新年を海外で過ごすのは、1996年にパリから帰国して初めてだった。
場所は香港。中国への返還から21回目の新年を恒例の花火で祝った。

香港のカウントダウン花火は有名なので、一生に一度ぐらいは見てもいいだろうと、大した予備知識も持たないまま大晦日に香港入り。何とか間近で花火を見ることができた。
2019年最初の投稿は、香港での行き当たりばったりの年越しを報告する。

大晦日の午後、深圳から香港に入った。
ホテルにチェックインして、すぐに香港博物館を見学、その足で二階建てバスに飛び乗り海岸線に向かった。
バスは大陸側、九龍半島先端の尖沙咀地区に着いた。時間は夕方の6時過ぎだった。

香港島に向かうスターフェリーの乗り場近くには、すでに多くの人が集まっていた。
九龍側から香港島の高層ビル群を背景に花火を見るのが王道らしい。

海に面して立つ時計塔。この辺りは「尖沙咀プロムナード」と呼ばれる。「これぞ香港」という絵葉書ショットが撮れる一番人気のスポットなのだ。
とりあえず下見のつもりでやってきた私に対して、ここに集まった人たちはすでに場所取り本番。このまま6時間、ここで待つつもりのようだ。私はカメラのバッテリーをホテルで充電中で、防寒着もホテルに置いてきてしまった。このまま、ここで6時間という訳にはいかない。

特等席と思しき「香港文化中心」という施設のデッキは、修理中で使用できないとの張り紙が貼られていた。

デッキの下の空間もすでに人で埋め尽くされていて、後ろの方だと、肝心の花火が見えないだろう。

デッキの上では、テレビ中継の準備が進められている。
香港のカウントダウン花火は毎年テレビで生中継され、その映像は世界中に配信される。つまり、やはりここが花火を見るベストポジションである証なのだ。

デッキの先のプロムナードは多くの人で完全に埋め尽くされていて、立錐の余地もない。もうこれ以上前に進むことも不可能だ。
私はこの場所で花火を見ることは無理と判断し、一旦ホテルに戻り準備を整えた上で、別の場所を探してみることにした。

地下鉄の尖沙咀駅を目指して歩く途中、高級感あふれる建物が目を引いた。
これぞ世界的に有名なペニンシュラホテルである。
第二次大戦中、日本は3年半に渡って香港を占領したが、このホテルが日本軍の総司令部として使われたことを知る日本人は少ない。
お金に余裕のある日本人は、こうした高級ホテルに部屋を取り優雅に花火を眺めるのだという。ただし1泊10万円以上はする。しかも今年の大晦日はすでに満室だ。

尖沙咀駅は人でごった返していた。これは大変な所に来てしまった。
甘い気持ちでは痛い目をみると、気持ちを引き締めホテルに戻った。ちなみに私の泊まった宿は、尖沙咀駅から地下鉄で4駅北に行った太子駅近く、「メトロパークホテル・モンコック」という中級ホテルだった。それでも1人1泊4万円以上。大晦日の香港に泊まるのは、大変だ。

今更ジタバタしても始まらない。
ホテルに戻り、今年最後の夕食をホテル近くの食堂で済ませ、防寒対策も万全にしてから向かったのは、海を渡った香港島側の駅「金鐘」だった。
30年前、私が初めて香港を訪れた頃はまだ地下鉄はなく、九龍から香港島に渡るにはスターフェリーに乗るか、大渋滞を覚悟して車で行くしかなかった。でも今では地下鉄が何本も走り、尖沙咀駅の次が金鐘駅である。便利になったものだ。

地上に上がると、高層ビルの壁面一杯に「メリークリスマス」のカラフルな巨大イルミネーションが輝いていた。

その向かい側には、ライトアップされた巨大なアーチ状の建造物が紫色に光っている。
パリの新凱旋門を思わせるこの建物は「香港特別行政区政府総部」。つまり香港政府の中枢のようだ。

2014年9月に始まった反政府デモ、いわゆる「雨傘運動」の中心となった場所だ。
私はただテレビで見ていただけなので、正確な場所などはわからない。でもあの時、世界中の人たちが香港の学生たちに心を寄せ、その訴えにシンパシーを感じた。
でもあれから4年。圧倒的な中国の存在感の前に、雨傘運動の余波を感じることはほとんどなかった。

政府庁舎を抜けて海側に進むと公園になっていて、青い光のチューブが設えられていた。
人々の流れに乗って、その輪を潜ってさらに先へと進む。

光の輪を抜けると突然、視界が開けた。
目の前には暗い海、そしてその向こうには九龍地区の灯りが見える。人々がレジャーシートを広げて座っている。時間はちょうど夜9時、まだ多少のスペースが残っていた。

振り返ると、香港島側、中環から湾仔にかけての高層ビル群が想い想いの光を放っていた。
花火はどこで打ち上がるのか?
その時、ビルのライトアップはどのように行われるのか?
何の知識も持たない私にとって、この場所は、全体が眺められる絶好のスポットではないかと思えた。

海沿いには遊歩道が整備されている。「中西区プロムナード」というらしい。
尖沙咀プロムナードに比べると、広々としていて人の密度が濃くない。

簡易な遊園地もあり、強烈な光を放っている。この辺りはちょっと明るすぎて花火見物には適さないと判断する。

海沿いの公園にはステージも作られ、夜9時半から歌謡ショーが始まった。

歌やおしゃべりで年越しを盛り上げる。
その音は、客席の人たちだけではなくその周辺1キロ以内にいる人には全員聞こえるほどの音量だ。まあ、夜の寒さに耐えながらじっと待つ人たちにとっては眠気覚ましに一役買っているとも言えなくもない。

