今年の梅雨は全国的に遅く、岡山を含む中国地方は平年より2週間も遅れて、22日にようやく梅雨に入った。
若い頃は、ジメジメした梅雨が大嫌いだったが、歳をとると不思議なものでさほど嫌いではなくなった。
ましてや畑仕事をするようになると、むしろ雨が恋しくなったりもする。
テレビをつけてもつまらないローカルニュースを我慢して見るのも、その後の天気予報を見るためだ。
世界のどんなビッグニュースにも負けないぐらい、この先の天気が今の私にとって天気予報が大切になっている。
雨が降っている間は畑にはいかない。
だから雨が降り続くと、畑仕事のスケジュールが狂ってしまうのだが、今年は6月に入っても雨の日が少なく、やろうと思っていた作業は順調に進んだ。
だから、ここに来ての雨は私にとっては休息の雨。
連日の肉体労働に疲労も蓄積しているので、のんびりするにはちょうどよい。
とはいえ、ずっと絶え間なく雨が降っているわけではない。
雨が上がったタイミングを見計らって、妻と一緒に畑をひと回りするのも梅雨の日課となった。
鶏小屋に這わせていたゴーヤがいつの間にか黄色い花を咲かせている。
夏の日除などにも利用されるゴーヤ。
その葉っぱだけでなく花も可憐でいいものだ。
水たまりができた畑では、カボチャがのびのびと成長している。
もはや私が作った畝など関係なく、伸びたい放題、四方八方に蔓を伸ばし、黄色い大きな花を咲かせて、よく見れば小さな実も出来始めているではないか。
他の作物の領域にまで進出するのは困ったものだが、基本的には自由放任、これでどのくらいカボチャの実が収穫できるか試してみるつもりだ。
カボチャの隣で多少窮屈そうなのがスイカ。
カボチャの圧倒的な成長ぶりに比べれば大人しいものだが、それでも知らぬ間に草むらの中にまでスルッと蔓を伸ばして小さな花を咲かせていた。
水はけの良い土壌を好むスイカが、この粘土質の水浸しの畑で果たして実をつけてくれるかどうか、これも今年の実験である。
畑を見回ったついでに、でき始めのナスとパプリカを少し収穫する。
まだ成長途中であるため、実はあまり大きくならないうちに摘み取り、まずは株の成長を促しているのだ。
収穫した野菜はさっと炒めてインスタントラーメンにトッピング。
インスタントラーメンでもこれなら栄養満点、採れたてをいただく贅沢が味わえる。
食事をしていて、あることを思いついた。
大雨で畑がビジョビジョになっているこのタイミングで、将来の畑の準備をしよう。
まだ耕していない未耕作地は乾燥するとガチガチに固まり、クワはおろか耕耘機を使っても耕すのは困難だ。
だから、粘土質の土が大量の雨で柔らかくなっている今、スコップで掘り起こしておけば、後日耕耘機を入れるのが楽になると考えた。
先日草を刈ったばかりだというのに、もうすでに雑草が生え始めている未耕作地に金属製のスコップを押し込み、少しずつ土の塊をひっくり返していく。
水分を多く含んだ土は、剥がすたびにジュポッと音がした。
粘土状の土が固まって地中に空気がないためだろう。
土の塊は重く、なかなかの重労働である。
もしこれが、賃金をもらって働く土木作業員だったり、ましてや奴隷として無理やり働かされる身分だったら、一日何時間もこんな辛い作業をしなければならないのだろうが、自分の意思でやっている私はいつでも作業をやめることができる。
同じ作業をしていたとしても、自分に裁量権があるかどうか、この違いは極めて大きい。
結局、30分あまり畑を掘り返し、2畝ぐらいのスペースを作ったところで再び雨が降り始め、私は即座に作業をやめて家に戻った。
働くこと自体が辛いんじゃない。
自分の意思とペースで行えば、どんな大変な仕事でも頑張れるしやりがいも感じることができるのだ。
自分がやりたい仕事ができて、引退後も自分の意思とペースでやろうと思ったことをやれている私は本当に幸せ者だと、土を掘り返しながらふと思った。
27日には東京に戻る予定なので畑仕事も小休止。
7月に帰ってきた頃には、この畑の雑草も見違えるように背を伸ばしていることだろう。
<吉祥寺残日録>岡山二拠点生活🍇 ついに耕作放棄地を耕すまでに漕ぎ着けたが、思わぬ雑草の反撃で足の裏を負傷 #230117
