昼メシを食った後、昼寝をしたらしく、起きるともう夕方だった。
東京の新規コロナ感染者数がついに2万人を超えたとテレビが伝えている。
「ああ、やっぱりね」
特別、感慨もない。

元東京都知事で、作家の石原慎太郎さんが亡くなったことが昨日明らかになった。
昭和7年生まれの89歳。
最後まで自由奔放に生きた人だった。
さまざまな報道がなされる中に、こんなものもあった。
石原家には慎太郎さんを頂点とする独特なルールがあった。夕食は2部制で、典子夫人や子供4人が済ませた1時間後に慎太郎さんが1人で食べていた。「子供と一緒に食べるとうるさいから食べた気がしない」という理由だった。 朝食は毎日、ご飯、パン、麺類の3種類が用意され、慎太郎さんが自身の体調に合わせてメニューを決めていたという。慎太郎さんは夜中に執筆していたため、朝の睡眠を大切にしており「朝は絶対に物音を立てないこと」も徹底され、騒ぐと典子さんが叱った。
引用:スポニチ
こんなわがままな人と暮らすのはさぞ大変だっただろうと思うが、男性中心だった昔の日本ではこうしたわがままな親父も珍しくなかったのかもしれない。
でも、令和になってもそんな生き方を貫いている人はあまりいないだろう。
ある意味では幸せな人生、でも羨ましいとはちっとも思わない。

一橋大学の学生時代に書いた「太陽の季節」で芥川賞を受賞し、それが映画化され「太陽族」という流行を作った。
言いたいことを言う石原慎太郎さんの生き様を見ながら、「この人はいいところのボンボンなのだろうな」とずっと思っていた。
「太陽の季節」に描かれる湘南でヨットで遊ぶ若者のイメージが二重写しになっていたのだろう。
でも調べてみると、石原さんの父は山下汽船の幹部社員だったようだが、サラリーマンの家庭で育ったようである。
なぜ、あれほど傲慢なまでに自信満々に持論を堂々と展開できたのか、不思議に感じる。
若い頃、「青嵐会」の一員として青年将校のように振る舞った石原さん。
その姿には、周囲の静止を無視して戦争拡大に突き進んでいった戦前の青年将校の姿が重なって見える。
あの時代、エリートたちが国を憂い、守旧派の幹部を斬り殺してでも自らの理想を貫くことは社会からなんとなく認められていた。
戦後になって、そうした青年将校たちの暴走が日本を破滅に向かわせたと批判された後も、石原さんは彼らの生き方を是認していたように見える。

政治家としての石原さんの言葉は、しばしば論議を呼んだ。
尖閣諸島の領有問題など後々まで大きな問題を残した行動も多い。
私は石原さんとはかなり意見を異にする者だが、それでも目指す政策が常に具体的であったことは大いに評価するところである。
世間があまり注目していない課題に目をつけ、それを石原さん流のやり方で政策提言をおこなった。
横田基地を軍民兼用の利用できる空港にするというアイデア、東京からスギ花粉やカラスを駆逐するという政策、沖ノ鳥島が波に削られて無くなってしまうことにも警鐘を鳴らした。
私たちは石原さんの問題提起により、そこに確かに解決すべき問題があることを知った。
「今の政治家には構想力がない」と嘆いていた石原さんの言葉を聞いたが、それは事実だと思う。
与野党ともに同じような話をああでもないこうでもないと議論しているだけで、まるで初心者の囲碁のようだ。
東京五輪の是非はともかくとして、あれを実現したのは安倍さんではなく石原さんだった。
自らの信じた道を突き進み、口先だけの嘘をつかず、常に本音で生きていく。
そうした石原さんの生き様は、同調圧力の強すぎる日本人が学ぶべき点だと私は思う。
石原さんは好きではなかったが、その生き様は真似していきたいと思いながら、ご冥福をお祈りしたいと思う。

妻の母親は、石原慎太郎さんと同じ昭和7年の生まれである。
今日、その義母が熱を出したと妻のもとに連絡が入った。
熱が38度以上あるらしく、かかりつけのお医者さんに往診してもらったという。
義母はコロナワクチンの接種を受けていない。
それが本人の強い意思で、家族もそれを尊重している。
往診してくれた医師がコロナの検査をしてくれて、その結果は明日わかるそうだ。
妻の両親のもとには毎日ヘルパーさんが入ってくれているが、発熱してコロナの疑いもあるため、医師から明日はヘルパーさんは来ない方がいいと言われた。
高齢夫婦だけでこのピンチを乗り切ることができるのかどうか、妻は気がかりな様子だが、感染者が2万人を超えた東京の人が帰ってくるのは岡山でももっと警戒される。
本当に厄介な病気である。

義母は昔は「お父さんを残して先に逝くわけにはいかない」と言っていたが、最近では「もう十分生きた」と死を覚悟したような言葉も口にするようになった。
いつまでの長生きしたい人もいるのだろうが、長生きするよりも自分らしい最期を考え、義母のように延命治療を望まない人が増えることは望ましい方向だと思う。
ただ、もしも義母が入院することになれば、一人暮らしになる義父をどうするかという新たな問題が浮上してくる。
「施設」という選択肢が少しずつ現実味を帯びてきているのだ。
93歳の義父は老いて弱ったとはいえ、石原慎太郎さんにちょっと似た自分の考えがはっきりした人なので、子供たちが思い描くシナリオに素直に従ってくれるかどうか、先の見通しは全く立たない。

石原慎太郎さんは、自らの最期についてこんなことを書き残していたという。
14年に出版した「私の海」(幻冬舎)には“遺言”も記していた。 「ことさらに来世なるものを信じている訳でもないが、次に何に生れ変ってこの世に現われたいかといえば、いつか相模湾の外れの三つ石崎の沖合いの潮目で出会ったような巨きな離れ鯨になりたい気がしている」と鯨になって、自由気ままに世界中の大海原を泳ぐ姿を想像すると「心が弾む」と記していた。 そして、「葬式不要、戒名不要。我が骨は必ず海に散らせ」と遺言状に記したという。
引用:東スポ
やはりロマンチスト、こういうところは私も似ている気がする。
「葬式不要、戒名不要」
これも私の考えと近いが、「我が骨は必ず海に散らせ」と最後まで命令口調なのは私とは全然違う。
死んだ後のことは、残された人たちが好きにすればいい。
私の人生は、私が生きている間に完結させるつもりだし、死んだ後のことを子供たちにあれこれ託すつもりもない。
だからこそ、いつまで我が命があるかわからないが、悔いのない「隠居生活」をせいぜい楽しもうと思っている。