結局私は、最初に見つけた海近くのスペースを確保し、10時半ごろ念のため駅まで戻ってトイレを済ませた。
この頃になると広い公園も人で埋まってきた。この日、カウントダウン花火に集まった観客は30数万人とも伝えられた。

午後11時。
九龍側の高層ビルに「1 HOUR TO 2019」の文字が浮かび上がる。年越しまで、あと1時間。どうやらこのビルが、案内板の役目を果たすようだ。

振り向くと、香港島側の高層ビルの屋上から赤い花火が狼煙のように打ち上げられた。
後で知ったことだが、これらの花火は「シューティング・スター」と呼ばれ、午後11時から15分おきに4回打ち上げられ、カウントダウン気分を盛り上げる演出のようだ。
最初が赤、続いて緑、金、銀の順で色が決まっていて、それぞれ「愛・幸福・富・健康」という意味が込められているという。

様々な絵が映し出される九龍側のビルには、巨大なスマイリーフェイスも登場。
そして11時半、警察の入場規制が解除され私たちが座っていた海沿いのスペースに大勢の人がなだれ込んできた。それまで座って待っていた人たちも仕方なく立ち上がり、一斉に海側に移動する。

私も人に押される形で海側に移動するうちに、海面が見える最前列近くまで押しやられた。もはや周囲は人で埋め尽くされ、身動きもできない状態だ。

でも結果的には、悪くはない。
海はもう目の前。後ろの人には申し訳ないが、ここなら花火が見えないということは絶対にないだろう。

「GET READY TO NEW YEAR」
新年の準備はいいか?と問われ・・・

そしてついに「1 MINUTE TO 2019」の文字。
新年まであと1分だ。人々の間から歓声が上がる。
今年の年末年始は異例の寒さ。みんな寒さに凍えながらこの時を待った。

そして午前0時。
カウントダウンとともに、いよいよ花火が始まった。

花火は、九龍地区と香港島の間の海峡ビクトリア・ハーバーから打ち上がる。
写真で撮るか、動画で撮るか?
迷いながら、まずは写真を撮る。みんな一斉にカメラを構えるので、前の人がかぶらないよう腕を伸ばして場所を探す。
続けて、動画。
人に押され、目の前の男性が邪魔なポジションに来る。
手を横に伸ばして何とか撮影を続ける。当初は三脚を据えてしっかりなどと考えていたが、とてもそんな状況ではない。
再び、写真に戻す。




再度、今度は動画に・・・
そして再び、写真。
香港島のビルからも花火が上がり、サーチライトが光る。


そして最後は、7分半、動画を撮り続ける。
前の人が動くので、変な姿勢で撮影せざるを得ず、次第に腕が痺れてきた。
2019年は、10分間に及ぶ華麗な花火で明けた。
中国各地で見られるようなビルの外壁に取り付けられたLEDライトによる演出はさほどなく、予想したよりも普通の花火だった。でも、花火はやはり音。10分間止まることなく続いた花火の爆音を全身で感じた。

花火が終わり静けさが戻った香港に「LOVE & PEACE」の文字が浮かび上がった。
今年はどんな年になるのか?
世界は「LOVE & PEACE」とは真逆の方向へと進んでいるように見える。

花火は終わった後が大変。それはどこの国でも同じだ。
海辺に広がっていた人たちが一斉に駅へと向かう。通路はすぐに人で埋まり、ノロノロとしか前には進まない。

わずか300mほどの道のりだが、駅にたどり着いたのは花火が終わって50分後のことだった。

金鐘駅の中も人でいっぱいだった。
それでも大量の人を運ぶため、深夜にも関わらず次々に列車がやってくる。思ったほど待たされることもなく、1時20分ごろにはホテルにたどり着いた。
ところがである。

太子駅近くにある私のホテル前に長蛇の列ができている。
深夜の行列は建物の反対側まで200mほど続いている。一体、何を待っているのだろう?

好奇心にかられて行列の前方に行ってみるとバスの切符売り場があった。
ここは中国・深圳への直行バス発着場所になっていた。

列の先頭では、イライラした様子の中国人たちが職員に食ってかかっていた。
香港で年越しを過ごし帰路につく人たちの長い長い行列だったのだ。
香港のホテル代があまりに高いので、私も深圳に宿を取ったまま、香港の花火を見にくることも検討した。結果的には深夜には電車もストップすることがわかり断念したのだが、高くても香港に宿泊していてよかった。夜中にこんなところでいつ来るかわからぬバスを待つのは、流石にしんどい。

ようやく深圳行きのバスがやってきた。
待ちわびた人たちが疲れた様子でバスに乗り込む。歴史ある香港から急速に発展する深圳へと帰る人々。隣り合った2つの街は、複雑な歴史の中で生まれ政治の思惑の中で急発展を遂げた。似ているようで、まったく違う空気を持つ街だ。

香港の一国二制度も残り30年を切った。
いずれ香港と深圳は、文字通り巨大中国の双子都市となる。
その時、香港の人々はどのように行動するのか?
押し寄せる膨大な中国人の圧力の前に、私たちが想像することもできない人生の選択を迫られることは間違いない。
イギリス治世下で繁栄を謳歌した香港での年越しは、そんな悠久の歴史に思いを馳せる貴重な経験となった。
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