「壺の碑」は、あくまでも蝦夷による「ひのもと」中央碑である。東北はかつて「ひのもと」と呼ばれていた。その「ひのもと」のルーツは亀嵩である。「ひのもと」は、おそらく八岐大蛇がいた斐伊川の「もと」という意味だ。つまり斐伊川の源流のあたりが「ひのもと」だった。
出雲から東北へ追いやられた者たちが、我々は「ひのもと」の民だということを忘れぬため、「日本」の名称を使ったのだろう。
高橋克彦著「東北・蝦夷の魂」より
「日本」のルーツが蝦夷にあったとは、驚きだ。