<東京@グルメ>上野「デリー」の「カシミールカレー」

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きれいな青空が広がった昨日、用事があって上野に行って来た。

不忍池の蓮が巨大に成長していた。

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地下鉄「湯島駅」で降りて、老舗カレー店「デリー 上野店」へ。

1時半をすぎていたが、まだこの行列。やはり人気店のようだ。

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入り口には「昭和31年創業 デリー発祥の地」という張り紙が・・・。

『昭和31年、デリーはこの地に産声を上げました。小さく目立たず洒落っ気のない上野店ですが、半世紀以上にわたり全国のカレーファンに愛され、また「カレーの聖地」として讃えられてきました。日本人が毎日食べても飽きないカレーを追求し、スパイスの香りと野菜や果物の甘み・旨みを絶妙にブレンド。インドカレーにデリー独自のアレンジを加えた、唯一無二のオリジナルカレーをご提供し続けています。カレー好きの方にこそ味わっていただきたい渾身の一皿を、これからも心を込めておもてなしいたします。』

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10分ほどで店内に入ることができた。

細長い店内には、カウンター席と小さなテーブルが4つ。

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たくさんあるメニューの中から、一番人気の「カシミールカレー」をオーダーする。

星5つの激辛カレーらしい。

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多めのご飯と、黒ずんだサラサラのカレー。

これが「デリーの代名詞といわれる人気NO.1カレー」でメニューにも書かれている「カシミールカレー」(1000円)だ。

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「デリー」のホームページには、「カシミールカレーができるまで」というページがある。

黒い色の秘密はカラメルだと書かれている。

そして、その名前の由来も・・・。

『創業者・田中敏夫にとって「辛いカレー」のイメージは、南インド「マドラス」のカレーだったため、その激辛カレーは「マドラスカレー」に命名すると決めていた。

しかし、どういうわけか印刷業者にメニュー原稿を渡す際、うっかり「カシミールカレー」と書いてしまう。

刷り上がったメニューを見てその間違いに気づくが、そもそも完全オリジナルのカレーであること、当時の日本ではあまりインドの地名は知られていなかったことから、それほど影響はないだろうと判断し『カシミールカレー』という名前のまま提供した。』

この手の間違いエピソードは、様々なヒット商品にあるが、やはり人間の発想力には限界があり、思いもよらぬヒットを生むのは神々の仕事なのかもしれない。

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サラサラの黒いカレーをライスにかけ、食べる。

うまさよりも先に辛さが口を麻痺させる。私もバンコク駐在時代にはかなり辛い料理が食べられるようになったが、もうすっかり鈍ってしまった。

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たまらずカウンターに用意されているタマネギときゅうりの漬物を混ぜる。

辛さが幾分和らぎ、旨みも加わる。さらに、タマネギときゅうりをドバッと載せる。

それでも、やはり辛い。今の私には、カシミールカレーはちょっと辛すぎる。

なんとか頑張って完食したが、次回来ることがあれば、別のカレーを注文するだろう。

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カウンターの上に掲げられた木のプレートに書かれたインド文字の意味を、インド人の店員に聞くと、「とても美味しいカレー屋“デリー”」というようなことだと言う。もう少し、深い言葉が書かれているのかと思ったのだが・・・。

店のサイトには、「デリー」の歴史も書かれていた。

『創業者の田中敏夫は、富山県の味噌・醤油などを扱う食品会社に生まれ、35歳で佃煮の製造販売を行う田中食品工業を設立しました。しかしながら、時代とともに食文化が変わり佃煮の製造が斜陽産業になったため廃業、7年後に閉鎖することになります。

戦前、創業者は商社マンとしてインド、パキスタン、スリランカに長年駐在し、油や石鹸の原料となるコプラ(椰子の固形油脂分)の国内輸入を行っていました。閉鎖の失意の中、インド駐在時にメイドさんや友人宅で食べていたおいしいカレーを思い出し、「あのインドカレーを日本に紹介しよう」と一念発起した創業者は、佃煮を作っていた料理人と共に、インドから取り寄せたスパイスを使い、当時食べていたカレーを再現するために試作を重ねました。

そして、昭和31年、デリーを創業することになります。』

佃煮屋が作ったカレー屋さん。今では銀座や六本木にも店を構え、多くのブランド商品を展開する会社になっている。

「カレー好きの聖地」というのはよく理解できるが、私との相性は今ひとつだったようだ。

食べログ評価3.63、私の評価は3.30。

 

 

 

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