時々、心の底から衝撃を受ける人というものがある。このおばあちゃんは、私にとって久々の破壊力だった。
「自撮りおばあちゃん」西本喜美子さん。御歳89歳だ。

西新宿で彼女の写真展が開かれていることを知り、妻を誘って行ってきた。

まずはこの写真でお出迎え。

その隣には・・・
いきなり、笑ってしまう。
この写真展が開かれているのは、西新宿にある新宿三井ビル。

学生時代、東京に出てきてすぐに見に行った当時の最先端を行くビルだった。ちょっと懐かしい。その三井ビルの1階に「エプソンイメージングギャラリー エプサイト」がある。

入場は無料だ。

一歩ギャラリーに足を踏み入れると、そこは期待通りの癒しの世界。
西本喜美子さん渾身?の力作が並ぶ。

うれしいことに、複製しなければ写真撮影OK。
私はまず、この箒に乗ったおばあさん魔女の写真に惹きつけられた。後ろが日本の普通の家の玄関というのがまたいい。

続いてはこちら。驚く男性の表情も秀逸だ。
喜美子さんは72歳のとき、アートディレクターである長男が主宰する写真講座に参加して、写真を始めた。
おそらく長男さんのアドバイスや周囲の人たちも喜美子さんの世界観を楽しみサポートしているのだろうと想像される一枚だ。

テレビでも紹介された一連の車にひかれるシリーズ。

こんな余裕の写真もあった。常に人を裏切るユーモアがすごい。

そして私のお気に入りが、こちらの仏壇シリーズ。

高齢者の前で「死」の話はしにくいものだが、喜美子さんはそれを自らパロディーに変える。人間、このくらい開き直って死に向き合えば、人生の最後まで前向きに生きられるのかもしれない。

さらにさらに、自らを燃えるゴミにしてしまう衝撃作。この一枚だけを見ると、現代版の「姥捨山」かもしれないが、他の作品と並べられとそんな悲壮感はなく、その吹っ切れた笑いのセンスに言葉を失ってしまう。

こちらもテレビで見て、思わず笑ってしまった作品。これ、どう見てもリアルに物干し竿にぶら下がっていますよねぇ。体を張った熱演。よくこれだけ、ネタを思いつくものだ。

喜美子さんは、1928年ブラジルで生まれた。死んだ私の父と同じ年だ。
8歳で帰国し、成長してからは美容院を開業したり、競輪選手になったり。異例の経歴の末、27歳で結婚し主婦になった。

写真を始めたきっかけについて、喜美子さんはこんな風に書いている。
『東京在住の息子が熊本で毎月開催してる写真講座。そこの生徒さんたちに強引に誘われて「おばあちゃんだから迷惑かな?」と思いながらも参加してしまったのです。 当時72歳。 長い人生でカメラなんか触ったこともなかったのに。
何事も「うまい・へた」はある。 だけど「いい・わるい」はない。 自分流が一番いい。 自分流が一番大切。 先生である息子がいつも言う言葉。この言葉に救われて続けられた。 出来上がった写真はけっして上手ではないけど全部がイキイキしていて嬉しくてたまらなかった。』

『写真始めて2年ほど経った頃、遊美塾で新しくMac講座が始まった。 写真を加工する? イラストが描ける? アートができる? また夢がふくらんで、真っ先に受講しました。74歳の時でした。 フォトショップにイラストレーター、英語が多くてよくわかんない。 でも何度もやってると体が覚えてくれるんです。 授業で習ったテクニックでいろんなアートを創ってみる。 こんなのがアートと言えるかわからないとつぶやきながら、思うがままマウスを動かした。』

その頃の作品が、これなのだろう。
喜美子さんは、自撮りの前はこんな作品を創っていたようだ。

『ある時、遊美塾で「自分を撮るセルフポートレート」という宿題が出た。 自分が自分の被写体になることで、絵作りの難しさと面白さを知る、という内容でした。 何しよう? こんなおばあちゃんだから、何しても絵にならないし〜 ま、いいか、何しても恥ずかしくないし・・・ セルフタイマー使ったりリモコン使ったり。いろいろやってると、だんだん面白くなってきた。 できた写真見せるとみんな笑ってくれる。こりゃいいや。 でも主人に見せたら、顔が固まってた。 見せなきゃよかった。
ある秋、そんな主人が亡くなった。 ひとりぼっちになった。
拾ってきたガラクタに話しかけてみる。 言葉は返ってこないけど、寂しくなくなった。 誰もいなくなって静まり返った家だけど、私の部屋にはガラクタ友達がいっぱいいる。 ひとりじゃないんだ、そう思えた。
写真やっててよかった。』

息子さんとご主人がカメラをやっていたことが喜美子さんの老後を大きく変えた。
しかしそれ以上に、彼女の好奇心、彼女の人生観、彼女の感性が人を幸せにする素晴らしい作品を生み出させていることは間違いない。

ギャラリーにはメッセージ帳が置いてあった。
私はこうしたものに何か書くことはほとんどないのだが、今日は珍しく書かずにいられなかった。
「ぜひ一緒にお仕事しましょう。」
彼女の前向きなメッセージは、多くの人に生きる勇気を与える。そんな世の中を明るくするようなお仕事を、喜美子さんの企画力を借りてやってみたいと思った。
太郎 でリブログ.